ハイブリッド講演会

 

今日は沖縄県透析医会の講演会がありました。

会長の比嘉先生が「3年ぶり」と言っていましたが、私もリアルな講演会の参加は本当に久しぶりでした。

Web講演会とのハイブリッド開催が普通になっているので、滅多なことでは外に出ないのです。

バリバリの昭和生まれの私がそうですから、若い人たちはもっとPCの前だけで済ませてしまうかも知れませんね。

会場のホテルに向かう途中は、大雨に降られました。

雨と帰宅時間が重なって、道路はあちこちで渋滞が始まっていました。

開始に間に合うかなとか、そんな心配も久しぶりです。

やっぱり顔をつきあわせての講演会は良いものでした。

内容は同じですが、演者から伝わってくる熱はネット回線は運んでくれないようです。

演者の話に聞き入る聴衆の肯定・感嘆の空気感は、そこに座っていないとモニターごしには伝わってこないものです。

Withコロナの時代ですが、Web講演会とのハイブリッドはあっても、Web単独にはならないだろうなと思いました。

 

その日を大切にすること

 

その日を大切に過ごしたいというのは、頭ではわかっていても、自信を持ってイエスと答えられるかどうかは(少なくとも私自身は)疑問です。

ところが、最近「歳時記」をかじるようになって、日本人が季節をon goingに感じとり、その変化の推移を重んじながら、1日1日を大切に生きてきたのだということが少しわかったような気がしています。

俳句は、今、その時のことを詠むのが普通です。

今は夏ですから、夏のことを詠むのが基本です。終わってしまった季節のことを詠もうと思えば、巡ってくる次の季節まで待つ必要があります。

俳句は写真に喩えられますが、その時の旬の素材を句に写しとるのだと思えば自然なことです。カメラを向けて撮影できるのは「今」のものしかありませんから。

夏には夏のこと、次の秋には秋のこと。初心者の私なら、やや勇み足でちょっと先取りするぐらいがちょうど良い気がします。

では、夏はいつ始まるのかというと、それは「立夏」からです。梅雨入りのように担当部署が気象データをもとに宣言を出すものではありません。

歳時記には「立夏」の解説にこうあります。

「二十四節気の一つで、新暦5月5日ごろにあたる。暦の上ではこの日から夏が始まる。活気に満ちた季節の到来を感じさせる。」(俳句歳時記)

「二十四節気の一つで、太陽の黄経が四十五度の時である。陽暦5月6日頃にあたり、ゴールデンウィークの最後を締め括る頃でもある。日本列島は南北に長いため、暦の上では夏になっても北方の地域では桜がやっと開いたばかり、というように、地域により、夏の到来を実感する時期に大きな隔たりがある。しかし「暦の上だけかもしれないが、とにもかくにも夏になった」と自覚することは、感覚を研ぎ澄まして季節を先取りする俳句において、非常に有効と思われる。(櫂未知子)」(大歳時記)

ちなみに二十四節気とは、1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けたものです。単純に考えれば、だいたい約15日毎に次の節気がやってくる計算になります。

今年は、5月5日に「立夏」がありました。その16日後の5月21日に「小満」がありました。

このほぼ15日毎のサイクルというのは、季節の推移を感じ取るのにちょうど良いのでしょう。

変化を感じとるということは、そこにある状況が刹那のものであり、かけがえのないものであると実感することです。

そして、ボーッと過ごしていたらあっという間に過ぎ去ってしまうものです。

私が歳時記を面白いと思うのは、季節の移ろいを観察し続けた先人たちの知恵が記されているからです。

 

24solarterms

 

「哲学者が走る」

 

 

「哲学者が走る 人生の意味についてランニングが教えてくれたこと マーク・ローランズ著」は、本のそこかしこに多くのランナーが思っていても言葉に表せなくて、もどかしい思いをした思考の中身を表現した箇所があります。

例えば、この文章。

「走ることは回想の場だ。いちばん重要なのは、それが他者の思考を思い出す場所ではなく、わたしがとうの昔には知っていたのに、成長の過程や何がしかの者になる過程で忘れざるを得なかった、何かを思い出す場だということだ。」

さすが哲学者といったところでしょうか。確かにフルマラソンのような長くて苦しい道のりの時、ランナーは「走りのささやき」を聞くことがよくあります。

自分のささやきではなく、「走り」そのものがささやいているとしか言いようがない「何か」の啓示です。

今まで思い出すこともなかった、ある日の家族との会話が、ふとよみがえったりするのです。

それから、次の文章も。

「人生で大切なことは、わたしたちが目ざす到達点ではなくて、一つの人生のいたるところに散在するものであり、もっとも基本的には、喜びが外から私たちを暖めてくれるこれらの瞬間 ― 活動の成果ではなく活動そのものに専念している瞬間、目的ではなく行為に専念する瞬間 ― に存在する、ということを示している。」

