熱中症に注意!

 

今日は文字通り肌に日差しが突き刺さりました。

外を歩いていると、熱せられた空気が体を包み込みます。

じと~っ。もあ~。

不快指数がどれだけ振り切っているのだろうと思いながら、近くのファーストフード店に逃げ込みました。

暑さ指数(WBGT)を確認すると、28.6℃。厳重警戒のレベルです。

 

 

暑さ指数(WBGT)は人体に影響の大きい湿度、輻射熱、気温の3つの指標をもとに算出されたもので、熱中症指数とも言われています。

もしかしたら、厳重警戒を超えて「危険」レベルの地域もあったかも知れません。

 

最近、雨の影響で気温が比較的低い時期が続きました。

人の体は環境の変化にすぐに適応できるものではありません。

今、自分がいるところの気温が何℃なのか。湿度はどうか。そういう情報は常にチェックしていた方がいいですね。

 

「殺し屋ですのよ」

 

もちろん、皆さんがご存知の通り、SF作家の星新一さんはショートショートの神さまと言われています。

ブラックユーモアにあふれたものや、ありそうでない奇抜なもの、それでいて教訓に満ちたもの、これらの作品群はいつ読んでも(どこから読んでも)新鮮で楽しいものです。

そのショートショートをNHKが2008年に映像化して放送していました。

その番組の宣伝文句が「彼の世界感を、新進気鋭の映像作家による斬新なアニメと新感覚のドラマで映像化」

今はそれをDVD-BOXで観ることができます。

 

 

星新一さん原作のドラマは、そのほかにも「世にも奇妙な物語」にも登場していました。

「殺し屋ですのよ」は、そういうこともあるなあと感心した覚えがあって懐かしい作品です。

 

動画を見つけたので、また星新一さんの本を読み直してみたくなりました。

 

 

 

おすすめします。創作ミュージカル「ぱふぉ!」

 

本番の日がちょうど私の東京出張と重なっていて、観劇することができないのが残念でした。

けれども、やはりどうしてもあきらめきれないので、昨日無理を言って彼らの「通し稽古」を見学させてもらいました。

 

 

一言でいうと、素晴らしかったです!

彼らのオリジナル・ミュージカルとのことですが、びっくりしました。

 

 

まず、導入部。

それぞれのキャストの個性が明るく華やかに披露されます。

4つほどのグループがあり、表面上は幸福に見えて仲良く、苦労など知らぬ天真爛漫なテンションで舞台中を踊り駆け回り、明るい歌声が突き抜けていきます。

けれども、物語がすすむに連れて、キャストは深く語り始め、彼らの本心の声を聞くことになります。

 

そんなある日、彼らの住む町で、ひとつのイベントが告知されました。

「パフォーマンス・コンテスト」

優勝した団体には名誉とともに賞金が用意されています。

 

彼らは喜び勇んで参加表明したでしょうか? 否、そうではありませんでした。

それぞれのグループで、このコンテストに参加するかどうかで激しい口論がはじまります。

参加の有無の決定は、彼ら一人ひとりの意志や目的(なぜ、そのグループに帰属するのか)の再確認の作業でもありました。

それは、自分自身と世界との関わりの再確認の作業でもあったのです。

そのとき、それぞれの人生の過去、現在、将来に対する不安などが吐露されていき、時には深く傷つき諦める者、そこから立ち上がり歩き始めようとする者、すでに過去の自分から決別し前進することを信条としている者、それぞれが新たな人格へと脱皮していきます。

 

「人は人によりて人となる」

青春時代の、若い頃の希望も願いも、そして苦味も思い出させてくれるミュージカルでした。

素晴らしいミュージカルだと思います。

フライヤーでは、このミュージカルの楽しさ、面白さ、深さが伝わっていないのではないかと危惧しています。

 

快作です。

ぜひ御覧ください。おすすめです。

 

 

盛り上げたい時に

 

大学時代の友人の影響があって、気持ちをもりあげたい時に使う曲があります。

ランニングする時は基本的に音楽を聞かないのですが、気分が乗らない時にイヤホンで聞きながら走ると、さすがに闘志が湧いてくる感じです。

音楽が気持ちに作用してくるのを実感する瞬間です。

やっぱり映画のシーンのように途中でシャドーボクシングをしたくなります。それをグッとこらえて走り続けます。

「頑張れ、自分」

私にとって、そんな言葉が素直に出てくる曲です。

 

