発熱時には、かかりつけ医への受診を!(ご協力願い)

 

今日もインフルエンザをはじめとする発熱の患者さんの受診が多い外来でした。

「家族がインフルエンザと診断された3日後に熱が出た」というパターンの方が多く、印象的にはいつものインフルエンザ流行期よりも家族内の感染が多い気がします。

私たちのクリニックでは、発熱の患者さんと一般の外来患者さんとの接触を避けるために、待合室とは隔離された発熱室で待機してもらっているのですが、いつもどなたかが入室している状態です。

私たちのような小さなクリニックでさえこんな状況ですから、いわゆる「大きな病院」では一体どんな状況になっているのだろうと、危機感を感じています。

先週の日曜日には、那覇市立病院の急病センターの待ち時間が6時間以上という告知があったそうです。

地域の救急医療を守るためにも、発熱時にはかかりつけ医への受診のご協力をお願いします。

 

 

インフルエンザ流行状況(2019年第36週)

 

沖縄県にインフルエンザ警報が発令されました。(9月11日発令)

沖縄県全体の定点あたりの報告数は34.10人となり、警報レベルの30人を超えています。

前週が20.31人でしたから、かなり流行の規模が大きいことがわかります。

(グラフでは36週から2019/20年に移行するために、左端の赤い◇でプロットされています。)

 

 

外来でも、今週に入ってインフルエンザに罹患している患者さんが多く受診するようになってきています。

今日などは、発熱の患者さんのほとんどがインフルエンザA型と診断されたほどです。

クリニックの近隣の小学校や中学校では学級閉鎖の対応を余儀なくされているようで、警報レベルの流行の猛威を肌で感じています。

 

 

御覧いただいてわかるように、中部、那覇市、南部保健所管内の定点当たりの報告数が多く、本島内のどの地域も流行しています。

 

毎週の「インフルエンザ流行状況」の報告書のトップには、こんな文章があります。

 

~インフルエンザに、うつらず・うつさず・(救急医療機関を)つぶさない~

救急医療機関に患者が集中すると、緊急を要する患者さんの対応が遅れてしまうことがあります。症状があると感じたら、早めにかかりつけ医へ相談し、受診してください(重症化の症状があったときは、すぐ受診)。

 

皆さまのご協力をよろしくお願いいたします。

 

 

スタジオパフォ第1回公演「Crossroad ! 〜カナの島から〜」

 

9月8日(日)に、スタジオ パフォ第1回公演ミュージカル「Crossroad!~カナの島から~」を観てきました。

まず率直に面白かったです。休憩をはさんだ約2時間の舞台も、あっという間に過ぎてしまいました。

このミュージカルの特徴は、まず沖縄生まれであること。全編オリジナルの楽曲と振り付けで埋め尽くされています。

プロットは、沖縄を意識したものでしたが、そこに無理やり史実を入れ込むのではなく、あくまでもファンタジーとして描き切っていました。

パンフレットから、ストーリーの紹介です。

✳︎

未来に希望を持てないフリーターの一郎は自分探しの旅へと出発するが、ひょんなことから時空を超えて不思議な島に迷い込んでしまう。そこで出会ったのは歌や踊りと共に生きる人達。しかし平和だった島に突如として忍び寄る戦の影…。それぞれの思いが交錯し絡み合う中、一郎は何を思うのか。笑いあり涙ありのヒストリカルファンタジー。

✳︎

たとえば、ここにある「歌や踊りと共に生きる人達」という一文は、言葉にすれば容易ですが、それを自然に観客にわかりやすく伝えるのは容易なことではありません。

それが舞台のうえで表現された時、いっそう明るく華やかに映ります。観る者は自然と笑みがこぼれてきます。

このミュージカルでは「歌や踊りと共に生きる人達」という群衆が、時に楽しく笑い、膨張し、時に反目し合い、時に悲しみ、縮み込み、大きなうねりとなってまるで一個の人格を形成しているかのようでした。

その集合体の中で、一人ひとりにキャラが立っているのが印象的でした。

もちろん、ゲストで出演されたカナ役の和田清香さんには「さすが~」とずっと唸っていました。(本土でご活躍されている方です。いっぺんにファンになりました。これからも応援したいと思います。)

ストーリーも、あえて終盤にかけて切羽詰まった状況に追い込みながら、どうやって回収するのだろうと息苦しくなってきたところに、用意周到に張っていた伏線(バスコ役がまた素晴らしい!)がはまっていました。

それから、もうひとつ!