簡単に言ってしまえば、結果よりもプロセスを楽しんだ方がずっといい、ということですね。

そして、年齢を重ね、老いを感じる人に対して、こんな励ましの言葉を送っています。

「若さは生物学的な年齢の問題ではない」「若さは活動が遊びになるとき、それ自体のために何かをするときには、いつでも存在する」

遊びのように夢中になれば、人は老いることがないということです。

子どもの時のように夢中になるものを、大人こそ見つけたいですね。

 

「スーマンボースー」

 

先週の土曜日の5月21日は二十四節気で「小満」だったようです。

歳時記では「万物しだいに長じて滿つるの意」とあります。立夏から15日目で、陽暦5月21日頃ということですから、ちょうど暦通りにその日にあたっていました。

太陽の光を浴びて、草木が生い茂り生命が満ち始める、この季節らしい言葉ですね。

沖縄では、次の節気「芒種」と合わせた「スーマンボースー」(小満芒種)という言葉が梅雨の意味で使われるようです。

まるで中華料理の名前のようですが、ちゃんとした沖縄の季語です。

梅雨の雨が最も降る時期とされていて、今日の天気(朝から雨)をみると「沖縄歳時記ここにあり」と感心します。

先人たちが残してくれた、知恵がつまった言葉のひとつですね。

ただし、大雨となって土砂災害などの恐れもありますから、天気予報のチェックは忘れないようにしたいものです。

 

美浜の大観覧車

 

陽が傾くのを待ってジョギングに出かけました。

日中は梅雨の狭間とは思えないほど陽射しが強く、日ごろ患者さんに「熱中症に気をつけて」と注意を促している私が倒れるようなことになったら、「医者の不養生」どころのお話ではすまないと思ったので、自重したものです。

宜野湾から58号線に出て北上。美浜を通り過ぎて国体道路入り口の手前で左に折れて海岸に沿った道路を南下して戻りました。

観覧車が目印なのが美浜です。

撤去が決まってから、ここを通る度にスマホを向けて写真に残すようにしています。

私の子どもたちは物心ついた時からこの観覧車が当たり前の風景として存在していましたから、余計に寂しがっているようです。

私にとっては、ハンビー飛行場が返還された土地が発展していった象徴でしたから、時代の変遷をいやでも感じてしまいます。

夕日に浮かぶ観覧車がなんとも寂しげでもありました。

 

 

三文の徳

 

眠い目をこすりながら、「晴れているうちに…」と、とにかく着替えて外に出ました。

宿直明けの朝です。

外に出てみると、久しぶりに晴れやかな朝日が出ていました。

気持ちのいいジョギング日和です。

昨日の昼過ぎから夕方にかけて、ひっくり返したような土砂降りでしたから、あれから半日も経っていないことを考えると、サプライズでおみやげをもらったような喜びです。

やはり同じ気持ちの人が多かったのでしょう。

犬の散歩の人、ウォーキングの人、ランニングの人と多くすれ違いました。

アスファルトはまだ濡れていましたが、風が流れているので空気がさわやかでした。

週明けからまた梅雨空が戻るらしいので、こんな晴天はひと時のことなのかも知れません。

これこそが「三文の徳」というものです。

季節の移ろいを肌に感じながら、ゆっくり走ってきました。

 

 

「川のながれ」

 

仏教詩人の坂村真民さんの詩は、色紙に書写して目の届くところに置いておきたくなる、そんな詩が多いです。癒しの詩人と言われる所以です。

優れた詩は、新しい視点を与えてくれます。見えなかった存在を気づかせてくれます。

ここでは私が好きな詩のうちのひとつ、「川」を紹介しますね。

 

 

  川

 

ひるは

ひかりのなかを

よるは

やみのなかを

ながれてゆく川

だから川は

美しいのだ

なぜなら

この二面の世界に

執せず

着せず

サラサラと

海に向かって

ながれてゆくからだ

 

 

自然の姿は、受け手が謙虚で繊細であれば、人の道の標となります。

 

この世は二面の世界であると看破し、その世界に執着せず無心に生きていく姿を、川の流れに映したのでしょう。

「私も川のように生きたい」という作者の決意が溢れるかのようです。

 

 

なぜランナーズハイが起こるのか

 

どなたかのレビューにあったように、「読んでいるそばから運動したくなる」本でした。

ただし、「第3章 集団的な喜び」については、「集団運動・行動による絆の形成」などのトピックが言及されており、比較的ひとりの活動を好む(集団が苦手な?)私にはちょっと苦手な分野もありました。

