「前の先生は睡眠薬をすぐに出してくれたのに。」
私は外来でこう言われることがあります。
多くの医師は不眠の訴えに対して睡眠薬を比較的すぐに処方するかもしれませんが、私はできる限りそれを避けています。
特に高齢者の場合、足元のふらつきや転倒、それに伴う骨折のリスクが懸念されるからです。
こうした私の慎重な姿勢は患者さんにも周知されているのですが、なかにはやはりがっかりされることも少なくありません。
私はどちらかというと睡眠薬にはネガティブなイメージを持っている方だと思います。
ところが最近、この考えを少し改めてもいいかもしれないと思える論文に出会いました。
アメリカのワシントン大学の研究チームが、レンポレキサント(商品名:デエビゴ)という睡眠薬が、アルツハイマー病モデルのマウスで異常なタウタンパク質の蓄積を抑え、脳の炎症や萎縮を改善したという研究を報告しました。
アルツハイマー病は記憶力が徐々に失われ、脳が萎縮する病気で、その原因の一つにタウタンパク質の異常な蓄積があります。
タウは通常、神経細胞の骨格を支えていますが、異常な変化で固まり、脳の機能を阻害してしまいます。
研究者たちは、脳を覚醒させるオレキシンという物質に注目しました。
オレキシンが過剰になると睡眠が浅くなり、タウの蓄積を促進する可能性があるからです。
レンポレキサントは、このオレキシンの作用を抑える薬です。
実験では、生後7.5カ月のアルツハイマー病モデルマウスに2カ月間投与した結果、特にオスのマウスで深いノンレム睡眠が増え、海馬や嗅内皮質でタウの蓄積が減少しました。
脳の萎縮や炎症も抑えられました。
一方、別の睡眠薬であるゾルピデムでは同様の効果は見られず、単に睡眠時間を延ばすだけでは不十分であることも示されました。
重要なのはオレキシン経路の調整だということです。
しかし、効果がオスに限定された理由についてはホルモンの違いや遺伝的な要素が影響している可能性があり、今後の研究が待たれます。
また、病状が進行した場合への効果も未解明であり、これからの臨床試験で検証されることになるでしょう。
人間への応用にはさらなる研究が必要ですが、この研究は睡眠薬への見方を改め、脳の健康維持に新しい可能性を提示しています。
研究者たちが新たな希望の扉を開けようとする姿に、私も期待を寄せています。
参考文献:
Parhizkar S, Bao X, Chen W, et al. Lemborexant ameliorates tau-mediated sleep loss and neurodegeneration in males in a mouse model of tauopathy. Nat Neurosci. Published online May 27, 2025. doi:10.1038/s41593-025-01966-7

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。