このミュージカルは、音楽はキーボードやシンセサイザーなどの生バンドの演奏だったのですが、舞台と一体化していて安定感がありました。

指揮者の玉城百合香さんのダンスのような指揮ぶりに感動していましたが、突然トランペットを吹くのには思わずのけぞっていました(笑)

 

 

認知のかたより

 

「バランスのある考え方」というのは、自分の心を守るためにとても大切なことです。

どんなストレス反応が起きているのかを洞察するときに、この「考え方のアンバランスさ」(認知のかたより)のパターンに当てはめて観察してみることは、理解の手助けになります。

下にリストを挙げてみます。(厚生労働省サイト「心の健康」認知行動療法「患者さんのための資料」より)

詳しくはこちらのサイト → 厚生労働省 心の健康

 

認知のかたより(アンバランス)

1)感情的きめつけ

証拠もないのにネガティブな結論を引き出しやすいこと
「○○に違いない」

例:取引先から一日連絡がない → 「嫌われた」と思いこむ

2)選択的注目 (こころの色眼鏡)

良いこともたくさん起こっているのに,ささいなネガティブなことに注意が向く

3)過度の一般化

わずかな出来事から広範囲のことを結論づけてしまう

例:一つうまくいかないと、「自分は何一つ仕事が出来ない」と考える

4)拡大解釈と過小評価

自分がしてしまった失敗など、都合の悪いことは大きく,反対に良くできていることは小さく考える

5)自己非難(個人化)

本来自分に関係のない出来事まで自分のせいに考えたり、原因を必要以上に自分に関連づけて、自分を責める

6)“0か100か”思考(白黒思考・完璧主義)

白黒つけないと気がすまない、非効率なまで完璧を求める

例:取引は成立したのに、期待の値段ではなかった、と自分を責める

7)自分で実現してしまう予言

否定的な予測をして行動を制限し、その結果失敗する。そうして、否定的な予測をますます信じ込むという悪循環。

例:「誰も声をかけてくれないだろう」と引っこみ思案になって、ますます声をかけてもらえなくなる

 

 

リストにあげたこれらの思考パターンは、現実を不正確に認識させてしまいます。そして、負の感情をその人に強く植え付けてしまうことになります。

 

 

不確かな生き物

 

当然のことですが、私たち医療者が向き合う患者さんは一人ひとりに差があり、病気に対する反応もさまざまです。

同じウイルスに感染したとしても、症状が出る人、出ない人がいます。発症したとしても、その症状の程度も違います。

「今度はチューアタイ(強く当たる)してるよ。先生」

そう言ってくる高齢の患者さんの表現は、的を射ていると言えます。

同じ人でも、時期が違って体の状態が変われば、症状も違ってきます。

このあたりは臨床を活動の場としている私たちを大いに悩ますところです。

例えば、インフルエンザを診断するウイルス抗原迅速検査があります。

気をつけなければならないのは、この検査が100%の感度ではないということです。

つまり、本当はインフルエンザなのに「陰性」の結果が出ることがあります。(つまり検査上はインフルエンザではないということ)偽(にせ)の陰性、偽陰性といいます。

 

例え話をしましょう。

家族4人が仲良く一つ屋根の下で暮らしていて、1歳と3歳の子ども2人がインフルエンザA型にかかったとします。2日後にお母さんが発熱で受診。

職場に報告しなければならないから、どうしてもウイルス抗原検査が必要なのだと申し出がありました。

これで陰性が出たとして、インフルエンザではありませんとは断言できるわけがありません。

仮にその時点の結果が真の陰性だったとしても、インフルエンザにかかっている家族に濃厚接触していた、あるいは接触し続けなければならないわけですから、リスクの高い人ということになります。翌日は真の陽性になっているかも知れません。

ウイルスに対する、人の反応はさまざまです。検査の結果も100%の確率ではありません。

私たち人間は不確かな生き物なのだということを、改めて認識させられてしまう例です。

特に流行期では、極端にパターン化して考えるのは間違いのもとになります。

 

 

 

 

トレッドミル・ランニング

 

