ウニは脳がないのではなく、脳だけを持っている

ウニは脳がないのではなく、脳だけを持っている

 

グレッグ・イーガンの長編『順列都市』では、人間の意識がデータとしてスキャンされ、コンピュータ上で「コピー」として生き続ける未来が描かれます。

そこでは、私たちの「自己」や「意識」は、頭蓋の中の脳という器官にすべてが収められている―そんな前提の上に物語が成立しています。

しかし、もし脳と身体の境界があいまいで、全身が「脳」のような働きをしていたらどうでしょう。

情報を転写するには、頭だけでなく全身をスキャンしなければならない。

そんな発想を、実際の生物が現実に体現しているのです。

それがウニです。

彼らには、私たちが知る意味での「脳」は見当たりません。

けれども最新の研究は、ウニが「脳を欠く」のではなく、「全身が脳のようにできている」ことを示しました。

 

イタリア、ドイツ、フランスの研究チームは、地中海ウニ(Paracentrotus lividus)の幼体を対象に、単一核RNA解析という最先端の手法で細胞ごとの遺伝子発現を調べました。

変態を終えた2週間後の個体から25,000個の細胞核を解析したところ、48種類の細胞群が見つかり、そのうち29種類が神経系に属していました。

つまり、体の大部分が神経ネットワークで占められていたのです。

 

神経の多様性も圧倒的でした。

セロトニン、ドーパミン、アセチルコリンといった主要な神経伝達物質を使う細胞が混在し、なかには2種類を同時に使うニューロンまで存在しました。

さらに、光を感じる受容細胞(フォトレセプター)が体表に分散しており、15種類のタイプが確認されました。

その一部はメラノプシンとGoオプシンという光感受性タンパク質を併せ持ち、いわば「全身が目」であるかのように光を捉えています。

 

解析によって見えてきた遺伝子構成は、脊椎動物の中枢神経と驚くほど似通っていました。

頭部の形成に関わる遺伝子(nkx2.1, six3, pax6など)が体全体で発現しており、研究チームはこの状態を「オールブレイン(all-brain)」と呼びました。

ウニの五放射状の体は、五方向に延びた「頭」の集合体とも言えます。

 

この発見は、「脳とは何か」という問いを根底から揺さぶります。

私たちは進化の過程で、知覚や思考を一点に集める「集中型」の設計を選びました。

しかしウニは、知覚と判断を体全体に分散させる「分散型」の知性を選んだのです。

 

今回の研究は、変態直後の幼体を対象としており、成熟したウニの神経活動や行動との関係は今後の課題として残ります。

それでも、岩の上で静かに生きる棘の生き物が、全身で世界を感じ取り、光を読み、判断しているとすれば―それは、私たちが閉じ込めた「脳」という檻の外に、もうひとつの意識のかたちがあることを示しているのかもしれません。

 

参考文献:

Paganos P, Ullrich-Lüter J, Almazán A, et al. Single-nucleus profiling highlights the all-brain echinoderm nervous system. Sci Adv. 2025;11(45):eadx7753. doi:10.1126/sciadv.adx7753

 

 

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。