夢中

 

「夢中」という言葉は不思議ですね。

国語辞典には

1)〔興奮したりして〕わけがわからなくなった状態。「―で逃げた。」

2)何かに熱中して、われを忘れること。「遊びに―だ。」

とあります。

感覚的にも、ものごとに意識が集中したあまり周りで起きていることにさえ気づかない状態を、「夢中」と呼んでいる気がします。

けれども、私たちが通常見る「夢」は、集中力と程遠い気がします。どちらかと言うと、はっきりしない印象です。

 

ただし、「無我夢中」という言葉があるように、「夢中」の行きつくところは「無我」の境地なのでしょう。

「無我」とは、「無私」や「没我」とも言います。

何かに夢中になることって、一種のトランス状態と同じ感覚なのでしょう。

ふと顔をあげると、いつの間にか時間が過ぎてしまっていて夜も更けていたということは、時々経験することです。

「夢中」の「夢」は、この「トランス状態」のことを言っているのかも知れませんね。

 

夢中になれるものがあるって、素晴らしいことです。

ひとつでも、夢中になれるものを見つけたいものです。

 

 

 

頭の柔軟さ

 

「友達からプレゼントをもらったんだけどね。見て見て!」

姪っ子が嬉しそうに報告してくれました。

「外側の箱はハロウィンなんだけど」

彼女の手元には、ハロウィン風のかぼちゃのデザインが施された小箱がありました。

「これを開けると」

そう言って、上ブタを開けてくれました。

「中には雪だるまのチョコレートとか、クリスマスなんだよ!」

「おお!」

「すごくない?」

「ハロウィンとクリスマスの両方を楽しめるね!」

「でしょう!うふふ」

確かに、この時期のプレゼントは、言ってみれば中途半端です。

その中途半端を逆手にとって、両方のニュアンスを取り入れてしまうとは!

(ピンチをチャンスに!ってところだろうか。)

「友達、やるね!」

素直に感心しました。子どもの頭の柔軟さに脱帽です。

 

 

3連月カレンダー

 

ちょっと気が早い感じがしないでもないですが、すでに来年のカレンダーの準備を始めています。

というのも、診察室で私なりの「こだわりの」3連月カレンダーを使っているので、11月になると1月が顔を出すことになるからです。

 

 

11月になっているのに、いつまでも「10月」「11月」「12月」の並びだと気持ちが落ち着きません。

 

実は卓上カレンダーは2018年版に2019年2月の分まであるのですが、どうせならと一緒に準備しました。

 

 

2ヶ月先に予約する方もいて、3連月カレンダーは重宝しています。

 

今回は一緒にA1サイズの1年カレンダーも準備しました。

シンプルなデザインが気に入っています。

これは院長室にしました。

 

 

来年のことを語ると鬼が笑うと言いますが、見通しを立てて想像力を働かせるのは楽しいものです。

 

 

インフルエンザの予防について

 

インフルエンザがまだ流行していない今だからこそ、知っておいてほしいと思いました。

 

政府インターネットテレビに、こんな番組を見つけました。

前もって知っておけば、いざインフルエンザにかかった時に慌てずに済みます。

 

手洗いや咳エチケットが、なぜ予防の手段として有効なのかも説明してくれています。

 

「インフルエンザ 看病する時 される時」

この番組のURLは以下の通りです。

https://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg16301.html

 

5分ほどの短い動画です。

ぜひご覧ください。

 

 

ホンネの言葉

 

言葉の力を感じる本です。ときに短い言葉が、強く胸を打つことがあります。

 ホンネの金言1240

 

例えば、次の言葉は、確かに!と共感するばかりでなく、自分の次の行動につながるものだと思いました。

 

後悔は、過去を変えたがる気持ち

反省は、未来を変えようとする気持ち

 

フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホの言葉だということです。

前に進む力を感じます。

そして、ゴッホはこんな言葉も残しているそうです。

 

何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう

 後悔は願いの裏返しだと言います。願いがあるから、人は後悔するのだということです。

そして、願いを実現するために、反省をし、未来を変えていく。

 

後悔と反省と、そこに隠された「願い」

何に後悔しているのかを探れば、自分がまだ知らない「願い」に行き着くかも知れませんね。

 

開院6周年

 

11月5日はさくだ内科クリニックの開院記念日です。

2012年に開院しましたから、ちょうど6年になります。

 

あっという間な気もしますし、ひとつひとつのことが鮮明な出来事として思い起こされてきます。

 

今日、偶然に、私にとって思い出深く印象的な患者さんのご家族が、クリニックにご挨拶に来られました。

私たちに何ができただろうか。

もっと良い医療が提供できたのではないか。

もっと何か、という想いは、ずっとあります。

 

ご家族との面談は、改めて私たちの理念に立ち還る良い機会となりました。

 

わたし達の合い言葉(モットー)は 「いつでも どこでも その人らしく」

その前提になるのは「医療者である前にひとりの人間として」

 

まだまだ理想とするクリニックには程遠いですが、これからも1年1年を積み重ねていって「小さくても本物のクリニック」を目指していきたいと思います。

 

写真は、いつもお世話になっている方からいただいたお祝いのケーキです。

いつも感謝です。

 

 

 

第17回尚巴志ハーフマラソン

 

今日は第17回尚巴志ハーフマラソンに参加してきました。

 

私は初参加です。

会場で、知っている顔のドクターも何人かいらして、私が不安そうに見えたのでしょう。励まされてしまいました。

「実は昨日の夜に初めてコースを下見したんですよ。あの新里坂(シンザトビラ)を見てびっくりしました。」

「あはは。あそこはねえ。リラックス、リラックス。楽しんで!」

 

尚巴志ハーフマラソンの魅力(?)のひとつ。新里坂。急こう配の上り坂です。

 

 

救いなのは、コースの冒頭にあること。

心身ともに余力のあるうちにチャレンジできることです。

 

それを超えると、ニライカナイ橋を下りながら、絶景を堪能できるはず!

