音楽を聴いているとき、私たちは本当に「音」だけを聴いているのでしょうか。
通勤の車内で流れていた曲が、いつの間にか昔の帰り道を呼び戻していたり、作業用にかけたはずのBGMが、気づけば仕事とは無関係な空想に火をつけていたりすることがあります。
耳に届いているのは同じ音のはずなのに、頭の中で起きていることは人によって、場面によって、大きく違います。
こうした体験は、気分の問題として片づけられがちです。
明るい曲だから前向きになった、落ち着いた曲だから集中できた。
けれど実感としては、それだけでは足りません。
音楽は感情を動かす以前に、考えが向かう方向そのものを、さりげなく変えているように感じられます。
この感覚を、研究者たちはかなり細かく分けて捉えました。
音楽を聴いている最中に浮かぶものを、「自分の人生の記憶」「映画やゲームなどの場面」「頭の中で作られた物語」「色や形のような抽象的なイメージ」「音楽そのものへの注意」「日常の雑念」「特に何も浮かばない」といった種類に分けて整理したのです。
ここで重要なのは、良い悪いを決めることではありません。
ただ、何が起きているかを正確に並べることに意味がありました。
実験では、短い音楽を聴いた直後に、どの種類の思考が生じたかをその都度答えてもらっています。
音楽のジャンルは17種類。
映画でよく使われる音楽、クラシック、ポップス、ヘヴィな音楽、ゲーム音楽などが含まれていました。
曲の長さは30秒ほどで、長い没入は起こりにくい条件です。
それでも、多くの人に何らかの思考が生じていました。
完全に「何も浮かばない」状態は少数派で、音楽はほぼ確実に、頭のどこかを動かします。
もっとも多かったのは、音楽そのものへの注意です。
次に、映画やゲームの場面、架空の物語、自分の記憶が続きました。
いわゆる生活の雑念は、意外なほど前に出てきません。
ここでジャンルが効いてきます。
映画音楽を聴いているとき、人の思考は自分の生活から離れやすく、スクリーンの向こう側へと向かいます。
見たことのある場面だけでなく、見たことのない場面まで含めた「物語」が立ち上がります。
一方、ゲーム音楽では、日常の雑念が入り込みにくくなります。
プレイしていなくても、頭は「今」に張りつくようです。
さらに、曲そのものの性質よりも、その人との関係が強く影響していました。
聴き慣れた曲ほど、自分の記憶が呼び出されやすくなります。
楽しめた曲では、物語や記憶が増え、逆に雑念は減ります。
音の変化が多い曲では、考えが逸れにくくなり、エネルギー感が強い曲では、かえって日常の思いつきが増えることもありました。
これらを並べてみると、音楽は気分を整える背景音ではなく、思考の進路を切り替える装置に近い存在として見えてきます。
注意をどこに置くか、どの記憶の引き出しが開くかを、本人が気づかない速度で決めている。
音楽は、頭の中にあるカーソルを、そっと別の場所へ動かしているようです。
もちろん、この研究にも限界があります。
思考は本人の申告に頼っており、無意識の動きまでは拾えません。
30秒という短さでは、時間をかけて育つ感情や回想は切り落とされます。
文化が変われば、同じ音楽でも意味は変わるでしょう。
それでも一つだけ、確かなことがあります。
私たちは音楽を「選んでいる」つもりで、実はその先の思考の行き先まで含めて選んでいるのかもしれない、ということです。
次に再生ボタンを押すとき、流れ出すのは音ですが、そのあと、頭の中で何が動き出すのかは、もう決まっているのかもしれません。
参考文献:
van der Walle, H. A., Wu, W., Margulis, E. H., & Jakubowski, K. (2025). Thoughtscapes in music: An examination of thought types occurring during music listening across 17 genres. Psychology of Music, 0(0). https://doi.org/10.1177/03057356251346654

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
