感染症予防の基本

 

ここ最近の傾向として、インフルエンザ抗原検査(通称インフルチェック)をしても、ほとんどの方が陰性になります。

発熱の症状を訴えると、職場から「インフルエンザでないかどうかはチェックしてきて」と要請されて受診される方が多く、陰性であることを確認すると、皆一様にほっとした表情になります。

これは県全体の傾向であるようです。

県の全保健所管内の報告数も基準値を下回っていますから、発熱=インフルエンザとしてきた冬の期間とは、様相が変わってきています。

よっぽどのことがない限り、強く疑う要因はないと言えます。

このブログで何度も言っていますが、インフルエンザに限らず、感染症に関しては手洗いが基本です。

大人が率先して、声をかけあって手洗いをしていきましょう。

 

 

家族写真

 

普段は各地にちらばっている私の家族が、この3月に久しぶりにそろいました。

なかなか全員そろうということがなく、いつも順繰りに誰か一人が欠けていたのです。

珍しく全員がそろった、その隙をついて(!)家族写真を撮りました。

写真館で本格的に撮るのも良いのですが、さすがにそういう時間まではなかったので、三脚を立てての撮影です。

調べてみると、約8年ぶりの集合写真でした。

スマホの普及で、気軽に誰もが写真を撮れる時代になったのですが、家族一人ひとりの写真はあっても、却って撮らなくなったような気がします。

改めて見ると、いい写真だと思いました。

家族写真、おすすめです。

 

 

 

天候の変化

 

建物の中にいると、外の天候がどうなっているのかというのはさっぱりわかりませんね。

時々、私も診察室から、外来の待合室に顔をのぞかせるのですが、患者さんを中に招き入れてはすぐにひっこむので、あまり外に視線が向くということがありません。

「先生、すごい大雨ですよ。」

そういう私の事情を知っているスタッフが声をかけてくれました。

「え?そうなの?」

院長室で確認すると、部屋には窓があるのに、昼間とは思えないほど真っ暗です。

地面を打ち付ける雨音が、結構な雨量を物語っていました。

いきなりの大雨には、さすがにうろたえてしまいます。

外で仕事をせざるを得ない方も、雨の準備をしないまま濡れてしまったかも知れませんね。

最近は、急に冷えたり、雨に降られてしまったり。

3月も1週間を切って、年度末の多忙さが加わります。

体調を崩してしまいかねない状況が続きますが、なんとか管理して、元気に乗り切ることができますように。

 

 

 

時代のさかい目

 

今、まさに「平成」という元号が終わりを告げようとしています。

派手な演出を加えるつもりもなく、日常での何気ない会話でも(例えば2ヶ月先に予約をとる患者さんたちと)「平成最後ですね。次からは『新元号』ですね。」と会話するようになっています。

「平成」が終わるということは、私達の想像以上に「時代が変化する」ということなんじゃないかと思うようになってきました。

昭和に生まれ、平成で晩成し、ご活躍されてきた大先輩たちの訃報に触れるにつれ、なんだか時代の区切りに間に合わせようと、旅立ちを急いでいるようにしか思えなかったものです。

金曜日には、朝から、イチロー選手の引退会見の様子がテレビで四六時中流れていました。

イチロー選手も平成の時代の象徴として、語り継がれていくのでしょう。

人間の一生は、ぼやっとしていると、あっという間にすべてを過去に置き去りにしていくかのようです。

良いことも悪いことも、時間の流れは容赦がありません。

平成が終わろうとしている「今」しかできないこと、「今」しか感じられないことを、胸に刻んでおきたいと思います。

 

 

かなわない

 

誰にとっても親というのは、本人でさえ忘れていた、幼い頃の「出来事」や「発言」をかなり細かく覚えていたりするものですね。

本人が忘れていたというのは、半分違っていて、「忘れたかった」の方があっているかもしれません。

わかりやすく言えば、幼い頃にしでかしてしまった、恥ずかしい失敗のことです。

それをふいに人前で披露したりします。(なんの打ち合わせもなく!唐突に!)

