新しい手帳

 

来年2019年の「ほぼ日手帳」が届きました。

毎年、新しい手帳の感触で、押し迫ってくる年の瀬を感じ、「来年こそは」と明るい期待に思いを馳せます。

もう何年も前から、私にとってこの時期の定番の風物詩となりました。

来年使うほぼ日手帳には、今まで選んだことのないホワイト系のカバーにしてみました。

ちょっとした験担ぎのつもりです。

「私が変わります」の意思表明。

 

その前に!

2018年は、まだ40日残っています。

いろいろやり残していることもあって、間に合いそうにないのも事実ですが、1日1日を大切に過ごしたいと思う気持ちに変わりはありません。

新旧交代するまでは、大事な毎日を、2018年のほぼ日手帳に書き込んでいきます。

 

ダジャレ好き

 

発想が柔軟な言葉に出会うとき、自由な気分になります。

それが、例えダジャレでも、私は嬉しくなります。

例えば、バカボンのパパのセリフ

「ママに長生きしてほしいから、長い木プレゼントするのだ!」

発信者がバカボンのパパだけに、裏表のない素の心でこの言葉を発しています。

それが、嬉しい。

*

ラジオで、こんなダジャレに出くわしました。

(「出くわした」という表現がぴったりな感じで、ふいにラジオから流れてきました。)

「『二刀流』じゃなくて、『ニチョールー』」

最初は「へ?」と思いました。

それから、びっくりするやら、感心するやら。しまいには感動しました。

「ニチョールー」というのは沖縄の言葉で「似ている」という意味。

大谷翔平選手の「二刀流」にかけて、まさか沖縄の言葉で見事に韻を踏むとは!

こんな発想がなかっただけに、嬉しくなりました。

*

大学時代にダジャレを連発する友人(先輩?)がいました。

あまりにダジャレを連発するために、話が前に進まなくて困ることも多く、皆からはヒンシュクを買っていましたが、私は尊敬していました。

そういう人は頭が柔らかく、発想が豊かなのだろうと思います。

 

 

元気をもらう

 

今日は宝塚のライブビューイングを観て来ました。

月組「エリザベート」の千秋楽の公演です。

私の宝塚(月組に関して)は、龍真咲さんの「1789」で止まっているので、新鮮な感じで楽しみました。

今調べたら「1789」は2015年の公演なので、約3年ぶりの宝塚です。

 

大司教役の華蘭さんの演技に拍手喝采したり、玉きちさんの流し目に感激したり。

でも、やはり今日の主役はちゃぴさんでした。

 

組長のすーさんとともに、今日が宝塚最後の舞台なのだそうです。

「エリザベート」の一生が丁寧に演じられ、時に優しく、時に激しく歌い上げられていきました。

 

7年もの間、月組の娘役トップを務めてきたちゃぴさんの姿に公演の間、ずっと魅入られていました。

 

エンターテイメントの力って、やはり凄いですね。

「夢を追いかける素晴らしさを経験した。そして、夢に手が届く瞬間も見てきた。」

組長のすーさんの最後の挨拶の言葉がとても印象的でした。

 

 

 

ふりだしに戻る?

 

「なんてツイてないんだ!」

「ツイてない男」の定番のセリフですね。

そういう時は、ウソでも「ツイてる!」と言ったほうがいいのだとか。

天の邪鬼的な発想は嫌いではありません。「顔で笑って心で泣いて」というヤセガマンも、ちょっとカッコいいかもと思ってしまう方です。

けれども、これは少し考えないといけないようです。

約1ヶ月前の10月14日の東京出張の時に、左足のふくらはぎに痛みが出て「筋挫傷(肉離れ)」だと素人判断しました。

安静にしていたのが良かったようで、約2週間後には30キロを走れましたし、3週間後には尚巴志ハーフマラソンを走れました。

そして、今日。

今度は階段を下る途中で、突然にフツっというあの感覚があって痛みで反射的に飛び上がってしまいました。

危うく転げ落ちそうになるのを、手すりに救われました。

「痛っ!え?また?」

今日はまだランニングもしていません。運動らしい運動もしていないのに、です。

治ったと思って走っていたものの、完治していなかったのか、あるいはランニング・フォームに悪いクセがあるのか、そもそも走るために必要な支える(体幹だとかの)筋力が不足しているのか。

