テストステロンのささやき―なぜ他人の「いいね」に心は乱されるのか

テストステロンのささやき―なぜ他人の「いいね」に心は乱されるのか

 

自分の価値は自分で決めていいものか、それとも誰かの評価で揺れ動くものか。

私たちは普段から他人の評価に敏感に反応し、自分の心が揺れ動くのを感じます。

自己肯定感というのは実際、とても移ろいやすいものです。

心理学では、この状況によって変動する自己肯定感を「状態自尊心」と呼び、それに対比する安定した自己肯定感を「特性自尊心」と呼んで区別しています。

 

心理学者たちは、特に男性の場合、社会的な評価によって自己肯定感が変動しやすいことに注目しました。

その背景には競争心や社会的地位に関係する男性ホルモン「テストステロン」が関わっている可能性が考えられました。

そこで研究者たちは、18歳から26歳の健康な男性120人を対象に、このテストステロンが他者からの評価に対する心の反応をどのように変えるのかを詳しく調べたのでした。

 

参加者は二つのグループに分けられ、一方にはテストステロンジェルを肩や上腕部に塗り、もう一方には同じ場所に偽薬を塗りました。

もちろん、誰がどちらを塗ったのかは本人にも研究者にもわからない仕組みです。

 

約3時間後、参加者はパソコンの前で課題に取り組みました。

見知らぬ184人が自分のプロフィールを見て「承認」するかを予測し、その結果を受け取ります。

評価はSNSで普及している親指の「いいね」サインとその逆のサインで示され、数回ごとにその時の自分の気分を10段階で評価しました。

 

結果は非常にはっきりしていました。

テストステロンを投与された男性は、他者からの評価に対して心が極めて敏感に反応していました。

肯定的な評価を受けると、まるでボーナスをもらった日のように自尊心がぐっと上昇し、逆に否定的な評価を受けると、思わぬ失敗を指摘された時のように深く落ち込みました。

 

コンピューターを用いたモデル分析では、テストステロンが評価に対する期待や実際の評価とのズレ(予測誤差)への感受性を高めることが明らかになりました。

つまり、テストステロンは社会的評価をより鮮明に感じさせ、自尊心の変動幅を拡大するのです。

 

この研究は、テストステロンが社会的地位を求める行動と関連付けられる理由の一端を示しています。

他人の評価に敏感になることで、社会的な成功を追求する動機が増幅されるのかもしれません。

また、自尊心の低さが不安や抑うつと結びついていることを考えると、ホルモン療法と心理療法を組み合わせた新しい治療法の可能性も広がります。

もちろん、この研究は若い男性のみを対象とし、実験室という特殊な環境で行われました。

私たちの複雑な心が、一つのホルモンだけで説明できるほど単純でないことは確かでしょう。

それでも、体の中を流れる化学物質が、他人の視線に対する私たちの心のあり方を静かに変えている。その事実を思うと、世界の解像度が少しだけ上がったような気がしてきます。

 

参考文献:

Long J, Lu J, Hu Y, Tobler PN, Wu Y. Testosterone Administration Increases the Computational Impact of Social Evaluation on the Updating of State Self-Esteem. Biol Psychiatry Cogn Neurosci Neuroimaging. Published online February 25, 2025. doi:10.1016/j.bpsc.2025.02.008

 

 

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。