続けてきただけ、かもしれません。

続けてきただけ、かもしれません。

 

2012年12月30日に、このブログを始めました。

それから気がつけば、いつの間にか今日で13年が経ちます。

明日からは14年目に入ります。

数字にすると簡単ですが、振り返れば、ホントにいろいろなことがありました。

 

この一年も、診療の合間や、夜中に、いくつか書いてきました。

腎臓や透析のこと、運動や睡眠、薬の意外な作用、AIや社会の変化、時には猫やマジック、音楽の話…。

テーマはばらばらに見えて、実はずっと同じ場所を見つめていたように思います。

「人はどうすれば、少しでも健やかに、納得して生きられるのか」

その一点です。

 

2025年は、とくに「生活の中の健康」を何度も書きました。

座っている時間、軽い動き、噛むこと、眠ること。どれも派手ではありませんが、積み重なると確かに体に影響します。

医療は特別な場所だけにあるものではなく、日常の中にしみ出している。

その感覚を、できるだけ専門用語を外して伝えたいと思ってきました。

 

一方で、医療の話だけでは足りないとも感じていました。

人は理屈だけでは動きません。

笑ったり、戸惑ったり、考え込んだりしながら生きています。

イグノーベル賞の話題や、少し風変わりな研究、マジシャンの逸話を書いたのは、その余白が人を支えると信じているからです。

 

このブログは、何かを教えるためだけの場所ではありません。

私自身が考えを整理し、立ち止まり、次に進むための記録でもあります。

書くことで見えてくるものがあり、考え直すこともあります。

その過程を、読者の方と共有してきました。

 

今年は、その文章を声や映像に置き換えることもありました。

NotebookLMを使って音声にしたり、動画にしてみたり。形は変わっても、やっていることは同じで、結局は一つの記事の続きのようなものです。

 

13年間、続けられた理由は一つではありません。

読んでくださる方がいたこと、診療の現場があったこと、家族やスタッフに支えられてきたこと。

そのすべてが、この場所を続けさせてくれました。

感謝しています。

 

明日から14年目に入りますが、特別なことをするつもりはありません。

これまでと同じように、その日に気になったことを、自分の言葉で書いていくだけです。

医療も社会も、相変わらず複雑で、答えは一つではありません。

だからこそ、考え続け、書き続ける価値があるのだと思っています。

 

このブログが、誰かの一日を少しだけ整える役に立っていたなら、それ以上の望みはありません。

また明日、いつものように一つ記事を書きます。