私のクリニックは、猫と暮らしている“猫派”のスタッフが多いです。
話を聞くと、猫の鳴き声を聞いただけで状況が分かるのだと言います。
空腹なのか、かまってほしいのか、あるいは少し機嫌が悪いのか。
猫の鳴き声は、意味を運ぶ音なのか、それともその猫らしさがにじむ音なのか。
こうした問いは、世の中であまりに日常的すぎていて、深く考えられることなく過ぎてきました。
動物の声には二つの側面があります。
相手に働きかけるための信号としての声と、身体構造がそのまま現れる声です。
人間で言えば、言葉の内容と声質の違いに近い。
この研究は、イエネコの代表的な二つの鳴き声―ミャーとゴロゴロ―を比べて、どちらがより「個体そのもの」を伝えているのかを調べました。
さらに、野生の近縁種と比較することで、人と暮らす歴史が猫の声をどう変えたのかを浮かび上がらせています。
家庭猫27匹から、ミャーを276回、ゴロゴロを557回録音しました。
ミャーは人に要求する場面、ゴロゴロは撫でられている場面です。
加えて、アフリカヤマネコなど野生ネコ科5種のミャー185回を比較対象としました。
音声はMFCC(音の特徴を数値化する手法)で解析され、どの音がどの個体、どの種に属するかを統計的に判別しています。
直感に反するのは、ミャーにも十分な個体情報が含まれていた点です。
14匹の中から偶然当たる確率は約7%ですが、実際には約65%が正しく識別されました。
ただしゴロゴロはそれを大きく上回ります。
21匹の中で約76%、同じ個体・同じ回数に揃えると85%を超えました。
情報量で見ると、ゴロゴロは約22通りの個体を区別できる水準に達し、ミャーは6通り程度にとどまります。
派手さはなくても、ゴロゴロのほうがその猫らしさがにじむ音を安定して残していました。
ここから見えてくるのは、優劣ではなく役割分担です。
ミャーは相手に通じることを優先する音で、状況によって自在に形を変えます。
意味を届けるための声です。
一方、ゴロゴロは低周波で定型的な振動音で、状況に左右されにくい。
身体の構造がそのまま表れ、結果として個体の輪郭が残ります。
ミャーが相手へのメッセージだとすれば、ゴロゴロは自分であることを示す署名に近いのです。
この二層構造は、野生ネコとの比較で決定的になります。
6種のミャーを種ごとに分類すると、正答率は約87%に達しました。
種の違いは声に明瞭に表れています。
しかし、その中で家庭猫だけが、同じ種の中でのばらつきを大きく広げていました。
統計的にも明確で、人と暮らす猫のミャーは、野生のネコよりはるかに多様でした。
猫は声を単純化したのではありません。
人間という相手に合わせて、声の可塑性を獲得したのです。
この研究は、猫が人間のような言語を持ったと主張してはいません。
ただ、猫は「その猫らしさがにじむ音」と「意味を通す音」を分けて使う段階に達しています。
ゴロゴロに残る身体の署名と、ミャーに込められた対話への調整。
その二重構造は、人と暮らすことで猫の声が失われたという見方を覆します。
猫は声を失ったのではなく、声の使い道を増やした。
そう考えると、私たちが聞いているミャーの向こう側に、まだ言葉にならないもう一つの声が、確かに存在しているように思えてきます。
参考文献:
Russo, D., Schild, A.B. & Knörnschild, M. Meows encode less individual information than purrs and show greater variability in domestic than in wild cats. Sci Rep 15, 43490 (2025). https://doi.org/10.1038/s41598-025-31536-7

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
