映画「フラバー うっかり博士の大発明」

 

私たち世代は、懐古趣味に興じるにはちょうど良い年代と言えます。

「シンウルトラマン」の「初代マン」より世代は下ですが(私たちは『帰ってきたウルトラマン』の世代です)、もう片方の「シン仮面ライダー」は見事にストライクゾーンに入っていて、なんなら直球ど真ん中です。

そういうコンテンツがあるとクリックしてしまうせいなのか、YouTubeのおススメには記憶の片隅に追いやられてしまって、1度も浮上したことのない古いものまで、あがってきます。

先日、サムネに釣られて見てしまったのが「フラバー うっかり博士の大発明」でした。

小さい頃、嘉手納の映画館で従兄と一緒に観た記憶があります。

ただ、調べてみるとこの映画は1961年の公開で、私が生まれる前です。私が観たのは恐らくリバイバル上映だったのか、何かとの2本立て同時上映だったのかも知れません。

もうひとつ。私はこの映画をてっきりカラー映画だと思っていました。Wikipediaで確認してもカラー化したという話もない(ビデオ化の時にはカラー化したようです)ので、モノクロで観ていたのを脳内でカラー変換していたようです。

モノクロテレビを普通に見ていた時代でしたから、そういう脳内変換は得意だったのでしょう。

1997年に「フラバー」としてリメイクされています。

弾性物質であるフラバーをエンジンに取り付けた自動車が空中を飛び回ったり、靴の底につけてバスケットやアメフトでスーパープレイを連発したりするシーンが、子どもの私にはとても魅力的でした。

それを、思い出しました。

YouTubeなどの動画サイトは、アーカイブされた動画の、宝庫ですね。

 

 

 

「孤独のグルメ」

 

日曜日の夜。夕食も済んで、今日はもう寝(やす)むだけという時間帯に、何となくテレビをつけてみました。

昔はそれでどんな番組でもBGMがわりに良かったのですが、最近のテレビはなんだかしっくりいきません。テレビのつくりが変わったというよりも、私の方が変わったのでしょう。

結局、動画配信コンテンツをスマホからテレビにキャストして流し見することにしました。

選んだのが「孤独のグルメ」

主人公は井之頭五郎というおじさん。ドラマの冒頭部分に少し物語があったとしても、それがメインとなることはありません。

あくまでも、おじさんひとりが出先の町で、フラッと立ち寄ったお店でご飯を食べるだけ。

クライマックスと言えば完食の瞬間?ぐらい。

けれども、不思議に見てしまうのです。

シーズン9は、コロナ禍にあって、ドラマの中でも全員がマスクをしています。お店に入る時は、ちゃんと手指消毒をし、検温をして席に座る、今の日常そのままです。

原作は漫画ですが、お店と料理がそのままリンクしている分、ドラマ版はいわゆるグルメドキュメンタリーなんですね。

そうか。ドキュメンタリーだから見てしまうのかな?

 

 

秋の気配と台風

 

日中の暑さの勢いは衰え知らずですが、空を見上げると雲の形で秋の訪れを感じます。

 

 

さて、この時期になると心配なのが台風です。

「Windy」などのお天気アプリをチェックする毎日が続きます。

来週の木曜日から週末にかけて太平洋で台風が発生するようですね。

Windyは天気予報モデルがECMWF、GFS、ICONを選択することができるのですが、期間が長いとどの予報モデルも一致しない事態が発生します。

今回はECMWFが大胆な予報を示していました。

太平洋に発生した台風が沖縄の東を南下し、西に移動、それから大陸の方へ北上するという…あまり馴染みのないコースです。しかも勢力がハンパない。

昨日出ていたコースは沖縄本島を直撃していましたから、まだまだデータがそろい切っていないようです。

これから毎日スマホのアプリをチェックする日が続きます。

 

 

マザー・テレサの名言

 

「マザー・テレサの名言」と検索すると必ず出てくる言葉です。

 

Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words.
Be careful of your words, for your words become your deeds.
Be careful of your deeds, for your deeds become your habits.
Be careful of your habits for your habits become your character.
Be careful of your character, for your character becomes your destiny.

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから

 

スタートは「思考」です。ネガティブなイメージを持っていると、それを引き寄せてしまうのはよく聞く話ですね。

マザー・テレサの言葉は「思考が変わると、自分が変わり、世界が変わってくる」ということを表現しています。

具体的には、思考に気をつけるにはどうすれば良いでしょう。

こんな言葉があります。(アメリカの起業家ジム・ローンの言葉)

 

You are the average of the five People you spend the most time with.

