夢野久作「キューピー」

 

最近は(と言っても以前からなのですが)、青空文庫で読める短編小説を発掘するのに喜びを感じています。

青空文庫ではありませんが、ジャンルも違いますが、以前に紹介した「2分間」あるいは「5分間ミステリー」みたいに、さらっと読めるようなものを好む傾向にあります。

今日は夢野久作の「キューピー」を見つけました。(3分で読めます)

こんなお話です。

 

「アメリカ生まれのキューピーがいなくなったため、おもちゃ箱の中は大騒ぎになりました。日本のダルマさんは向かい合わせの鉢巻きをして、タワシ細工の熊に乗って最初に飛び出しました。その後、ドイツ生まれのブリキの兵隊が木製の自動車で駆け出し、フランス生まれの道化師とイギリス生まれの眠り人形が後から続きました。みんな出て行って、おもちゃ箱は空っぽになりました。

ダルマさんが、敷居の前で通りかかったネズミに、キューピーがどこに行ったのか尋ねると、ネズミは笑いながらこう言いました。「それは、この家にやってきた小さな三毛猫がおもちゃに持って行ったに違いない」と。ダルマさんは日向ぼっこをしている三毛猫を睨みつけました。兵隊さんは剣と鉄砲を持って、キューピーに何が起こったのか尋ねましたが、三毛猫はビックリして、顔を撫でながらこう言いました。「いいえ、私はキューピーをおもちゃにしたことはありません。たぶん、鼠さんが私をここから追い出すためにそんなことをしたのでしょう」と。それを聞いた皆はすぐに天井裏を探しました。すると、隅っこでキーキーピイピイという泣き声が聞こえました。そこに行くと、キューピーが泣きながら寝ていました。キューピーはお腹が空いており、青い目を泣きぬれさせていました。キューピーを介抱し、元気を取り戻し、みんなは喜んでおもちゃ箱に戻しました。

三毛猫はその後、大きくなって家中の鼠を捕まえて殺してしまいました。」

 

夢野久作は、「ドグラ・マグラ」などのような独特な世界観と幻想的な物語で知られています。

夢野久作作品は、現実と非現実が交じり合った独特な雰囲気を持っているという点で、「キューピー」もそのような特徴が見られます。

大人も楽しめる作品であるのは、そのせいもあるのでしょう。

この「キューピー」の意義は、現実世界にはないおもちゃたちの冒険を通じて、読者に人間の心の中にある善悪や真実と嘘の対立を考えさせるという点にあると言えます。

物語の中で、鼠が嘘をついて三毛猫を陥れようとしますが、最後には正義が勝利します。これは、人間の心の葛藤を象徴しているとも解釈できます。

また、「キューピー」は国際的な要素も盛り込まれており、さまざまな国のおもちゃたちが登場します。この国際性は、物語を楽しむだけでなく、読者に異文化理解の大切さを教える一助となっています。

総じて、善悪の対立や異文化理解の重要性など、普遍的なテーマを扱っているといえます。

 

Kewpie doll

 

芥川龍之介「鼻」

 

 

「ありのまま」を応援する歌もあるぐらいですから、「ありのまま」の自分を出すことは難しいですし、何よりその自分に満足することも難しいです。

芥川龍之介の「鼻」は、まさしくそんな人間の心理を見事に描き出した作品です。

青空文庫で読むことができます。こちら → 「芥川龍之介 鼻」

あらすじを書いてみます。

 

この小説の主人公は禅智内供(ぜんちないぐ)という僧侶で、彼の鼻といえば知らぬ者はいないほどでした。彼の鼻は五、六寸あって、上唇の上から顎の下までぶらさがっています。

内供は、日々この長い鼻に悩まされ、周囲に嘲笑されては自尊心を傷つけられていました。彼は、自分と同じような鼻を持つ人物を探そうとし、また長い鼻を短くする方法を試みましたが、どれも成功しません。

ある日、弟子の僧が知り合いの医者から鼻を短くする方法を教わり、内供はその方法を試します。湯で鼻を茹で、その鼻を踏んでもらうという簡単な方法でしたが、鼻は嘘のように短くなりました。

鼻が短くなった内供は当初満足していましたが、寺を訪れた侍たちが前よりもおかしそうな顔で鼻を見ることに気づきました。彼はこれを自分のせいだと考え、機嫌が悪くなりました。ある夜、鼻が痒く感じ、翌朝には元の長い鼻に戻っていました。同時に心も晴れやかになり、「これで誰も笑わないだろう」と考えるのでした。

 

芥川龍之介の「鼻」は、外見や他人の評価に囚われることの無意味さや、自己受容の重要性を描いた小説です。

主人公の内供は、鼻の長さに悩んでおり、それが短くなったときには一時的に満足します。しかし、他人の視線によって再び不快感を抱くようになり、最終的に元の長い鼻に戻ると、同じような安堵感を得ます。

