今夏、東京で開催された世界陸上。
満員の国立競技場で、男子棒高跳び決勝でスウェーデンのアルマンド・デュプランティス選手が6メートル30センチの世界新記録を打ち立てた瞬間は、多くの人の記憶に刻まれたことでしょう。
重力に逆らい、しなるポールが体を天空に押し上げる一連の動作、そしてバーが揺れることなく静かにそこに残ったあの瞬間には、人間の身体能力の可能性そのものが凝縮されていました。
一方で、女子走り高跳びの世界記録保持者“眠り姫”ことヤロスラワ・マフチフ選手が見せるバネのような跳躍もまた、見る者を魅了しました。
こうしたトップアスリートたちの跳躍には、「力強さ」と「しなやかさ」という対照的な特徴が見られました。
この違いが単なる印象論ではなく、ジャンプの方向―つまり「より高く跳ぶ」という行為に深く関わる身体の仕組みから生まれるとしたら。
この点について、科学的な説明を与える興味深い研究があります。
テキサス・クリスチャン大学のエミリー・ハーグとピーター・ウェイランドは、男女の身体構造の違いがどのように運動能力へ影響するのかという、長年の疑問に挑みました。
これまでの研究は「体の大きさ」と「跳躍力」の関係を中心にしており、筋肉量の比率や体組成の違いにはあまり光が当てられていませんでした。
特に人間は、男女で筋肉と脂肪の割合が大きく異なる「性的二型性(せいてきにけいせい)」を持つ動物です。
彼らはこの特性こそが、ジャンプの種類によって成績差が生じる鍵になるのではないかと考えたのです。
そこで、彼らは男女の筋肉量と体重の比率(筋肉/体重比)がジャンプの種類によってどのように成績差を生むかを検証しました。
世界陸上の上位40名(男女各40名)の三段跳び、走り幅跳び、走り高跳びの記録と、大学生男女各19名のカウンタームーブメントジャンプ(その場垂直跳び)のデータを分析しています。
分析の結果、明確な傾向が浮かび上がりました。
跳躍の角度が垂直に近づくほど、男女差が広がっていたのです。
* 三段跳び(角度 約16°):17.5%
* 走り幅跳び(角度 約22°):18.4%
* 走り高跳び(角度 約41°):23.4%
* 垂直跳び(角度 約90°):42.1%
興味深いのは、垂直跳びにおける筋力差がわずか5.1%しかなかったにもかかわらず、跳躍高ではその約8倍の42.1%もの差が生まれたことです。
研究チームはこの理由を、重力に抗うための「力の配分の違い」に見出しました。
垂直方向のジャンプでは、まず自分の体重を支えて重力を打ち消す必要があります。
筋肉量の少ない女性は、その大半の力を重力の相殺に使うため、上へ加速させる余力が限られます。
一方、筋肉量が多い男性は重力を克服したあとにも力を残せるため、より高く跳び上がることができるのです。
女性のジャンプは重りを抱えたエレベーター、男性は軽装で上昇するエレベーターのような違いと言えるでしょう。
ただし、この研究にも限界があります。
対象は競技レベルのアスリートであり、一般人の体格や技術のばらつきまでは含まれていません。
また、空中動作に影響するフォームやタイミングの違いも、完全には評価できませんでした。
それでも、筋肉と重力のせめぎ合いがこれほど明確に数字で示されると、ジャンプという動作の奥深さを感じます。
東京の夜空を背に舞い上がったアスリートたちの姿も、まさにこの“重力との対話”の延長線上にあります。
科学はその美しさの裏側に、緻密な数式を見出しているのです。
そしてこの視点は、より効果的なトレーニング方法の開発や、一人ひとりの身体特性に合わせた運動プログラムを考える上で、新しい道を開きつつあります。
参考文献:
Haag EL, Weyand PG. Sex performance differences in vertical and horizontal jumping. R Soc Open Sci. 2025;12(9):241920. Published 2025 Sep 24. doi:10.1098/rsos.241920

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
