おきなわマラソン再挑戦

 

今日は、おきなわマラソンに再挑戦してきました。

明日から暖かくなるということですから、今日は涼しくて助かりました。

ただし、曇空でも紫外線が強かったので負けそうになるのですが、時々吹き付ける涼しい風が救ってくれました。

やはり、沿道の方たちやボランティアの方々の応援や差し入れ、下支えには、いつもながら感謝してもしたりないぐらいです。

それがないと、私などは絶対に完走できないと思います。

そう。今年はなんとか完走できました。

あとで情報が集まってきたのを確認すると、私達の「走ろう会」のメンバーは全員完走できたとのことでした。

ありがたいことです。

運動公園に入ってトラックを一周する時には、不覚にも涙が出そうになりました。

 

 

マラソン前日

 

夕方に、おきなわマラソンのナンバーカード引き換えに行ってきました。

昨年リタイアしたので(記録なしです)今回はスタート前の整列はかなり後方のブロックです。

時間帯が時間帯だったので、混み合うこともなく、スムーズに受付を済ませてきました。

ただし、やはり「お祭り」気分は抑えきれずにそこかしこに溢れていて、体育館の外に出ると、結構な賑わいでした。

文字通り今日は「運動会の前日」です。

今晩はワクワクしてろくに眠れないかも知れません。

明日のマラソンは楽しみたいと思います。

 

後悔している人はいない

 

ある本を読んでいて「ホントにそう!」と思わず膝を叩いてしまう言葉に出会いました。

曰く、

「禁煙に成功したことを後悔している人は、世界中でひとりもいません。」

確かにそうです。

喫煙を正当化するために、何かと理屈をこねてもがいている人はたまに見かけますが、禁煙成功者は、さわやかな充実感が漂っています。

いわば、自分をしばっているものから「コントロールの主導権」を奪回した勝利者の笑顔です。

喫煙は、タバコに自分の心身のコントロールを奪われている状態です。

そこが、ニコチン依存症であるゆえんであり、まさしく怖いところで、「敵」の狙いの油断ならないところです。

何モノにもしばられない、自由であること。

そういう状況を獲得して、後悔している人がいるわけありません。

「禁煙に成功したことを後悔している人は、世界中でひとりもいません。」

まさしく金言だと思います。

 

 

沖縄県のインフルエンザ流行状況(2019年第6週)

 

沖縄県の2019年第6週(2月4日~10日)のインフルエンザ流行状況の報告がされました。

 

詳しくはこちら → インフルエンザ関連情報

 

沖縄県全体の定点あたりの報告数は、35.50人。引き続き「インフルエンザ警報」発令中です。

 

 

保健所単位でも、県内の全保健所管内で警報基準値を上回っています。

 

 

新規発症の方は、毎日数人受診してきますし、やはり、さすがに「インフルエンザ警報」が発令中であることを実感させられます。

 

しかし、もちろん油断して良いものではありませんが、少しずつですが、ピークを過ぎてきている印象はあります。

 

天候が不安定な日が続きます。体調を崩しやすい季節といえます。

 

体調には十分気をつけて、予防に気をつけていきましょう。

 

 

小説「慟哭」

 

物語の形式自体に仕掛けがあるミステリーのことを「叙述ミステリー」といいます。

 

アガサ・クリスティの「アクロイド殺し」が有名ですね。

 

この作品は、物語の語り手自身が実は犯人だったという、挑戦的で意欲的、型破りな小説でした。

 

発表当時は「この手法はフェアなのか」と、かなり物議をかもし出したそうです。

 

いずれにせよ、推理小説の歴史上に残る作品として有名です。

 

つまりは、通常のミステリーは他の登場人物に対して犯人がしかけるトリックが肝なのですが、叙述ミステリーは作者が読者に対してしかける表現方法としてのトリックが主題なのです。

 

ですから、読者が「叙述ミステリー」と知らないで読むのと、知っていて構えて読むのとでは、インパクトがまったく違ってしまいます。

 

いわゆる「ネタバレ」が致命的であるのが、「叙述ミステリー」の難しいところだと思います。

 

その難しい試みを、作者は、特異な状況と人間の奥底に宿る(ある意味、普遍的な)闇を表現することで「読ませる」ことに成功しました。

 

事件の進行と犯人の心情の変化によって、次へ次へと読み進ませてしまう面白さがありました。

 

1993年の作品で、作者のデビュー作とのことです。

 

やはり、世相を反映した小説なのかと思いましたが、「後記」で「モデルは実在しない」ときっぱりと否定していました。

 

 慟哭 貫井徳郎著

 

 

いつの間にか1週間を切った!

 

このタイトルですぐにお察しされた方は、同志(?)なのかも知れませんね。

 

1週間を切ったというのは、今度の日曜日に行われる「おきなわマラソン」のことです。

 

昨年はNAHAマラソンは完走したものの、練習不足がたたって、おきなわマラソンは途中リタイアしてしまいました。

 

今回は再挑戦ということになります。

 

(身の程を知っていますから、おこがましくも「リベンジ」などとは言いません。)

 

前回とちょっと違うのは、スピードはともかくとして、月間100Kmのジョギングを1年間続けてきたことです。

 

体を動かすことに、抵抗もなくなってきました。

 

 

 

今日も、おきなわマラソンにエントリーしている知り合いの男性と固く握手をして、互いの健闘を誓いあいました。

 

口では勇ましいことを言っていますが、不安しかありません。

 

「楽しくいきましょう!」

 

最後は、結局それに尽きますね。

 

 

