私たちは、心の余裕と懐の余裕は比例すると、どこかで信じています。
お金や時間にゆとりがあれば、人は穏やかで寛大になる。
逆に、追い詰められれば、他人どころではなくなる。
理屈でなく、それが人間なのだと思っています。
けれども、商店街の小さな八百屋で交わされる「おまけしとくよ」という一言のほうが、煌びやかな場所よりも体温を感じることがあります。
忙しいときほど、なぜか目の前の頼みごとに応じてしまう瞬間もある。
余裕がない「から」こそ、手が伸びることはないのでしょうか。
その直感を、実験で確かめた研究があります。
研究で操作されたのは、人の性格でも収入でもありません。
「環境の豊かさ」です。
参加者は自然ドキュメンタリーを見ながら、途中で現れる報酬の機会に応じるかどうかを判断しました。
応じれば映像は中断され、一定の身体的努力を行うことで報酬が得られます。
その報酬は自分のものになる場合と、匿名の他者に渡る場合がありました。
さらに、出現する報酬の平均的な質が低い「乏しい環境」と、高い「豊かな環境」が設定されていました。
動物行動学では、餌が豊富な場所では個体は選り好みをし、乏しい場所では多少条件が悪くても受け入れると考えられています。
選択は、目の前の価値だけでなく、「次があるかもしれない」という環境の見積もりに左右される。
この構造を、人の利他行動に当てはめたのです。
結果は、私たちの直感を少し裏切ります。
同じ価値の機会であっても、人は豊かな環境よりも乏しい環境で、より多く行動を中断しました。
そしてその差は、自分の利益よりも他者の利益で強く表れました。
鍵となったのは「機会費用」という考え方です。
いま応じることで失うものの重さ。
豊かな環境では、「もっと良い機会があるかもしれない」という感覚が働きます。
だから、いまの申し出を見送る余地がある。
乏しい環境では、その余地が小さくなります。
今ここにある機会が相対的に重く見える。
その結果、とくに他者のための選択で、受け入れが増えていきました。
さらに興味深いのは、乏しい環境で他者のために判断するときの価値への感度が、豊かな環境で自分のために判断するときとほぼ同じ水準だったことです。
環境が変わると、自分と他者のあいだの心理的な距離も、わずかに縮むように見えます。
共感性や功利主義的な傾向が高い人ほど、他者のための機会費用を低く見積もる傾向も確認されました。
一方で、不安や抑うつといった精神症状の指標との関連は見られませんでした。
助けるかどうかは、その日の気分よりも、価値観と環境の組み合わせで揺れているのです。
この研究は、「貧しい人ほど道徳的だ」と主張しているわけではありません。
問われているのは、人がどれだけ選択肢に囲まれているかという構造です。
選択肢があふれる場所では、人は少しだけ慎重になり、少しだけ待つ。
次があると感じられるからです。
けれど、次がある保証がないとき、目の前の機会は別の重みを帯びます。
レジ横の募金箱を前に立つとき。
忙しい仕事の合間に声をかけられるとき。
帰宅後、やっと腰を下ろした瞬間に頼まれごとをされるとき。
私たちは性格だけで決めているわけではないのかもしれません。
いま自分がどれだけ「待てる」と感じているか。
その感覚が、判断の輪郭を少し変えている。
豊かさとは、財布の中身だけを指す言葉ではなさそうです。
参考文献:
Vogel, T.A., Priestley, L., Cutler, J. et al. Humans are more prosocial in poor foraging environments. Nat Commun 17, 483 (2026). https://doi.org/10.1038/s41467-025-66880-9

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
