父の日

 

今日は父の日ですね。

母の日はイベントになりやすいのでしょうが、父の日は私としてもスルーすることが多く、昨年は父に対して何もしなかった気がします。

今年はちょっとした思いつきと偶然が重なってショッピングモールで準備することができました。

 

さて、これは頭をマッサージする小物だそうです。

自分で試してみると、ちょうどいいあんばいに頭皮が刺激されてポカポカしてきます。

これは流行りの癒やしグッズだと思って購入しました。

何も説明しないままに贈ったので、ちゃんと用途を間違えずに使ってくれるのかちょっと心配です(笑)

 

これだけでは逆に寂しすぎると思ったので、テッパンですが、スタバのプリペイドカードを準備しました。

私の父は大のコーヒー好きで、店員さんと馴染みになるほどの常連さんだそうです。

 

台風6号(ケーミー)

 

台風6号・GAEMI(ケーミー)が台湾の東に発生しました。(「ケーミー」とは韓国の言葉で蟻の意味だそうです。)

 

台湾近海で台風の卵が発生していたのは知っていたのですが、沖縄の至近距離で突然のように台風に発達してしまったので、気持ちの準備もないままに迎えてしまった感じです。

しかも予想進路が先島諸島から沖縄、奄美をすっぽりとなぞっていくような予報円になっているので、これで強い台風ならもっと大変な事態になっていました。

 

想像するとゾッとします。

 

それでも、台風6号は中心気圧が990hPa前後、中心付近の最大風速が20m/s前後なので、もちろん油断はできません。

何より梅雨前線と重なってしまっているので、今度は大雨が心配です。

土砂災害に厳重に警戒し、低い土地の浸水、河川の増水や氾濫、高波に警戒しなくてはいけません。

 

ついこの間までの「空梅雨」「渇水」の状態から頭を切り替えなくてはならないです。

今後の台風の進路に注意していきましょう。

 

 

待望の雨

 

昨日から待望の雨が降ってくれています。

普段は「雨で大変でしたね」とねぎらうところを、今回ばかりは患者さんの方から「恵みの雨ですから、濡れるのも構いません」と言ってくれていました。

私もちょっと前に雨雲レーダーのアプリを入れたので、それを眺めて外の雨雲の様子を確認するのが楽しみになっています。

 

台風のたまごも発生していて、その動向にも期待してしまいます。

週間天気予報をみると、しばらく雨マークが続いていますから、期待大ですね。

 

 

熱中症に気をつけましょう

 

一度にいろいろな自覚症状があって受診されてきた方がありました。

それらがほぼ同時に出現していて「体がきつい。」と訴えられていました。

すべてをひとつの原因で説明をつけるのにはちょっと無理がありそうだったので、思わず「熱中症は大丈夫ですか?」とお訊きしました。

その方は今まで風邪などや体調不良なども経験せずに元気に過ごされてきた方だったのでしょう。

私の質問に「え、そうなんですか?」とびっくりされていました。

 

この時期、ただの風邪だと思っていた体調不良が、実は熱中症だったということは時々経験します。

体調が思わしくなくて、熱中症(そうでなくても熱疲労)に風邪が重なってしまったということもあります。

 

水分をこまめにとること。発汗が多ければ塩分の摂取も欠かさないこと。

何より暑熱環境には十分に気をつけること。そのためには自分が今いる環境がどんな状態かを把握する必要があります。

注意を払いすぎるということはありません。十分な対応をしていきましょう。

 

 

小さな親切

 

今日6月13日は「小さな親切運動スタートの日」だそうです。

 

1963年3月に東京大学の卒業式告辞の中で、茅誠司総長が「小さな親切を勇気をもってやっていただきたい」と言ったことがきっかけになって、その3か月後の6月13日に運動が発足されたのだそうです。

「”小さな親切”を勇気をもってやっていただきたい。そしてそれが、やがては日本の社会の隅々までを埋めつくすであろう親切というなだれの芽としていただきたい。
大学で学んだ様々な知識や教養を、ただ頭の中に百科事典のように蓄えておくだけでは立派な社会人とはなれません。
その教養を社会人としての生活の中に生かしていくには、やろうとすれば誰でもできる”小さな親切”を絶えず行っていくことが大切です。
“小さな親切”はバラバラな知識を融合させる粘着剤の役目を果たすのです。」

「公益社団法人「小さな親切」運動本部ホームページ 「小さな親切」運動本部について」より)

 

東京大学卒業式告辞 1963年(昭和38年)3月

 

どんな時、どんな人に対しても、親切であり続けたいですね。

 

 

 

親切であること

 

自分の不幸について他人を責め続ける人がいます。

責める訳は一見正論のようですが、多くは責める対象への、いわば”復讐”に近いものです。

責め続けていくうちに対象となる人への嫌悪が増し、それが積もって憎しみや恨みになっていくのでしょう。

対象に執着するあまり、自分をより幸せにすることについて、立ち止まって考えることができなくなっています。

「自分の人生の幸せ」を目指すはずの本来の目的が、すり替わっているのです。

 