 

 

TEDから 「物事の「良し悪し」は思い込みに過ぎない」

 

久しぶりにTEDからです。

まずはサイトにあった、演者の女性の紹介です。

「ヘザー・ラニエの娘フィオナは、ウォルフ・ヒルシュホーン症候群という遺伝子異常による先天性疾患を患っているため、発達に遅れがあります。でも彼女は、悲劇のヒロインだとか、天使のように可憐だとか、似たような状況の子供たちに向けられるステレオタイプには当てはまりません。まれな症状の女の子を育てるという美しくも複雑で、喜びに溢れていながらも困難な道のりを語るこのトークで、ラニエは人生にとって何が「良い」もので、何が「悪い」ものかという私たちの思い込みに疑問を呈します。普通ではないと思われる状況を克服することに囚われるのではなく、あるがままの人生をそのまま受け入れるべきだ、と彼女は呼びかけます。」

 

タイトルに惹かれて視聴してみましたが、期待以上に共感しました。

演者のヘザー・ラニエさんの考える「ありのままの人生」は、もしかしたら誰もが考えている真理なのかも知れませんが、それを言葉で表現したことで、私に再発見の興奮を与えてくれました。

彼女は講演の中でこう言っています。

「物事の良い側面を見ようという話でもなければ事態を静観しようという話でもありません。 教訓は往々にして状況に勝手な判断でレッテルを貼り、具体的な意味を持たせてしまいがちだということです。でも現実はずっと流動的です。物事の良し悪しは、しばしば思い込みに過ぎないのです。」

「この寓話が私に警告してくれたのは物事の良し悪しにしがみついてしまうと状況を真に見極められなくなるということ。しがみつく手を緩めて進めばもっと多くを学べますし、開かれた考えで好奇心を持って進むことができます。」

 

寓話とは、下のようなものでした。

 

昔の寓話に馬を失った農民の話があります。隣人がやって来て言います。

「ああ 残念だったね」

すると農民は言います。

「良いか悪いかは分からない」

数日が経って、その馬が7頭の野生の馬を連れて戻ってきます。

隣人がやって来て言います。

「良かったじゃないか!」

農民は肩をすくめて言います。

「良いか悪いかは分からない」

翌日、農民の息子が野生の馬に乗って出かけると馬から落ちて脚を折ってしまいます。

隣人がやって来て言います。

「ああ 運が悪かったね」

すると農民は言います。

「良いか悪いかは分からない」

やがて、役人がやって来て家々を回り、軍隊に招集できる若者を探して回ります。

農民の息子の脚が折れているのを見て役人は通り過ぎていきます。

隣人がやって来て言います。

「運が良かったなあ!」

すると農民は言います。

「良いか悪いかは分からない」

 

そうですね。「人間万事塞翁が馬」のことわざです。

 

彼女の講演は、「良し悪し」にとらわれずに流動的な事態に、どう向き合い取り組んでいくかを説いています。

18分間と少し長めですが、ぜひご覧ください。

 

 

映画「ヒア アフター」

 

映画「ヒア アフター」をビデオで観ました。

2010年のアメリカ映画です。日本公開が2011年2月19日からで、その年3月の東日本大震災を受けて(大津波のシーンが震災を連想させることなどとして配慮のうえ)3月14日には上映中止となっています。

 

クリント・イーストウッド監督。マット・デイモン主演。

あらすじはこうです。(ウィキペディアから)

フランスの女性ジャーナリストのマリーは、津波にのまれた時に臨死体験を経験。その時に見た不思議な光景を忘れることができずにいた。イギリスの少年マーカスは、愛する双子の兄を亡くしてしまった悲しみから立ち直れず、兄と再会することを望んでいた。アメリカ人ジョージは、かつて霊能者として知られた人物だが、次第に自らの才能を嫌悪、その才能を用いずに生きていた。

 

死という謎にとりつかれたこの3人が、ある日ロンドンで出会うことになる。

あらすじにもあるように、3つの物語がそれぞれ独立して進行していきます。

そして、映画の最後になって、3つの物語の主人公である3人が出会うことで、ひとつに集約されていきます。

 

「人は死んだらどうなるのか?」

クリント・イーストウッド監督は、宗教性を除外して、この素朴な疑問に正面から向き合った映画をつくりました。

そして、「人との出会いが人生を変えることがある。」

そこにこの映画の救いを準備していました。

 