この小説には、こんな一節があります。

「人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。ところがその人がその不幸を、どうにかして切り抜ける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れてみたいような気にさえなる。そうして何時の間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる」

この物語は、他人の思惑や評価に左右されることで引き起こされる人間の悲劇を描いています。

自分自身を受け入れることの難しさや、他人の期待に応えようとするが故の葛藤が、主人公の内供を通して表現されています。

内供のことは他人事ではない、自分自身のことだと思います。

 

立夏:夏がはじまる日

 

今日で大型連休も終わりです。

よく外来の患者さんたちから、「病院は休みだからいいねえ。先生もどっか旅行にでも行くの?」などと訊かれたりしますが、外来は休診でも、当院は透析クリニックなので、全く連休は関係ないのです。

(世間ではそう見られているのか…)と思いますが、透析患者さんたちはわかってくれているので、あまりムキになることもありません。

ただ、周囲の休み気分に触れていると、自然と気が緩んでしまっているのを自覚します。

昨日5月6日は立夏でした。春から初夏へと季節が移り変わります。明日からは、少しずつ仕事が本格化していきます。

この節目を機に、リフレッシュと仕事のバランスを見つめ直し、適度に気持ちを切り替えて取り組むことが大切ですね。

五月病は、どんな人でもなり得るものだと心得ていた方が良いです。

適度な仕事モードに戻るために、以下のポイントが役立ちます。

 1.仕事の優先順位を整理し、焦らず一つずつこなす

 2.効率的なスケジュールを立てつつ、リフレッシュも大切にする

 3.モチベーションを維持するため、達成感を感じられる目標を設定

自分に合ったペースで仕事モードに切り替えて、自分の成長に繋がる一歩を踏み出しましょう。

これからの時期は、美しい初夏の景色を楽しみながら、リフレッシュと仕事の両立を目指していきましょう。

 

 

生成AIとウソ

 

ChatGPTなどの出現によって、2022~2023年はエポックを画した年として語り継がれるのではないかと言われています。

私たち世代は、とにかく「おじいさんのランプ」よろしく、あるものが登場し変遷していったさまをことごとく経験してきた世代です。

音楽媒体しかり、コンピューターしかり、ネットしかり。

あるものが登場したら、しばくすると、例えば「ネットネイティブ」や「スマホネイティブ」の人間が誕生・成長してきます。

彼らが歯磨きをするぐらいに簡単に使いこなしている様子も、驚愕の眼差しで目撃してきました。

「大規模言語モデル」の生成AIが、今後どのような形で日常に入り込むのかに、とても興味があります。

正確な回答を導き出すための、質問(プロンプト)などが日常会話のように飛び交っていくのかも知れません。

私の浅い理解でも、テキストを大量に学習し「次の単語を予測する」ことを繰り返すだけの(?)ChatGPT が、何となく知的に受け答えすることの不思議さが実感としてあります。

いわゆる究極の文系タイプのはずなのに、数学を教え込んでいないChatGPTが、数学の問題を解いてしまっているというお話を聞いただけでも、文系と理数系のタイプ分けってそもそもなんだったん?と思ってしまいます。

けれども、ChatGPT って、しれっともっともらしく嘘をつくんですよね。

たとえば、私たちは学習する時、それに値する教科書や専門書を頼りにします。初学者が「どんな参考書がいいのか」と訊くのは正しい初動です。

ChatGPT は、どこで拾ってきたのかと思うぐらいの独創的な内容を出力してくることがあります。読書家なのはわかったけれど、変な本を選んでくるなよという感じです。

これからしばらくは、生成AIへの質問力と得られた回答の真偽の精査力が大切になってきますね。

 

 

大相撲

 

大相撲をリアルタイムで観ることを久しくしなくなりました。

元々、大相撲は好きな方で、ブームの時に限らず、新聞のスポーツ欄で星取表を眺めてるのを日課にしていたほどです。

無関心でいるといつかこの文化は廃れてしまうのではないかという不安感も確実にあって、私の中では若い力士には「文化伝承者」として見てしまう向きがあります。

ですから、無条件でに感謝と畏敬の眼差しを送りたくなるのです。

周りを見わたせば、当たり前だと思っていた日常の風景や習慣が、どんどん消えていってしまっています。

外で遊ぶ子ども自体が少なくなっているところへ、サッカーや野球をする子どもはいても、うんと昔のように相撲をして遊ぶ子どもはとっくに絶滅しています。

サッカーの国際試合がW杯を頂点に盛り上がっているように、野球までもがWBCで世界中にファンを広げようとしています。

日本の出生数が年々減少していき、人手不足がどの業界でも叫ばれていく中で、それこそ当たり前と思っていたものが「いつまでもある」と思うのは違うのかも知れません。

来週の日曜日から「五月場所」が始まります。

ネットで番付表を確認しました。

今は日本相撲協会が本場所のその日の主な取り組みをYouTubeにアップしてくれているのですね。

久しぶりに初日から星取を追いかけていこうと思います。

 

