インフルエンザワクチン接種について

インフルエンザワクチン接種がはじまっていますが、厚生労働省が示している通り、供給量が昨年の6~7割程度に少ない状況です。

下のグラフは厚生労働省の「今シーズンにおけるインフルエンザワクチンの供給」から引用したものです。

私たちクリニックも10月22日からの接種を予定して、予約をとってきたのですが、すでに確保分のワクチンが予約枠で埋まってしまいました。

厚生労働省のサイトによると、「製造資材の入手遅延等を受けて、昨年度よりも遅れたペースで供給される予定。12月中旬頃まで順次出荷が続く見込み。」とあります。

11月に入って出荷が再開されたら、予約受付を再開する予定ですので、ご了承ください。

なお、全体のワクチン供給量の減少に伴い、基礎疾患のある方を優先するため、現在のところ当院通院中の患者に限らせていただいております。ご理解のほどよろしくお願いいたします。

 

新型コロナワクチン接種について

10月になり、新型コロナワクチンの集団接種の各自治体の予約終了の告知がなされるようになってきました。

浦添市も、集団接種の最後の新規予約枠が 10月31日(日) となっています。

 

LINEの公式アカウント「沖縄県新型コロナ対策パーソナルサポート(RICCA)」では、市町村ごとの1回目接種率地図が示されていました。(10月10日付)

 

 

ホームページの方では詳しいデータが市町村別に掲載されています。

こちら → 新型コロナウイルスワクチンの県内接種状況

 

そこで確認すると、浦添市をみると全年代63.95%、65歳以上89.51%、40~64歳77.22%、20~39歳61.05%、12~19歳58.60%となっていました。

12~19歳の接種率が低いのはどの地域もそうなのですが、どの年代も全国との差が大きいように思います。(全国の全年代接種率70.85%)

デルタ株流行の第5波に新型コロナに感染してしまって、接種したくてもできない状態が続いたかも知れません。実際に予約はされていても当日キャンセルという方が何人かいました。

 

10月16日(土)は夕方から夜間にかけて(16:00~20:00)の接種時間になっています。

昼間に時間がとれなかった方も、この日を利用して接種するようにしてください。

 

 

カタツムリの歩み

私が中学の頃の修学旅行は、九州を周回するコースでした。

今の学生さん達には想像もつかないでしょうが、沖縄から最初の目的地の長崎までは海路でした。みんなでフェリーで一泊して、朝になるのを待って甲板に上ったのを覚えています。

 

長崎では、長崎平和公園で平和学習を経験しました。

そこでは、教科書などでよく目にしていた「平和祈念像」の前で、みんなで整列している光景を覚えています。

今なら誰がその像をつくったとか、長崎との関係を調べたりするのでしょうが、当時の私はやはり子どもで、かなり浮かれていたのだと思います。

 

最近、長崎のことに触れる機会があったので、改めて調べてみました。

平和祈念像は、北村西望氏によるもの。像の天に向けて垂直にあげた右手は原爆の脅威を、水平にのばした左手は平和を表しているのだそうです。

北村西望氏は、102歳まで生きた長命の方で、晩年まで創作されていたというのですから、この方も鉄人です。

 

北村氏が詠んだ有名な俳句があります。

 

たゆまざる 歩みおそろし カタツムリ

 

歩みは遅いけれども休むことなく継続し、結果的に遠くの地まで到達してしまうカタツムリに畏怖の念を抱いていたのだそうです。

「私は人の5倍も10倍もかけて仕事をする」という言葉に、北村氏のたゆまざる努力が滲み出ているように思います。

 

長崎平和公園・平和祈念像

「のんびりする日」

「『のんびりする日』を一日分用意しましたので、ご自由にお使いください」と言われたとします。

職場の上司からでも良いですし、あるいは家族からでも良いです。

よくドラマで「お母さん、今日は『母の日』だからお母さんの仕事は僕たちがやるよ」という光景が出てきますが、そんな感じです。

「のんびりする日」が一日あったら、自分は何をしようかな?と考えますね。

普段、時間がなくてできなかったあんなこと、遠すぎてなかなか行けなかったあの場所、自分自身のためにしたいことはたくさんあります。それをやろうとまず考えます。

しかし、マインドフルネスを広めたティク・ナット・ハンは、「のんびりする」とはそうではないと言っています。

例えば、瞑想をするときに師はこう言います。

「何かしたりしないで、そこに座りなさい」

師にとって「のんびりする日」は、一切何もしない日を意味します。断食が食事を断つように、「何かする」ことを断つのです。

いつも何かをしている状態が当たり前の私たちは、何もしないでいることを恐れないようにするための訓練が必要です。

ですから、「のんびりする日」は何もしないようにあらゆる努力を払わなければなりません。

ティク・ナット・ハンが提唱する「のんびりする日」で目指す境地とは「何もしないで、ただ存在するだけで慈しみと喜びに満たされている」境地です。

そんな「のんびりする日」を、試しに設けてみたいと思いますし、強く憧れます。

 

