日常診療をしていると、腎臓の病気はなぜか男性のほうが重く進行していくように感じます。
実際、日本透析医学会の統計でも、透析を始める患者は男性がおよそ女性の2倍にのぼると報告されています。
数字の裏には、腎臓という臓器が男女で異なる道をたどる理由が潜んでいるようです。
では、その違いはどこから生まれるのでしょうか。
これまで腎機能障害の男女差については、長らく「女性ホルモンが腎臓を守っているのではないか」という漠然とした仮説にとどまっていました。
2000年代以降の研究では、テストステロン(男性ホルモン)が腎臓の虚血性障害を悪化させる一方、エストロゲンが血管拡張や抗酸化作用を通じて腎臓を守る可能性が指摘されてきました。
しかし、その仕組みは明確ではなく、細胞レベルでどのように作用しているのかは謎のままでした。
今回の研究は、そうした過去の知見を踏まえつつ、男女の腎臓がどのようにして異なる運命をたどるのかを分子レベルで解き明かしたものです。
急性腎障害(Acute Kidney Injury, AKI)は、腎臓の尿細管(にょうさいかん)細胞が壊死することで起こる重い疾患です。
特に男性では発症率も死亡率も高く、海外の大規模調査でも、男性の方が女性より高いリスクを示していました。
ドイツ・ドレスデン大学の研究チームは、この男女差の背後にある仕組みとして「フェロトーシス(鉄依存性細胞死)」に注目しました。
その結果、マウス実験では、酸化ストレスによる細胞死が連鎖的に広がる現象が雄マウスでは顕著である一方、雌マウスではほとんど見られないことが明らかになりました。
研究ではさらに、女性ホルモンの17β-エストラジオールとその代謝物2-ヒドロキシエストラジオールが、フェロトーシスを強力に抑える働きを持つことが示されました。
これらの分子は腎尿細管内に高濃度で存在し、まるで“火消し役”のように活性酸素を捕まえて鎮める性質(ラジカルトラップ抗酸化作用)を持っています。
雄マウスにこの物質を投与すると腎障害が軽減し、卵巣を摘出した雌マウスではその防御効果が失われました。
つまり、エストロゲンの存在こそが腎臓を守る要であることがわかったのです。
加えて、遺伝子の働きにも注目すべき違いがありました。
エストロゲン受容体(ESR1)は抗酸化システムの中枢を担っており、これを欠損した雌マウスでは細胞保護分子(ハイドロパースルフィド系)が減少し、逆に脂質の可塑性を高める「エーテル脂質経路」が活性化していました。
これは男性や閉経後女性に見られる特徴であり、フェロトーシスへの感受性が高まる理由の一つと考えられます。
もちろん、この研究はマウスや培養細胞での成果であり、ヒトでの応用には慎重な検証が必要です。
それでも、女性ホルモンが腎臓を守るという分子機構がここまで具体的に描かれた意義は大きいでしょう。
透析導入における男女差という現実。
その背後に、エストラジオールが築く“見えない防波堤”があるのだとすれば、科学が解き明かすのは単なる差ではなく、生命が備えた精緻な防御の知恵なのかもしれません。
参考文献:
Tonnus W, Maremonti F, Gavali S, et al. Multiple oestradiol functions inhibit ferroptosis and acute kidney injury. Nature. 2025;645(8082):1011-1019. doi:10.1038/s41586-025-09389-x

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
