趣味を持ちたい

 

左足の小指をケガしたというのを言い訳にして、実は「月間100Kmラン」が、先の1月で途絶えてしまっていました。

 

2年前の2017年10月から、NAHAマラソンに参加しようと思って始めたジョギングだったのですが、いつしか「1か月に100Kmを走破する!」というのが私の密かな目標になっていて、達成することでささやかな喜びを感じていたのでした。

 

連続記録は途絶えてしまいましたが、16か月間は続けたことになります。

 

ふくらはぎを傷めた時も、痛くないフォームを模索しながら、スロージョギングで距離をかせいで、なんとか記録を更新させていました。

 

大きな筋肉などの痛みは、骨盤や大転子を意識したり、体幹の動きをチェックすることで走ることができたのですが、小指はダメでした。

 

例えて言うなら、シューズの中に小石が入ったら気になってまともに走れなくなる…。

 

あれと同じ感覚?

 

いや、それよりも、いい歳をしたおとなの男性が、ほんの足の親指だけの痛風で、一歩も動けなくなる…。(経験したことがある方はわかりますよね?)

 

そう、この例えの方がぴったりですね。

 

親指と小指の違いはありますが、痛みをかばってぴょこんぴょこんとバランスの悪い走りになってしまって、まったくダメでした。

 

「これは天が私に休めと言っているに違いない」

 

そう勝手にポジティブ解釈して、記録をあきらめることにしました。

 

それと同時に、走ること以外の趣味を見つけなきゃと思いました。

 

これから10年、20年と続けられる趣味のことです。

 

シシィの父親マックスが「人生は短すぎて退屈しているひまなどない」と言ったように、趣味の源泉は好奇心だと思います。

 

どんな時でも、好奇心を持った大人であるために。

 

 

 

沖縄県のインフルエンザ流行状況(2019年第10週)

 

先週、ようやく沖縄県全体の「インフルエンザ警報」の解除の発表がされました。

ただし、那覇市と南部保健所管内では解除レベルに達していませんでしたので、地域によっては引き続き警報が発令中でした。

今週、3月13日付の「インフルエンザ流行状況」では、定点あたりの報告数がさらに減少している状況です。

 

 

そして、これは良い知らせですね。沖縄県の全保健所管内で警報解除レベルに達し、すべての地域で警報が解除されています。

 

 

事実、外来で発熱患者さんたちにインフルエンザ抗原検査を行っても、今週はほとんど陰性になることが多いです。

インフルエンザよりも、むしろ胃腸炎症状をひきおこすウイルス性感染症が流行している印象です。

「こまめに手洗い」は、どんなときでも基本になってきます。

声をかけあって、手洗いをしていきましょう。

 

 

処世(?)の方法

 

例によって夏目漱石のほとんどの作品は青空文庫で読むことができます。

作品の出だしの文章は、リズム感の良さや作品全体にかかる期待感など、どれも印象的で、いつの間にか諳んじてしまうほどです。

有名どころでは「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」(吾輩は猫である)

「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。」(坊っちゃん)

「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。」(こころ)

そして、私の斜めを向いた性格にマッチしているのが、「草枕」の最初の3、4段落の文章です。

青空文庫はこちら ⇢ 「草枕」

「山路を登りながら、こう考えた。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」

 

「人生のあらゆる問題は、対人関係の問題である。」と言い切ったのは、確かアドラーでしたね。

外来でも「悩みがあって眠れない。」という方の「悩み」を聞かせていただくと、本質まで削ぎ落とせば人間関係にいきつくことがほとんどです。

けれども、だからと言って、人間は無人島で独りで長くは暮らしていけない「社会動物」です。社会とのつながりを本質的に求めて生きているものです。

悩みのモトなんだけれども、対人関係を簡単に捨て去ることができないのですね。(それができれば苦労しません。)

一時期、「鈍感力」という言葉も流行りました。

 

 世の中は 左様 しからば ごもっとも

  そうでござるか しかと存ぜぬ

 

苦手な人とのつき合いはこの川柳(?)のように流しておいて、とにかく最優先で自分の心と体を大事にすること。

「休むこと」ができなくて、練習が必要なように、自分をいたわることも練習が必要です。

自分の体に向けて微笑んでみてください。

それを基本姿勢にしたのが、私なりにアレンジした「マインドフルネス」です。

 

 

 

インフルエンザ警報が解除されました

 

先週の3月6日付の沖縄県のインフルエンザ流行状況で「インフルエンザ警報」が解除されました。

 