特に興味深かったのは「第1章 持久力が高揚感をもたらす」の「なぜ『ランナーズハイ』が起こるのか?」です。

ここでは、アリゾナ大学の人類学者、デイヴィッド・ライクレンの研究について紹介しています。

まとめるとこんな感じです。

 

人間は「ストレス」を「報酬系」へと置き換える機構を持っている。

運動については、「ランナーズハイ」と呼ばれる反応、つまり運動による多幸感が起こる。

ランナーズハイの原因物質は古くからβエンドルフィンと呼ばれる物質であるとされてきたが、近年の動物実験の結果から, 内因性カンナビノイドの変化のほうがより強く影響することが明らかとなっている。

ライクレインは、内因性カンナビノイドの血中濃度が上昇するためには、運動を「どの強度で」「どれくらいの時間」行えば良いのかを探ってみた。

そして、ランナーズハイを引き起こすカギは、走る行為そのものではなく、中強度の運動を継続することだということをつきとめた。

つまり、自分にとってややきつい運動を20分間続けること、持久力を発揮することが内因性カンナビノイドを増加させることにつながるのだ。

 

着眼点が面白いと思いました。スタートの着想はこうです。

「ランナーズハイは、持久力を発揮すると報酬が得られる仕組みになっているのでは?人類の進化の過程において、持久性運動によって満足感を得られるようになったということではないか?」

確かに満足感がなく、ただきついだけならば、走ろうとは思わないはずです。

むしろカロリーを消費するだけの行為は、極力避けていたように思います。

食べ物にありつけるか不明なのに、カロリーが枯渇するまで走り続けるというのは、生命の危険でもあり、愚の骨頂です。

やはり、それに見合うだけの報酬があったと考えるのが妥当であるでしょう。

ランナーズハイを経験するには、心拍数をあげるような運動を20分間続けてみること。

この指標は、運動をする際の参考になると思いました。

ことばの日

 

今日は5月18日。ことばの日らしいです。

「こ(5)と(10)ば(8)」と読む語呂合わせから。言葉について考え、言葉を大切にし、言葉を正しく使えるように心がける日。

今さらながら、ことばは難しいです。

ことばがあるから私たちはお互いの事情をわかりあえますが、感じ方や気持ち、感情の共有については、なかなか追いついていきません。

ことばに対する思い込み、先入観がある分だけ、邪魔になる時があります。

ことばが足りなかったばかりに、誤解を招き、トラブルにはまりこんで、謙虚でなかった自分の浅はかさを悔いることもあります。

良いことばを学びたいです。私が思う良いことばとは、優しく素直でわかりやすいことばです。相手を傷つけたりしないことばです。

そして、それをちゃんとつかえる大人になりたいです。

 

 

梅雨の寒さ

 

先週末から沖縄は急に冷えました。

朝、薄着のまま外に出たら予想外の寒さに「失敗した」と思うほどです。

 

今年になって俳句に親しもうと思って、季節の変化を感じると歳時記を開くようにしています。

いや、歳時記を持つようになってから、季節の移ろいに五感のアンテナをはるようになったと思います。

私が持っている歳時記は5分冊になっているタイプで、5月から夏の巻を携帯しています。

春の巻は、どうしても沖縄の気候と感覚的なズレがあって、無理やり自分を納得させていたのですが、夏の巻は「うりずん」「若夏」「ハイビスカス」などの慣れ親しんだ言葉が季語として並んでいるので、やはり嬉しいです。

キングスの評判を全国放送で聞いた時みたいな誇らしさです。お~ここで言われた、みたいな。

さて、今日見つけたのは「梅雨寒」

 

【梅雨寒 つゆざむ】梅雨冷(つゆびえ)

梅雨のころの季節外れの寒さ。

◆梅雨前線にオホーツク海高気圧の冷たい風が吹き付けると、前線が停滞し曇りや雨天が続く。この寒気団が特に強い日は一段と肌寒く、心もとない。

 

昨日今日の寒さは、まさしくこれです。ぴったりの季語を見つけると嬉しくなるものです。

 

ここで一句。

 

梅雨寒の ドア開けぬ間も 小走りに

 

これは、今朝の私の姿。

沖縄の人は傘を持たないと言いますが、そうは言っても濡れるのはイヤで、自動車のドアを開ける間も惜しんで慌てて乗り込んだ、というもの。しかも、寒かったし。

最近は体を冷やして風邪でもひこうものなら、大変な騒ぎになります。単純な風邪だなどとなかなか信じてもらえないですから。