花言葉は「とっておき」

 

実家の庭に黄色い綺麗な花が咲いていました。

「お、これは良い感じの花ですね~」とスマホのレンズを向けると、それを見た母が「ん?この花、知らない?」と笑いました。

いや知らない、何ていう花?と訊き返すと、「今年の冬はあまり寒くなくて、鍋をするタイミングが合わなかったからね。だから残っているんだよ」と言っています。

「葉っぱを見てごらん。」と促されて、観察してみると、色は薄いもののどこか見覚えがあります。

「シュンギクさあ。シュンギクの花、見たことない?」

母はじれったさそうに正解を明かしてしまいました。

これは観賞用としても、立派に通用するレベルの花だと思いました。

 

シュンギクの花言葉は「私を信じて下さい」「とっておき」らしいです。

「とっておき」なんて、また意味深な花言葉ですね(笑)。

 

 

 

 

目標と計画

 

スポーツでも音楽でも、自分の体をつかってそれを初めてしようとした時、必ず壁にぶち当たります。

ビギナーズラックはあるかも知れませんが、だいたいは最初の方だけです。

つまりは、できないことの連続です。

そんな時、心の底からそれをしたいと思ったら、目標を立てることになります。

できるだけはっきりとした目標です。

スポーツや音楽が良いのは、達成したい具体的な目標が立てやすいことにありますね。

あなたにはコーチがいるかも知れませんし、教えてくれる先生がいるかも知れません。

彼らは長期的な旅先案内人の役割を担ってくれます。

長期的な目標を達成するために、少しずつ段階を分けた短期的な目標が大切になってきます。

今、何ができるか。1日、1週間、1ヶ月の単位で計画を立てていきます。

積み重ねていく時間が、自分の人生をつくりあげていくようなものです。

そのような時間を積極的に過ごす時、「いまここ」を感じながら生きています。

自分が価値があると信じて目標に向かって進む時、目標を達成できるかどうかは、実は重要な問題ではなくなってきます。

熱中して活動している瞬間、すでに十分に人生を楽しんでいるはずですから。

 

 

「ゼンタングル」

 

単純な線や面を、完成形も考えずに近視眼的に描く時、私たちは無心の境地で作業を続けてしまいます。

禅や瞑想に近い効果もあるそうですね。

単純なパターンを描き続けることが、時間を忘れ、我を忘れてしまう。つまり、無我の境地に近いものを得るというのです。

 

私も、その意見に賛成です。

プラユキ・ナラテボー師の「手動瞑想」に近いのかなとも思います。

 

そういった代表的なアートを「ゼンタングル」と言います。

 

キレイに描こうとするのではなく、ペン先の狭い範囲に線や面を描きこんでみる。

全体を考えない。青写真を持たないということでもあります。

描いていくに従って、画面が大きく広がっていきますから、その時に初めて図全体を眺めるぐらいがいいですね。

 

出来上がったものは、見事な「アート」です。

 

 

下の図は、娘が描いた、まだ途中の「ゼンタングル」。

画用紙全体に広がっていくと、ひとつの完成した世界ができあがっていきます。

 

 

 

「ヤンバルオオゴミウオ」

 

この週末には、「島ぜんぶでお~きな祭」というイベントがあったのですね。

パブリックアート展「NAHA530ART」(ナハゴミゼロアート)の開催も、4月18日から5月19日の日程であるようです。

今朝、たまたまランニングで訪れた新都心公園で、大きなオブジェを発見しました。

 

その作品は「やんばるアートフェスティバル2018-2019」で製作された「ヤンバルオオゴミウオ」(淀川テクニック作)。

説明には、その土地で拾い集めたゴミを使って作品を作るのだということ。

一見、色彩も鮮やかな熱帯魚のオブジェなのかなと思ったのですが、近くでよく見てみると、たくさんのプラスチックのゴミで作られていました。

視覚的に強く訴えると同時に、深く考えさせられる作品だと思います。

 

 

「イラワジさん」

 

イライラするとかワジワジ~するとかの、いわゆる「陰性感情」は、自分の内側で起こっていることですが、外にひっぱり出してさらしてしまうと良いとされています。

問題の感情を外在化するには、それに名前をつけてみると良いでしょう。

「ワジじいさん」とか、「イラワジさん」とか。

自分と「問題そのもの」を切り離すことが、第一歩になるわけです。

そうすると、客観的に自分をみることもできます。

よく言われているのが、「内在化は自己否定につながり、外在化は自己肯定を生む」ということです。

イライラしてしまう自分に対して自己嫌悪で沈むより、「今日はイラワジさんが来てうまくいかずに困った。なんで来てしまったんだろう」とした方が、よっぽど生きやすいと思います。

「陰性感情に名前をつける」

試してみてはいかがですか?