あなたは、いつも周りにいる5人の平均をとったような人になる

 

それだけ、周りからの影響力は強いものです。ですから、良い仲間がいればそれに越したことはありませんが、それ以上に大切なのは距離をとるべき人を設定した方が良いかも知れないことです。

感謝の言葉が溢れる仲間がいる場は、自然と仲間が増えてきます。その逆はネガティブな人間関係に気を使いすぎて疲れるだけです。

今の世の中は、そういうところで頑張ることを良しとしません。

 

 

感情を放っておく

 

誰でも調子の悪い時はあります。

不満やイライラなどで、どうにも事がスムーズに運ばない時です。

人間関係がギクシャクして、連携や協調が求められても表情が固くなってしまってネガティブオーラに包まれた不安定な状況です。

けれども、大人ですから、その感情を抱えながらでも仕事をこなさなくてはいけません。

そんな時はどうするか。

いやな感情を放っておいて、できる目前のことを実行していく。ただ黙々と作業に集中することです。

どの職業の方もそうしているでしょう。

コロナ禍の中にある多くの医療従事者が、今、そうしています。

多くの医療従事者が悲嘆の感情に包まれています。矛先の定まらない憤りを感じている方も多いでしょう。

けれども、その日のうちにやらなければならないことを、流れに沿ってこなしていくことで何とかイヤな感情に囚われないようにしています。

イヤな感情はなかなかコントロールできるものではありません。できれば無視したい。

無視するにしても、その存在を忘れるほどに小さな行動を重ねていくしかないことを経験的に知っています。

こんな時は「日常の流れ」を大切にして集中するに限ります。

  

 

自分を見つめる

 

今日は法句経(ダンマパダ)から。(中村元訳)

 

347 愛欲になずんでいる人々は、激流に押し流される、―蜘蛛がみずから作った網にしたがって行くようなものである。思慮ある人々はこれをも断ち切って、顧みることなく、すべての苦悩をすてて、歩んで行く。

 

この偈は「超訳ブッダの言葉」(小池龍之介著)には、こう解釈されています。

 

自分だけが脳内快楽を味わいたくて

「私のこと、ちゃんと理解してほしい」

「もっとちゃんと見てほしい」

「もっとちゃんと評価してほしい」

「もっとちゃんと愛してほしい」

と、わがままな欲望思考に君が洗脳されてしまうなら、まるで蜘蛛が自分の糸にからまるように、自分の渇愛の糸にからまり、その苦しさに窒息してしまうだろう。

 

君が智慧を武器にしてこの蜘蛛の巣を断ち切ったなら、苦しみを捨てて悠々と歩いてゆける。

 

 

仏教は「未熟な悪い行為をすれば、必ず苦しむ」と教えています。

その苦しみは、五蘊(身体・感覚・想起・意志・認識)に執着することから、生まれます。

そして「真の幸せは、欲(渇愛)を根絶することのみで得られる」を基本にしています。

そのために、自分の心の中に「もっと~してほしい」という欲の心が出ていないか、観察してみることが大切です。

 

映画「素晴らしき哉、人生!」

 

以前にも投稿したことがあるのですが、1946年の映画「素晴らしき哉、人生!」は、アメリカ映画協会(AFI)が選ぶ「感動の映画ベスト100」で1位にランクされるほどの名作中の名作です。

先日、Wikipediaで調べていたら「公開から50年が経過しているためパブリックドメインとなっている。」ということを初めて知りました。

ということは、どこかで無料公開している動画サイトがあるかも知れないと思って探してみました。

再度取り上げようと思ったのは、そういう理由からです。

まだ観たことのない方のために、下に共有しておきますね。

 

 

簡単にあらすじを紹介しておきます。

自分の夢を抱きながらも、過労で亡くなった父の会社を継ぐことになったジョージは、町一番の富豪で銀行家ポッターの圧力にも負けず真面目に働いてきた。やがて幼なじみのメリィと結婚したジョージは、子供にも恵まれしばらくは幸せな生活を送っていた。しかし経済恐慌やポッターからの圧力など数々の不運がジョージを襲い、彼は人生に絶望する。橋の上から身投げしようとしたその時、一瞬早く奇妙な老人が彼のそばで身投げした。ジョージは夢中になってその老人を救った。老人はクラレンスといい、自分は2級天使で翼をもらうためジョージを救ったのだと語った。

自棄になったジョージが、この世に生まれなければ良かったと洩らすと、クラレンスは彼を望みどおりジョージの生まれて来なかった幻の世界に連れて行った。そこは人情も道徳もない幻滅の世界であった。ジョージはたまらなくなって元の世界へ戻してくれと絶叫した。

再び現実に戻ったジョージは、クリスマス・イヴの祝いを待つ我が家に駆けもどった。そこへジョージの窮状を知った町中の人々が、寄付金をもって彼の家に押しかけて来た。ジョージは今さらながら人の心の温かさを知り、妻や子供たちを抱きしめて、人生の幸福をしみじみ感じた。

 

「頭の体操」

 

