呼吸がうまくいかないとき、体の中で起きていること―1週間の実験が見せた、緊張と分子の距離

呼吸がうまくいかないとき、体の中で起きていること―1週間の実験が見せた、緊張と分子の距離

 

緊張する場面に出くわしたとき、「落ち着こう」と思って深呼吸を試みることがあります。

ところが、意図とは裏腹に息が速くなり、うまく吸えない。

そんな経験は珍しくありません。

何度か呼吸を繰り返し、ふっと深く吸える瞬間が訪れると、張りつめていた感じが少しほどける。

その差は感覚として残りますが、体の内側で何が起きたのかを、立ち止まって考えることはほとんどありません。

 

近年、マインドフルネスと呼ばれる実践が広く知られるようになりました。

「今この瞬間の体験に注意を向ける」方法ですが、その中身が何なのかは、意外と整理されていません。

注意の向け方なのか、心の構えなのか、それとも呼吸そのものなのか。

本研究は、この問いに対して、呼吸の速さという具体的な要素を切り出して検証しました。

 

対象は18〜35歳の健康な若年成人です。

参加者は三つの群に分けられました。

自然な呼吸のままマインドフルネスを行う群、5秒で吸って5秒で吐くゆっくりした呼吸を伴う群、そして介入を行わない群です。

期間は1週間で、1日2回、各20分の実践が行われました。

前後で採血し、血液中のアミロイドβ(アルツハイマー病と関連するたんぱくの断片)などが測定されています。

 

介入を行わなかった群では、これらの値に大きな動きは見られませんでした。

自然な呼吸のまま注意を向けた群では、アミロイドβの一部が上向く方向に変化しました。

一方、呼吸を意図的に遅くした群では、同じ指標が下がる方向を示しました。

注目すべきなのは、同じマインドフルネスを行っていても、呼吸をゆっくり整えたかどうかで、体の反応がまったく逆の方向に分かれたことでした。

 

ゆっくりした呼吸は、副交感神経、つまり休息や回復に関わる神経の働きを前に押し出します。

その結果、分子の産生や処理のバランスが変わった可能性があります。

緊張の場面で深呼吸に失敗するとき、体は覚醒側に引きずられます。呼吸に成功したときだけ、体のリズムが切り替わる。日常で感じているあの切り替わりが、分子の側にも現れていました。

 

ただし、この結果をそのまま将来の認知症予防に結びつけることはできません。

対象は若年者で、期間は1週間、評価は血液指標に限られています。

脳内で何が起きているか、長期の認知機能にどう関わるかは別の検証が必要です。

気分やストレスといった心理指標が動かなかった点も、この短さを考えれば自然でしょう。

 

それでも、呼吸の速さという身近な要素が、体の中のごく小さな仕組みにまで影響しうることを示した点だけでも、この研究は十分な価値があります。

緊張して息がうまくできない瞬間と、深く吸える瞬間。

その差は気分の問題にとどまらず、体の内部の時間の進み方を変えている可能性があります。

そう考えると、日ごろの息遣いが、これまでとは少し違って見えてくるかもしれません。

 

参考文献:

Nashiro K, Cahn BR, Choi P, et al. A Randomized Clinical Trial Reveals Effects of Mindfulness and Slow Breathing on Plasma Amyloid Beta Levels. Psychophysiology. 2025;62(12):e70182. doi:10.1111/psyp.70182

 

 

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。