T. レックス の幼体ではなかった―ナノティラヌスが描く“もう一つの捕食者”

T. レックス の幼体ではなかった―ナノティラヌスが描く“もう一つの捕食者”

 

映画『ジュラシック・パーク』(1993年)の豪雨のシーンで、ティラノサウルスが闇を裂くように現れる場面があります。

観客はあの巨体に圧倒されますが、もし画面の端に、もっと細身で俊敏な影が潜んでいたとしたらどうでしょう。

似ているのに同じではない捕食者。その存在をめぐる長い論争に、今回の研究が明確な線を引きました。

 

北アメリカ西部の白亜紀末の地層から見つかった小型の頭骨 CMNH 7541。

細長い吻部、多い歯数、軽量な構造。

これらの特徴から「ナノティラヌス」と呼ばれてきました。

ただし問題は、この個体が “T. rex の子どもなのか、それとも独立した別種なのか” でした。

研究チームは形態比較、骨組織学、成長速度の解析、系統学の四つの視点を精密に重ね合わせ、この問いに答えています。

 

形態比較では150項目以上が検証され、標本は明確に二つの集まりに分かれました。

鼻骨の幅、前上顎骨の角度、頬骨の形状、歯の並び。

どれほど拡大縮小しても、T. rex とナノティラヌスの中間型が存在しません。

成長段階の違いだけでは説明できない構造上の断絶が見えます。

 

他地域のティラノサウルス類との比較も重要でした。

タルボサウルスやゴルゴサウルスの幼体は、小さくても“その種らしい顔”をすでに持っており、成長に伴ってその特徴が強まるだけです。

一方ナノティラヌスは、年齢が上がっても細身の口先や多い歯数といった特徴を保ち続け、T. rex の顔つきへ向かう傾向がありません。

 

骨の内部はさらに決定的でした。

成長線(LAG)を数えると、ナノティラヌス群は年間50〜150kgの増加で成長が緩やかになりますが、T. rex はある年齢から年間800kg以上という急激な増加に入り、巨体化への“成長スプリント”を起こします。

モデル計算では、ナノティラヌスの成体体重は700〜2000kgほどで、T. rex の8000kgには到達しません。

同じ道を歩む幼体と成体ではなく、初めから異なる捕食者としての成長曲線です。

 

小型の“本物の T. rex” が存在することも、この結論を強めます。

UCMP V84133 はナノティラヌスより小さな頭骨でありながら、T. rex 特有の分厚い前頭骨や頑丈な構造を備えています。

“小さくても T. rex の顔つき”。

この一例だけで、「ナノティラヌス=T. rex の子ども」という説は破綻します。

 

系統解析では、ナノティラヌスは真正ティラノサウルス科の外側に位置づけられました。

幼体で変わりやすい特徴を除外しても結果は変わらず、分類学的にも生態学的にも独立した捕食者として成立していた姿が浮かびます。

ただし課題も残ります。

ナノティラヌスには成長完了を示す明確な指標(EFS)が確認されておらず、標本数も十分とは言えません。

スティギヴェナトルとの関係も今後の検討事項です。

 

それでも、形の構造、成長のリズム、骨の内部、そして系統樹。

四つのレイヤーを重ね合わせて浮かび上がる像は鮮明です。

白亜紀末の大陸は、巨大なティラノサウルスが単独で君臨する舞台ではなく、その傍らには体重1000kg級の俊敏な捕食者が、自らの領域を切り取っていた世界でした。

T. rex が深い低音で大地を揺らすなら、ナノティラヌスは鋭い高音で空気を裂く。

二つの捕食者が同じ大陸に棲むことで、生態系は一段と立体的な構図をもっていたのでしょう。

 

映画のあの豪雨のシーンを思い返すと、ティラノサウルスの背後にもう一つの影が駆け抜ける気配が見えてきます。

恐竜世界は“既に知っているつもりの姿”の裏側に、まだ描き足されていない捕食者を潜ませています。

ナノティラヌスという影をひとつ描き込むだけで、大陸の地図は別の相貌を帯び始めます。

 

参考文献:

Longrich, N. R., & Saitta, E. T. (2024). Taxonomic status of Nanotyrannus lancensis (Dinosauria: Tyrannosauroidea)—a distinct taxon of small-bodied tyrannosaur. Fossil Studies, 2(1), 1–65.DOI: 10.3390/fossils2010001

 

 

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。