私が研修医なりたての頃に習った心肺蘇生法は、今とは少し違いました。当時は「心臓マッサージ30回、人工呼吸2回」が黄金律として教えられていました。
しかし現在は、「とにかく胸を押せ。人工呼吸は無理にしなくていい」という考え方が主流です。
これは、2007年の研究で胸骨圧迫だけでも人工呼吸を併用した場合と救命率に差がないと示されたためです。
その手軽さと実践のしやすさから、2010年以降この方法が広く普及してきました。
ところが、社会の状況が変わると、最善とされる救命方法も変わります。
近年アメリカやカナダでは、オピオイド(フェンタニルなどの強力な鎮痛薬)の過剰摂取による心停止が増加しています。
実際、2000年代初頭には薬物による心停止は全体の1~2%でしたが、2015年以降は約10%にまで増えました。
オピオイドによる心停止は、突然心臓が止まるというより、まず呼吸が止まり、その結果として心臓停止に至ることが特徴です。
この場合、胸骨圧迫だけでは不十分な可能性があります。
最近カナダで行われた研究は、この問題に重要なヒントを与えています。
この研究では、オピオイドが原因の心停止1,357件と、原因が特定されない一般的な心停止9,566件を比較しました。
その結果、一般的な心停止では、胸骨圧迫だけでも十分に有効で、人工呼吸を追加しても結果は劇的に改善しませんでした。
しかしオピオイドによる心停止では、胸骨圧迫だけの場合、神経学的な後遺症を防ぐことはできませんでした。
一方で、人工呼吸を加えると、後遺症なく社会復帰できる確率が約2.85倍も高まったのです。
ただし、この研究にも注意すべき限界があります。
そもそも人工呼吸を行った人というのは救命処置に熟練していた可能性があり、救急薬(ナロキソン:オピオイドの作用を打ち消す薬)を携帯していた可能性も否定できません。
また現場でオピオイドが原因と即座に判断するのは容易ではありません。
いずれにしても、この結果が示すことは明らかです。
「すべての心停止に胸骨圧迫だけで対応できる」という考え方を見直し、原因に応じた蘇生法の時代が来ているのかもしれません。
溺れた人には人工呼吸を優先するように、心停止の原因を見極める力が、今後の救命活動の鍵となるでしょう。
参考文献:
Okada Y, Neumar RW. Ventilatory Support for Cardiac Arrest-One Size May Not Fit All. JAMA Netw Open. 2025;8(6):e2516348. Published 2025 Jun 2. doi:10.1001/jamanetworkopen.2025.16348

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
