映画『ソーシャル・ネットワーク』(2010年)には、裏切りの瞬間が“数字”と“感情”の二重露光のように重なる場面があります。
共同創業者エドゥアルドが、書類に記された自分の持ち株―30%超だった数字が、0.03%へと、ほぼ無価値にまで薄められているのを見つめる場面です。
あの表情を説明できるのは、金銭の損得だけではありません。
「こんなことをするとは思わなかった」という、予測の裏切りが心の奥で音を立てて崩れる。
私たちは誰かの行動に裏切られたとき、何に傷つき、何を学んでいるのでしょうか。
脳の中では、いったいどんな“計算”が走っているのでしょうか。
今回の研究が焦点を当てたのは、人間関係の中に潜む二つの予測誤差(Prediction Error)です。
1. 報酬の予測誤差(期待した金額とのズレ)
2. 感情の予測誤差(予想した気分とのズレ)
実験では、参加者が相手からの金銭オファーを予測し、「どんな気分になりそうか」まで予測してからオファーを見る仕組みが使われました。
驚いたのはここです。
人は、損得よりも“思ったよりイヤだった”という気分のズレで行動を変えていた。
とくに相手がどんな人かわからない最初のラウンドでは顕著でした。
つまり、「あ、なんかこの人イヤだ」という微妙なズレが、損得計算より先に働く。
これ、だれでも覚えがありすぎるはずです。
人は「お金」だけでは動けないのです。
EEG(脳波)のデータはさらに美しい構図を描きました。
脳は二種類のズレを“別々の回路”で処理していたのです。
* FRN(0.3秒付近):お金のズレに反応
* P3b(0.5秒付近):感情のズレに反応
まるで会議室の中に二人の担当者がいて、
・FRN担当は「数字と計算の人」
・P3b担当は「気分の変動を読む人」
という役割分担をしている状態です。
さらに決定的なのは―行動(拒否するかどうか)に一番影響していたのは、P3b=感情のズレを処理する信号だけでした。
脳は“損得計算”よりも先に、心がどれだけ振れたかを見て次の一手を決めていたのです。
繰り返し相手と接すると、人は学習します。
でも、その学び方が二種類のズレで完全に違いました。
* 報酬のズレ
→ 次回の期待額を修正していく(計算の更新)
* 感情のズレ
→ 感じ方そのものが変わっていく(慣れや心の調整)
この違いは、人間関係のリアルそのものです。
相手がケチなら「どうせこのくらいだろう」と期待値は下がる。
でも不快さはそこまで長続きせず、次第に薄れていく。
私たちは、
損得は“計算で”学び、感情は“経験で”学ぶ。
その二層構造が脳の中で並列に動いています。
では、あの裏切りの場面で脳は何をしていたのでしょうか。
エドゥアルドが見た数字は、報酬の裏切りです。
しかし、表情に滲んでいたのは金額では説明できない痛みでした。
金額の損失という“外の世界のズレ”と、信頼が崩れたという“内の世界のズレ”が、同じ瞬間に脳の違う回路を震わせていたのです。
この研究は、あの場面のような出来事を科学として読み取るための鍵を与えてくれます。
人は、思ったよりお金が少なかったときに怒るのか。それとも、思っていた関係と違うことに心が動くのか。
私たちの行動を動かしているのは、“金額の不足”なのか “気分のズレ”なのか。
この問いを自分の日常に引き寄せたとき、人間関係の見え方そのものが変わり始めます。
参考文献:
Heffner, J., Frömer, R., Nassar, M.R. et al. Separable neural signals for reward and emotion prediction errors. Nat Commun 16, 7849 (2025). https://doi.org/10.1038/s41467-025-63135-5

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