親としては、もう時効だろうと思っての暴露なんでしょうが、当の本人にしてみれば、それを自分のお墓の中までひっそりと持っていくぐらいに思っていますから、かなり恥ずかしい。

観衆の反応が良く、お話が盛り上がったとみるや、次から次へとほかの失敗談も披露しますから、降参するしかありません。

そんな私をみて、とても嬉しそうな笑顔を向けてきます。

これも親孝行になるのかなあ、喜んでくれるのならと、トホホです(笑)。

 

 

 

「音楽教室に行こう」という本

 

昨日は、夕方の早い時間に体が空いたので、ぶらりとジュンク堂書店に寄ってみました。

 

最近はもっぱら「文芸」「芸術」「実用」の書棚のある地下1階に直行するようになっています。

 

「実用」にはランニング関係の本が並んでいますし、「芸術」には絵画や落語関係の書籍などもあって楽しいのです。

 

足取りも軽くエスカレーターから降り立ったら、すぐそこに平積みの本が目立つテーブルがありました。

 

レイアウトを察するに、店員さんがイベント的に用意した台のようです。

 

こちら側には、ギターや管楽器のミニチュアのフィギュアがありました。

 

その並びに、あちら側に並んでいたのが、印象的な表紙の、この本です。

 

 

 人生100年時代“最強の習い事” そうだ! 音楽教室に行こう 大内孝夫著

 

 

かつて、私は金哲彦さんの「ウォーキングから始める 50歳からのフルマラソン」という本に出会ってランニングを始めたという経験を持った人間です。

 

この本にも、それと似たようなオーラを感じたのかも知れません。

 

なぜかとても気になって、しずしずと手に取って、そのまま購入してしまいました(笑)。

 

 

内容紹介には、こんなふうにあります。

 

(ここから)

人生100年時代――音楽教室通いは、健康にも、脳にも、ビジネスにも役立つ“最強の習い事”だ!

独自の進化をとげ「音楽教室3.0」時代を迎えた日本では、老若男女、音楽を習う目的も習い方も人それぞれ。「働き方改革」による余暇利用のビジネスマンや子育てが一段落ついた主婦はもちろん、ボケ防止、婚活、コンクールや音大進学狙いまで、目的は多種多様。月1通いもいれば週8回通いも。40、50代なんて当たり前、70代後半で歌とピアノを習い始めた男性、80代の女性ドラマー、90代のソプラノまでいる!

人それぞれの目的、習い方、思わぬ効果や当世音楽教室事情をまとめるとともに、初心者向けには教室の選び方も解説。

本邦初! 大人のための音楽教室ガイド登場。

(ここまで)

 

音楽がアンチエイジングに良いというのは、よくわかります。

 

この本を読んで、さらに影響を受けそうな予感(笑)。

 

 

メンタルを強くすること

 

「メンタルが強い」というのは、具体的にはどんなことを言うのだろうと以前から考えていました。

傍から見ても窮地に陥っている状況なのに、冷静沈着で、リラックスしていて、それでいてベストを尽くせること?

つまり、その人を取り巻く環境はキビシイけれど、その人は自信とエネルギーに満ちていて、余計な心配を口にしないこと?

緊張しやすい人は「メンタルが強い」とは言わないですね。

うろたえたり、慌てている人も「強い」という感じではありません。

けれども、だからといって、我が強い人や自信過剰な人は、全員が「メンタルが強い」という印象もありません。

そういう人たちを見ていると、自慢したり我を押し通そうとしている姿に、哀れでかわいそうに見えることがあります。

私が考える「メンタルが強い」と言うのは、強く大きな愛情で包まれたことのある人が、その力を発揮するのではないかと思い当たりました。

かつて無条件の愛情を受け、自分も自分に対して愛情を注げる人。

ピンチに陥った時に、自分に愛情を注いでくれた、自分以外の近しい人の顔を思い起こすことができる人。

それは家族かも知れませんし、親友かも知れません。それこそ、愛犬や愛猫かも知れません。

無条件に信じてもらえている、とにかく信じている、ということが、メンタルを強くするということなんだろうと思います。

 

