ランタンの憧れ

 

「大人の趣味は形から入るのが大事」

そういう格言があるのかないのかわかりませんが(たぶんありません)、私は「形から入る」派の代表のような人間です。

「形から入る」のが趣味と言ってもいいぐらいです。(ん?)

今は時間がないので出来ませんが、キャンプにはまっている時は、通常のアウトドア用品だけでは飽き足らず、ダッチオーブンなどにも食指を伸ばしていました。

ランタンなどは一時期コレクターになろうと思っていたほどでした。

コールマンのワンマントル・ランタンの286Aが特に大好きで、自分の誕生年の赤ランタンを中古オークションで探し回っていたこともあります。(結局断念しました。)

手軽さ、便利さ、快適さを追求するなら、最近のLEDランタンの方が断然良いと思うのですが、灯りの色合いや熱など、また、ほんのちょっとだけ手間がある分、このシンプルな構造の286Aは愛着があります。

このランタンの灯りの下で、何も考えずにボッーと過ごすためにキャンプをすると言ってもいいぐらいでした。

ランタンは良いです。

書いているうちに、やはりキャンプに出かけたくなりました。

 

 

インフルエンザ流行状況(2019年第32週)注意報発令中

 

 

沖縄県全体のインフルエンザの第32週(8/5~11)の定点あたりの報告数が10.82人で、注意報基準値の10人以上を越えてしまいました。

(沖縄県インフルエンザ流行状況の詳しい情報はこちらをご参照ください。→ 「沖縄県インフルエンザ関連情報」)

 

したがって8月14日に沖縄県でインフルエンザ注意報が発令されています。

 

 

赤いラインが今年の推移で、ずっとくすぶり続けていたのが、この2、3週でぐっと増加していっているようです。

 

また下の表にあるように、保健所管内別でみると、沖縄県の中部、那覇市、南部で超えていますから、本島を中心に広がっているようです。

 

 

特徴的なのが、今まではB型が多かったのが、A型が増えているということです。型別の報告ではA型が約63%、B型が約27%だったそうで、明らかに様相が変化しています。

 

 

心配なのが、昨日までのお盆で人が移動し、集まったことですね。

 

インフルエンザの流行状況は今後も注意深く見守る必要があります。

 

 

GPS アート

 

GPS ランニングアートというのがあるのですね。

スマートフォンやスポーツウォッチなどに搭載されたGPS機能を利用して実際に走り、そのルートを地図上で描くアートです。

「GPSランニングアート」と検索すれば、ゴジラや動物などの一筆書きのイラストがすぐに見つかりますし、文字や記号などさまざまに工夫されていて、見るのも楽しいです。

製作者たちは事前に地図上でイメージをデザインしたあと、そのルートを実際に走って描いたのでしょうが、先日、私たち親子は偶然に「アート」してしまいました。

正確にはランニングアートではなくて、ウォーキングアートなのですが、ウォーキングのあとスマホで確認したら、奇跡的にハートマークになっていました。

 

全周が5Kmの大きなハートです。

地図上ではわかりにくいので、ルートだけで載せますね。

何も考えずにウォーキングしていたので、その結果がハートだったのが嬉しさひとしおでした。

 

 

旧盆中の休診のお知らせ

 

以前からお知らせしておりますが、お電話でのお問い合わせもあり、直前ですが再度お知らせすることにいたします。

 

明日8月15日はウークイとなっており、当クリニックの外来は休診となります。

本日(ナカヌヒー)は通常通り診療しております。

 

ご迷惑をおかけしますが、ご了承ください。

 

 

 

詩「おれの期待」

 

昨日、ふと目にした詩にグッと心が引き寄せられました。

 

✳︎

 おれの期待

    高見 順

 

徹夜の仕事を終えて

外へおれが散歩に出ると

ほのぐらい街を

少年がひとり走っていた

ひとりで新聞配達をしているのだ

 

おれが少年だった頃から

新聞は少年が配達していた

昔のあの少年は今

なにを配達しているだろう

ほのぐらいこの世間で

 

なにかおれも配達しているつもりで

今日まで生きてきたのだが

人々の心になにかを配達するのが

おれの仕事なのだが

この少年のようにひたむきに

おれはなにを配達しているだろうか

 

お早う けなげな少年よ

君は確実に配達できるのだ

少年の君はそれを知らないで配達している

知らないから配達できるのか

配達できるときに配達しておくがいい

楽じゃない配達をしている君に

そんなことを言うのは残酷か

 

おれがそれを自分に言っては

おれはもうなにも配達できないみたいだ

おれもおれなりに配達をつづけたい

おれを待っていてくれる人々に

幸いその配達先は僅かだから

そうだ おれはおれの心を配達しよう

 

✳︎

今となってはかなり薄れがちな記憶ですが、私は小学生の頃、新聞配達をしていたことがあります。

あの頃はクラスメイトの間で新聞配達をすることが流行っていて、私も友達に誘われたので「やってみようかな」ぐらいの気持ちで引き受けたのですが、この詩のように「楽じゃない配達」でした。

雨の日や台風が近づいている時などよりも、何もない静かな朝の時の方が辛かったというのを覚えています。

とにかく眠かった。けれども、走らなければ学校に遅れてしまいます。

配達することは楽じゃない。何を配達するのでも。

「おれの心を配達しよう」なんて、とても真似ができないです。

 

 