NAHAマラソンまで、あと2週間です。

2週間前に起こったことなので「ツイてる!」と思うのか…。

前日にこんなことが起こったら、それこそDNS(Do Not Start)を覚悟しなければなりません。

それを考えたら「ツイてる!」と言えなくもないのかな…。

「これは、きっと本番までお休みしなさい、と言うこと?」

 

それにしも、「今年は最低の運気」という占いの結果に、いろいろと助けられています。

悪いのは私ではなく、運気の方ですから(笑)。

 

 

ナンバーカード通知書

 

今日、第34回NAHAマラソンのナンバーカード通知書が届きました。

ゼッケン・ナンバーを実際に目にすると、いよいよという気持ちが高まります。

同じ封筒に入っている参加案内を見ると、最後が29000!

単純に考えていいのかわからないのですが、29000人の参加者が走るということでしょうか?

なんだかムズムズしてきました(笑)。

楽しみにしているけれど、ソワソワしている感じ。ひょっとしたら緊張している感じ(でも、ちょっと違う)。

約2週間、体調を整えていきたいです。

 

日にち薬

 

瀬戸内寂聴さんの言葉に次のようなものを見つけました。

「京都には『日にち薬』という言い方があります。

どんな苦しみもやがて時間が忘れさせ、癒やしてくれます。

…愛別離苦の悲しみ、辛さを癒やしてくれるのは、月日という時間の薬だけということです。」

「時間が解決してくれる」という言葉は決して慰みだけの言葉ではありません。

不変の事柄がこの世にありえないように、時間は悲しみや辛さを変化させてくれます。

時間が過ぎて、打ちのめされて倒れたヒトが自ら立ち上がり、歩き出していく姿は、多くの機会で目撃してきました。

その姿は感動的で、見る者を励まして奮い立たせてくれるものです。

 

ただし、「怒り」や「憎しみ」は、時間が解決することがないように思います。

これは、それらの感情を抱えるヒトの意志の強さを色濃く反映します。あまりに強い情念は「執念」や「怨念」とも呼ばれるかも知れません。

私は「怒り」や「憎しみ」が変化するには、「ゆるす」プロセスが必要であると考えています。

「ゆるす」という自己変革がなければ、ずっと「怒り」「憎しみ」の渦に巻き込まれたままです。

 

何をゆるすのか。

これが、やはりなかなか難しい。

「自分をゆるす」なんて言っても「自分にウソをつかない」ぐらいのレベルで難しいです。

 

 

スナフキンの名言

 

ある場所で、ふと目に止まりました。

「人と違った考えを持つことは一向にかまわないさ。でも、その考えを無理やり他の人に押し付けてはいけないなあ。その人にはその人なりの考えがあるからね」

これはスナフキンのセリフです。

こうも言っています。

「自分の入りたくないところへ無理やりに入れられたら、君はどうする?自分のやりたいことを押さえつけられたら、君はどうする?」

スナフキンのイメージは、ひとりで旅を続ける、孤独を愛する吟遊詩人。

けれども、その言葉の端々には相手を思いやる情の深さを感じます。

自分がしてほしくないことは相手にもしない。これは人と関わるうえで大切なことです。

スナフキンは、常に人との距離感を大切にしています。

「世の中にはね、自分の思い通りになってくれない相手のほうが多いんだよ。おべっかばっかり使って友達になろうとするやつも同じくらい多い。だけどムーミン、僕はそんなやつが大嫌いさ」

思い通りにならない相手も多いが、様々な手法で相手を操作しようと企む相手も多い。

だから、相手を大切にすることが、自分を大切にすること。

 

改めて、ムーミン・シリーズをまた読み返してみたくなりました。

 

 

映画「アデライン、100年目の恋」

 

今回の出張の移動中には、私としてはあまり観たことがない種類の映画を観てみました。

「ロマンティック・ファンタジー」とでも言うのでしょうか。

 