優しい映画です。

ただ冒頭の津波のシーンだけは、私は直視できませんでした。

 

 

 

出張ラン(東京編)

 

週末は東京に学会出張がありました。

土曜日の夜遅くにホテルに到着。日曜日の午前10時からの開始まで時間に余裕があったので、朝ランしてきました。

大阪や福岡での「出張ラン」はありますが、東京は初めてです。

憧れの「皇居ラン」ではありませんでしたが、東京タワーがそびえる芝公園周辺をランニングしてきました。

 

 

ランナーの姿はまばらでしたが、それぞれのペースでランニングを楽しんでいる様子でした。

天気もちょうど良かったです。さわやかな汗をかきました。

 

スタッフに「東京で朝ランしてくる」と宣言していたので、証拠の東京タワーの写真です(笑)。

 

ドラゴンフルーツの実

 

先日、実家の庭でドラゴンフルーツの花が咲いた報告をしました。

昨年も咲いていたのですが、残念ながらほとんど実にはならなかったそうです。

 

上の花が、今年はちゃんと実になっていました!

こんなふうに実がなるんだねえと両親と感心していました。

もうそろそろ食べごろなのかな?

食べれるようになったら、また報告したいと思います。

 

自己治癒

 

以前の話です。高齢の女性の方が受診されました。

両膝は変形性関節症で腫れており、痛みがあるので歩けなくなったのだと言います。

最近は膝、腰の痛みに加えて両手の指も痛くなってきたので、ご家族が関節リウマチを心配して一度内科の医者にも診てもらおうと思ってきたのだということでした。

 

一通り診察したあとに、その方が「先生、一刻も早く治してください。」とおっしゃられました。

高齢ということもあり、医者という職業に対して勘違いされている世代でもあるのでしょう。

悪いところを取り除いたり、修復したりする外科系と違って、特に慢性疾患を扱う私の専門分野では私は「病気を治す」意識はほとんどありません。むしろ持たないようにしているというのが正しいです。

あくまでも患者さんにとって適切な治療を施そうとしているだけです。

私たちは、私たちが推薦した適正な治療を受けて、患者さんの身体が自分自身で治るのだと思っています。

 

慢性疾患ではありませんが、ウイルス性の風邪などは最たるものです。

「医者には風邪を治せる力はありません。風邪を治す薬もありません。自分自身で治していくのですよ。」

自分自身ですることとは、疲れをためずに十分な休養をとること、水分や栄養のバランスをとること、体を冷えすぎないようにすることなど。

医者が風邪の時に処方する薬は、患者さんが自分自身で治していくまでの、症状を緩和するいわば時間稼ぎの薬です。

 

「まずは見込み違いの診断にならないように。検査してみて、その後に相談しましょう。」

その高齢の患者さんには、そのようにお伝えしました。

 

 

 

しつけと迷信

考えてみれば、子どもの頃のしつけは、かなり強引だった気がします。

渡辺和子さんもその著書で、述べておられますが、「食べ物を口に入れたまま話したり、歩いたりすることはもちろん禁じられ、食後すぐ寝そべることは「牛になる」ことであったし、床の間に足であがること、敷居や畳のへりをふむことは「足が曲がります」という極めて非科学的な理由で禁じられていました。」

これらの「理由なきしつけ」は、子どもの恐怖心をあおるものだったり、罰則の意味を持っていたりしたものですが、私にも少しずつですが覚えがあります。

 

「子どもがコーラを飲むと骨が溶ける」などは今でもネットで話題にあがったりしていますから、真偽よりもよほどインパクトがあるのでしょう。

それに類似したもので「子どもがコーヒーを飲みすぎると頭が悪くなる」とか。

「しつけ」のためというより、迷信となってしまっている感じもありますね。

迷信でいくと「夜中に口笛を吹くと、幽霊がよってくる」もあります。

夜中ついでには「夜中に爪を切ると、親の死に目にあえない」というのもあります。

 

渡辺和子さんは、その章の中でこう結んでいます。

「『美しさ』というのものは、礼儀という小さな『きまり』ごとの積み重ね。自分との闘いの所産。」

きまりごとを積み重ねるには、まずは形から入る。

所作をマスターしたあとに、わかってくる中身がある。

空手の「型」に通じるものがありそうですね。