ダイソーマジック「選ばれるトランプ」

 

今回は、恒例の(?)ダイソーマジックの紹介です。

 

前回から「手品家」さんとのコラボ商品の登場に、コーナーの前で大人げなくはしゃぎ気味となっていました。

 

 

 

パッケージをよく見ると、裏のほうに手品家さんのサイトのQRコードが提示されています。

 

 

その側には「商品を購入して見せ方などさらに知りたい方は、世界最大のマジックバー手品家にてプロマジシャンから直接教えてもらえます。」という文があって、なかなかうまいものだなあと感心しました。

 

ロックやジャズ・バンドのライブハウスなどと同じく、演者にとってはお客様に足を運んでもらうのが一番ですから、ダイソーの商品を集客に結び付けるアイディアは素直に応援したいです。

 

さて、今回の商品は「選ばれるトランプ」

 

 

観客にカードの順番を覚えてもらうのですが、それが順番どころか全く別のカードに変わってしまっているというマジックです。

 

 

観客とのやりとりを楽しむマジックなので、演者の巧さが求められます。Level3。

 

感心したのは、カードの質感です。

 

カードと言えば、バイシクル・プレイング・カードが代名詞ですが、それをひな型にして、紙質の厚さといいデザインといい、良い仕上がりとなっています。

 

あまりバイシクル・カードを見る機会のない人は、違和感を感じないかも知れません。

 

もちろん、並べるとはっきりと別物ですから、本家にも怒られないレベルだと思います。たぶん(笑)。

 

 

ちなみに下がバイシクル・カードです。

 

 

このこだわり!

ダイソーマジックのこれからの展開が楽しみになってきました。

 

 

「不透明な会話」

 

今日も暑かったですね。

暑すぎて外に出るのにも億劫になります。

こんな日は家で、久しぶりに「ラーメンズ」のコントを観ていました。


透明人間の存在証明をテーマにした「不透明な会話」

やはり、ラーメンズはさすがです。

「オレは透明人間だったんだ!」

これには思わず声を出して笑ってしまいました。

笑いは彩りを与えてくれますね。

 

 

 

映画『タッカーとデイル 史上最悪にツイてないヤツら』

 

いわゆるB級映画なのですが、作っている方もB級であることを思いきり楽しんでいる映画です。

スプラッターかつコメディ。

そのため、「人の命を何だと思っているんだ!」ぐらいに軽々しく扱っているのには目をつぶらなくてはいけません。

R-15指定作品となっています。

*

「Oricon」データベースの内容紹介です。

親友同士のタッカーとデイルは念願の別荘を手に入れ、休暇を自分たちの山小屋で過ごそうと森へやって来た。しかし2人は、同じ時にキャンプに来た生意気な名門私立の大学生グループに、人里離れた山に暮らす殺人鬼だと勘違いされる。タッカーとデイルが川で溺れかけた女子大生を助けたことで、更に誤解が誤解を生み、次々と死人が出てしまう―。

*

事の始まりはとにかく大学生たちの大いなる勘違いです。

勘違いと偶発事故が重なりあって、大惨事へと発展していきます。

善良な市民同志が勘違いで命がけの戦いをしている姿は、どこか風刺的でもあり、教訓的です。

ただし、その中に本物の悪いヤツが1人だけ混じっていて、これがこの映画の起承転結を構成してくれています。

どちらにしろ、スプラッター&コメディですから、好き嫌いが分かれるところですね。

全くタイプが違いますが、1980年代に流行した「悪魔の毒々モンスター」を思い出してしまいました。

 

 

 

動き続ける

 

「たとえ明日世界が終わるとしても、私は今日、リンゴの木を植えるだろう」

これは宗教改革者のマルティン・ルターの言葉です。

「結果がすべてではない。目的を持った行動こそが価値あるものなのだ」というのが一般的な捉え方です。

「幸福とは幸福を探すことである」という言葉もあります。

「植える」「探す」

人は目的に向かって動き続けることに価値を見い出しますし、結果がついてこなくても下を向く必要はありません。

煮詰まって行き詰まったら、とにかく動詞で生活してみるのは一法です。

それが「たとえ明日世界が終わる」ほどの最悪な状況だとしても、何か行動できることはあるはずです。

 

 

 

「もう終わり」か「さあ始まり」か

 

イタリアのある映画監督が、こんな言葉を遺したそうです。

「もう終わりだと思うのも

さあ始まりだと思うのも

どちらも自分である。」

 

この場合の「もう終わり」「さあ始まり」は、人生(特に「老いること」)について語っている言葉なのでしょう。

 

私はその時その場を、ステージとして考えるのが好きです。

ステージというのは、物事の段階という意味で遣いますが、舞台という意味もありますね。

そこで演じられる劇やショーのことも、ステージと言います。

人生の演者である私たちは、終演の幕が降りるまで、ずっと連続したステージを演じ続けています。

10代の時は10代の時の自分を、成人してからは成人の自分を、そして中高年になってからは中高年の自分を、各ステージごとに演じています。

 

過去のステージを「もう終わり」だと悔い続けていると、回想シーンだけでは物語は進みません。

やはり、次のステージの前に「さあ始まり」だと思った方が、物語も楽しく進みます。何より演者が生き生きとするはずです。

 

自分自身に「さあ始まり」とけしかけてみましょう。

誰の人生も波瀾万丈の物語です。