 

 

「の」の字の哲学

 

「の」の字の哲学というものがあるということを、初めて知りました。

渡辺和子さんの著書「幸せはあなたの心が決める」の「人間関係の秘訣」の章にあったものです。

 

こんな紹介でした。

「たとえば、夫が会社から戻ってきて、『ああ今日は疲れた』と言った時に、知らん顔して、その言葉を聞き流したり、『私だって、一日結構忙しかったのよ』と自己主張したのでは、二人の間はうまくゆきません。

 その時に、『ああそう、疲れた』と、相手の気持ちをそのまま受け入れてあげることがたいせつなのです。」

 

私も、それと似たような経験を聞いたことがあります。

悩みを相談されたと思って、自分なりに知恵を絞って解決策を披露したら、「そんなことを聞きたいんじゃない!」と不機嫌な顔をされたとか。

その反対に、外来で、かなり重くつらい経験をされた患者さんに対して、かける言葉も思いつかなくて、ただただうなずいて聞くことしかできなかった時に、「先生、話を聞いてくれてありがとう」と感謝されたり。

なんの糸口も提言できなかったのにもかかわらず。

 

温かい心で共感すること。

それが「の」の字の哲学なのですね。

 

 

 

 

そこにあることを楽しむ

 

漫画家の弘兼憲史さんがこんなことをおっしゃっていました。

 

「楽しいことを探すから見つからない。そこにあることを楽しむ。この逆転の発想が、人生のコツ。」

 

楽しく生きよう!という呼びかけに、「楽しいことがないのに」と反論してくる方たちへのメッセージですね。

 

楽しいことがないから楽しめない、ではなくて、そこにあること、することを楽しみましょうということです。

 

確かに、私の周りにはいつもニコニコしていて楽しそうにしている人が何人もいます。

 

もちろん生活するということは、いろいろと面倒くさいこともあるでしょうし、つらいことや難儀なこともあるのが普通です。

 

生活そのものを暗一色で塗りつぶさずに、生活すること自体を楽しんでいます。

 

そういう人たちの特徴は、とにかく笑っています。

 

だから、私もそういう人たちとお話をするのが、大好きなのです。

 

 

 

 

望めば身近であること

 

高校生、大学生の時に、ちょっと背伸びをして聞きかじっていたジャズに、最近再びはまっています。

「Kam’s House」「PINO’S PLACE」「寓話」など、那覇のいくつかのライブハウスに顔をのぞかせては(本人なりに)かっこつけて聞くのが好きでした。

学生の身分ですから常連さんになりようもなく、学業の合間に癒やしを求めて聴きに行く程度です。

もちろん、玄人が好むようなジャズの聞き方など知りようもなく、「かっこいい」と思う感性だけを頼りに聞いていました。

今の世の中がすごいのは、Apple MusicやAmazonのPrime Musicなど、月々の料金を支払えば(リストにあれば)聴き放題できるプランが存在することですね。

例えば、昔は「ジョン・スコフィールドのギターが聴きたい」と思っても、レコード店に行くか、(したことはありませんが)ジャズを流しているラジオにリクエストするしかなかったのですが、今はネットにつないで検索すれば、その場で聴くことができます。

さらにはYouTubeで、演奏している姿を動画で見ることもできます。

私などが言うのもおこがましいのですが、これはとても画期的なことですね。

音楽の世界に限らず、一流の人の実演を身近に見たり聞いたりすることができるというのは、言葉にできないほど幸福なことです。

そういう過渡期の時代に、生まれてきてよかったと思います。

望んでも手に入らなかった時代と、望めば身近にすることができる時代を、両方経験することができたのは、幸運です。