 

心の問題ではなく身体の問題

心や感情を操作しようとしても、よっぽどの達人でない限りは、自分の心であっても思い通りにならないのが人間です。

身体の感覚を詳しく観察していくヴィパッサナー瞑想の実践では、初心者はまず呼吸ごとに「膨らみ、縮み」を観察していくことから始めます。

マハーシ式だと、瞑想中に心がさまよい始めると、それに気づいたら速やかに「行く、行く、行く」と念じるようにします。心がさまよいをやめると、また「膨らみ、縮み」に戻ります。

 

「幸福論」のアランも同じようなことを言っています。

アランは「悲しみは心の問題ではなく、身体の問題である」と割り切ってしまえと提案しています。

 

悲しみは、実は赤血球の数の問題だとわかれば、話は早い。いらぬことに思いをめぐらすことをやめよう。悲しみは心の問題ではなく、身体の問題と考えるのだ。そうすればもう疲れや病気と同じことで、ちっとも複雑なことではなくなる。

裏切られた痛みにくらべれば、胃の痛みをがまんするほうがまだましである。同じように、「本当の友だちが少ない」というより、「赤血球の数が少ない」というほうがよくないだろうか?

感情にとらわれやすい人は、気を楽にすることも、真相を理解することもはねつける。でもわたしがいま言ったように考えれば、同時にこの両方の解決策につながるはずである。

 

アランの幸福論の根底には、人一倍のユーモアが溢れています。まじめにとらえるよりも、ユーモアとして微笑みながら読んでいくのが正解でしょう。

仏教やアランに限らず、感情の問題を身体の問題に転化させたり、問題を客体化させるというのは、多くの先達が提案してきたことですね。

 

アランはこんなことも言っています。

「病気のまねごとではなく、健康のまねごとをする」

多くの方が「健康のまねごと」をしてほしいですね。

 

 

ノーベル文学賞

最近、ノーベル賞の話題がニュースに出ていました。

なかでも文学賞はアフリカ・タンザニア出身の作家、アブドゥルラザク・グルナ氏が選ばれました。

日本のコアな文学ファンでも、グルナ氏はノーマークだったというのが話題になるほどで、なにしろ和訳書がないということで、2017年のカズオ・イシグロ氏受賞時のようなフェアの開催は望めないようです。

以前から言われているように、日本は諸外国の無数の作品が集まり、しかも日本語で読むことができるという素晴らしい国ですが、実はこんなこともあるのかと驚きました。

グルナ氏とはどんな作家なのでしょう。すぐに訳本が出るでしょうから、今から楽しみにしたいと思います。

 

ところで、ノーベル賞で初のアジア人受賞者は文学賞で出ました。1913年に、インドの詩人タゴールが受賞したものです。

 

 

タゴールの詩は、内側から鼓舞されることが多く、理屈を抜きにして励まされます。

 

たとえば、次の詩。(タゴール詩集 山室静訳から)

 

 

もし彼らがお前のよびかけに応じなくても

 

もし彼らがお前の呼びかけに応じなくても、お前はひとりで歩いて行け

もし彼らが怖がって声なく壁の前に立ちすくむとしても

おお、運のわるい男よ

お前の胸をひらいてひとりで語るがいい

もし彼らが音を向けて、荒野を横ぎる時にお前を見捨てるとも

おお、運のわるい男よ

足の下に茨を踏みつけ、ひとりで血のしたたった道を旅して行け

 

夜が嵐でどよめいている時

もし彼らが光を高く掲げないとしても

おお、運のわるい男よ

苦悩の雷火でお前自身の胸に火を点じて

それをただ一つもえさせるがいい

 

 

私の心の片隅には「運のわるい男」に憧れているようなところがあります。

柄にもなく誇り高い気持ちに揺さぶられて。

 

 

緑のユニフォーム

今日は浦添市の新型コロナワクチンの集団接種のお手伝いに行ってきました。

私が参加するのは毎週というわけではないので、季節の移り変わりを感じることになります。

日中は陽射しが強いので暑いのは当たり前ですが、夕方になってくると一時期よりだいぶ過ごしやすい感じでした。

今日は遠くにある台風の影響なのか風も強く、観葉植物の鉢が突風に倒れそうになることもありました。

そういえば、前回参加した時にはなかったのですが、会場の柵に鉢がかけられていて葉の緑を楽しませてくれていました。会場の様子も常に進化していっています。

変わったことと言えば、もうひとつ!

