休日の朝、二度寝をした末にようやく起きだしても、「今日は何もしない」と休眠モードを決めつける。
ところが、ずっと望んでいた贅沢な時間のはずなのに、太陽が沈み一日が終わるころには、胸の奥には空しさが残ります。
子どもの頃、怠けすぎて夏休みの宿題を残してしまった、後悔の名残が沁みついているかのような感覚です。
一方で、同じ休日でも汗を流しながらジョギングをしたり、読書やパズルに夢中になったりすると、日暮れには「今日はいい日だった」としみじみと感じます。
楽な方が楽しいはずなのに、少し汗をかくような活動の方が記憶に刻まれる。
こうした逆説を検証した研究が報告されています。
カナダと米国の研究チームは、延べ2569人を対象に「余暇活動の努力と意味の関係」を調べました。
まず1145人の学生に日常の活動を評価してもらったところ、努力の大きい活動ほど「意味がある」と受け止められる傾向がありました。
一方で楽しさはやや下がり、努力は「快適さはないが意義を生む」という二面性を持つことが示されました。
こうした結果は、私たちの日常感覚とも重なります。
続く実験では、数字パズルの「数独」を解くグループと動物の面白い動画を観るグループを比較しました。
数独に取り組んだ人は明らかに「より意味がある」と感じており、ときには楽しさも動画を上回りました。
さらに400人を対象にした第3の実験では、同じ「画面上の作業」でも、単純にクリックを繰り返すより数独を解く方がはるかに「充実した体験」と報告されています。
単なる退屈な作業と、頭を使う挑戦との違いが浮き彫りになりました。
さらに260人を対象に、日常生活の活動をリアルタイムで記録した調査では、努力を伴う余暇は「意味」と「楽しさ」を同時に高めることが確認されました。
難しいボードゲームに唸ったり、週末のボランティアに汗を流したり、市民マラソンに向けて走り込んだり。
こうした「あえて疲れる」活動は、その場の快楽だけでなく、持続的な幸福感、つまり生きがいのようなものを育むのかもしれません。
ただし努力が過ぎれば疲労や挫折を招き、意味が減ってしまう可能性もあります。
それでも「ほどよく挑戦的な余暇」が人生の目的感を支えることは確かです。
これから先、AIの普及などで労働時間は少しずつ変化していくでしょう。
増えていく余暇をどう過ごすのか。
ただ休むだけではなく、あえて何かに打ち込んでみる。
その少し骨の折れる時間こそが、生きがいをもたらしてくれるかも知れません。
参考文献:
Campbell AV, Depow GJ, Agarwal S, Inzlicht M. Effortful leisure is a source of meaning in everyday life. Commun Psychol. 2025;3(1):112. Published 2025 Jul 24. doi:10.1038/s44271-025-00292-9

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
