映画『アメリカン・ビューティー』(1999)には、夫婦の経済的な力関係の均衡がきしみ始める瞬間が描かれています。
仕事に押しつぶされかけたレスターは、成功を積み上げる妻キャロリンの姿を前に、自らの価値が目に見えてしぼんでいく感覚に苛まれます。
その劣等感と無力感の行き場を求めたとき、彼が選んだのは“身体を作り直す”という道でした。
肉体的な魅力を高めることで、夫としての存在感や自己効力感を取り戻し、揺らぎ始めた夫婦内のバランスを埋め合わせようとする。
外見、役割、収入がそれぞれ違うテンポで動き出すなか、水面下で再編されていく夫婦の均衡が画面に浮かびます。
今回紹介する研究は、この“見えない均衡の調整”が現実の夫婦の身体にどう刻まれているかを検証したものです。
これまで、魅力と地位の交換は結婚の入り口で成立する一定の現象として語られてきました。
しかし、結婚生活の時間が進むにつれ、その交換は違う姿へと変わるのではないか。
相対収入が変わるたび、夫婦の体型や行動がわずかに調整される可能性があります。
本研究は、その動きを20年分の縦断データから明らかにしています。
対象となったのは、1999〜2019年のPSIDに登録された共働き異性愛カップル3744組で、延べ1万超の観測が得られています。
収入は絶対額に加えて相対収入(世帯収入に占めるシェア)として再構成され、BMI、過体重・肥満の状態、身体活動頻度と結びつけて分析されています。
固定効果と相関ランダム効果モデルを組み合わせることで、時間の中で変化する夫婦の“相互調整”が丁寧に抽出されています。
結婚の入口では、静的な beauty–status exchange がそのまま現れていました。
夫の相対収入が高いほど妻のBMIが低く、経済力と外見が補完し合う構図が続いています。
一方で夫のBMIには同じ関係がみられず、静的な交換は性別に偏りを残したままでした。
しかし、結婚後の年月ではこの非対称性が解けていきます。
どちらかの相対収入が上昇すると、もう一方のBMIが低下するという対称的な変化が示され、夫婦は性別に関係なく相手の変化に応じて身体を調整していました。
この動きは身体活動頻度とも重なり、収入シェアが変わるとパートナーの運動量が変化する傾向が観察されています。
相手の成功や負担を受け止め、日常行動の基盤がわずかに作り替えられている姿が浮かびます。
ただし、全ての夫婦が同じ軌跡を描くわけではありません。
高学歴の妻では、相対収入の上昇とともにBMIが高くなる傾向があり、キャリアに投じる時間コストが体型維持に影響している可能性があります。
一方、高学歴の夫では、妻の収入シェア上昇に伴う肥満リスク低下が弱まったり反転することもあり、職業的アイデンティティが身体変化に組み込まれている層が示唆されます。
隔年データであるため細かな変化は捉えにくいものの、複数の指標を通じて傾向は揺らがず、相対収入と体型・行動の調整は一貫した流れとして浮かび上がります。
レスターが身体を作り直しながら自尊心と夫婦内の釣り合いを取り戻そうとしたように、現実の夫婦関係にも同じ調整が確かに流れています。
収入と身体という一見離れた要素がひとつの関係の中で呼応し、均衡を作り直していく。
そのわずかな軌跡は、身体という最も誠実な場所に淡く刻まれていました。
参考文献:
Syrda J. (A)symmetries in beauty-status exchange: Spousal relative income and partners’ BMI (at) during marriage. Econ Hum Biol. Published online October 30, 2025. doi:10.1016/j.ehb.2025.101543

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
