昭和の時代、学習雑誌の裏表紙あたりで、私たちの心をくすぐる広告をよく見かけたものです。
その名も「睡眠学習まくら」。
枕にスピーカーが内蔵されていて、眠っている間に学習テープを流せば、その内容が頭に入るという、夢のような代物でした。
少年少女たちの淡い期待を乗せたその枕も、いつしか見かけなくなりましたが、「眠りながら何かを聞いて学ぶ」という発想そのものは、「眠っていても脳は何かを聞いている」という認識からきているものです。
実際、私たちは夜、布団に入って目を閉じ、意識を手放しますが、脳までが完全にスイッチを切っているわけではありません。
火災報知器のけたたましい音には飛び起きるのに、隣で寝ている人の盛大ないびきはやり過ごせたりします。
この器用な選り好みのメカニズムは、長らく謎に包まれていました。
最近、カナダのコンコーディア大学の研究チームが、この睡眠中の音の処理について興味深い報告をしました。
彼らによれば、眠っている間、我々の脳は部位によって音への態度をがらりと変えるというのです。
研究チームは、健康な若者14人に昼寝をしてもらい、その脳の活動を記録しました。被験者がうとうとしている間、静かですがはっきりと聞こえるレベルで「ダー」という合成音が繰り返し再生されます。
そして、脳波計(EEG)と脳磁計(MEG)という機械を使い、脳がその音にどう反応するかを観察したのです。
その結果、判明したのは脳内の役割分担でした。
音の情報を最初に処理する「脳幹」という部分は、人が深い眠り(専門的にはノンレム睡眠のステージN3と呼ばれます)に落ちていても、忠実に音の情報を処理し続けていました。
まさに、夜勤を黙々とこなす工場の作業員そのものです。
一方で、より高次な情報処理を担う「大脳皮質聴覚野」、いわば司令塔にあたる部分は、眠りが深くなるにつれて音への反応が弱くなることがわかりました。
それだけでなく、信号の伝わる速さもわずかに遅くなっていました。
司令塔は次第に活動を抑え、「視床」という中継基地との連携も弱まるようです。
これまでの研究では、「睡眠紡錘波」という睡眠中特有の脳波が、音の情報を司令塔に届けないようにする「ゲート」の役割を果たしていると考えられてきました。
しかし今回の研究では、この睡眠紡錘波が出ている最中に音を聞かせても、脳の反応は特に変わらないという結果が出ました。
どうやら、睡眠紡錘波は犯人ではなかったようです。
重要なのは個別のイベントではなく、全体的な眠りの深さそのものでした。
この研究は、なぜある人は物音ですぐに目を覚まし、別の人はそうでないのか、といった個人差を説明する手がかりになるかもしれません。
また、脳幹レベルでは音が処理され続けている以上、やはり静かな環境が質の良い睡眠には好ましい、ということを裏付けています。
もちろん、今回の研究は昼寝での記録であり、解明すべき課題はまだ多く残されています。
しかし、睡眠中の脳が情報を巧みに取捨選択している様子を垣間見せてくれます。
将来的には、この仕組みを利用して、音で記憶の定着を助けたり、睡眠の質を向上させたりする技術につながるかもしれません。
眠っている間も脳は賢く私たちを守っている―。
そう考えると、毎晩の眠りに対する感謝の念も自然と湧いてくるものです。
参考文献:
Jourde HR, Coffey EBJ. Sleep state influences early sound encoding at cortical but not subcortical levels. J Neurosci. 2025 Jul 7:e0368252025. doi: 10.1523/JNEUROSCI.0368-25.2025. Epub ahead of print. PMID: 40623839.

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
