不機嫌なオジサンは、その場の空気を重く沈めてしまいます。
私の経験では、オジサンは普通に黙っているだけで仏頂面になるらしく、不機嫌だと思われて気を遣われていることがあります。そして、当人はそれを気づかないことも多いのです。
しかも、現代はホワイト社会とも呼ばれる優しい社会ですから、世の中の人々は機嫌の悪そうな人に甘い対応をしがちです。
オジサンとしては、それはそれで居心地もいいので、ますます「そのままでいい」と勘違いしてしまうのです。
不機嫌なのは、反抗期の子ども達だけで十分です。彼らの場合は、成長の過程で自分ではどうしようもないアンバランスの世界に生きていますから、やがて落ち着いていくものでしょう。
ですが、オジサンはそうはいきません。自分の感情コントロールは自分でしなければなりません。
茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩は、自分自身を叱咤する青春の詩ですが、(私を含めて)オジサンたちへのメッセージだと捉えることもできます。むしろ、そうすべきです。
自戒をこめて、不機嫌な人が周りにどう影響を与えるのか、余計な「こわばり」をまき散らしていないか、想像力を働かせないといけません。
自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
