走るほど健康、という神話の揺らぎ― 臨床医が考える「運動と大腸がん」の関係

走るほど健康、という神話の揺らぎ― 臨床医が考える「運動と大腸がん」の関係

 

健康のために良かれと思って続けている習慣が、身体に別の負荷を残しているかもしれない。

臨床の場にいると、そうした医学的な逆説に出会うことがあります。

外来で長距離ランナーと話していると、走ったあとの下血や腹部違和感を「よくあること」と受け流している場面に遭遇します。

息切れや関節痛には敏感でも、腸の異変は我慢の対象になりやすい。

その感覚に、今回の研究は小さく切り込みました。

 

運動は健康に良い。

これは疑いようのない事実です。

有酸素運動は心血管疾患や糖尿病だけでなく、大腸がんのリスクも下げると長年考えられてきました。

ただし、その前提は「適度な運動」です。

極端な持久運動が腸にどのような履歴を残すのかについては、十分に検討されてきませんでした。

臨床で感じる違和感を、数値で確かめようとしたのがこの研究です。

 

対象は35〜50歳のランナー100人。

フルマラソンを5回以上、あるいはウルトラマラソンを2回以上完走した、いわゆるシリアスランナーです。

炎症性腸疾患や遺伝性大腸がんの高リスク群は除外され、全員に大腸内視鏡検査が行われました。

評価したのは進行腺腫で、サイズが10mmを超えるもの、悪性化しやすい組織型を含むもの、細胞の異型が強いもののいずれかを満たす病変と定義されています。

 

比較の基準となった同年代一般集団での進行腺腫の頻度は約1.2%とされています。

これに対し、ランナーでは100人中15人、15%に進行腺腫が見つかりました。

95%信頼区間は7.9〜22.4%で、ばらつきを考慮しても低い数字ではありません。

腺腫を1つ以上持つ人は39%に達していました。

40代という年齢を考えると、臨床的に無視しにくい密度です。

 

この結果から直ちに「マラソンは有害だ」と結論づけることはできません。

著者らが想定しているのは、長距離走中に血液が筋肉へ優先配分され、腸の血流が減ることによる虚血や炎症の反復です。

その過程で細胞の入れ替わりが増え、変異が蓄積する可能性が考えられています。

ただし、これは仮説にとどまります。

実際には、補給食として摂取される高加工食品、脱水、鎮痛薬の使用、体重変動、腸内細菌環境など、走る生活様式そのものが複合的に影響している可能性があります。

 

興味深いのは症状との関係です。

運動後の直腸出血は進行腺腫を持つ人で多く見られましたが、出血のない人にも病変は存在しました。

症状があるかどうかだけでは判断できない点が、腸という臓器の扱いにくさを物語っています。

走る身体は不調を押し切ることに慣れており、その姿勢が発見を遅らせる側面も否定できません。

 

もちろん限界はあります。

症例数は100人と少なく、対照群は同時代の非ランナーではなく過去データです。

食事内容や家族歴といった交絡因子の調整も十分とは言えません。

今後は、同年代で運動はするがマラソンは走らない人を含めた比較が必要になります。

 

それでも、この研究が投げかけた問いは明確です。

健康の象徴と見なされがちな行為であっても、極端になれば別のリスクが顔を出すことがある。

走り続ける身体にとって、腸は声を上げにくい臓器です。

もし将来の研究でもこの傾向が支持されるなら、ランナーにおける大腸内視鏡検査の位置づけは、年齢や症状だけでなく走歴も含めて考え直されることになるでしょう。

脚力だけでなく、腸が積み重ねてきた記憶にも目を向ける。

そんな視点が、次の一歩につながっていくのかもしれません。

 

参考文献:

Bonomelli S, Swain WR, Kaltman RD, et al. Risk of pre-cancerous advanced adenomas of the colon in long distance runners. J Clin Oncol. 2025;43(16_suppl):3619.

 

 

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。