役所の机に向かい、誰にも気づかれない仕事を淡々とこなす日々。
黒澤明監督の映画『生きる』は、そんな時間の中で、人がいつのまにか社会から“透明”になっていく感覚を描いていました。
主人公を動かしたのは、病そのものではなく、自分が誰の役にも立っていないという実感だったのかもしれません。
年齢を重ねると、病気がなくても、似た感覚は少しずつ忍び寄ります。
仕事を離れ、頼られる場面が減り、「助ける側」から「助けられる側」へと立ち位置が変わっていく。
その変化は、気分や張り合いの問題にとどまらず、ものごとを考え、覚え、判断する速さにも重なっているのかもしれません。
そんな視点を、数万人を20年近く追った研究が、生活の延長線上から投げかけています。
これまで、社会参加が健康や認知機能と関係することは知られてきました。
ただし、運動や趣味、制度化されたボランティア活動が中心で、近所で手を貸す、家族の用事を引き受けるといった「身近な援助」は、研究の主役になりにくかった領域です。
しかも、そうした役割は固定ではなく、始めたり、減らしたり、やめたりを繰り返します。
その出入りを含めて、認知機能の変化と重ねて見た研究は多くありませんでした。
この研究が焦点を当てたのは、50歳以降の人生において、「助ける側でいる時間」が、加齢に伴う認知機能の下がり方とどう結びつくのかという点です。
援助をしているかどうかの二択ではなく、どれくらいの量を、どのように続け、あるいはやめたのかという時間の使い方そのものが問われました。
分析には、50歳以上およそ3万人を対象とした長期縦断データが用いられています。
認知機能は電話で実施できる記憶や注意の課題によって評価され、援助行動は団体を通じた公式ボランティアと、家族・友人・近隣への非公式な手助けに分類されました。
年間の時間量は段階化され、同じ人の中で援助が増える、減る、中断するといった変化を追いながら、認知機能の低下速度との関連が推定されています。
浮かび上がってきたのは、援助に関わり続けている人ほど、認知機能の低下が緩やかな側に位置づけられるという傾向でした。
特に安定した関連が見られたのは、週に2〜4時間ほどの無理のない関与です。
公式ボランティアでも非公式な手助けでも、この範囲で新たに始めたり、継続していた人では、加齢による低下の進み方が、およそ1〜2割ほど遅い水準にありました。
一方、援助の役割をやめた人では、認知スコアが低めで、低下も速い側に寄る傾向が示されています。
量を増やせば増やすほど良い、という単純なことではありませんでした。
もちろん、これは観察研究であり、「援助が脳を守った」と断定できるわけではありません。
認知機能が保たれている人ほど援助を続けやすかった可能性は残ります。
それでも、援助の場面には、人とのやり取り、段取り、注意の切り替え、移動といった要素が含まれます。
誰かの生活の中に自分の役割が差し込まれることで、脳は日常の用事を処理する回路を使い続ける。
その積み重ねが、時間の経過とともに認知の曲線に反映されていると考えるのは自然です。
援助は、善行というより、生活の歯車を噛み合わせ続ける一つの形式なのかもしれません。
なお、この研究は電話課題で測れる認知領域に限られ、援助の質や負担感までを細かく捉えられるわけではない、という制約もあります。
年を取ると、何を減らすかの話は増えますが、何を持ち続けるかは後回しになりがちです。
運動や食事に並んで、「助ける側でいられる時間」を週に数時間、生活の中に残しておくこと。
そうした時間の置き方が、脳の時間の進み方と重なっている可能性が、この研究から見えてきます。
映画のように劇的な転換ではなくても、自分が誰かの予定表に載っている状態を保つことは、人生後半の輪郭を、わずかに確かなものにしてくれるのかもしれません。
参考文献:
Han SH, Burr JA, Zhang S. Helping behaviors and cognitive function in later life: The impact of dynamic role transitions and dose changes. Soc Sci Med. 2025;383:118465. doi:10.1016/j.socscimed.2025.118465

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
