自己批判の落とし穴

血糖値が高い方や脂質異常の方は、外来受診日には検査結果を確認することが多いです。

前回の結果よりも数値が高くなっていて、その原因に心当たりがある方は「やっぱり今回は上がると思ってたんですよ」と言います。

「しようがいない。仕切り直しですね」と私。

一方、間食を控えて運動を続け、さらには体重も落としてきた人は、かなり期待して検査結果をのぞき込みます。

頑張った分だけ改善がみられている方は、モチベーションがさらにあがり、健康活動にハリが出ますから、気持ちよく回っていきます。

問題なのは、本人が頑張ったと思う分だけの結果が伴っていない場合です。

「あれ?今回は良くなっていると思ってたのに。なんで?」

血糖値は瞬間風速と同じで、すぐに効果が見えますが、例えばヘモグロビンA1cなどは2、3か月間の中期的な平均値なのですぐには検査に反映しないのです。

ここで「もういいや」とか「どうにでもなれ」などのヤケクソモードになってはいけません。

私も結果だけを見て厳しい言葉をかけてしまわないように気をつける瞬間です。

必要のない自己批判はモチベーションを低下させるばかりか、自己コントロールを低下させます。

自分にやさしい言葉、励ましの言葉をかけるように誘導ができれば、やる気の向上につなげることができます。

「やっていることの方向性は絶対に間違っていないから、ためしに次の検査まで待ってみましょうよ。」

ヤケクソになるのを免れた人は、さらなる工夫を考え出すことが多いのを見てきました。

「運動したあとのビールが続いたのが良くなかったかも知れない。少し減らしてみます。」

自己コントロールが必要な方は、自己批判を繰り返さないようにしてください。自分に厳しくすると、かえって「どうにでもなれ」の回路が働いて、自暴自棄でコントロール不能になってしまいます。

  

 

トランプ・クイズ

久しぶりにトランプネタです。

(カードマジックが大好きな私は、以前はこのブログによくトランプネタを投稿していたものでした。)

さて今回のはトランプを題材にしたクイズです。

下の図のように、トランプを並べてつくった数式があります。

言うまでもなく「A」は、数字の「1」に代用されます。

1+5=2+4

左辺と右辺は同じ6ですから、正しい式ですね。

問題は、次の数式です。

2×4=1×6

いやいや明らかに間違っています。

しかし、これもちゃんと正しい式だと言うのです。

考えてほしいのは、この数式が正しいとする理屈を考えて欲しいのです。

その理屈は、上の式にも通用しなければなりません。

柔軟な思考で考えてみてくださいね。

集団接種にて

今日の午後は浦添市のコロナワクチン集団接種のお手伝いに行ってきました。

日曜日は午前と午後に分かれていて、私は午後の部のリーダー医師を担当しました。

今日はタイミングとして接種2回目の人がほとんどで、一度経験しているということが大きかったようです。

待機場所でも落ち着いた表情の方が多く、体調不良を訴える方が皆無でした。

最近は十代の接種者が多くなってきて、緊張のあまり気分が悪くなる方も増えていたのです。

彼らに共通しているのは、病院にかかるほどの病気をしたこともなく(それ自体は非常に良いことです)、この接種が物心ついてからの注射初体験に近いということです。

経験していないことは人から聞く話が全てですから、必要以上の不安と恐怖が胸を満たしてしまっているのでしょう。

注射した後に目の前が暗くなり、ヘナヘナと崩れ落ちる若者がいても、不思議ではないのです。

今日は接種2回目という要素が大きかったのだと思います。

おかげ様でスムーズな集団接種ができました。ありがたいことです。

みんなで経験していくことが、一つひとつの蓄積になっていきますね。

 

 

認知バイアス

バイアスとは「偏り」という意味があります。

そして、自分の思い込みや周囲の環境に影響されて、非合理的な判断をしてしまう心理現象を認知バイアスと言います。

認知バイアスについて考えるようになったのは、コロナワクチン接種について忌避者と呼ばれる方とお話する機会が増えたためです。

認知バイアスはいくつかのカテゴリーに分類されていて、代表的なものを以下に列挙してみます。

 

○確証バイアス(追認バイアス)

自分に都合のいい情報だけを集めてしまう現象です。

もともとの先入観に基づいて他者を観察し、その先入観を補強するというものです。

ですから、新たに情報が得られたとしても、先入観ありきで、決断した内容を有利に解釈する傾向があります。

 

○正常性バイアス(正常化の偏見、恒常性バイアス)

