他人のおならの匂いは耐えがたいのに、自分のそれはなぜかそこまで気にならない。
この非対称は笑い話のようでいて、妙に引っかかります。
刺激は同じはずなのに、反応が違う。
私たちは本当に匂いに反応しているのでしょうか。
それとも、「誰のものか」に反応しているのでしょうか。
腸内ガスを分析した研究では、匂いの原因はごく微量の硫黄化合物、とくに硫化水素であることが示されています。
濃度が高いほど強烈です。
化学的には、自分のものも他人のものも同じ成分です。
刺激は公平です。
しかし評価は公平ではありません。
心理学の実験では、体臭の発生源が「自分」とされた場合、不快度は明らかに下がります。
この差は排泄物の匂いで特に大きく、ゴミの匂いでは同じ効果は現れません。
匂いの強さではなく、「発生源」が感情を動かしているのです。
ここで提示されるのが、疾病回避という視点です。
嫌悪は感染リスクを避けるために進化した感情だと考えられています。
他人の体内には未知の微生物がいます。
一方、自分の腸内環境は長い時間をかけて適応してきた領域です。
脳は発生源を手がかりに、危険度を推定しているのかもしれません。
さらに慣れがあります。
未知の匂いは強く、曖昧で、不快に感じられます。
しかし繰り返し触れると評価は変わります。
私たちは生涯、自分の体の匂いにさらされています。
脳はその信号を「既知」として扱うようになります。
脳画像研究では、不快な匂いはまず扁桃体を活性化させます。
これは危険を察知する回路です。
しかし同時に前頭部の判断領域が働き、その刺激の意味を評価します。
もしそれが「自分由来」と認識されれば、警報は弱められます。
嫌悪は反射ではありません。
解釈の結果です。
ここまでは嗅覚の話です。
しかし、この構図をそのまま広げてみるとどうでしょうか。
もし嫌悪が「自分の外側」に対して強く働く設計だとしたら。
もし私たちが無意識のうちに、「内」と「外」を瞬時に仕分けているのだとしたら。
匂いだけでしょうか。
私たちが「無理だ」「受け付けない」と感じる対象の中に、本当に危険だから拒んでいるものと、ただ“自分ではない”という理由で距離を置いているものが、混ざってはいないでしょうか。
匂いは極端な例にすぎないのかもしれません。
私たちは空気を嗅ぎながら、境界を引いています。
皮膚の外側に。
脳の奥に。
嫌悪は、危険よりも先に、境界を守っているのかもしれません。
そしてその境界は、私たちが思っているよりも速く、静かに、世界を仕分けているのかもしれません。
参考文献:
Stevenson RJ, Repacholi BM. Does the source of an interpersonal odour affect disgust? A disease risk model and its alternatives. Eur J Soc Psychol. 2005;35:375-401.

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
