「先生、抗生物質を出してください。」
風邪で来院された患者さんから、時々こう頼まれることがあります。
ウイルス性の風邪に抗生物質は効かないと説明しつつも、「何か薬が欲しい」という切実な思いとの間で、医師として頭を抱え込んでしまいます。
実はこれ、医療現場でたびたび行われている「実質的なプラセボ治療」というテーマに繋がります。
プラセボとは、有効成分を含まない偽薬のことですが、この問題はもう少し複雑です。
これまでの研究では、「プラセボ」の定義が曖昧なまま調査されることが多く、結果の解釈が困難でした。
そこで、21カ国の一般開業医を対象にしたある研究では、「薬として本来の作用が期待できない治療」を「実質的なプラセボ」と明確に定義し、その処方実態を調査しました。
つまり、ウイルス性の風邪に抗生剤を処方するのは、効果が見込めないので、まさしく「プラセボ」なのです。
この統一された物差しで国際比較を行った点が、この研究の新しいところです。
ヨーロッパとイスラエルの医師952人へのオンライン調査から、次のような実態が明らかになりました。
* 回答した医師の84%が、少なくとも一度は実質的なプラセボを処方した経験がありました 。
* 処方頻度の中央値は週に0.5回、つまり2週間に1回程度でした 。
* これは全診察の0.67%にあたり、およそ150回の診察に1回の割合で処方されている計算になります 。
* 男性、経験年数が長い、勤務時間が短い医師でわずかに高めでしたが、差は大きくありませんでした。
この結果は、個々の医師にとっては「ごく稀なこと」かもしれません。
しかし、医療全体を見渡せば、決して無視できない頻度で起きています。
それは、個々の家庭の蛇口からポタリと落ちる一滴の水漏れのようなものです。
一滴はわずかでも、全体で集まれば大きな湖になるように、個々の「稀な処方」が積み重なり、医療システム全体としては相当数のプラセボが流通している現実を示しています。
私がこの研究に心惹かれるのは、プラセボ処方を単に「良いか悪いか」で断罪していない点です。
診察室での短い時間、医師は科学的な正しさだけでなく、目の前の患者さんの不安を和らげたいという気持ちも抱えています。
この研究は、その葛藤の末の選択を数字として可視化してくれました。
今後は、なぜ医師がその処方箋を手に取るのか、その意思決定のプロセスを深く知ることが、患者さんと医師のより良い関係を築く鍵になるのかもしれません。
参考文献:
Wolters F, Peerdeman K, Gussekloo J, et al. Prescriptions of Essentially Placebo Treatments Among General Practitioners in 21 Countries. JAMA Netw Open. 2025;8(9):e2532672. Published 2025 Sep 2. doi:10.1001/jamanetworkopen.2025.32672

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
