映画『ペコロスの母に会いに行く』(2013年)を初めて観たとき、胸が締めつけられる思いがしました。
主人公の母親が、少しずつ料理の手順を忘れ、掃除や片付けがうまくできなくなっていく。
その姿を見守る息子の眼差しには、優しさと切なさが同居していました。
これまで当たり前にできていた日々の家事が、ゆっくりと手からこぼれ落ちていく―その過程こそが、認知症の進行を象徴していたものです。・
この映画は、「家事ができなくなる」という変化が何を意味するのかを問いかけています。
では逆に、家事を「し続ける」ことには、どんな意味があるのでしょうか。
その答えを探ろうとしたのが、アメリカで行われた興味深い研究です。
米国の65歳以上の男女8141人を対象に、10年間にわたり「家事の頻度」と「認知機能の変化」を追跡したこの研究では、2008年から2010年のあいだに家事の頻度がどう変化したかを基準に、「ずっと高い」「低いから高い」「高いから低い」「ずっと低い」の4群に分類し、その後の認知スコア(0〜35点満点)を2010年から2018年まで追いました。
解析の結果、家事の取り組み方によってその後の脳の変化に差が生じていました。
家事の頻度が「高いから低い」に変化した人や「ずっと低い」人では、認知機能の低下がそれぞれ年間0.079点、0.090点大きく進んでいました。
逆に「低いから高い」に変わった人では有意な低下は見られません。
研究者によると、この差はおよそ2年分の認知機能の遅れに相当するとされています。
つまり、家事を続ける、あるいは後からでも増やすことが、認知機能の維持につながる可能性を示していたのです。
また、男女差や年齢(65〜79歳と80歳以上)による違いもありませんでした。
研究者たちはこの結果を、「家事という行為が身体と頭の両方を刺激するから」と説明しています。
洗濯や掃除は単なる筋肉運動ではなく、段取りや判断を伴う小さな計画行動です。
これは“認知的運動”とも呼べるもので、脳のネットワークを日常的に活性化しているのかもしれません。
さらに、日々の家事をやり遂げる達成感が、自己効力感や気分の安定にもつながると考えられます。
もちろん、この研究にも限界があります。
とはいえ、日常生活レベルでできる認知予防としては現実的だという点でも注目されます。
家事の量は自己申告であり、どんな種類の家事をしたか(掃除か料理か修理か)までは区別されていません。
また、もともと認知機能の高い人ほど家事を多くこなしていた可能性も完全には排除できません。
とはいえ、日常生活レベルでできる認知予防としては、非常に現実的な示唆を与えてくれる研究です。
掃除機をかける、食器を片づける―その一つ一つの動作が、将来の自分の記憶や思考を支えるリハビリになる。
映画の中で息子が母を見守ったように、私たち自身も、今日の家事の中に未来の自分を支える小さな営みを見つけることができるのかもしれません。
参考文献:
Wang N, Cai W, Pan X, Wang T, Gross A, Jiang C. Changes in Housework Frequency and Subsequent Cognitive Function and Rate of Decline Among Adults Aged ≥ 65 in the United States, 2008-2018. Perm J. Published online September 10, 2025. doi:10.7812/TPP/24.173

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