休日で午前中に時間が空いたので、ランニングでもしようかと思ったら「雨が降っているよ」と家族から言われてしまいました。

日本に接近中の台風の影響もあるのでしょう。今日は、降ったりやんだりが続くようです。

少し長めの距離を走りたかったのですが、雨に濡れて体調を崩したりしては周囲に迷惑をかけますし、自重することにしました。

と言っても、ランナーの多くは「雨に濡れたって構わないぜ!運動中の熱くなった体を冷やしてくれるのだから、逆にありがたい!」というのが本音なのだと思います。

実は私もそうなのですが、それを実行してしまうと、家族に呆れられ怒られてしまうので、雨の日のランニングはしません。

代わりに室内でトレッドミルをしました。

90分間のLSDに見立ててのランニングです。トレッドミルは同じリズムで足を運ぶことができるのが良いのですが、なにしろ単調で途中で飽きてしまいます。

それで、iPadでランニング番組の「サブ4!!」の動画を流しながら走っていました。

サブ4というのは、マラソン用語で「4時間以内で走りきること」という意味です。

シーズン1の最終回を観たのですが、自分のランニングそっちのけで見入ってしまいました。

それぞれの走る目標があり、ゴールを果たした彼女たちが涙を流して抱き合う姿は感動的でした。

番組の企画で走り始めたと思うのですが、その後もランニングは続けていってほしいなあと単純に思いました。

 

 

 

「夜のフロスト」

 

 夜のフロスト R・D・ウィングフィールド著 芹澤 恵 訳

 

何となく恋しくなって、やっぱり、このフロスト警部シリーズに戻ってきてしまいます。いわゆる「クセになる面白さ」を感じているのでしょう。

 

今回も次から次へと事件が起こり、同時進行的に事件を解決しなければならないデントン警察署の刑事たちの活躍を描くものです。

自虐的…というわけではないつもりですが、この混乱・喧噪ぶりは、私が若い頃の研修医時代にそっくりです。

「いったん引き上げるか」と家路につこうとするフロスト警部が、車の無線に呼び出されて、新たな事件現場へ直行を指示されたり。

ある事件に集中したいのに、別の事件のことでひっかきまわされたり。

しかも、みな難事件!

そして、何より夜が長い!

夜明けを待っていたはずなのに、いつの間にか夜が明けていた!

私たちが研修医の時って、ずっと毎日がそんな感じでしたから。

この感じがわかるだけに、フロスト警部の全身にかかる重力が、自分にもまとわりつく感覚に襲われます。

 

この作品の紹介です。

新任部長刑事ギルモアが配属されたのは、しけた町だった。まあ、ここは眼も眩む高みに昇りつめるための梯子の一段目にすぎない。こき使われる心配がなさそうなのも幸いだった。だが、いざ出勤してみれば、猛威を振るう流感に、署は壊滅状態。折悪しく、町には中傷の手紙がばらまかれ、老女ばかりを狙う切り裂き犯が暗躍を開始する。なんたる不運。そのうえ、だらしない風体に、悪夢のような下ねたジョークを連発する男、フロスト警部と組む羽目になろうとは……。

確かなことは、フロスト警部の頑張りは、今でも私を勇気づけるものです。

ほかの刑事ものと違って、感情移入の深さが違います。

「どなたかわかりません」

 

私はiPhoneを使っています。

2世代ぐらい前の古いバージョンを使っていて、それでも不自由していないのは、きっと十分に機能を使いこなせていないからに違いないです。

私にとって、Siri などはその最たるものです。

スマホに向かって(見えない相手にお伺いを立てるように)「Hey, Siri」と呼びかけるのは、部屋に1人の時にやってみることはあるのですが、周辺に人の気配がする時は恥ずかしくてできません。

その点、21世紀生まれの娘などは、電話をかける時にも

「お姉ちゃんに電話して」

と声で指令を出します。

すると、Siri は「オネエチャンさんに電話をかけています」と返事をして、電話をかけてくれるのです。

私のように、電話のアプリをあけて、連絡先を探して、それをタップするのとでは、時間のかかり方がまったく違います。

その娘が大笑いしながら、報告してくれました。

「お父さんに電話をかけようとしたんだけどね」

「うん。」

「そしたら、Siri に『あなたのお父さんがどなたかわかりません』って言われてしまったよ(笑)」

「え?Siri に?教えてあげてなかったの?」

「教えてたけどね(笑)お父ちゃんって言ったからかも(笑)」

娘が、ちょっとおどけて「お父ちゃんに電話して」と言ったようなのです。

それにしても、「あなたのお父さんがどなたかわかりません」なんて、すごい日本語で返されたものです。

いつかSiri も「お父さん」「お父ちゃん」「おっとー」「パパ」「ダディ」など、ニュアンスで聞き分けらるようになるのでしょうね。

 

 

小説「人生なんて無意味だ」

 
 人生なんて無意味だ ヤンテ・テラー著 長島要一訳

 