自分に都合の悪い情報を無視してしまう現象です。

よく例に出されるのが、災害の避難についてです。自然災害や火事、事故・事件などの状況下にあっても、自分にとって都合の悪い情報を無視し、過小評価して逃げ遅れ、被害が広がってしまうのです。

最悪の状況をイメージすることができないので、「まだ大丈夫」「すぐに収まる」と考えてしまいます。

 

○偽の合意効果

自分の考えが一般の考えと同じと思い込んでしまう現象です。

自分の評価が日本人の評価を代表している錯覚に陥っています。

 

○内集団バイアス

自分の属している集団は他の人に比べて優れていると思い込む現象です。

自分と同じ意見だから、正当であり間違いがないと思っています。

簡単に言えば、「依怙贔屓」と同じです。

 

○アンカリング

ある事象の評価が、ヒントとして与えられた情報に引きずられてしまうことです。先に得た情報によって選択が変わってしまうのです。

 

○後知恵バイアス

物事が起きたあとに、過去の事象を全て予測可能であったかのように錯覚してしまう現象です。

ある物事が失敗した時に「最初からダメだと思っていた 」とか「だから言ったのに」とか言ってくる人は、この後知恵バイアスの影響を受けているかも知れません。

本人としてはこうなることを知っていたような気分になってしまうのです。

 

○根本的な帰属の誤り

状況の影響を過小評価し、個人特性を過大評価して人間の行動を説明する傾向です。

 

認知バイアスが厄介なのは、これらは無意識に生じているため本人は気づかずにいることが多いことです。

「認知バイアスというものがある」ということを頭の片隅にでも入れておいて、一呼吸置くことが良いかも知れません。

 

 

2021年度のインフルエンザワクチン予防接種について

10月から2021年度のインフルエンザのワクチン接種がスタートします。

今回、コロナワクチン接種と重なってしまうため、混在するとミスのもとになりますので、当クリニックでは月・火・金の午後枠のみの完全予約制といたします。

接種日が週3回となり、平年と比較して接種可能な数に限りがありますので、大変申し訳ありませんが、当院定期通院中の患者様のみとさせていただきます。

接種スタートは令和3年10月22日(金)からです。

クリニックにお電話いただくか、窓口にて直接予約ください。

診察とワクチン接種は同時にできませんので、あらかじめご了承ください。

ご協力をよろしくお願いいたします。

 

 

変わらないもの

1994年にシーズン200本安打を達成したイチロー選手がブレイクし、翌年に日産自動車のCMに出演していました。その時のコピーが「変わらなきゃ」でした。

2008年オバマ大統領は「Change Yes We Can!」のスローガンを掲げて就任しました。

当時の、古い価値観や概念を変えて(または捨てて)新しい風を入れていこうとする世間の風潮をよく表した、時代を代表するキャッチコピーだったと思います。

「交流分析」提唱者の精神科医エリック・バーンも「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる。」という言葉を残しています。

私も自然とそういう流れで生きてきました。そういう空気の中で育ってきていますから、ほとんど無意識なものです。

一方で、「変わりたいけど変われない」人が、それを自責として自己愛を失ってしまっているケースを経験しました。

マインドフルネスが「ありのまま」を提唱するのは、そういう方たちの救いになると思いました。

最近読んだ斎藤環さんの本にこんな箇所があります。

 

 僕の持論はこうだ。人はしばしば変わることを口にする。しかし人が本当に変わることは難しい。いや、むしろ、こう言うべきか。「変われば変わるほど変わらない」。僕がしばしば引用するフランスの諺だ。実のところ、これは僕の人間観のもっとも根本にある原理のひとつである。

 ただしこれを「しょせん人は変わりっこないんだから、がんばっても仕方ない」という諦観と思われては困る。僕はこのことばに、永劫回帰にも通ずる真理をみているのだと言えばおわかりいただけるだろうか。「人の変化」を肯定するためにこの言葉を用いているということは伝わるだろうか。この言葉にはまた、変化というものが、なんらかの恒常性や普遍性を担保にしなければ起こりえないという意味も含まれているのだ。

斉藤環『世界が土曜の夜の夢なら  ヤンキーと精神分析』角川書店から

 

「変わらないものがあるから、人は変わることができる」

「変わらないもの」の保証があるからこそ、ジャンプができるのだと思います。

 

 

中秋の名月

昨日は中秋の名月でした。

と言っても、私はなんやかんやで夜空を見上げるヒマがありませんでした。

帰宅するとそのまま満月を仰ぐこともなく、寝床に入って眠ってしまいました。

そして、今朝。早起きは三文の徳とはよく言ったものです。

夜が明け、空がうっすらと青みがかる頃。西の空を振り返ったら、昨日の中秋の名月が低いところに残ってくれていました。(写真だとかなりわかりにくいです)

この空の明るさはスマホカメラにとって千載一遇のシャッターチャンス!

