笑われて、笑われて、つよくなる

 

青空文庫で太宰治の「HUMAN LOST」を読むことができます。

こちら ⇢ 「HUMAN LOST」

太宰治の有名な「笑われて、笑われて、つよくなる。」という一文の出典の作品です。

あらすじとしては、慢性バビナール中毒(麻薬系鎮痛薬の依存症)と診断された太宰治が、妻や井伏鱒二から説得され、なかば強制的に入院させられたのがいわゆる精神病院でした。麻薬中毒患者として錯乱としか言いようのない精神状態でつづられる日記(その形式をとった手記)は、意味がうまくとれない箇所も多く、それこそ「HUMAN LOST」の様相を呈しています。

この作品を読み解くのはなかなか難しいのですが、それでは「笑われて、笑われて、つよくなる。」という言葉はいったいどんな場面で出されたかというと、それは突然に、唐突なタイミングで出てきます。

11月10日の日記です。(その日の全文を転載しますね。)

 

*

十日。

 私が悪いのです。私こそ、すみません、を言えぬ男。私のアクが、そのまま素直に私へ又はねかえって来ただけのことです。

 よき師よ。

 よき兄よ。

 よき友よ。

 よき兄嫁よ。

 姉よ。

 妻よ。

 医師よ。

 亡父も照覧。

「うちへかえりたいのです。」

 柿一本の、生れ在所(ざいしょ)や、さだ九郎。

 笑われて、笑われて、つよくなる。

 

*

「笑われて、笑われて」とは、孤独を受け入れて、図太く生きる自分を再発見し、他者に依存しないで生きていく。

そこには、強制的に入院させられたと人間不信に陥った太宰治の、他者と自分との関わりの再構築がなされた、強い覚悟のようなものを感じます。

それよりも、私には「うちへかえりたいのです。」という言葉が特に印象に残りました。

 

 

 

仲良きこと

 

武者小路実篤さんの言葉です。

「仲良きことは美しかな」

何か事をなそうとすれば、同志の協力が必要です。

1人でできないこともないでしょうが、1人の人間ができることは時間と労力が必要で、成果も限られているかも知れません。

仲が良くて協力しあっていること。

そのために枠をはみ出して行動ができているか。

私などはすぐに拗ねたり捻くれたりしますから、同志を見つけて大きなことをやろうとすることが、あまり得意ではありません。

しかも巳年生まれなので(?)、結構執念深かったりします(笑)。

小学生低学年にも使うような優しい言葉ですが、とても重要で、けれどもとても難しいです。

「仲良きことは美しかな」

仲良くしようと思ったところで、できるものではありませんね。

言葉と行動が伴っていなければ。

 

 

 

「人生は短すぎて」

 

2月が28日で終わるとはいえ、あっという間に時間が過ぎていく感じがします。

「今年は、特に早い」という患者さん達も多く、私はその度に強く同意しています。

なぜなんでしょう?

もちろん、無駄に過ごしているわけではないと自分では思っているのですが、猛烈な勢いで時間が過ぎていくのを感じています。

最近、よく胸に浮かぶ言葉(セリフ)があります。

「人生は短すぎて退屈している暇などない」というものです。

これは宝塚ミュージカルの「エリザベート~愛と死の輪舞~」に登場してくるセリフです。

「エリザベート~愛と死の輪舞~」は宝塚の中でも私の大好きな演目のうちのひとつで、このセリフが登場するのはエリザベートがシシィと呼ばれている幼少期の頃、舞台の幕開けの後の最初の場面です。

*

「鳥のように自由に空を翔け、永遠の青の天空をいけるなら、私は喜びのうちにほめたたえよう、自由という名の神を!」

「シシィ!フランス語の時間よ!」

「はい、ママ…。(パパを見つけて)パパ!!」

「しっ!」

「♪お昼に親戚が集まる ママが言うことあるらしい…。堅苦しい場所から逃げたいわ♪パパいっしょに連れて行ってよ?」

「♪無理だよ」

「♪パパの趣味は全部好き!夢を詩に書き留め、馬術の競争。パパみたいになりたい」

「人生は短すぎて退屈している暇などない。それにパパは親戚づきあいが嫌いなんだよ」

「♪今日は木登り、綱渡りの練習も禁止なの。どうして連れて行ってくれないの…? 自由に生きたい、望むまま…」

「いい子でいるんだよ」

*

いつの間にか、セリフまで覚えてしまいました(笑)。

シシィの父親マックスが「人生は短すぎて」と言っている言葉が、最近私はよくわかるようになっています。

人生80年~100年の時代。

それでも、成長し、家庭をつくり、仕事をなし、人生を過ごして老いていくのに、なんと絶妙で短い時間なのでしょう。

不思議な気がします。神様はこの「流れ」をよくぞ設定したものだと感心します。

あとから振り返っても2019年の3月が素晴らしい月であったと思い返せるように。

しっかりと生活したいと思います。

 