市のスタッフの多くがプロ野球ヤクルトスワローズの緑のユニフォームを着ていたこと!

浦添市がスワローズの春のキャンプ地であるというご縁があるからでしょう。

緑のユニフォームは目立ちますし、なかなか統一感があってよかったです。

ほとんどプロ野球の話題についていけない私ですが、ヤクルトが現在優勝を狙える位置にいるということは知っています。

こういう話題を軸にして、市民が盛り上がっていけたら良いですね。

 

 

ブッダの幸福論

今日は「ブッダのことば(スッタニパータ)」中村元訳からの紹介です。

「第二 小なる章」の「四、こよなき幸せ」の一節です。

 

あるときブッダは、容色麗しい神に質問を受けた。

「多くの神々と人間とは、希望を望み、幸せを思っています。最上の幸福を説いてください。」

 

その後に続く259から268の10個の偈は、この呼びかけに応えたもの、269の1個の偈はその総括です。(どの偈にも文末に「―これがこよなき幸せである」という文がつきますが、あえて削っています。)

 

諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること。

適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、みずからは正しい請願を起こしていること。

深い学識があり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること。

父母につかえること。妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと。

施与と理法にかなった行いと、親族を愛し護ることと、非難を受けない行為。

悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつしみ、徳行をゆるがせにしないこと。

尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと。

耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の〈道の人〉に会うこと、適当な時に理法についての教えを聞くこと。

修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること。

世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れを離れ、安穏であること。

これらのことを行うならば、いかなることに関しても敗れることがない。あらゆることについて幸福に達する。

 

著者の中村元は解説でこう述べています。

「私たちはどのように生きたらいいのか、ということを教えてくれるものが仏教であるが、では仏教は私たちにとって〈幸福〉とはどんなものだと教えているのであろうか。この短い一節は、〈人生の幸福とは何か〉をまとめて述べている。いわば釈尊の幸福論である。」

「ここに述べられている幸福論は、必ずしも体系的とはいえない。原文は詩句のため韻律の関係もあり、論理的に筋道立てて述べられているわけではない。ただ、幸福に喜び満ちあふれている心境がつぎからつぎへとほとばしっている。その喜びの気持ち ―それは現在の私たちのものでもあるといえる。」

 

これらの「幸福論」に目標を定めて、暮らしていきたいものです。

 

 

再現性の有無の鍵

あるビジネス書を軽く斜め読みしていたら、ひとつの言葉が目に止まりました。

「成功した時の、再現性のあるパターンを作る」

これは私の外来でも実感することです。

糖尿病や脂質異常症の方が、定期の採血で良い結果が出た時に「今月は取り組みが良かったようですね。どうしたのですか?」と訊くと、自分のことなのに「え…どうしたんだろう?」と首を傾げる方が割といます。

一方で、結果が悪い時は、返答はスムーズです。

「今月は食べすぎた」「運動ができなかった」「自分の時間がもてなかった」という「言い訳」を引き出しの中にたくさん詰め込んでいて、それらを次々に持ち出してきます。

しかし、それは本当の原因ではないかも知れません。一般的にそう言われているから信じているだけで、よく吟味をせずにパターンとして繰り返しているだけかも、です。

まさしく失敗した時の反省が形だけになっています。

だからこそ、成功したときはその原因を探った方が良いです。

再現性の有無を握る鍵は、結果が良かった時の「なぜ良かったのか?」という原因の探究と内省です。

「たまたま良かったのだ」としても、方向性は間違っていなかったわけですから、絶対にこれからの参考になるはずです。

「成功した時の、再現性のあるパターンを作る」

これは心がけておきたいですね。

 

 

後悔しないように

真理のことば(すなわち「法句経(ダンマパダ)」中村元著から。

 

もしも為すべきことであるならば、それを為すべきである。それを断乎として実行せよ。行ないの乱れた修行者は、いっそう多く塵をまき散らす。(313)

悪いことをするよりは、何もしないほうがよい。悪いことをすれば、後で悔いる。単に何かの行為をするよりは、善いことをするほうがよい。なしおわって、後で悔いがない。(314)

 

中途半端なことをしたばっかりに、却って場を乱して収集がつかなくなることがあります。そうならないためにも、引き受けた仕事はしっかりとやり通す覚悟が必要です。

そして、後悔しないように悪いことをしてはいけない。善いことをすべきだと言っています。

この場合「後悔」がポイントですね。

とにかく後悔がないように実行すること。

難しいことですが、少しでも目標にしたいものです。