熱中症による救急搬送者数と暑さ指数との関係

 

環境省の熱中症予防情報サイトで、全国の暑さ指数(WBGT)の実況と予測について知ることができます。

こちら → 「環境省熱中症予防情報サイト」

 

例えば、19日の予測は以下のようになっています。

「厳重警戒」と「危険」レベルがほとんどです。

 

そして、このサイトには非常に興味深い情報があります。

「全国の暑さ指数(WBGT)の観測状況及び熱中症による救急搬送者数と暑さ指数との関係について」という報告書です。

 

その中から、グラフを抜粋してきました。

ピンクの折れ線グラフが主要6都市の最高WBGTの平均値の推移。そして、オレンジ色の棒グラフが熱中症搬送人数。棒グラフの上にある数字は、大変痛ましいことですが、熱中症による死者数です。

 

暑さ指数(WBGT)を知ることは、熱中症対策に大いに役立ちますね。

そして、お互いに声をかけあうことが大切です。

 

沖縄・奄美の猛暑(気象庁の発表から)

 

8月17日付の気象庁から「平成29年(2017年)8月前半の北・東日本太平洋側の不順な天候及び沖縄・奄美の高温について」という報道資料が発表されました。

詳しくはこちら → 「気象庁報道発表資料」

 

要点は以下のようになっています。

1.北・東日本太平洋側の不順な天候

北日本太平洋側では日照不足と低温、東日本太平洋側では日照不足となっています。こ のような不順な天候は、7 月末に出現したオホーツク海高気圧に伴う北東からの冷たい 気流が持続していることが影響しています。

2.沖縄・奄美の高温

沖縄・奄美では高温となっています。これには、太平洋高気圧が平年と比べて日本の南 海上で強いことが影響しています。

3.今後の見通し

今後一週間は、北・東日本太平洋側では曇りや雨の日が多く、北日本太平洋側は気温の 低い状態が続き、沖縄・奄美では晴れる日が多く、気温の高い状態が続く見込みです。 その後 8 月下旬後半は、北日本太平洋側の低温は解消する見込みです。沖縄・奄美では気温の高い状態が続くでしょう。 

 

資料には模式図がありますが、大陸と海の影響に「なるほど〜」と思うことが多く、東アジアってひとつなんだなと改めて思いました。

 

 

 

丁度よい

 

真宗大谷派常讃寺の藤場美津路さんの詩です。

「仏様のことば(丁度よい)」

宗教色の強い詩ですが、それを抜きにして、すっと心に落ちるような感じがします。

 

 

 仏様のことば(丁度よい)

 

お前はお前で丁度よい

顔も体も名前も姓も

お前にそれは丁度よい

 

貧も富も親も子も

息子の嫁もその孫も

それはお前に丁度よい

 

幸も不幸もよろこびも

悲しみさえも丁度よい

歩いたお前の人生は

悪くもなければ良くもない

お前にとって丁度よい

 

地獄へ行こうと極楽へ行こうと

行ったところが丁度よい

うぬぼれる要もなく卑下する要もない

上もなければ下もない

死ぬ月日さえも丁度よい

 

仏様と二人連の人生

丁度よくないはずがない

丁度よいのだと聞こえた時

憶念の信が生まれます

南無阿弥陀仏

 

 

ダイソーマジック 「テレポーテーション」

 

ダイソーマジックを勝手に宣伝してしまうコーナーです(笑)。

 

今回は「テレポーテーション」

「初級クラス」の赤いボックスのマジックですが、実は侮れません。

 

3枚のカードがあります。

真ん中に「ハートのキング」を挟むのですが、おまじないをかけると、一瞬のうちに一番下にいったり、元の真ん中に戻ったりするという現象です。

 

原理を知ると、いろいろなことに応用ができるマジックです。

夏休みで家族で移動する時の時間つぶしに、子供たちに練習してもらうというのもありですね。

仕掛けは簡単ですが、うまく見せるにはコツがいるマジックです。

 

 

 

回光返照

 

「回光返照(えこうへんしょう)」は、以前に紹介した「直指人心」と同義とされる言葉です。

「直指人心(じきしじんしん)」は「他人の心、まわりの外の雑事を気にせず、自分の内なる心を素直に見つめ、自分の可能性を掘り起こすこと」

そして、「回光返照」とは、「外にばかり向いて求めようとする心を、自分の内に向けて、本来の自分の心を照らし出すこと」です。

 

 

道元禅師がこう述べています。

「須(すべか)らく言(げん)を尋ね語を遂(お)うの解行(げぎょう)を休すべし。須らく回光返照の退歩を学すべし。」

 

 

他人の考えや話は、しょせん他人のものです。

自分が本当に大切にしたいものは常に自分の内側にある。それを照らし出してみようと言うことです。

 

それは、組織においてもそうなのだと思います。内側に光を当てて、確かめる時を持つのは大切なことです。

 

 

映画

 

日曜日は時間が空いたので、久しぶりに映画を観てきました。

夏休みの日曜日ということもあって、映画館はたくさんの人で賑わっていました。

 

重いテーマを避けたのと、娘のリクエストに応えたので、アニメの実写化の映画を選んだのですが、クスクス笑ったり、大笑いしたり、楽しかったです。

エンターテイメントに徹した映画は、観ていて笑顔になりますし、気持ちが弾みます。

選択した娘が、映画館を出る時に「面白かったでしょ?」と自慢げに胸をはっていました。

 

