冬の夕方、低い太陽の光に手をかざすと、理由もなくほっとすることがあります。
キャンプで焚き火を囲んでいるときも同じです。
炎を見つめているだけなのに、目の奥がほどけ、景色の輪郭がやわらぐ。
眩しいわけでも、明るさが増したわけでもないのに、見えている世界が少し整う。
多くの人が経験してきたこの感覚は、長い間、気分や雰囲気の問題として扱われてきました。
私たちの生活は、いつの間にか屋内中心になりました。
学校、職場、病院、電車。
そこを満たしているのは、均一で影の少ないLEDの光です。
明るさに不足はなく、文字も画面も問題なく見える。
それでも夕方になると、色の区別が少し曖昧になる感覚や、細かな違いに気づきにくくなる瞬間があります。
その変化は疲労のせいだと片づけられがちですが、光のあり方そのものが関係している可能性もあります。
太陽光や焚き火の光には、可視光だけでなく赤外線まで含まれています。
赤外線は目には見えませんが、身体の深部まで届く波長です。
生命は太古の昔から、この幅の広い光の中で進化してきました。
一方、LED照明は主に可視光の一部に集中した光で構成されており、赤外線はほとんど含まれていません。
この違いが、感覚にどんな影響を与えるのかを確かめた研究があります。
自然光がほとんど入らない建物の奥で、日中の大半をLED照明の下で働く人たちを対象に、研究者たちは白熱灯のデスクライトを追加しました。
白熱灯は、太陽光に近い連続したスペクトルを持ち、目には見えない赤外線も含んでいます。
作業内容も生活リズムも変えず、ただ光の幅だけを広げた状態を2週間続けました。
その前後で調べたのは、色のコントラストを見分ける力でした。
明るさではなく、色と色の微妙な違いを感じ取れるかを測る検査です。
白熱灯を取り入れた人たちでは、色の見え方が全体に整い、特定の色に偏らない変化が現れました。
さらに、その変化は白熱灯を撤去したあとも、しばらく続いていました。
一方、LED環境のまま過ごした人たちには、同じ期間で大きな変化は見られませんでした。
この背景には、網膜で働くミトコンドリアが関わっています。
ミトコンドリアは細胞のエネルギーを生み出す装置で、網膜には特に多く存在します。
短い波長の光が優位な環境では、その働きが抑えられやすく、赤外線を含む長い波長の光は、エネルギー産生を支える方向に作用することが知られています。
焚き火や夕日の前で感じる「見え方の回復」は、感情の問題ではなく、細胞レベルの反応が積み重なった結果だった可能性があります。
参加者の多くは、自分の見え方が変わったことを強く意識していませんでした。
測定して初めて、違いが数値として現れました。
私たちは「ちゃんと見えている」と思いながら、環境に合わせて感覚を少しずつ調整して生きています。
赤外線が欠けた光に慣れることで、別の見え方を忘れていただけなのかもしれません。
もちろん、エネルギー制約のある現代社会で、照明をすべて白熱灯に戻すことは現実的ではありません。
それでもこの研究は、私たちが無意識に使ってきた「良い照明」という基準に、別の軸があることをそっと示しています。
明るさや効率だけでなく、私たちの身体が長い時間をかけて慣れ親しんできた光の幅という視点です。
焚き火や夕日の前で感じる、あの理由のない見えやすさは、失われた過去の感覚ではなく、環境が整えば今でも立ち上がるものなのかもしれません。
参考文献:
Barrett EM, Jeffery G. LED lighting (350-650nm) undermines human visual performance unless supplemented by wider spectra (400-1500nm+) like daylight. Sci Rep. 2026;16(1):3061. Published 2026 Jan 23. doi:10.1038/s41598-026-35389-6

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