 

 

 

平成最後の…

 

今日は、4月19日。4月もあと11日を残すのみとなってしまいました。

そして、「平成最後の…」というセリフがいよいよあちこちで聞こえるようになってきています。

今日は「平成最後の満月」なんだそうです。

さっきから空を見上げてみるのですが、時間が早すぎたのか、あるいは雲が覆っていて月の姿を隠しているのか、確認できませんでした。

見えなくても「平成最後の満月」というのには違いありませんから、そういうイベント好きの性格の人間としては、確認できたというだけでわりと満足です。

この状況は何かに似ているなあと思ったら、「今年最後の…」で盛り上がる年末の雰囲気によく似ていますね。

そう言えば、今年はお正月が2回くるようなものかも知れません。

そういう意図もあってか、近くの映画館では福袋の商品がしっかりと用意されていました。

昭和から平成に変わる時は、国全体が喪に服していましたから、今回のような雰囲気は歴史的にもかなり珍しいことなのでしょう。

月が変わったら、今度はあらゆるものが「令和」初の出来事になります。

明るい話題で溢れるといいですね。

 

 

 

好奇心

 

生まれつき好奇心の強い方はいますが、なんでも好奇心というのは訓練して身につけた方が良いものなんだそうです。

好奇心というのは「◯◯心」という「心」ですから、心の筋力を鍛えるようにです。

生活習慣病や糖尿病などを診療する外来でも、好奇心があるのとないのとでは大きく違ってきます。

例えば、「この1ヶ月どんな生活を送ったのか」ということを患者さんと振り返ってみることとします。

多くはその人自身も意識していなくて、意外とわからないものです。

それは正しい答えなどあるはずがありません。けれども、医者が「どんな生活を送っていたのか」という問いを発すると、患者さんは途端に緊張してしまいます。

「まずいことをしていたかしら?」

そういう不安が、医者と患者さんとの間に壁をつくってしまいます。

けれども、医者が「好奇心で訊いてみたいのですが…」という前置きをするだけで、その場の雰囲気がガラッと変わってきます。

患者さんが、まず気楽になります。自分なりの答えを探そうとして、多くの仮説を並べてくれます。

実は、その仮説のひとつひとつが全て正しいのです。

そこから、新しいアプローチが生まれてきます。

 

「私は好奇心いっぱいです」と宣言してみてはいかがでしょう。

毎日が少し違ったものになるかも知れません。

 

 

プチプチさまさま

 

ある事情で楽器を梱包して九州に発送するために、プチプチが必要でした。

残念なことに、こういう事態を想定していなかったので、ストレス発散用に使いたい放題していて、手元にプチプチが残っていませんでした。

いつもお付き合いしている方に「プチプチが必要なんだけど…」とダメ元でお願いしてみたら、翌日には大きなビニール袋を2つ抱えて持ってきてくれました。

大きいのやら中くらいの、クッキーの缶箱に入っているようなお馴染みの小さなプチプチまでよりどりみどりです。

かなり大きいやつもあります。

考えてみれば、梱包の技術が現代社会の流通を支えているのですね。

梱包用のダンボールもネットで販売していましたが、ダンボール箱は透析クリニックですから、たくさんあります。それを分解してガムテープで工作することにしました。

プチプチさまさまです。

ただし、プチプチをふんだんに使ったおかげで、3辺の合計が170センチを超えてしまいました。

残念ながら、ゆうパックで送れません。ヤマト便をつかうことにします。

 

 

双璧をなすもの

 

子どもの頃はそうでもなかったけれど(むしろ避けていたぐらいで)大人になってから好んで食べるようになったもの。

つい考えてしまった人には悪いのですが、なぞなぞではありません(笑)。素直にそのままの話です。

私にとって、それは「紅しょうが」。

沖縄そばを食べる時には、スープが紅く染まろうがお構いなしに山盛りにしますし、野菜そばではむしろ具の野菜よりも多いぐらいに入れます。

味覚が変わったのか、かと言って濃い味を好むようになったのかというと、そうでもなくて、代わりに七味やこーれぐーすは入れなくなっています。

最近ふと気づいたのですが、沖縄そばを食べに行くときは、もちろん沖縄そばを楽しみにしているのですが、それと同じかそれ以上に紅しょうがを楽しみにしているのです。

極論を言えば、紅しょうがを食べに行くつもりの勢いです。

おそらく「紅しょうがグルメ」なるお方が、沖縄のどこかにいらして、強いこだわりで「あそこの紅しょうがが美味である」などと宣言していると思うのですが、残念ながら私はまだその域には達していません。

どこのどの紅しょうがも美味しいのです。

これは「わさび」に通じるものがあります。私にとっての双璧です。

 

 

職人の技

 

娘が「私が今はまっているもの」と言って教えてくれました。

「お父さんも、絶対はまると思うんだよね」

父の評価をどう下しているのかは別にして、自分がはまっているものを紹介してくれるというのは十分に好意的で、その言葉にだいぶ興味を持ちました。

「え?なになに?」

「ん~。ひたすら靴を磨いている動画なんだけどね。」

「あ~、ASMRってやつ?」

「ちょっと違うかも。」

ASMRというのは、包丁で玉ねぎを切る音とか炭火でじゅうじゅうと焼く音など、「脳がとろけるように気持ち良くなる音」のことを言うそうですね。

先日、ちらっと見たテレビの番組で紹介していました。でも、違うようです。

娘は「これなんだけど」と言って、スマホを操作して動画を見せてくれました。

タイトルが「靴磨き選手権2019 優勝・寺島直希」とあります。

しばらく、見ていると、思わず「う~ん、すごい!素晴らしい!」と唸ってしまいました。

その動画には、靴磨きの職人さんの技が披露されていました。

私はもちろん素人ですが、素人の目にも、職人さんの所作に、まるで茶道の美意識を感じました。

ひとつひとつの動きに目的があって、無駄を排し、研ぎ澄まされた動きがある。

その道具のひとつひとつをとっても、そうです。

背筋がピンと伸びている気持ちの良さです。

「うん!これは確かにはまる!お父さんもこういうの大好きだね!」

それから、しばらくその動画に見入ってしまいました。