 

楽しみついでに、ジョギングの様子を動画に編集してみました。

 

音楽を入れると、私みたいなオジサンでも何となく格好がつく感じがするから不思議です(笑)。

 

 

 

 

長時間透析について

 

人は、あまりに慣れすぎると当然のこととして素通りしてしまうのですね。

私にとっては、それが「長時間透析」のようです。

 

先日、他院で血液透析をしている60歳台の方とお話する機会がありました。

「病院側にお願いして5時間してもらえるようになったんですよ。」

「ご自分から?」

「そうです。」

「どうしてですか?」

「待合室で患者同士の話で、時間を延ばしたほうがいいっていう話を聞いて。実は、なかなかこういった情報は入ってこないんですよね。」

「患者会の勉強会とか、行かないんですか?」

「私、入っていないから。透析のスタッフからも教えてくれなかったし。」

「そうなんですね。」

「ほかの患者も『今日は早く終わったから、良かった』って喜んでいるし。『違うだろ!』って思うんだけど。」

「よくご存知ですね。」

「1時間延ばしただけですけど、全然疲れの取れ方が違うのがわかります。」

「どのくらいかかりました?」

「私は2ヶ月ぐらいかな?2ヶ月ぐらいしたら、違いがわかってきました。」

「そうなんですね。」

「もっと早くやっておけば、動脈硬化もすすまなかったと思うんだけど。」

その方は透析歴20年を超えるのだそうです。

私たちのクリニックでも、クリニックに転入する前に私との面談を(時間の都合で)していない方はいまだに4時間の方もいます。

「転入してくるのなら、せっかくだから5時間からやってみたら?」

そう言ってすべての患者さんに「お試し」をすすめているのですが、申し訳ないことに透析時間のお話をされずに転入してしまう方が稀にいらっしゃいます。

「もったいないですね。」

先程の方が言いました。

「私の場合、どれだけの壁をクリアして、1時間の透析を延ばせたか…。病院がやってくれるのなら、喜んでやってみればいいのに、と思います。」

 

開業して6年が過ぎて、「長時間透析」が当然のクリニックで、私の方が慢心していたのかも知れません。

患者さん向けの発信は、まだまだ必要なのですね。

 

プロ野球キャンプ

 

沖縄では、プロ野球のキャンプが真っ盛りですね。

浦添市にもヤクルトスワローズがキャンプをはっています。

熱心なファンはチームに帯同して沖縄にやってきていますから、感心することしきりです。

(このような熱心さでひとつのスポーツチームを応援したことがない私には、目を丸くするばかりです。)

けれども、キャンプを見学すると、プロ野球選手の体つきや所作などを見るだけでも、ずっと見入ってしまうほど楽しいのですよね。

選手の一挙手一投足に視線を送ってしまいます。

(それこそ、バットを片付ける動作にも!笑)

今まであまりキャンプに行ったことがなかったのですが、これからは少しずつでも足を運びたいと思います。

 

 

 

「走る走る走る」

 

村山槐多(かいた)は日本の洋画家であり、詩人、作家です。

1919年、肺結核のため22歳の若さで亡くなりました。

その詩集は、死後、友人たちの手によって編集されたものです。

その詩は、真っ直ぐで生き生きとしたエネルギーの塊のような詩です。

タイトルはわからないのですが、「走る走る走る」で始まる詩を紹介しますね。

*

走る走る走る

黄金の小僧ただ一人

入日の中を走る、走る走る

ぴかぴかとくらくらと

入日の中へとぶ様に走る走る

走れ小僧

金の小僧

走る走る走る

走れ金の小僧。

 

*

自分の思いをその黄金(こがね)の小僧の走る姿に託しているのでしょうか。

小僧の姿がオレンジ色のシルエットとなって、太陽の光を背景に躍動している様子が浮かびます。

私の大好きな詩です。

 

 

下は自画像。

 

Murayama Kaita self-portrait

映画「マスカレード・ホテル」

 

先日、映画「マスカレード・ホテル」を観てきました。

人間を丁寧に描くスタイルは、原作の東野圭吾さんの面目躍如といった感がありましたし、すっきりとしたミステリーに仕上がっていて、映画としても面白かったです。

東野圭吾大ファンの娘からの受け売りですが、「マスカレード・ホテル」は「マスカレード・シリーズ」の第一作目なのですね。

娘いわく「今ごろ映画化?って感じ」だそうです。

たしかに、「マスカレード・ホテル」は2011年の作品なのですね。

「マスカレード・イブ」「マスカレード・ナイト」と続いていて、舞台は「ホテル・コルテシア東京」という一流ホテル。

「マスカレード・ホテル」は複数のドラマが交差した群像劇として描かれながら、ラストに向けてメインとなる事件がクライマックスを迎えていきます。

映画の中で次に語られる言葉が印象的でした。

「ホテルに来る人々はお客様という仮面を被っている。ホテルマンはそれを剥がそうとしてはならない。」

これがこの映画をミステリーたらしめている裏テーマなのだと思います。

仮面を被った人間が何を思い(企み)何を目的にそこへ訪れるのか。

「決して剥がそうとしてはならない」を信条とするホテルマンと、人を性悪説で疑ってかかる刑事とは、ともに相容れないものであって、ぶつかりあっても仕方がないものともいえます。

けれども、捜査がすすむにつれて互いを信頼しあうまでのエピソードは丹念に描かれており、十分に見応えのあるものでした。

三部作すべての原作を読んでみたくなりました。

映画の方もシリーズ化されるのかも知れませんね。