ランニングをしていると、自分の足音はもちろんですが、後ろから近づいてくる他のランナーの足音もよく聞こえるものです。
ランニング中は安全のために耳を塞がない骨伝導イヤホンを愛用していますが、注意を払っているのを差し引いても、物音や気配に敏感に反応しているのを感じます。
「止まっている時と動いている時で、音の捉え方が違うのでは?」―実はその直感は、科学的にも正しいようなのです。
これまでの脳研究は、静止した状態での測定が主流でした。しかし近年、携帯型脳波計(モバイルEEG)の登場によって、動きながらの脳活動を計測できるようになりました。
ドイツと中国の研究チームは、この技術を用いて「歩くことが聴覚にどんな影響を及ぼすか」を調べました。
研究では30名の参加者が、左右の耳にわずかに異なるリズムの音(左耳39Hz・右耳41Hz)を聴きながら、「静止」「その場足踏み」「8の字歩行」の3条件で脳波を記録しました。
音のリズムに脳が同調するときに生じる信号を「聴性定常反応(ASSR)」と呼びます。
その結果、歩行中の脳では次の変化が見られました。
* 聴覚の同調反応(ASSR)が最も強くなり、脳がより積極的に音を取り込んでいた。
* 同時に、視覚処理に関わる後頭部のアルファ波が低下しており、抑制が解けて感覚が開かれていた。
さらに、歩行の「曲がる動作」に注目すると、脳の聴覚処理は方向に応じて切り替わっていました。
左に曲がる前には左耳からの音への反応が強まり、曲がり終えるころには右耳が優位になる―つまり、脳は歩行の軌道に合わせて聴覚の焦点を移動させていたのです。
これは、脳が「これから進む方向」を予測し、安全に進むために聴覚のスポットライトを動かしていることを意味します。
しかも実験ではイヤホンを使用していたため、実際の音環境は変わっていません。
つまり、脳自らが「先読み」で注意の向きを変えていたのです。
私が走っていて物音に敏感になるのも、脳が“前へ進む”という目的にあわせて周囲の情報を調整しているからかもしれません。
こうした能動的感覚(アクティブ・センシング)の理解は、将来の歩行支援やナビゲーション技術にも応用できるでしょう。
歩くという何気ない行為の中で、私たちの脳は常に世界を先読みしながら聴いている―そう考えると、町の散歩も楽しめそうですね。
参考文献:
Chen X, Cao L, Wieske RE, Prada J, Gramann K, Haendel BF. Walking modulates active auditory sensing. J Neurosci. Published online September 29, 2025. doi:10.1523/JNEUROSCI.0489-25.2025

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
