私が好きな、いわゆる“ペット・マジック”と呼ばれるものは、他の愛好家たちと同じく、扱いやすいクロースアップマジックです。カード、コイン、ロープ。
手のひらの中に小さな宇宙が宿る感覚がたまらない。
けれども、やはり憧れるのは、観客を丸ごと異世界へ連れ去るような「イリュージョン」です。
子どものころ、テレビで観たデビッド・カッパーフィールドが自由の女神を消す場面や、初代引田天功の大脱出シリーズに胸を高鳴らせた世代として、あのスケール感は常に憧れの的です。
今でも美浜のマジック・オーシャンを訪れると、あのときの血のざわめきが蘇ります。
今回は、こうした大掛かりなイリュージョンのルーツ、あるいはその歴史を形作ってきた人物の紹介をしましょう。
近代マジックの歴史上、「魔術の皇帝(Jadusamrat)」と称されたインドの伝説的なマジシャンがいました。
それが、プラトル・チャンドラ・ソーカ(P.C.ソーカ)です。
彼が登場する20世紀半ばまで、西洋世界における「インド奇術」のイメージは、路上で芸を披露する「蛇使い」や、半裸の「ファキール(行者)」といった、どこか原始的で未開なものでした。
P.C.ソーカは、この植民地主義的なステレオタイプを断固として拒否します。
彼は1933年に数学の優等学位を取得した知性派でありながら、自身のキャリアを構築する上で「7世代続く魔術師の家系」という神秘的な正当性を戦略的に打ち出しました。
彼の狙いは、貧しい行者とは正反対の、豪華絢爛なターバンと王室のローブをまとった「魔術のマハラジャ(Maharajah of Magic)」というペルソナを確立し、「Indrajal(インドの魔術)」と名付けた壮大な舞台芸術(シアター)として世界に提示することでした。
彼の名を世界に轟かせたのが、1956年にイギリスBBCの生放送番組『パノラマ』で起きた「事件」です。
彼は、アシスタントの女性を電動ノコギリで切断するイリュージョンを披露しました。
しかし、まさにそのクライマックス、切断されたアシスタントを元に戻す前に、司会者が「番組は時間切れです」と告げ、放送は唐突に終了しました。
イギリス中のお茶の間は凍りつき、「生放送中に殺人が起きた」と信じた視聴者からの電話で、BBCの交換台は完全に麻痺状態に陥りました。
もちろん、これはすべて計算された演出。
間近に迫った彼のロンドン公演のチケットを完売させるための、天才的なパブリシティ戦略でした。
P.C.ソーカの真の功績は、トリックそのものよりも、この「文化的挑発」ともいえる広報戦略にあります。
彼は、西洋社会が抱く「東洋の神秘は、制御不能で危険かもしれない」という深層心理を逆手に取りました。
西洋の技術(電動ノコギリ)を積極的に採用しつつ、それにインドの伝統という「意味」を上書きして「売り返す」。
彼は単なる奇術師ではなく、インドという国のイメージそのものを、古いステレオタイプから「切り裂いて」みせた文化革命家だったのです。
彼のキャリアは、その始まりと終わりが「日本」であったという、不思議な縁で結ばれています。
1930年代、彼はインド独立運動の資金集めも兼ねて神戸の地でキャリアの第一歩を踏み出しました。
そして1971年1月6日、彼は日本ツアーの最中、北海道旭川市での公演を完璧に終えた直後、舞台袖で心臓発作により倒れ、57歳(資料により58歳とも)でその生涯を閉じました。
私が憧れるデビッド・カッパーフィールドや引田天功といったイリュージョニストたちの華やかな舞台。
その源流をたどると、P.C.ソーカのような先駆者たちが、単なる驚きだけでなく「国の誇り」を背負って戦ってきた歴史が見えてきます。
彼が旭川で倒れた時、ツアーに帯同していた息子のP.C.ソーカ・ジュニアは、父の衣装(ローブ)を受け継ぎ、即座にその舞台に立ち、残りの日本公演をすべてやり遂げたといいます。
そして今、その遺産は孫の第三世代へと引き継がれ、新たな物語を紡ぎ始めています。
「ショーは続けなければならない(The Show Must Go On)」。
彼が残した最大のイリュージョンは、時代を越えて輝き続ける“ソーカという物語”そのものなのかもしれません。

P.C.ソーカの演じるマジックがYouTubeにあがっていましたので、紹介しますね。1956年にBBCで生放送された演目と同じものだと思われます。
紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