沖縄県全体の定点あたりの報告数が9.72人となって、解除レベルの10人を下回ったことによるものです。

 

 

沖縄県全体でみると「警報」解除となったものの、依然として那覇市と南部保健所管内で警報基準値を上回っていますから、まだまだ油断はならない状況であることは変わりはありません。

 

 

しかし、上のグラフでもわかるように、急速に流行がおさまっている印象があり、卒業・入学など人の出入りが激しくなってくる春に向けて、少しほっとしているところです。

 

 

 

最近の外来では、インフルエンザウイルスが原因ではない、悪寒・発熱、関節痛などの症状が出現する、いわゆるインフルエンザ様感冒が流行している印象があります。

 

「咳や鼻水もないし、体のフシブシが痛いのと発熱だけだから、てっきりインフルエンザだと思った」と言って受診してくる患者さんが多いのですが、インフルエンザ抗原検査では陰性で、もちろんインフルエンザ感染者との接触もありませんし、「インフルエンザ様感冒」としか言いようがないのです。

 

幸いに、罹病期間は短く、重症感もないのが救いです。

 

どちらにせよ、手洗いと咳エチケットは必要です。

 

流行がぶり返してしまわないように、予防を徹底していきましょう。

 

 

 

 

今日の日に思うこと

 

8年前の今日の日のことが、はっきりと思い起こされます。

 

私の家族にとっては、長女の中学の卒業式の日でした。

 

家族でお祝いを兼ねた昼の外食が済んで、車に乗り込み家路につこうかという時に、末の娘から電話がありました。

 

「テレビで大変なことになっている!」

 

車のテレビモニターをつけると、信じられない映像と情報が映し出されていました。

 

今思えばその映像はテレビカメラが設置された範囲の一部の光景でしかなく、その日から徐々に明らかにされてきた被害状況に、沖縄にいても常に胸を痛めることになりました。

 

8年経ちましたが、決して元にもどらない現実が、やはり胸を痛めます。

 

毎年「私に何ができるか」を自問しながら、今日の日に向かい合いたいと思っています。

 

 

 

第37回沖縄県人工透析研究会

 

今日は第37回沖縄県人工透析研究会が開催されます。

私がこの大会の会長をさせていただいたのが、まるで昨日のことのように鮮明なのですが、早いものでもう1年が経つのですね。

 

今回は、たいようのクリニック院長の宮平健先生が大会長を担ってくれます。

メインテーマは「糖尿病からの透析導入阻止を目指して」

宮平先生らしい熱くて直球の大会になるのではないかと期待しています。

 

 

興味深いのは「大会長企画シンポジウム」として、「災害時」の透析医療について取り上げていることです。

一般演題をみても、災害時マニュアルの見直しや、昨年の台風24号の際の長時間停電を経験した医療施設、あるいは支援する側にまわった医療施設の演題など、災害対策への関心が高まっていることを痛感しています。

今回の大会は透析施設間の連携を密にする重要なきっかけとなる大会となる気がします。

 

 

 

 

「プリズム」

 

貫井徳郎さんのミステリー「慟哭」「愚行録」と読んでみて、同じ作家の他の作品にも興味が湧いてきました。

食指が動く、というのでしょうね。

 

 プリズム 貫井徳郎著

 

この小説のあらすじはこうです。

***

小学校の女性教師が自宅で死体となって発見された。傍らには彼女の命を奪ったアンティーク時計が。事故の線も考えられたが、状況は殺人を物語っていた。ガラス切りを使って外された窓の鍵、睡眠薬が混入された箱詰めのチョコレート。彼女の同僚が容疑者として浮かび上がり、事件は容易に解決を迎えると思われたが…。

***

 

いやあ、この小説は、ミステリー作家としての作者が、本格ミステリー小説として、すごくチャレンジした作品なのだと思います。

(作者の意図は、あとがきですべて明かされます。)

 

すべての物語は結末にあらず。そのプロセスにこそ物語をものがたる意義がある。

私にとってはモヤモヤ感はなかったのですが、人によっては「え?なに?結論は?」と、今までの過程を全否定する方もいるかも知れません。

まさしく全編が推理する小説でした。

章ごとの主人公の視点で展開される推理が、この事件の全貌を徐々に明らかにしていきます。

その手法は「愚行録」で発揮されたマルチカメラ方式を彷彿とさせるもので、死角をつぶすことで、被害者の「真実」があぶり出されていきます。

「私(ぼく)(俺)}が、真犯人をつきとめようとする動機は、それぞれが被害者の女性との関わりが違っているのと同様に、やはりそれぞれが違っていて、もちろんアプローチも違い、推理の導線も違っています。