そうやって他人を責め続けていくうちに柔らかった心を失くし、結果的に自分自身を傷つけてしまっています。安らぎもありません。

人としてとても大切な自尊心を失くしてしまっている状態です。

 

自分の不幸を幸せへと転換させるのには、そこから何かを学びとろうとする健全でポジティブな思考と態度が必要です。

例えば、人の幸せを願うこと。人に奉仕すること。

とても難しいことですが、そうすればそうした分だけ、自分自身に返ってきます。

少なくとも、そういう自分に対して、自分で自分の自尊心を取り戻すことができます。

 

昔から言われていることですが、人に対して親切にすることは、自分自身の心を豊かにします。そして、幸せになります。

「いいことをした」という満足感は、ただの自己満足ではないということです。

 

こんな言葉があります。

「もしあなたが本当に幸せになりたいなら、方法は何であれ、人の幸せを助けなさい。」

親切である人は、幸せです。

 

 

沖縄県の麻しん流行終息宣言

 

本日6月11日付けで沖縄県保健医療部から「はしか」終息宣言が出されました。

詳しくはこちら → 「沖縄県における『麻しん(はしか)』流行の終息宣言」

 

今年の3月20日に「はしか」患者が報告されて以降、99人の患者が報告されました。

最後の患者の受診が5月11日で、それ以降新たな患者が4週間発生していないことを受けたものです。

素直にほっとしています。

 

今回の流行で自分のワクチン接種歴や抗体価について改めて関心を持った方も多かったと思います。

これをきっかけに(流行期でない今こそ)麻疹ワクチン接種の検討をお願いします。

 

 

第61回日本腎臓学会学術総会

 

今年は腎臓学会学術総会の会場が新潟県で、沖縄から参加するのにはなかなか交通の便に余裕が必要な場所です。

一時は参加をあきらめていたのですが、なんとか短時間だけでもと思い立って参加することにしました。

 

内科学会や抗加齢医学会など、普段触れない分野を幅広く学ぶのも勉強になるのですが、やはり、専門分野の領域に浸るのは知的な刺激の強さが違います。

専門であれば当然知っていなければならないこと、あるいは専門であるからこそ見通しておきたい先進的なこと。

もちろん焦ることにもなりますが、なにより学習意欲を高めてもらえます。

 

日常の診療で少しでも目の前の患者さんに貢献できるようにと願っています。

 

 

風台風?

 

もしかしたら、台風5号(マリクシ)は雨をもたらさないかも知れないという予報が出ています。

台風被害は困りますが、雨については期待していたので、少しがっかりしています。

 

このまま少雨が続くと給水制限を施行せざるを得なくなる…そんな懸念が現実味を帯びてきました。

直接的、間接的にでも水に関わる多くの業種の方々は、文字通り固唾を呑んで日々の天候を見守っていることと思います。

 

「断水になるかも知れない。」

沖縄の給水制限は25年間なかったのですから、今の若い人たちには実はピンとこないことなのかも知れないと思いました。

もちろん、震災のあった方々のご苦労はテレビで放映されて知っています。

災害時に(その後も)給水車からポリ容器で水を運ぶ人々の姿も知っているのですが、実感が伴わないのかも知れません。

 

生活用水はもちろん、医療、農業、飲食業、観光業界にも大きな痛手になります。

天に頼むだけでなく、自分ができること(節水)からやっていくしかないですね。

 

 

「ペンフレンド」という言葉

 

辞書をパラパラとめくっていたら「ペンフレンド」という項目が目に付きました。

蛇足でしょうが、意味はこうあります。

「手紙のやりとりによって結ばれる交友関係。文通仲間。また、それを契機として生じた友達。ペンパル」

 

「ペンフレンド」も「文通」も、死語に近くなって久しくなりました。

今はネットの時代ですから、正式なやりとりはメールですし、砕けた間柄ならLINEなどを使っていますね。

 

便箋に文章を書く。手紙を認めるなんてことは、よっぽどのことでなくてはしなくなりました。

中学生の時に読んでいた月刊誌の「読者のページ」には、ペンフレンドを求める投書欄が必ずあったような気がしますし、出すつもり(勇気?)もないのに興味津々でそれぞれのコメントをチェックしていた記憶があります。

また、同級生にペンフレンドが日本中に10人ぐらいいる友人がいて、驚きつつも羨ましく思ったこともありました。

 

今はSNSなどがその代わりになっているのでしょうが、昔はひとつひとつに対して手間をかけていたなあと感心します。

ゆっくりですが、その分だけ自分に向き合う時間にもなっていました。

個人的にはなつかしいですが、昔には戻れない「文化」のうちのひとつなんでしょうね。