環境の速度と身体の時間―工業化とミスマッチの進化史

環境の速度と身体の時間―工業化とミスマッチの進化史

 

映画『Koyaanisqatsi(コヤニスカッツィ)』では、雲の影が大地を横切り、光が山肌を流れていく映像が続きます。

そのゆるやかな流れのあと、映像は突然、都市の光の格子へと切り替わります。

高速道路を走る車列が光の帯となり、文明だけが別の速度で前へ進んでいるように見えます。

タイトルがホピ族の言葉で「均衡を失った世界」を意味することを知ると、この落差が象徴として胸に残ります。

人類が身を置く環境が、この速度差そのものになっているのではないか、と感じさせられます。

 

論文が扱う「環境ミスマッチ仮説」は、この感覚を生物学の言葉へ置き換えたものです。

人類の身体は600万年以上にわたり、土と植物と微生物に満ちた自然環境で最適化されてきました。

しかし都市化と工業化が進んだのは300年ほど前で、その時間は進化のスケールから見ればごく短い一瞬です。

現代の人間は、自然向けに調整された身体のOSを持ちながら、工業化された環境を高速で走る社会システムへ適応させられている存在だといえます。

 

著者らは、生殖・免疫・認知・身体という四つの機能に焦点を当て、急激な環境変化がどのように作用しているかを整理しています。

生殖の領域では、1973年から2018年の間に世界の総精子数が大きく減少していることが示されており、空気汚染や化学物質の関与が指摘されています。

免疫では、自然環境との接触の減少が免疫調整を弱め、アレルギーや自己免疫疾患の増加と関係する可能性が述べられています。

認知については、緑の少ない都市環境で暮らす子どもの注意機能の発達が遅れたり、成人の認知低下が速まったりする観察研究が紹介されています。

身体については、都市部の子どもが農村部の子どもに比べて持久力や筋力で劣るという報告があります。

これらの現象は一見ばらばらに見えますが、工業化の速度という軸を通して眺めると、共通した背景が見えてきます。

 

その背景とは、環境の変化が身体の処理能力を上回っているという構造です。

論文では、自然環境で形成されてきた人間の適応と、工業化によって急激に変化した環境条件が、異なる傾きの曲線として説明されています。

一方は長い時間をかけてなだらかに変化し、もう一方はごく短い期間に急上昇していくイメージです。

人類が自ら組み上げた文明のテンポが、身体の許容範囲の外側へ逸脱している状態だと理解できます。

 

もちろん、この仮説には注意点があります。

多くの研究が観察研究であること、社会経済的要因や教育などの影響を完全に取り除くことが難しいこと、そして工業化が続いてまだ数世代しか経っておらず、遺伝的適応の度合いが不明であることなどです。

それでも、自然環境へのアクセスが健康や回復に結びつくという報告が各国から繰り返し示されている事実は、身体が本来の環境との再接続を求めているという見方を支えています。

 

『コヤニスカッツィ』のラストでは、打ち上げられたロケットが爆発し、その残骸が地表へ落下していく映像が流れます。

加速の果てに起きる破綻の象徴として読むこともできますが、論文が示しているのは破滅の物語ではなく、状況を理解しようとする枠組みです。

どのような均衡が崩れているのかを言語化できれば、人間はその均衡をどう補正するかを選ぶことができます。

 

いま私たちの目の前に広がっている人工の光の向こう側に、私たちの身体が進化の過程で経験してきた「本来の環境」があります。

文明を後退させることは現実的ではありませんし、その必要もありません。

しかし、身体が刻んできた長い時間のリズムにもう一度耳を寄せ、自然との接点を生活の中に少し取り戻すことはできます。

その小さな再接続こそが、この加速する世界で、人間としての均衡を保ち続けるための確かな一手になるのだと思います。

 

参考文献:

Longman DP, Shaw CN. Homo sapiens, industrialisation and the environmental mismatch hypothesis. Biol Rev Camb Philos Soc. Published online November 7, 2025. doi:10.1111/brv.70094

 

 

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。