 

途中で「あわもり君」にツーショット写真をお願いしたり、沿道の皆さんの温かい声援と差し入れに感謝しながら、楽しく走ることができました。

(個人的には尚巴志ハーフマラソンで一番きつかったのは、終盤の直線コース、ヤシ並木通りでした!)

 

 

マラソンでなければ、風光明媚なとても素敵な通りなんですが(笑)。

「沖縄県透析フォーラム」

 

少し遅れてしまいましたが、11月1日(木)には沖縄県透析医会の共催で「沖縄県透析フォーラム」が開催されました。

今回は名護にある、たいようのクリニック院長 宮平健先生の

一般演題「当院におけるリン吸着薬の使用状況とリオナの使用経験」

の座長を務めさせていただきました。

宮平先生と私の関わりは、沖縄県立中部病院腎臓内科の同門。私の後輩になりますが、開業については私よりも先輩で、来年で10周年になるとのことでした。

北部地区で約80人近い透析患者さんを1人で診療している宮平先生には、いつも頭が下がる思いです。

患者さんに対して真摯で誠実であり、臨床についてもよく勉強されています。

特別講演は聖路加国際病院部長・腎センター長の中山昌明先生をお招きして

「透析患者のリン、鉄、ナトリウムを巡る話題」

についてお話いただきました。

透析患者さんの感染症リスクについて特に鉄剤の使い方に関しては、大変興味深く拝聴させていただきました。

自分なりにもっと深めていきたいトピックです。

この時期、研究会や勉強会が目白押しで、勉強になることが本当に多いです。

 

 

「如菩薩団―ピカレスク短篇集」

 

筒井康隆さんの面目躍如といった感じの短編集です。

どの短編にも悪逆非道の主人公たちが跋扈する世界が描かれています。

そこに「善き人」はいません。仮に「善き人」がいたとしても可哀想な被害者だったり、片隅に追いやられた見ることしか許されない者だったりします。

「ピカレスク」とは「悪者」や「悪漢」のこと。

おそらく、今の世の中でこういう世界が描けるのは筒井康隆さんしかいないんじゃないでしょうか。

どれも、マンガみたいな話で、呆れて笑ってしまうしかないのです。

けれども、多少誇張されているのは事実ですが、現実の投影でしかないことにやがて気づきます。

大してあなたも変わらないでしょ?と突きつけられている感じです。

こういう短編集をたまに読むのもストレス発散にいいかも知れませんね。

 如菩薩団―ピカレスク短篇集 筒井康隆著

映画「2010年」

 

多少、昨日のブログの続きです。

 

「2001年宇宙の旅」を観ると、50年前の映画にも関わらずに決して色褪せない「未来像」に驚愕します。

その中のひとつ。

今の世の中で普及しつつある対話型のAIが、HAL9000のようなタイプに酷似しているのは決して偶然ではないでしょう。

データを手入力でインプットするのではなく、自ら必要なデータを収集し、取捨選択し、そのうえで分析し、結論を導き出す。

そういう自律型のコンピューターでなければ、宇宙旅行に求められる人間との高度な共同作業はできないだろうという映画製作者達の想像力の賜物なのだと思います。

 

ところで「2001年宇宙の旅」では、HAL9000がなぜ人間に対して裏切り行為を行ったのかが明らかにされていません。

HALのその行為の理由がすっきり明らかにされているのが、2001年宇宙の旅の続編である「2010年」です。

2001年に比べて「わかりやすい」というだけで、もしかしたら評価が別れてしまった映画なのだと思います。

 

アーサー・C・クラークの原作では〈宇宙の旅〉シリーズとして

2001年宇宙の旅

2010年宇宙の旅

2061年宇宙の旅

3001年終局への旅

の4冊が刊行されていますから、行き当たりばったりの続編ではないことがわかります。

 

けれども、2001年に比べてセリフが圧倒的に多いために、観客の解釈はある程度限定されてしまいました。

2001年の時に味わった難解で崇高(そう)な芸術作品を鑑賞している気分は半減されてしまっています。

なんとなく、「がっかり」感が拭えません。

つまり、いい意味でも悪い意味でも「すっきり」しているのが、この映画です。

 

でも、夢見ることがあります。

このモノリスが、現実世界に本当に現れてほしいという夢です。

けれども、すぐに自問します。

もしこのモノリスが現実世界に現れたとして、この映画のように人類は考えを改めるだろうか?

起こっていることを「素晴らしいことだ」と感じる感受性を、今の人類は持っているだろうか?

信じたい気持ちもあるし、不安でもあります。