実際の診療では、同じ症例でも医師によって治療の選び方が揺れるものです。
腰痛の患者さんにオピオイドを続ける医師もいれば、別の薬へ切り替える医師もいます。
股関節痛の患者さんをすぐに手術に紹介する診療所もあれば、薬物治療を粘り強く調整する診療所もあります。
経験や価値観だけでは説明しにくい“揺らぎ”が、日々の医療には入り込んでいます。
その揺らぎに、医師が手元で受け取る「選択肢の並び方」が関わる可能性が以前から議論されてきました。
1995年の研究では、医師に複数の治療案を提示すると、かえって“今のまま”を選びやすくなると報告されました。
これがステータス・クオー・バイアス(現状維持バイアス)です。
しかし、その後の追試では結果がそろわず、近年は「本当にそうなのか?」という疑問が出ていました。
今回の論文はこの古い前提をもう一度検証し、「代替案をいくつ示すと、医師の判断はどう変わるのか」を丁寧に確かめています。
対象は米国のプライマリケア医402人で、股関節変形性関節症と慢性腰痛の2症例にオンラインで回答してもらいました。
医師は無作為に2群に分けられ、一方には“代替案を1つだけ”、もう一方には“2〜4個”を提示しました。
今の治療方針を続けるか、別の治療に切り替えるかを選ぶ設定で、その割合を比較しました。
結果の核心はシンプルです。
代替案が1つだけの医師より、2つ以上示された医師の方が、現状から一歩動いた。
数字をかみ砕くとこうなります。
・代替案が1つだけだと、約4割の医師が治療を切り替えた。
・2つ以上だと、約6割が切り替えを選んだ。
つまり、“動く医師”が2割ほど増えたということです。
特に慢性腰痛でのオピオイド継続の場面では差が大きく、1つだけ提示された医師は3人に1人しか切り替えませんでしたが、2つ以上の案を受け取った医師ではほぼ2人に1人以上が切り替えていました。
現状維持バイアスの重さが典型的に出る領域で、複数化が効いた格好です。
興味深いのは、代替案が「2つ」から「3つ・4つ」と増えても、切り替える割合はほぼ変わらない点です。
つまり、“2つ以上ある”ことで選択肢が沈黙のうちにまとまりをつくり、医師の背中をそっと押す状態になるようです。
料理店でA・Bの2定食より、A・B・Cの3定食が並んだ方が「今日は違うものにしよう」と思いやすい感覚に少し似ています。
考察として重要なのは、「選択肢が多いほど人は動けなくなる」という古い常識が、この領域では当てはまらなかったことです。
医師の頭の中では、複数のNSAIDs案が“この方向が望ましい”という一つのまとまった流れをつくり、それが現状維持の磁力を上回った、と解釈できます。
ステータス・クオー・バイアスそのものを否定するわけではありませんが、その力が“複数の同質な代替案”で緩和される可能性を、この研究は明瞭に描いています。
限界として、この研究は実際の診療ではなく、オンライン上の想定症例で行われています。
患者さんの表情、生活背景、既往歴といった複雑な情報が加わる現実の診察とは異なる環境です。
また、整形外科領域の2症例に限られており、ほかの診療科にそのまま当てはめることはできません。
米国の医療文化の影響も避けられません。
それでも、医師の前にどんな選択肢が、どの形で並ぶかを変えるだけで判断が動くことを、今回の試験は丁寧に示しています。
診療の中で思考が一定の型に寄りそうなときでも、選択肢の見せ方を少し整えるだけで、未来の治療の進み方が変わることがある。
その余白をどう活かすかが、これからの医療の質を支える一つの手がかりになりそうです。
参考文献:
Altinger G, Maher CG, Jones CMP, et al. Multiple Suggested Care Alternatives and Decision-Making of Primary Care Physicians: A Randomized Clinical Trial. JAMA Netw Open. 2025;8(11):e2542949. Published 2025 Nov 3. doi:10.1001/jamanetworkopen.2025.42949

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
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