 

 

「かよわい花」

 

今日は、翻訳家であり詩人である、三好達治さんの詩を紹介します。

 

リズムがとても心地いい詩ですが、人の世の無常が心に沁みる詩です。

「時間を守って、帰る」というのは、生きとし生けるもの全てに共通した宿命です。

 

わかっていはいるけれど、人はよほど忘れっぽいのか、見ないふりをしているだけなのか、約束の時間があるのを忘れてしまって生活してしまっています。

明日が、今日と同じような顔をして同じように訪れてくることを漫然と思いながら、無為に過ごしてしまうことが多いです。

 

 

 かよわい花

        三好達治

 

かよわい花です

もろげな花です

はかない花の命です

朝さく花の朝がおは

昼にはしぼんでしまいます

昼さく花の昼がおは

夕方しぼんでしまいます

夕方にさく夕がおは

朝にはしぼんでしまいます

みんな短い命です

けれども時間を守ります

そうしてさっさと帰ります

どこかへ帰ってしまいます

 

 

「貝殻」

 

「おじいさんのランプ」や「ごん狐」などの名作童話の作者、新美南吉は29歳の若さでこの世を去っています。死因は当時の「死の病い」である結核でした。

 

新美南吉の作品はどれも温かく、やさしく包み込んでくれます。

いつか紹介したいと思いますが「こぞうさんの おきょう」などは、みんなが無邪気です。

邪気がないということが、こんなに優しい世界をつくるのかと思い知らされます。

 

私が特に好きな詩に、「貝殻」という詩があります。

「かなしいときは 貝殻鳴らそ。」というフレーズはどこかで耳にしたことがあるでしょうし、メロディーがついて童謡になっていそうですね。

 

 貝殻

           新美南吉

かなしいときは 貝殻鳴らそ。

二つ合わせて 息吹きをこめて。

静かに鳴らそ 貝がらを。

 

誰もその音を きかずとも、

風にかなしく 消ゆるとも、

せめてじぶんを あたためん。

 

静かに鳴らそ、貝がらを。

 

 

 

自恃(じじ)

 

「盲目の秋」という詩があります。中原中也の詩です。

以下に、その詩の一節を紹介しますね。(今は夏ですが、季節とは関係ない詩なので大丈夫です。)

 

 

盲目の秋

 

これがどうなろうと、あれがどうなろうと、

そんなことはどうでもいいのだ。

これがどういうことであろうと、それがどういうことであろうと、

そんなことはなおさらどうだっていいのだ。

 

人には自恃(じじ)があればよい!

その余はすべてなるまゝだ…。

 

自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、

ただそれだけが人の行いを罪としない。

 

平気で、陽気で、藁束のようにしんみりと、

朝霧を煮釜に填(つ)めて、跳び起きられればよい!

 

 

自恃(じじ)とは、「自分自身を信じ、たのみとすること」という意味です。

「恃み」は「たのみ」と読みます。

 

以前に紹介した夏目漱石の「私の個人主義」に通じるものがあります。

こちら → 「夏目漱石『私の個人主義』」

 

虚無の壁にぶちあたった人間が、現状を打破すべく「どうにでもなれ!」ともがく姿が目に浮かぶようです。

 

この詩の最初の4行が、その勢いのリズムそのまま、好きです。

 

 

 

嫌いなこと

 

「月と六ペンス」の作者、サマセット・モームの言葉だそうです。

― 毎日、自分の嫌いなことを2つずつ行うのは、魂のためにはよいことだ。 ―

 

今の世の中の風潮とは、少しかけ離れた価値観に立っているかも知れません。

どちらかと言うと、最近は「好きなことをやろう!」「弱点よりも強いところを伸ばそう!」「良い事を思って引き寄せよう!」という感じですから、あえて「嫌いなこと」をすすめるのは今風に流行らないことでしょう。

けれども、モームの名言として、今でもわりと多くの方がこの言葉を引用しています。

なぜでしょうか。

 

なんとなく、親が幼い子どもに嫌いな食事をすすめる言葉に似ていますね。

「これを食べると体に良いよ。」「頭が良くなるよ。」「視力が良くなるよ。」「骨が丈夫になるよ。」「背が伸びるよ。」

嫌いなものを食べる代わりに、何か得する見返りがあるという、いわば交渉のようなものです。

モームが「嫌いなことをやるのは魂のためによい」と言ったのは、きっとそれが魂の成長を促す栄養のようなものになると思っていたのでしょう。

 

面白いのは、嫌いなことを好きになりなさいとは一言も言っていないということですね。

親が子どもに嫌いな食べ物をすすめる時は、食べてくれたら、もしかしたら好きになってくれるかも知れないという期待が(少しは)あります。「食わず嫌い」を期待しているのですね。

けれども、モームは「嫌いなこと」は「嫌いなこと」として、そのままです。

 

嫌いなことは嫌いなままで良いから、それをありのままに受け入れて、それを淡々と行ってみなさい。

そういう行いは、気持ちが揺るがず、安定していて、微笑みを保つことができる。

 

モームの言葉を、私なりに勝手に解釈してみました。