ミステリーもSFも、興味があれば手に取っている。
話題にあがれば読んでいますし、読むか読まないかを迷った記憶は、ほとんどありません。
そんな私には、登場人物の性別が読書の障壁になるという発想も、あまりありませんでした。
しかし、その距離感こそが、この研究が明かそうとしているポイントでした。
文学市場の歴史を振り返ると、約二世紀にわたり、出版された小説の多くは男性が執筆し、語られる経験の多くは男性のものでした。
男性が書き、男性を描き、男性が読む。
その構図は長く前提として受け取られてきました。
ところが時代は進み、このパワーバランスは、ここ数十年で確実に変化してきました。
出版作家の過半数は女性となり、読書量や書籍購入でも女性が男性を上回るようになりました。
この人口動態の変化は、歓迎と同時に、ある種の懸念を生み出しました。
文学小説が女性の趣味へと偏り、少年や男性が読書から遠ざかっているのではないか、という見方です。
この懸念はしばしば、ひとつの説明にまとめられてきました。
男性は男性主人公の物語を好み、女性は性別にこだわらない。
だから女性主人公が増えれば、男性読者は離れていくのだ、という説明が、しばしば用いられてきました。
出版や宣伝の現場でも、この前提は暗黙の判断基準として共有されてきましたが、その多くは経験則の域を出ていませんでした。
研究者たちが向き合ったのは、この説明そのものです。
同じ物語で、主人公の性別だけを変えたとき、読者の「続きを読みたい」という気持ちは変わるのか。
その差を、印象や自己申告ではなく、無作為化された実験によって確かめようとしました。
実験では、米国在住の成人約三千人が二つの短編小説の冒頭を読みました。
一方はハイキング、もう一方はカフェでの出来事です。
物語の内容や構造は固定され、代名詞だけが無作為に入れ替えられました。
内容をきちんと読んだことを確かめたうえで、参加者はどちらの物語を読み続けたいかを選びます。
測定されたのは、その選択のみでした。
実際の反応は、長く共有されてきた仮説とは一致しませんでした。
男性読者は、主人公が男性であっても女性であっても、選択の割合にほとんど差を示しませんでした。
女性読者では、女性主人公の物語を選ぶ割合がわずかに高くなりましたが、その差は限定的でした。
主人公の性別は、読む気を左右する決定的な要因にはなっていません。
この結果が示したのは、男性読者の減少という懸念が、物語の内側では説明できないという点です。
もし男性が本から距離を取りつつあるのだとすれば、その原因は、主人公の性別とは別の場所にあるはずです。
読書がどのように教えられてきたのか、どんな行為として評価されてきたのか。「この本は自分向けではない」と感じさせる売り方や分類が、どの段階で刷り込まれてきたのか。
関心は、物語の中身そのものではなく、それを取り巻く環境や仕組みへと向かっていきます。
この研究は、それらに直接答えるものではありません。
ただ、探すべき場所はここではないと示しました。
読むかどうかを決めているのは、物語の中身ではなく、それを包む構造なのかもしれない。
その可能性を示すにとどめ、研究は数字だけを提示して終わっています。
男性が女性主人公の葛藤に自分を重ね、女性が男性主人公の独白に何かを見出す。
そのような読み方が特別な例外ではない可能性を、この研究は示しています。
性別が、読むことの入口を閉ざしているとは言えない。
その地点まで、私たちの視線を運んでいきます。
参考文献:
Bologna F, Lundberg I, Wilkens M. Causal Effect of Character Gender on Readers’ Preferences. In: Arnold T, Fantoli M, Ros R, eds. Anthology of Computers and the Humanities. Vol 3. Computational Humanities Research 2025; 2025:62-75. doi:10.63744/hEF2pUnudmPh.

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
