円と四角は、なぜ一つの絵に収まったのか―《ウィトルウィウス的人体図》を読み直す

円と四角は、なぜ一つの絵に収まったのか―《ウィトルウィウス的人体図》を読み直す

 

十五世紀の終わり、レオナルド・ダ・ヴィンチは一枚の素描を描きました。

円と正方形の中に、手足を大きく広げた人の体が重ねて描かれているその図は、今もなお世界で最も有名な人体図の一つです。

多くの人がその美しさに目を奪われてきましたが、この絵が本当に特別なのは、見た目の印象だけではありません。

 

円と正方形は、数学的には性質の異なる図形です。

同じ条件で重ねたり、きれいな比率で結びつけたりするのは簡単ではありません。

にもかかわらず、この絵では、人の体が円の中にも正方形の中にも、無理なく収まっているように見えます。

どのようなルールで描かれたのか。

その点は、長いあいだはっきり説明されてきませんでした。

 

古くから、円は「天」、正方形は「地」を表すと考えられてきました。

しかし象徴的な意味とは別に、幾何学の問題として見ると、この二つを正確に結びつけるのは難題でした。

多くの研究者が、黄金比や複雑な図形を使った説明を試みましたが、決定的な答えには至りませんでした。

数字は合っているように見えても、「なぜレオナルドがその方法を選んだのか」を説明できなかったのです。

 

最近の研究は、この問いの立て方そのものを見直しました。

レオナルドが向き合っていたのは、図形の美しさではなく、人の体の動きだったのではないか、という考え方です。

その手がかりは、彼自身が残した短い言葉にあります。

足を広げると、そのあいだに正三角形ができる、と彼は書いていました。

 

この正三角形を、現代の身体の研究と照らし合わせてみると、興味深い一致が見えてきます。

それは、あごの関節と前歯の中心を結ぶ三角形とよく似た形をしていることです。

この三角形は、食べ物をかむときに、あごが無理なく動くための基本的な配置だと考えられています。

正三角形は、単なる図形ではなく、体の働きを支える形だったのです。

 

この視点から人体図を見直すと、円と正方形の役割が分かりやすくなります。

足を閉じ、腕を下ろした姿勢では、体は安定し、正方形の中に収まります。

一方、足を開き、腕を上げた姿勢では、関節の動きを含めた体全体が広がり、外側は円に近い形になります。

その二つの姿勢の切り替わる場所に、正三角形がありました。

 

こう考えると、なぜこの問題が五百年ものあいだ解けなかったのかが見えてきます。

多くの人は、円と正方形をどう描くかという図形の問題として考えてきました。

しかしレオナルドが見ていたのは、紙の上の図形ではなく、生きて動く人の体でした。

視点がずれていたために、答えにたどり着けなかったのです。

円と正方形が調和している理由は、難しい計算だけにあるのではありません。

私たちが立ち、手足を広げ、自然にバランスを取っている、その体の使い方の中にあります。

この人体図は、理想の体を空想で描いたものではなく、人の体が無理なく選び続けてきた配置を写し取った記録なのかもしれません。

五百年を経て、この絵はようやく、その意味を静かに語り始めています。

 

参考文献:

Sweeney, R. M. (2025). Leonardo’s Vitruvian Man: modern craniofacial anatomical analysis reveals a possible solution to the 500-year-old mystery. Journal of Mathematics and the Arts19(1–2), 42–54. https://doi.org/10.1080/17513472.2025.2507568

 

 

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。