 

 

4月・5月の大型連休の診療について

 

少し早い気がしないでもないですが、2か月先の外来予約の際に確認される場合もありますので、お知らせいたします。

 

4月末から5月初めの、いわゆる大型連休は、今年は即位の日もあって10連休となります。

 

祝日、祝日扱い、祝日の合間にある4月30日と5月2日は、休日になります。

 

(昔は「飛び石連休」と言っていましたが、今は休みになるのですね。)

 

医療施設の診療日をどうするかというお話は、昨年からあがってきていましたが、私たちクリニックの外来診療のスケジュールは以下の表のようになります。

 

 

4月30日(火)は通常通りの、午前、午後の1日診療。

 

5月2日(木)も通常通りですが、木曜日は午前のみの半日診療になっておりますので、ご注意ください。

 

他の祝日、祝日扱いの日は、休診となります。

 

よろしくお願いいたします。

 

 

インフルエンザワクチン予防接種が終了しました。

 

さくだ内科クリニックのインフルエンザワクチンの予防接種の受付が、本日で終了しましたことをお知らせします。

浦添市の高齢者への予防接種補助も2月末日で終了します。

 

ところで、本日報告された第8週(2月18日~24日)の沖縄県全体の定点あたりの報告数は、13.24人でした。

グラフで見ると、警報は発令中ですが、ピークは過ぎているのがわかります。(もちろん、油断してはいけません。)

個人的に不気味に感じているのが、今まで数として少なかったB型が、わずかですが少しずつ多くなっている印象があることです。

定点医療機関でのウイルス型別報告はA型が約83%、B型が約5%でした。

 

A型にしろB型にしろ、予防策は一緒です。

手洗いと咳エチケットを徹底していきましょう。

さて、来週には県内の公立高校の受験があります。

今まで頑張ってきた努力が報われるように、万全の体調で臨んでもらえるよう、お祈りしております。

 

 

台風!?

 

台風2号 (ウーティップ)が、「猛烈な」台風に発達しているようです。

 

中心気圧が915hPa、中心付近の最大風速が55m/s(105kt)、最大瞬間風速がなんと75m/s(150kt)です。

 

ひまわり8号の画像を見ると、くっきりとした台風の目が、強い勢力を印象づけています。

 

 

 

 

昨年の秋台風を彷彿とさせるような勢いです。

 

 

 

まさかとは思ったのですが、気になって進路予想図を見てみました。

 

 

 

 

ん?なんだかあやしい雰囲気です。米軍の予報図を見てみます。

 

 

 

 

これは~!と思って、ヨーロッパ中期予報センターのサイトを訪れて見てみると、なんと途中で消滅してしまっていました。

 

 

 

 

気象庁の台風情報の文字の方を見ると、確かに3月1日には中心気圧も上昇して勢いも急速に衰えていくようです。

 

 

 

 

いやあ、ちょっとだけ焦りました。

 

 

今年は台風被害がありませんように。

 

 

がんばってやすむ

 

80歳を過ぎて、生まれて始めてインフルエンザにかかったという方が受診しました。

1週間が過ぎて発熱もみられなくなり、インフルエンザはもう治ったのと思うのだけれど、なにしろ体がだるい。自分の体じゃないみたい。食欲ももどらないし、37℃の微熱が続くのはなんかおかしい。

ということで、2日を開けずに約3週間クリニックを受診していました。

その度に血液検査や胸部レントゲン写真などを検査しますが、異常はありません。

「栄養をできるだけ摂ってゆっくり休むこと」をおすすめしましたが、そもそも80余年の人生でインフルエンザにかかったことが不思議でならない。何かあるに違いないと思われているようで、納得していただけませんでした。

「インフルエンザにかかったあとも、こうやって後に影響を残すから怖い感染症なんですよ。医者が予防接種をすすめるのも、こういう事態があるからなんです。幸いに細菌感染が重なったわけではないようなので、ゆっくり休んでいけばきっとよくなりますよ。」

けれども、人の心配は言葉だけで打ち消せるものではありません。

それこそ80余年で築き上げてきた自信(過信?)が崩されてしまったのですから、原因をインフルエンザに向けるよりも、自分の内側へと向けてしまうのも仕方のないことだったのかも知れません。