ある日、自然界の偶然が重なって、29歳の若さで不老不死の身体となってしまったアデライン。

不老不死を題材にしながら、男女の絆を描いた映画です。

 

不老不死といえば、日本では八百比丘尼のお話が有名ですね。

もちろん、800年生きたと言われる八百比丘尼の悲哀は、アデライン(映画が終わる頃には107歳)の比ではありません。

アデラインは、長い年月の間に語学や医学の知識やスキルを身に着け、仕事を持ち、上品な教養のある女性として、人間的に成長しています。

身元は隠しても社会と交流し続ける姿は、人間社会で生きようとする意欲を感じます。

八百比丘尼が自ら洞穴へ籠もったのとは対称的です。

 

私達には、手塚治虫の「火の鳥」や高橋留美子の「人魚シリーズ」で慣れ親しんだテーマだからでしょうか。

心のどこかに「こんなはずはない」という違和感がくすぶるのを感じました。

 

けれども「ロマンティック・ファンタジー」ですから、あまり細かいことをいうのは(たぶん)野暮というものですね。

ハリソン・フォードが年齢相応の渋い演技を見せてくれ、ウエルエイジングを具現化してくれています。

いい年齢の積み重ねは、やはり素晴らしいものです。憧れます。

 

 

出張ラン(琵琶湖編)

 

NAHAマラソンまであと3週間を切ってしまった…というのは別にして、今回の在宅血液透析研究会参加で楽しみにしていたのが出張時の「早朝ラン」でした。

特に琵琶湖は、沖縄に住む者にとって今回のようにイベントがない限り、あまり馴染みのない土地です。

「いつ以来なんだろう」と思い返そうとしたら、大学時代にまで遡ってしまいました。

あの時、ボート部で遠征に来たのが最後かも知れません。

 

いつもは朝5時台に起きて早朝ランなどできないとボヤくぐらいなのに、出張の時は早起きができるから不思議です。

もしかしたら、ベッドや枕が違って熟睡していないのかと自分で自分を勘繰ってしまうぐらいです。

 

大津駅のすぐそばのホテルに宿をとっていましたので、そこから坂を下るようにして湖の方へと向かいました。

日の出時刻前でしたが、太陽の気配を感じるほどに空はすでに明るくなっていました。

琵琶湖が、想像以上に「海」です。

研究会の会場となった地名が、淡水の海と書いて「淡海」としているのがよくわかります。

 

琵琶湖のほとりのほぼ平坦な道を、気持ちよくランニングしました。

山のへりから朝陽が射す空のグラデーションを遠目に見ながら、贅沢な時間を過ごしていることに感謝していました。

 

近江大橋を渡り、往復する形でUターンのコースをとりました。

さっそく「琵琶湖を走った」と走ろう会のグループLINEに報告したのですが、琵琶湖のどのあたりを走ったのかを知らせるために全体図を広げてみて自分で笑ってしまいました。

これでは「琵琶湖を走った」なんて小さすぎて言えないですね(笑)。

でも、私にはもったいなさすぎるほどの時間でした。

 

 

在宅血液透析研究会

 

在宅血液透析研究会に参加するために、滋賀県大津市に来ています。

昨日の夜遅くに現地入り。

沖縄との気温差にビックリするかと覚悟していたのですが、移動を歩きで通していたせいで、むしろ肌にあたる空気の寒さが気持ち良いぐらいでした。(あとで確認したら13℃だったのですね。10℃以上の差があります。)

今日の朝も清々しい快晴でした。

琵琶湖のほとりにある会場では、たくさんの参加者が、白熱したディスカッションを繰り広げていました。

お馴染みの先生方やコメディカルの方々のお顔を拝見すると「ここに来たんだ。」という実感が湧いてきます。

長時間透析研究会もそうですが、在宅血液透析研究会は当事者である患者さんも参加する研究会です。

患者さん自らが治療体験を語るセッションや介助者のあり方についての声を拾い上げる機会があったり、目から鱗の刺激を多く受けました。

例えば、在宅血液透析のマニュアルのこれからのあり方、私たち医療者ができることについてなど、とても参考になりましたし勉強になりました。