夜の満月は明るすぎて、露出がオートの純正のカメラアプリではうまく撮影できません。たとえば下の写真のように。

月光の眩しさを表現する写真にはなりますが、私は月の表面の模様を写したいのです。

月や星を綺麗に撮影する専用のスマホアプリはあるらしいのですが、いつも忘れて未だにインストールしていません。

この空の明るさはコントラストが少ない分、良い感じで撮影できるはずです。

いったん撮影したあとに、露光を編集してみてトリミングしてみました。思った通りの写真がとれました。

明らかに自己満足ですが、それでいいのです。朝からとても良い気分になりましたから。

「能不能」

「人にはすべて能不能あり」

若い頃からヒトを冷めた目で見るクセがあるので、盲目的に信じることはありませんでした。

ですから、師匠と仰いでいる方の欠点が見えたとしても「そりゃあ人間だもの」で軽くすませました。

どんな人にも長所と短所があり、長所を評価していれば人間関係は円滑に進みます。

逆に短所ばかりをことさら強調してしまうと、そこにこだわってつきあいができません。

別につきあわなくても良いぐらいの気持ちでも、仕事上どうしても顔を突き合わせなくてはいけないという関係もあるでしょう。

両方併せ持っての人間です。良いところを見つけて相対するのは人間関係のコツです。

「人にはすべて能不能あり」

それをつい忘れて、相手に完璧を求めてしまってはいけません。自分にも欠点は山ほどあるのですから。

 

 

「わたし」の長所

ある方から自分の長所を見つける方法を教えてもらいました。

わたしには「そんな発想はなかった」と思うのと、「ホントかなあ」と思うのが半々の方法でした。でも、理由を知ると「そうなのかも」と信じてみたくもなりました。

特に自己肯定感の薄い人に有用かも知れません。

その方法とは、自分の周囲にいる人や自分が憧れている人、その時に頭に思い浮かんだ人の長所を紙に書いてみるというものです。

「わたし」の長所ではありません。「わたし」以外のその人の魅力、長所についてノートに書き記すのです。

Aさんは誰かが困った時に、気が付いてさりげなくサポートをしてくれる。優しい、とか。

Bさんはどんな状況にあっても不機嫌になることがない。いつも心が安定している、とか。

AさんやBさんのことを書いてもらったそれらの項目が、実はそのまま「わたし」の長所であるというのです。

そう言われても、にわかには信じられませんよね。誰でも「ない、ない。」と否定したくなります。

けれども、その理由を聞くと「う~ん。そう言われればそうなのかも」と思いました。

それは、AさんやBさんの良さがわかるということは、その良さを「わたし」が持っているから、らしいです。

「わたし」にない要素を、他人に見ることはできません。具体的には、優しさがない人は、人の優しさがわからないものです。

言われてみれば、そうかも知れません。

その人のなかに長所を見つけたのならば、当然「わたし」にもその要素があるということらしいです。

まあ、長所と断言はできないけれど、「そうなりたいと憧れる要素や特性」と言い換えるのなら、素直に肯定したいとも思います。

人の「ほめポイント」を、リストアップしてみても良いかも、ですね。

 

 

堪え性

久しぶりの休日だったので、午前中に少しランニングしてきました。

しばらく5Kmを超えた距離を走っていなかったので、せめて10Kmを走ろうと思ってのスタートだったのですが、5Kmを超えたあたりから足よりも気持ちが挫けていました。

ちょっと登り坂コースが続くと、登り切るまでの心の葛藤がうるさいのです。

気持ちが5Km地点のゴールに慣れてしまっていて、それを超えると堪え性がなくなった感じでした。

新渡戸稲造の言葉「逆境にある人は常に「もう少しだ」と思って進むとよい。いずれの日か、前途に光明を望むことを疑わない」をふと思い返しました。

登坂コースを「逆境」に例えるあたり、かなりモチベーションが萎えてしまっているようです。

しかし、澄み切った青空の下で、気持ちも晴れました。

また時間を見つけて(無理をしない程度に)ランニングに出かけたいと思います。