言葉を拾う犬―ラベル・ラーナーという“稀な知性”

言葉を拾う犬―ラベル・ラーナーという“稀な知性”

 

世界には、言葉を“音”ではなく“構造”として受け取る犬がいます。

その数、わずか十数頭。

研究者たちは彼らを ラベル・ラーナー(label-learner)と呼び、別の知性として扱ってきました。

 

新しいおもちゃを床に置くと、違いはすぐに現れます。

ほとんどの犬は数秒で飽きるのに、ラベル・ラーナーは動かずに見つめ続けます。

影の落ち方、境界の角度、触れたときの揺れ方。

その視線は、世界から言葉の“核”を拾い上げる手つきにも見えます。

 

この特異な視線の正体を探るため、研究ではラベル・ラーナー11頭と一般犬11頭を比較しました。

象徴的だったのは、初めて見る物体を観察する課題です。

 

1分間のうち、ラベル・ラーナーは 33.7秒、一般犬は 14.9秒

ほぼ倍の時間、対象にとどまり続けていました。

固まっているのではありません。

特徴がほどける瞬間を、細部まで確かめるように追っているのです。

 

質感の異なるおもちゃを触る課題では、触れた瞬間の反発や重さの違いに長く引き寄せられ、抑制が求められる課題では、誤った選択肢への執着を比較的早く手放す柔軟さも見えました。

好奇心と制御力。

その両方が、“言葉の素材である世界”を読み取る力と結びついていました。

 

複数の課題を統合すると、ひとつの輪郭が現れます。

対象へ向かう集中、細部を拾う姿勢、人の指示より世界そのものを信頼する態度。

言葉を覚える力は、耳の鋭さではなく、世界との向き合い方そのものに宿っていたのです。

 

ここで、ひとつの深い問いが生まれます。

ラベル・ラーナーは、なぜ“境界”を見るのか。

言葉とは、本来、世界から切り出された線のことです。

もし線そのものを視覚でとらえているのだとしたら、語彙の獲得は“音”ではなく“構造の読解”に近いのかもしれません。

この視点は、人間の語彙発達にも重なります。

ある子どもは色へ、ある子どもは形の端へ、また別の子どもは重さや触感へ最初の注意を向けます。

その“注意の癖”が、言葉の入り口を決めていきます。

ラベル・ラーナーの視線は、その仕組みを透明な形で照らし出しています。

 

もちろん、研究には限界があります。

世界中から募ってもラベル・ラーナーは11頭しかおらず、環境条件も統一できません。

得られた知見はまだ断片にすぎません。

 

それでも、床に置かれたひとつのおもちゃを33.7秒見つめる犬の姿は、言葉が生まれる瞬間そのものを映しています。

名前は耳ではなく、世界のどこを切り取るかで決まるのだとすれば──。

 

犬が世界の線を見るなら、

人間はどこを見て言葉を学んでいるのか。

 

その問いが、そっと私の心にとどまっています。

 

参考文献:

Kaminski, J., Capitain, S., Kühr, F. et al. What makes a dog a label-learner: individual cognitive differences underlying label-learning abilities in domestic dogs (Canis familiaris). Sci Rep 15, 41616 (2025). https://doi.org/10.1038/s41598-025-25646-5

 

 

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。