 

この小説はデンマークの女性作家ヤンネ・テラーが、13歳から17歳の若い読者を対象に書いたものなんだそうです。

 

デンマーク国内はもとより、各国で訳版が出版されると同時に素晴らしい書評が出て、世界中で文学賞を受賞した作品なんだそうです。

 

という、2つの「…なんだそうです」の情報が、私がこの本を手に取ったきっかけだったのですが、久しぶりに読後、どう解釈していいのか、どう昇華させるべきなのか(あるいは、凝固・沈殿させるべきなのか?)判断に困る作品でした。

 

私の場合は、たぶん、少年時代のほろ苦い心象風景を想起させる内容だったからかも知れません。

 

以下は、アマゾンに掲載されている「内容紹介」の抜粋です。

 

*

 

『意味のあるものなんて何もない。それはずっと前からわかってた。だから何をしたって無益だと、たった今、気がついた』

「人生は無意味だ」と、突然学校をやめてしまったピエール。

「そんなことはない」と、人生には意味があることをわからせようと、中学1年生のクラスメイトたちはピエールを説得をするが、言葉巧みにやり込められてしまう。

彼らは、ピエールを見返すために自分たちにとって「意味のあること」を集め、彼に披露することにした。

何度も読み返した大好きな絵本、お気に入りのサンダル、サッカーボール、イヤリングetc…

やがてそれらは、広場に積みあがるまでになった。まるで競うかのように互いの大切なものを出し合うクラスメイトたち。次第にルールが変化し、提出した人は、次に大切なものを出す人とその提出物を指名できるようになるのだが、その要求はだんだんとエスカレートしていき……。

子供たちは、人生の意味を見つけることができるのか?そして、うず高く積まれた「意味の山」の行く末は?

 

*

 

ピエールの理屈は、これから世の中を生きようとする若者が、程度の差こそあれ、人生の途上でいつか遭遇する「虚無感」に満ちており、どこか自分自身と重ね合わせてしまうものです。

 

私も、少年時代、思春期を深い虚無感が覆い、それは時には深い絶望感と言い換えても良いぐらいの暗い闇をさまよっていました。

 

ただ、私がピエールのクラスメイトと違ったのは、「人生の意味」を探ろうと(証明しようと)躍起になることもなく、かと言ってピエールのように声高に主張することもなかったということだけです。

 

実際に行動を起こさず、巣籠りしていたことが、私にとっては幸運だったのだと思います。

 

「人生に迷ったら、息をするように『今ここ』を生きるしかない」ということを、意図せずに実践していたわけですから。

 

「人生の意味」という命題は、古代から、哲学者や宗教者たちがずっと追い求めてきたものです。

 

やすやすと答えの出ないその問いに、クラスメイト達は翻弄され、自分を見失い、破壊的になっていきます。それは、人類が歩んできた悲劇の歴史の焼き直しのようにも見えます。

 

 

この小説は、13歳から17歳の若い年代に向けて書かれたものだと聞きました。

 

私が、若い読者を信用していないからなのか、日本の文化で育った若者たちがどう受け止めるのだろうと思いました。

 

ピエールたちの場所からの出口を、日本の若者たちは見つけることができるのでしょうか。

 

 

 

新たな在宅血液透析のスタート

 

今日、新たに沖縄在住の方の在宅血液透析がスタートしました。

さくだ内科クリニックとして3人目の在宅血液透析となります。(うち1人は関東に転居しましたので、現在診させていただいているのは2人です。)

在宅血液透析の学習ならびに指導は、主にハートライフ病院で行ってもらいました。

お仕事の関係で昼間に時間の都合がつかず、うちでの対応が難しかったために、ハートライフ病院で準夜透析をしながら、自己穿刺や基本的な知識の習得を全てハートライフ病院で行っていただきました。

私たちは連携を取りながら進捗状況を確認し、マニュアルの作成や手技の習得の確認、実際に踏み出す最終確認をするだけで良かったのです。

患者さんの強い意志と希望、粘り強い実行力には何より感服しますが、その思いに見事に応えてくれたハートライフ病院の透析室スタッフの皆さんには畏敬と感謝の念しかありません。

こういう協力の形もあるのだと、ハートライフ病院スタッフの皆さんに教えていただきました。

そして、2つの医療施設が連携して在宅血液透析に導いていけたことが、そのことに関われたことが、さくだ内科クリニックとしても素晴らしい経験をさせていただきました。

ありがとうございます。

 

(写真はハートライフ病院サイトから)