緑が支える心のバランス―室内の小さな自然がつくるストレスの緩衝帯

緑が支える心のバランス―室内の小さな自然がつくるストレスの緩衝帯

 

映画『サンシャイン2057』には、宇宙船イカロス2号という閉ざされた人工空間が登場します。

その船内で唯一“生命の色”を放つのが、「オキシジェン・ガーデン」と呼ばれる緑の部屋でした。

金属と機械音に満ちた環境のなかで、クルーたちがその緑に足を踏み入れると、張りつめた表情がわずかにゆるみます。

極限の緊張と暗黒の宇宙に囲まれながら、人は植物の気配に触れた瞬間だけ自分の中心を取り戻す―その光景は、自然が心身に及ぼす作用を雄弁に示していました。

今回紹介する研究は、この“オキシジェン・ガーデンの縮図”のようなリビングウォールが、現実の屋内でも同じ力を発揮するのかを検証したものです。

 

世界の都市化は進み、私たちは一日の多くを屋内で過ごすようになりました。

人工光や金属、プラスチックに囲まれた環境は整然としていても、自然の刺激が乏しいため心身の緊張が高まりやすいとされています。

これまでの研究では、自然がストレスの“回復”に寄与することが繰り返し報告されてきましたが、多くは“休息中”か“ストレス事象の後”を扱ったものでした。

現実のストレスは、仕事や学習といった“作業中”にこそ強く立ち上がります。

作業中の負荷に対して、小さな自然の断片がどこまで作用するのか―ここは十分に解明されていない領域でした。

 

この研究では、大学のオフィスを模した部屋に、二つの壁面環境が用意されました。

ひとつは複数の植物を組み込んだリビングウォール、もうひとつは同じ形状の棚に日用品を並べた非自然的な壁です。

参加者41名は、実空間またはVR空間に分かれ、安静→課題→壁面観察→課題という流れを体験しました。

課題は作業記憶の「逆唱数字スパン」で、遂行中の心拍変動(%HF)から副交感神経の働きを解析し、自律神経の状態を評価しています。

同時に、環境の印象や感情状態もアンケートで測定しました。

 

棚の前では、課題中に%HFが下がり、自律神経がストレス側に振れやすい反応が明瞭でした。

これに対し、リビングウォールの前では、同じ課題でも%HFが高く保たれ、身体は落ち着いた自律状態を維持していました。

また、壁面を5分間眺める時間にも差があり、リビングウォールでは課題後の緊張がゆるみ、次の課題へ向けて自律神経が整っていきました。

一方、棚の環境ではこの変化が乏しく、セッション終盤でも緊張が続いていました。

こうした傾向は実空間でもVR空間でも共通で、植物の視覚刺激が生理反応に影響を与えることが確認されています。

 

この効果の背景には、進化的に獲得された“安全シグナル”の働きがあります。

葉の質感や揺らぎは、人間にとって「危険の少ない環境」の象徴として処理されやすく、その情報が交感神経の急激な立ち上がりを抑えます。

認知負荷のかかる作業中であっても、副交感神経が一定の活動を保つことで身体は過度な緊張に傾きにくくなります。

この自律神経の調整が、リビングウォール前で見られた安定性につながったと考えられます。

感情面では、実際の植物を前にしたときのみ前向きな感情が高まり、VRでは同じ効果が得られませんでした。

質感や距離感のリアリティが影響している可能性があります。

一方で、室内の印象評価では、植物のある環境が「心地よい」「空気が新鮮」「明るい」と捉えられ、棚の環境は「不快」「こもった感じ」と判断されており、緑が空間の知覚全体を左右することが明確でした。

 

本研究には、データ欠損、外的環境の影響、セッション順序の影響といった限界があります。

また、観察されたのは短時間の効果であり、長時間の作業に対して同様の変化が続くかは今後の検討が必要です。

それでも、壁面に設置できる程度の小さな自然が、負荷のかかる作業中の自律神経を守る可能性を示した点は重要です。

 

映画のオキシジェン・ガーデンがそうであったように、現実のオフィスや学校、病院でも、植物の存在は人の緊張をふっとほどき、内側のリズムを取り戻します。

人工物が支配する空間に、どれだけ自然の色を織り込めるか―その工夫が、そこで長く過ごす人々の心身に明確な差を生み出していきます。

 

参考文献:

Serra H, Zavattaro C, Eid M, et al. Biophilic interventions in real and virtual environments reduce stress during cognitively demanding tasks. Sci Rep. 2025;15(1):39642. Published 2025 Nov 12. doi:10.1038/s41598-025-23224-3

 

 

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。

 

YouTubeもあります。