今から振り返ると、ずいぶん極端な時代でした。
腎臓の病気を持つ人は、とにかく安静にしていなさい。
私が学生だった頃、その考え方はごく当たり前のように受け入れられていました。
身体を動かすことは負担であり、危険であり、できるだけ避けるべきものだと教えられていたものです。
けれども、時代は変わりました。
腎臓は単独で働く臓器ではなく、心臓や血管、筋肉などと密接に関係していることが分かってきました。
透析患者では、心血管疾患だけでなく、サルコペニア(加齢や病気による筋肉量・筋力の低下)が予後に深く関わることも知られるようになりました。
「安静にしていれば安全」という単純な図式は、もはや成り立たなくなっています。
ただ、ここで一つ厄介な問題があります。
では、どれくらい動けばいいのか。
一般向けの健康指針を見ると、「中強度の運動を週に何分」といった目標を示してくれます。
しかし透析患者の多くにとって、それは現実的とは言えません。
疲れやすさ、透析後の消耗感、筋力低下。
運動という言葉を聞いた瞬間に、距離を感じてしまう人も少なくありません。
外来や透析室で患者さんと話していると、こんな言葉が耳に入ってきます。
「歩けないわけじゃないんだけどね」
「最近、家にいる時間が長くて」
息が切れるほどの運動ができなくなった、というよりも、動かない時間が増えている。
その変化は血液検査には表れませんが、生活の質や身体の調子には確実に影を落とすものです。
この研究が目を向けたのは、まさにそこでした。
激しい運動ができるかどうかではなく、日常の中でどれくらい身体を動かしているか。
しかも、それを自己申告ではなく、加速度計という装置で客観的に測ろうとした点が特徴です。
腰に小さな機械をつけ、7日間の生活をそのまま記録する。
研究者の意図ではなく、患者の日常そのものを数字にする方法です。
対象は日本の血液透析患者およそ1,000人。
測定してみると、日常の過ごし方がそのまま数字に表れていました。
1日の歩数は2,000歩に届かない人が多く、息が弾むような運動はほとんど行われていません。
一方で、家の中を歩く、立って作業する、ゆっくり移動する、といった「軽い活動」は人によって大きな差がありました。
1日に4時間近く動いている人もいれば、2時間を切る人もいます。
3年間の追跡で、はっきりした違いが浮かび上がりました。
軽くても、活動が少ない人ほど、亡くなる割合が高かったのです。
逆に、たとえ軽くても活動が多い人たちは、生存率が明らかに高く保たれていました。
ここで重要なのは、特別な運動をしていたわけではない点です。
走る必要も、筋トレをする必要もありません。
ただ、動いている時間が長かった。それだけでした。
さらに興味深いのは、その影響が透析のない日に強く表れていたことです。
透析日はどうしても行動が制限されます。
問題は、何も予定のない非透析日をどう過ごしているかでした。
非透析日に身体を動かしている人ほど、予後は良好でした。
逆に、家で座って過ごす時間が長い人ほど、リスクは高まっていきます。
歩数だけでは、この差を十分に説明できませんでした。
歩数は屋外の移動には敏感ですが、家の中の動きは拾いにくい。
加速度計が捉えていたのは、歩数に表れない生活の動きでした。
立つ、屈む、移動する。
その積み重ねが、身体の衰えを食い止めていたのです。
この研究が教えてくれるのは、特別な運動の話ではありません。
透析患者の一日は、いつの間にか座っている時間が増え、動かない時間が積み重なっていきます。
その変化はゆっくりですが、確実です。
かつては安静が正解でした。
けれども今、診療の現場で向き合っているのは、動かなくなっていく日常そのものです。
その流れにどこで気づき、どこで手を入れるのか。
軽い動きは、その入口に置けるものかもしれません。
参考文献:
Hiraoka A, Sakaguchi Y, Kadono H, et al. Accelerometry-Derived Physical Activity Levels and Mortality in Hemodialysis Patients: A Prospective Cohort Study. Am J Kidney Dis. Published online December 8, 2025. doi:10.1053/j.ajkd.2025.10.011

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
