年末年始の外来診療のお知らせ

 

12月になりました。この2、3日は沖縄でも気温が下がってきています。

いつも半袖で過ごしている私も、昨日はさすがに上から羽織るものを探していました。

最近は「もう12月だね」「早いねえ」という挨拶が定番になっていますね。

「師走」とはよく言ったもので、季節の移り変わりを肌で感じる時期になりました。

明日はまた気温があがるそうですから、この時期の体調管理は注意深くありたいものですね。

 

さて、外来の年末年始の祝日休診をお知らせします。

以下の表に示すように、12月29日(木)と30日(金)は、午前のみの診療です。

12月31日から1月3日までは終日休診。

1月4日からは通常通りの診療になります。

 

ご迷惑をおかけしますが、よろしくご了承をお願いします。

 

 

Never Give Up

 

今朝は感動と興奮で1日がスタートしました。

ワールド杯サッカーの日本 vs スペイン。グループリーグの大詰めの一番。

見事で感動的な勝利でした。特に2点目の三苫選手のゴールラインでの折り返しの場面では、今大会から導入された最新のVARシステムに救われました。

今日は仕事の合間の空き時間があれば何度もYouTubeなどでハイライトや解説動画を見入っていました。こういうシーンは何度見ても飽きません。

「サッカー ゴールライン」と検索すると、そのシーンがずらりとあがってきますね。

この写真は日本のサッカー史上に「Never Give Up」で末長く語り継がれていくのでしょう。

 

 

 

このボールがインでなければ(日本とスペインが引き分けで終わっていれば)日本のグループリーグ敗退が決まっていましたから、最後まで諦めずにボールを追いかけた三苫選手の気持ちに脱帽です。

ゲームスポーツは何が起こるかわからないから面白いですね。

しばらくは余韻に浸っていそうです。

 

 

カフェインよりも運動

 

睡眠不足のまま仕事に就かないといけない時、カフェインの力を借りようとコーヒーを飲んだりします。

そんな時、カフェインよりももっといい方法があるよというお話です。

 

ジョージア大学の研究者ランドルフとオコナ―の論文から。

Stair walking is more energizing than low dose caffeine in sleep deprived young women

Derek D. Randolph and Patrick J. O’Connor, Physiology & Behavior, 2017-05-15, Volume 174, Pages 128-135,

「階段の昇降は、低用量カフェインよりも慢性的に睡眠不足の若い女性のパフォーマンスを向上させる」というものです。

 

この研究は、運動とカフェインのどちらが眠気ざましに役立つのか、やる気を引き起こすのかを調査したものです。

調査対象は18 人の慢性的な睡眠不足の女子大学生 (18 ~ 23 歳)。対象者を以下の3つのグループに分けました。

1)カフェイン摂取する

2)カフェインの代わりにプラセボ(小麦粉)を摂取する

3)10分間の階段昇降する

 

その結果、3)の階段昇降をしたグループが1)2)よりも眠気が減少してやる気や集中力の向上が認められたそうです。

 

私も結構、カフェインの力を信じて朝にコーヒーを飲むのがほぼ日課のようになっているのですが、それよりも階段昇降の方が良さそうなのですね。

朝はともかく、昼食後に眠くなるのは、10分間上の階を行ったり来たりした方が良いかも知れません。

(う~ん。でもそうとわかっていても、やらないだろうなあ…)

 

 

マラソンの案内状

 

先日、第36回NAHAマラソン事務局から参加案内が届きました。

3年ぶりの開催ということもあって、SNS上では参加予定のランナー達がすでに盛り上がっています。

3年前と大きく違うのは、健康チェックシートや当日の体温測定(クリアすればリストバンドを着けてもらえる)など、感染対策に留意した項目が設けられていること。

NAHAマラソンだけでなく、すでに全国各地で各種ランニング・イベントが再開されています。そのひとつひとつで、どのような形でなら可能なのか、開催の可否の判断に迷われたと思います。

そこに関わる全ての人達が「無事に成功させる」という意志を共有しなければ、到底できるものではありません。

参加するランナーは、それに加えて全ての関係者に感謝しかありません。

今回は特に「おかげさま」を思いながら、参加させていただこうと思います。

 

 

ポジティブ感情のマインドフルネス

 