昔、子ども達がはまっていたDSの謎解きゲームが、スマホでもできるようになっていたので、何となくやってみました。

当時は子ども達ばかりで私には回ってこなかったので、どのナゾナゾも初見ということで、そこは都合が良かったです。

と言っても監修が「頭の体操」シリーズの多湖輝さんでしたから、私にとって懐かしいテイストの問題がズラリと並びました。

一筆書きやマッチ棒パズル、川渡り問題などなど。

「頭の体操」はメモ用紙をそばに置いて悪戦苦闘していましたが、今はスマホ画面がメモがわりになって便利です。

けれども、やはりひらめきは必要で、常識に囚われていると解決の突破口が見つかりません。

例えば「頭の体操」第1集のまえがきにあった例題。

「葡萄酒瓶がある。コルク栓がしてあるのだが、あいにく、栓抜きがない。瓶を割らず、コルクにも穴を開けないで、中の葡萄酒を飲むには、どうしたらよいか。」

常識のとりこになっている限り、この問題は解くことができないと作者は断言しています。

常識を捨てたあとに、ひらめきで解決に辿り着いた時の快感といったら!

それをまた経験したくて、のめりこむようなものですね。

頭をやわらかくするトレーニングは、いつでも刺激的です。

 

 

「肉体を得た現実」

 

 

久しぶりに哲学に触れたくなって、ショーペンハウアーの「自殺について」を読んでみました。

ショーペンハウアーはきっとペット好きだったに違いないと想像できるほどに、この本は人間の本質について動物と対比して語られることが多いです。

「この世の悩みに関する説によせる補遺」にこんな箇所があります。少し長いのですが、私が納得させられた箇所でもあり、そのまま紹介しますね。 

 

人間の感情は、動物とはくらべられぬほど、なんと深刻に、劇烈に、動かされることか! しかも、その目的といえば、究極的には、ただ、同様の、健康とか栄養とか交接などの成果を得るにとどまるのだ。

このことは、おそらく、人間にあっては、すべてのことが、過去と未来とのつながりにおいて、考えられる─このことから心配とか恐怖とか希望などが初めてほんとうに生のなかに現われ、そのうえそれはやがて享楽や苦悩が現在的である動物にあってはただ現在にのみ限られている実在性が実際に示す力よりも人間に対してはずっと強く響いてくる─ことにより、遙かに強く印象づけられるのだ。

すなわち、動物には、反省─喜びと悩みとの凝縮装置─がないから、人間のように、回想と憧憬とによって、喜びと悩みとが蓄積されるようなことが、起るわけはない。

動物にあっては、苦悩は現在にとどまり、たとえ、苦悩が、何度も数を重ねて、後から後からとくりかえし起ったとしても、やはり、常に、ただ、最初の場合と同様に、苦悩は、現在にとどまっていて、重積するということはあり得ない。従って、動物たちには、心配などあるはずもなく、その感情は、いつも平静に保たれていて、まことに羨ましいわけだ。

ところが、人間の心情においては、反省と、これに従属するものを媒介として、前に述べたような─動物も人間と同様にもつ─享楽と苦悩との要素から、その幸不幸に対する感覚の昂進の度が、一目見たばかりで恍惚となり、しかも往々にしてそのまま死んでしまうほどの喜びとなったり、或いは、失望の結果、自殺へと導かれるにいたるまで、発達しているのである。

 

簡単に言ってしまえば「動物は人間よりも現実の世界に生きることだけに満足している」ということになるでしょうか。

「動物は肉体を得た現実である」という表現もしました。純粋な生命活動であるからこそ、巷のネット動画で流れる動物の映像は、時に人々に癒しを与えるのでしょう。

たまに動物の動きを精巧にコピーしたロボットの動画がありますが、それは癒しどころではなく気味が悪いものとして目に映ります。それは生命の純粋な活動に対する冒涜(?)に見えているからなのかも知れません。

 

昔話「くらげのお使い」

 

今日は児童文学者の楠山正雄の作品を紹介します。

「くらげのお使い」

青空文庫で全文を読むことができますので、リンクを貼っておきますね。

以下、あらすじです。

 

竜宮の妃の病気を治すために猿の生き肝(いきぎも)を取ってくるように言われたくらげが、猿をだまして連れてくるまでは良かったが、途中で生き肝が目的であることをしゃべってしまう。猿は「生き肝は島の木の枝に干したままだ」とくらげを引き返させて逃げる。怒った竜王は海の生き物たちに打ち据えるように命じたため、くらげは目も鼻もない、骨なしの生き物になってしまった。

 

同じ内容の説話が古代インドの「パンチャタントラ」にもあるそうで、それが海を越えて日本に渡ってきたのだそうです。

生き物の生態の由来を説明する昔話は時々見かけますが、残酷な顛末に少し言葉を失ってしまうことがあります。

けれども、昔の人にとって目鼻がなく骨もないくらげを、こんなお話をひねり出すしか説明しようがなかったのかも知れませんね。

 

Aurelia aurita 001