「挑戦的だなあ」と、まず作家の熱意に脱帽しました。

これからも貫井徳郎さんの作品を読んでみたいと思いました。

 

 

なまけもの

 

水木サンの幸福の七か条について、先日紹介しました。(出典:水木サンの幸福論)

 

幸福の七か条

第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。

第二条 しないではいられないことをし続けなさい。

第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。

第四条 好きの力を信じる。

第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。

第六条 なまけ者になりなさい。

第七条 目に見えない世界を信じる。

 

今日は、その「第六条 なまけ者になりなさい。」について。

水木サンは、こうおっしゃっています。

「自分の好きなことを自分のペースで進めていても、努力しなくちゃ食えん、というキビシイ現実があります。それに、努力しても結果はなかなか思い通りにはならない。だから、たまにはなまけないとやっていけないのが人間です。」

「ただし、若いときはなまけてはだめです!何度も言いますが、好きな道なんだから。でも、中年をすぎたら、愉快になまけるクセをつけるべきです。」

「死なない、病気にならない、働かなくてすむ―。水木サンはベビイのころから、こうした楽しい世界を心の中でずっといじくってきました。そうです、現実とはまったく逆の、なまけ者の世界です。人間として生まれた以上、一度は経験してみたい憧れの世界です。」

「ときどきなまけることは、生きていくうえで大切なことです。そして、仕事でも役立つのです。」

私は思わず「我が意を得たり!」と心の中で拍手喝采しました。

まさしく、これです。

「中年をすぎたら、愉快になまけるクセをつけるべき」

「愉快」というのが重要ですね。

なまけるというのは意外に練習が必要なものです。なにしろ、愉快にはっちゃけてしまわなくてはいけません。

人に迷惑をかけたり、命にかかわったり、健康を害してしまうことなどは言語道断です。

どんな道にも、その道のプロがいます。

私にとっての目標とすべき師は、ボーイスカウトのオヤジの会のメンバー、諸先輩方のみなさんです。

 

 

 

親の心理?

 

毎月恒例のこの時期の書類関係の業務のおともは、今回はBGMを「モーニング娘。’19」にしていました。

 

と言ってもデスクのそばにあるPCのモニターでYouTubeで流しているものですから、どうしても彼女たちのダンスに目を奪われてしまいます。

 

曲を流して、気持ちよく仕事…というわけにはいかず、いつの間にか手がとまってしまっていて、モニターにじっと見入ってしまっている…の連続でした(笑)。

 

(なんとまあ、効率の悪いこと!笑)

 

ハロヲタ…の域にはとても達していませんが、私は昔からモーニング娘。は大好きで、よく聞いてきました。

 

時々、無性に見たくなるので、少し中毒性もあるようです。

 

彼女たちのフォーメーションダンスを見ていると、感動的で元気をもらえる。

 

(元気をもらっても仕事がすすまなかったら意味がありませんね(笑))

 

自分たちの子どもの世代が頑張っている姿を見るのは、とてもうれしいものです。

 

応援したくなります。

 

 

 

 

水木サンの幸福の7カ条

 

 水木サンの幸福論 水木しげる著

 

この本の冒頭に収められた「幸福の七カ条」は、さすが水木サン!というような内容です。

 

 幸福の七カ条

第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。

第二条 しないではいられないことをし続けなさい。

第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。

第四条 好きの力を信じる。

第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。

第六条 怠け者になりなさい。

第七条 目に見えない世界を信じる。

 

 

どれも自分なりの解釈を述べたくなるような、ツッコミどころ満載の条項が並んでいます。

全部を語ると時間が足りなくなってしまうので1つだけ選ぶとすると、私は「第四条 好きの力を信じる」に惹かれました。

 

水木サンは「好き」にはパワーがあると言っています。

漫画家として、好きの力が強いから生き残れた。

好きな道で60年以上も奮闘して、ついに食いきったことが、幸福に違いないなのだと言いました。

 

子どもの頃、文字通り寝食を忘れて、好きなことに熱中したこと。

ああいうことが、今の年齢でもできたら、どんなに幸せかと思います。

きっと水木先生に「好きのパワーが足りてない」と一喝されてしまうのでしょうが。