「今、ここ」のありのままを観察するマインドフルネスでは、その時自分が抱いている感情についてもそのままを味わうことが大切だとされています。

その際に、その感情を評価したりジャッジしたりしないことです。

それは寂しいとか悲しいとかのネガティブな感情についても同様です。

「今、私は悲しい」

その事実を認めることです。

ふと孤独感を感じて寂しくなっても、その感情を否定せずに「今、寂しさがある」と認めて味わってみる。繰り返しますが、「そんな私はダメだ」などという評価はしないこと。

私の場合、ネガティブな感情については意外に取り組みやすいのです。

静かに深呼吸をして、できるだけ気持ちを落ち着かせて、まるで息をひそめながらネガティブな感情に意識を集中させます。水の中に深く深く沈み込んでいく感じです。

逆にやりにくいのが、喜んだり嬉しかったりするポジティブ感情の時。

たいてい気持ちが高ぶっていて暴走しがちです。ポジティブ感情そのものを暴発させてしまうのです。

マインドフルネスは喜怒哀楽の感情すべてを扱うものですが、立ち止まる間がなければ素通りしてしまうのが厄介です。そして、疲れるのです。

本当はスマホをいじる時間があれば、そういうことに意識を集中させると良いのですが…。わかっているのだけれど、なかなか習慣化しません。

 

 

「自分が見ると負ける」?

 

「自分が見ると負けるんだよなあ」

今日、患者さんとスタッフとの会話がふと耳に入ってしまいました。何を話題にしているのかはすぐにわかることです。

この患者さんと同じ思いを持った人が、今日は日本中にたくさんいるかも知れません。

昔、私の母も高校野球のテレビ放送があると「私が見ると点をとられる」と言ってテレビの前から逃げ出したものでした。ただ単に臆病だっただけかも知れませんが。

「自分が見ると負ける」と言うのは、言葉には出さなくても(信じていなくても)誰もが一度は身に覚えがあることかも知れません。

ちょうど「雨男」を自称するのと同じことなのでしょう。

これは偉そうに言うと「前後即因果の誤謬(あやまり)」と言うやつです。

人は前後関係にある2つのことがらを因果関係で結びつけたがる習性を持っています。

因果関係に落とし込んでしまうと、心の中で秩序が生まれて「わかった」つもりになるのです。

しかも、この場合の「わかった」は知性の問題ではなく、感情の問題です。

試合に勝った負けたは、観戦者にとって事実よりも感情の問題ですから、さらに結びつきやすいのでしょう。

「だから、今度のスペイン戦は見ないつもりなんだよ。」

そう言う患者さんに、スタッフは極めて冷静に「だって試合開始は午前4時からだから、見れないはずよ。」と答えていました。

これで勝ったりしたら、ますます「自分が見たら負ける」問題は威力を増すわけですね(笑)。

 

 

「今でしょ!」

 

「正法眼蔵随聞記」の中にこんな一節があります。

 

示ニ云ク、仏々祖々、皆本は凡夫なり。凡夫の時は必ず悪業もあり、悪心もあり。
鈍もあり、痴もあり。然レども皆改めて知識に従ひ、教行に依りしかば、皆仏祖と成りしなり。

今の人も然るべし。我が身おろかなれば、鈍なればと卑下する事なかれ。今生に発心せずんば何(いづれ)の時をか待ツべき。好むには必ず得べきなり。

 

(口語訳)

垂示して言われた。どの仏もどの祖師も、皆もとは凡夫であった。そして凡夫の時には必ず悪い行ないもあり、悪い心もあった。鈍くもあり、馬鹿でもあった。しかし皆それを改めて、指導者に従い、仏の教えと仏の行ないとによって修行したので、みな仏となり祖となったのである。現今の人もそうでなくてはならない。自分は馬鹿だから、鈍いからといって卑下してはならない。この世で発心しなければ、どんな時を待って発心することがあろう。他に心を移さず行じていると、必ず道を得ることができるのである。

 

「正法眼蔵随聞記」はご存知の通り、道元の言葉を弟子である懐奘が著したものです。

この書物は「示ニ云ク」の言葉が至るところの文頭にあって、論語の「子曰く」のようなものです。道元がその場にいる弟子たちに教えを説いている様子が浮かぶようです。

 

その内容は、というと

「『どうせ自分は』なんてあきらめちゃダメだ!」

「誰でも最初はゼロから、いやマイナスからのスタート」

「今やらなきゃいつやるの?今でしょ!」

 

