私のような、いわゆる「レクリエーション・ランナー」にとっても、マラソンシーズンは心躍る季節です。
調子が良ければひと冬に三、四回はフルマラソンのスタートラインに立ちます。
しかし、その高揚感の裏で、常に小さな影を落とすのが家族の憂いです。
「そんなに走って大丈夫なの?」。
心配ゆえのその言葉は、走る喜びを知る私たちの胸に、複雑な澱(おり)となって溜まります。
この心配には、根拠がないわけではありません。
フルマラソンの直後、検査をすると心臓は確かに変化しています。
右心室(肺へ血液を送る心臓の部屋)の動きは一時的に鈍り、心筋トロポニン(心臓の筋肉が強い負荷を受けたときに血液中に出てくるたんぱく)は上昇します。
「心臓が傷ついている」という言葉が頭をよぎるのも無理はありません。
問題は、その揺れが積み重なって、心臓が少しずつ壊れていくのかどうかでした。
この疑問に、時間という要素を真正面から持ち込んだ研究があります。
2009年にマラソンを完走した男性の市民ランナー152人を対象に、レース前、ゴール直後、翌日、3日後、そして10年後(!)まで心臓の状態を追い続けました。
心エコーで右心室と左心室の駆出率(どれだけ血液を送り出せているか)を測り、同時に血液中のトロポニンも確認しています。
まず、走った直後の心臓は予想どおりでした。
右心室の駆出率は約52%から48%へと低下し、統計的にもはっきりした変化でした。
翌日も完全には戻らず、「やはり負担は大きい」と感じさせる数字です。
同時にトロポニンは、走る前の数ng/Lから30ng/L台へと跳ね上がりました。
ここだけを見ると、「やはり心臓に悪い」という通説に軍配が上がりそうです。
ところが、この研究はそこで終わりません。
3日後、右心室の動きはほぼ元に戻り、さらに10年後を見たとき、右心室の駆出率は走る前と有意な差がありませんでした。
決定的だったのは、マラソン直後にどれだけトロポニンが上がったかと、10年後の心臓機能低下との間に関連がなかったことです。
相関係数は−0.10。
数字の上でも、「結びつかなかった」と言い切れる関係でした。
左心室では、10年後に駆出率が平均で2〜3%低下し、拡張能の指標(E/e′:心臓が広がるときの硬さの目安)もわずかに変化していました。
ただし、これらはいずれも正常範囲内の動きで、病気と呼ぶレベルではありません。
言い換えれば、年齢を重ねた心臓に見られる“自然な変化”と区別がつかない程度の差でした。
ここで、見え方が反転します。
危険だと思われていたのは、マラソン直後の検査値でした。
しかし、本当に重要だったのは「その変化が時間の中でどう整理されるか」でした。
心臓は、長時間走れば確かに疲れます。
ただ、その疲れは、多くの市民ランナーでは数日から数年の単位で回復し、蓄積して壊れていくものではなかったのです。
筋肉痛が翌日には痛むけれど、10年後に歩けなくなるわけではない―その感覚に近い現象です。
もちろん、この研究が「誰でも安心」と保証しているわけではありません。
対象は男性のみで、心臓MRIのように微細な組織変化までは見ていません。
不整脈が見つかった人もいました。
症状がある人、明らかに心機能が落ちている人は、別の対応が必要です。
ただ少なくとも、「レクリエーション・ランナーが数年にわたってマラソンを走ること自体が、心臓をゆっくりと壊していく」という話は、このデータからは支持されません。
家族の心配は、間違いではありません。
マラソンは心臓に負荷をかけます。
ただ、恐れるべき対象は「走ること」そのものではなく、走ったあとに出てくる体のサインを無視することです。
胸の違和感、息切れ、動悸。そこに耳を澄ませながら走る限り、心臓は思っているよりもしなやかに、その負荷を受け止めます。
走り続けた10年後、この研究が示したのは「不安の置き場所が変わった」という事実でした。
そのうえで、私たちへの問いかけは新たな問いかけへと変化していきます。
走るべきか、やめるべきかではなく、どう走り、どう自分の体と向き合うか。
それが、「レクリエーション・ランナー」にとっての今現在の最適解になりそうです。
参考文献:
Schindler MJ, Schoenfeld J, Trommler A, et al. Long-Term Changes in Ventricular Function in Recreational Marathon Runners. JAMA Cardiol. Published online December 10, 2025. doi:10.1001/jamacardio.2025.4456

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。