「大きな病院に紹介してください。」

そう希望されたので、紹介したのが4週前のことでした。

血液の再検査や腹部エコー検査などをすませて、全身状態も良好とのことで、本人もやっと納得されていました。

この方だけでなく、「私はインフルエンザにかかったことが一度もない」と豪語される方が意外に多いことに時々びっくりします。

風邪にもかからないで一生を終えるにこしたことはないのですが、人間社会に住んでいる以上は数多くの感染源に接する機会があります。

予防はもちろんですが、罹患したあと、落ち着いて対応することが必要ですね。

ただし、休み方を知らない人がいることに、びっくりした経験をしたことがあります。

そして、ちょっと悲しくなってしまいました。

「がんばって、やすんでください。」

頑張らないと、休めない人がいることは確かなのです。

 

 

 

映画ドラえもん

 

以前に、このブログで辻村深月さんの「かがみの孤城」を紹介しました。

 

辻村さんは、この小説で2018年の本屋大賞を受賞しています。

 

ほかにも『ツナグ』で第32回吉川英治文学新人賞を、『鍵のない夢を見る』で第147回直木賞を受賞された作家さんです。

 

 

その辻村深月さんが、アニメ映画「ドラえもん のび太の月面探査記」の脚本を担当したとなると、もうワクワク感がとまらない感じです。

 

3月1日に劇場公開となっていますから、もうすぐなのですね。

 

https://youtu.be/eGsrtFxWzDA

 

 

公開記念のサイトで、辻村さんのインタビュー動画を見て、ドラえもんを小説にすることの難しさと面白さを思いました。

 

どの年代でも愛される「ドラえもん」だからこそ、できることなのでしょうね。

 

 

 

もうすでに大きくなった子どもたちと、映画館で観に行きたいと思います。

 

もちろん、小説の方もすでに注文してしまいました(笑)。

 

 

 

小説「愚行録」

 

小説「愚行録」を読みました。

 

あらすじを紹介します。

エリートサラリーマン家庭であった田向一家惨殺事件から1年経ち、事件は犯人が見つからないまま迷宮入りしていた。その時、ある記者が、田向夫妻の同僚や学生時代の同級生、元恋人などに、夫妻との思い出や人柄についてインタビューして回る。

 

 愚行録 貫井徳郎著

 

 

ある記者が、事件に関わりのある人物へのインタビュー形式で小説は進んでいきます。

 

複数の人間の一人語りの形をとっていますから、事件そのものや殺された一家への思いが、その人の都合のいい解釈で語られていきます。

 

ある者は純粋に野次馬的な興味を示していましたし、ある者は過去にあった交際の時期に抱いていた嫉妬心や対抗心を隠そうとしませんでした。

 

ある者はうらやみ、ある者は同情し、共感を示していました。

 

差別意識、偏見、裏切り…。その口から語られたのは「愚行録」そのものでした。

 

 

 

一人称ということは、ある固定カメラで物事を追っかけているようなものです。

 

ここではこういうふうに見えていた。別カメラでしっかり写っていたものが見えていなかったりします。

 

そして、もちろん逆もあります。

 

 

 

別方向を向いているそれぞれの固定カメラをひとつずつ集めて全体を把握しようとする試み…。

 

この記者のしようとしていることは、それなのだろうと思っていました。

 

インタビューを繰り返していくうちに、事件の全容が解明され、犯行の動機も明らかにされていく。

 

けれども、やはりそうはいきませんでした。

 

「やはり」と言ったのは、この小説の作者は、以前にこのブログで紹介した「慟哭」の貫井徳郎さんだからです。

 

最後の章のある人物のたった一言が、物語に静かに潜んでいた「毒棘」を表に浮かび上がらせてしまいました。

 

 

 

章ごとに交互に語られていくサイドストーリーがメインとつながるときに衝撃が走ります。

 

この手法は「慟哭」と同じでしたが、やはり「う~ん」と唸ってしまいました。

 

考えてみれば、人は誰しもいくつかのストーリーを同時並行で生きていて、語る時になって初めて便宜上「メイン」としているところがありますね。

 

サイドストーリーがその人にとって重要な意味を持つことが多くある気がします。

 

本来「メイン」と「サイド」と区別できないものなのでしょう。

 

 

 

この小説は映画化もされたそうですね。

 

観てみたいと思いました。

 

 

 

期日前投票

 

今週の日曜日、2月24日は県民投票の日ですね。

私はあいにくと出張で沖縄に不在なので期日前投票に行ってきました。

 

私の知人が「この投票率で沖縄県民のレベルと言うか、民度というか、県民が評価を受けると思う。」と気にしていました。

私もその通りだと思います。

自分たちのことを真剣に考え、意見を示すこと。

その当たり前のことを当たり前のようにみんなでやっていく。

それができる沖縄でありたいと思います。