「今の人も然るべし」の「今」は道元の時代ではなくて、まさしく令和の現代の人に諭しているかのようです。

もっと言えば、人という生き物の本質は、時代が流れても変わっていないということなのでしょうね。

 

 

「人は聞き方が9割」

 

 

(はじめに)の文中にある「聞くことで手に入れることができるメリット」のリストが大変興味深いものでした。

 

1)語彙力が少なくてすむ

2)聞くことは読書と同じ

3)人の感情が読めるようになる

4)相手を不快にさせるリスクが減る

5)聞くことで自分の盲点が見えてくる

6)沈黙をおそれなくてすむ

7)話すより聞く側のほうが、勝手にすごい人にされてしまう

 

特に「7)勝手にすごい人にされてしまう」というのは思い当たるふしがあります。

私の古い友人に「聞き上手」な男がいます。大学時代に彼とシルクロードを旅したことがあったのですが、彼はどこに行っても現地の人達と親しくなっていました。

彼も私と同様に中国語も英語もしゃべれません。

けれども、とにかくオーバーリアクションで面白そうに聞く態度が一貫していました。

いつの間にか「なんだかよく知らないけれど、こいつはすごい」という雰囲気になっていました。

当時は不思議だったのですが、この歳になってくるとわかる気がします。

周りに人がよってくるのもわかります。

私も常々「聞き上手」に憧れますし、なりたいと思っています。

 

W杯サッカー応援

 

にわかですが、W杯サッカーで盛り上がっています。

ドイツとの試合は、水曜日のオーバーナイト透析の宿直で、ちょうど午後10時からの試合開始だったのでキックオフから観戦することができました。

テレビはありませんが、ネットで見ることができるのでありがたかったです。

ところが、前半を見る限り全く勝てる気がしませんでした。私の脳裏では2006年のドイツW杯で、ブラジル代表と戦った時と重なってしまいました。その時は、前半を終わって1対1。ところが後半になると、本気を出したブラジルが怒涛の攻撃で、終わってみれば1対4。

今回も、サッカー強豪国との実力差はまだこんなにあるのかと望みを失いかけていたのでした。

ところが、日本は後半になると別のチームかと見まごう程の変わりようでした。

あのドイツに、しかも逆転で勝利するなんて、驚きです。

素人目にも、後半から明らかに戦術が違っていました。システムを変えた森保監督の采配の勝利です。

サッカーの面白さを日本中に知らしめたのではないでしょうか。(こんな私にも届きました)

約1ヶ月間のサッカーの祭典を、楽しみたいと思います。

 

 

 

 

オノマトペ

 

今回のブログは、オジサンの戯言(この場合は「ざれごと」と読みます)なので、どうぞスルーしてください。

擬音語や擬態語などのオノマトペは、同じ日本人ならある程度の共通言語として通用すると思っていたのですが、実はちょっと違うんじゃないかというお話です。

以前に医療現場にはオノマトペが重要であるというお話をしました。痛みの程度を訊ねる時は「最大を10としたら、今の痛みはどのくらいですか?」というような訊き方をします。

けれども質に関しては、オノマトペがかなりのヒントになります。「シクシク痛い」「キリキリ痛い」「ぎゅーっと痛い」「ガンガン痛い」など。

痛みの質と強さと広がりとある程度の持続時間も表現されることが多いです。これは日本人ならどの世代でも通じる共通言語のようなものだと思います。

ところが、意味はわかるのだけれども、私のようなオジサンが使えないオノマトペに遭遇してしまいました。

それは、SNS上で最近よく目にする「もふもふ」

辞書にあるわけがなく、辛うじて「デジタル大辞泉」にはこうあります。

 

[副](スル)動物の毛などが豊かで、やわらかいさわり心地であるさま。名詞的にも用いる。「もふもふした子猫」

[補説]「子ウサギをもふもふする」のように、動詞的に用いて上のような物をなでたりさすったりすることにもいう。2000年代後半頃から広まったとみられるインターネットスラング。

 

ふわふわでもなくふさふさでもなく、もこもこ、むくむくでもない。

「もふもふ」と検索すると、「もふもふ動画」と銘打って子猫や子ウサギなどのかわいらしい動画が目白押しです。

こういうのをもふもふというのだと、だいたいは理解できるのです。

けれども、このオノマトペほどオジサンに実用的でない言葉はありません。世代の壁を感じてしまうオノマトペというのは、あまりないような気もします。(もちろん知らないだけかも)