 

「故事名言」

 

さすがゲーテ。面白いことを言っています。

 

「いわゆる『名言』と呼ばれる言葉には、遠い昔から、色々と伝えられてきた。けれど、その『名言』を受け継いだ後世の人々は得てして、その言葉が語られた当時の意味を知らない。ただ自分勝手な意味を、その『名言』に込めているだけだ。」

 

中国の故事名言などがその良い例でしょう。あまりにも起源が古く、その言葉が生で発せられた時代の背景など誰も知らないはずです。

 

「人の取るや、欲するところいまだかつて粋(すい)にして来たらず。その去るや、悪(にく)むところいまだかつて粋にして往(ゆ)かざるなり。」

 

意味は「望みを実現しようとしても、望んだものそれだけがやってくるわけではない。嫌なものを除こうとしても、嫌なものそれだけが去ってゆくわけではない」というものです。

たとえば、健康のために運動をはじめたとします。望む結果としては健康的な体型や体調を得ることができると思っていたかもしれませんが、運動によって逆にストレスで疲れや痛みを感じたり、思ったほど効果が現れなかったりすることもあります。

価値はすべて相対的であるものです。

物事には全てその時に見えていない側面があり、どういう側面があるのかを十分に検討する必要があるのだと説いた言葉です。

この言葉を発した中国の儒家は、きっと生死を賭けた波乱の人生を歩んだのでしょう。

私たちがこの言葉に込める解釈は、せいぜい「できるだけ損失をしないようにプラスマイナスを勘定していきましょう」ぐらいかも知れません。

故事名言は、生きている私たちの解釈で、今も生き続けるものです。

 

 

「方法序説(まんがで読破)」

 

 

私がマンガ文化で育ってきたというのは大きな理由になります。こういう本に思わず食指が動くのです。

とは言っても、何度も「マンガでわかる…」のタイトルに騙されてきた経験もあります。

意外に思われるでしょうが「マンガでわかる」は、初学者向けの医学関係の本によく見られるタイトルなのでした。

しかし、「マンガが少ない…」とがっかりしたことは数知れず。最初の数ページにマンガがあって、その後はずらっと説明文ばかりというのが多く、「騙された」という思いと「そりゃ、マンガで説明できないよな」という妙な納得感が入り混じるのでした。

しかし、この「まんがで読破」シリーズは、期待通りで面白いのです。

見事にデカルトの「方法序説」について、マンガで説明してくれています。

たとえば、デカルトは「正しく理性を導く方法」を編み出しました。

次の四つの規則です。

  • 真と認めたものだけに基づく(明証性の規則)
  • 問題を小さな部分に分割する(分析の規則)
  • より単純で認識しやすいものから始め、少しずつ複雑なものに進む(統合の規則)
  • 関連する事柄をすべて列挙する(枚挙の規則)

それを、登場キャラクターの博士と2人の学生さんとの会話で説明しています。

ほかにもこの本では、デカルトが生きた時代の背景や哲学体系の流れなどの解説があったり、わかりやすく理解しやすいようにと工夫されていました。

「我思う、ゆえに我あり」に至る経緯については丁寧に描かれていたと思います。

取り扱っているテーマがデカルトの「方法序説」ですから、それ自体に批判もありますし、その批判から生まれた哲学体系も多く存在しています。

単なる哲学用語の説明にとどまらずにストーリーを描いてみせたという点でも、わかりやすかったです。

 

「5分間ミステリー 容疑者は誰だ」

 

 

前回の「2分間ミステリ」は推理よりも知識量を問われている感じがして物足りない気がしたので、次の本を探してみました。

今度は「5分間ミステリー」なので、3分間バージョンアップしています(笑)。

前書は洋書の和訳本だったのですが、この本は新保博久さんというミステリ評論家が編集したものです。

「はじめに」に、作者からのこんな弁明がありました。要約して紹介すると

「犯人当てパズルの本を書くことには抵抗があった。自分が中高生の時に親しんだ同種の本は、先人作家のトリックを流用しているだけで風味がそこなわれるものばかりだったからだ。それでも初めての著書が出せるという誘惑に負け、先人の推理小説をベースにトリックを加工し、名探偵のパロディに仕立てた。パロディはダジャレが多いが、詳しい人には笑ってもらえるかもしれず、モデルとなった探偵の原作にも興味を持ってもらえたら、営業妨害の罪も軽くなるかもしれないと思った。」

確かに、この本に出てくる名探偵のパロディはダジャレだらけでした。たとえば、以下の通りです。

 

ボロウン神父 ⇦  ブラウン神父

俳人二十面相 ⇦ 怪人二十面相

赤字小下太 ⇦ 明智小五郎

ヘボキューリ・ピエロ ⇦ エルキュール・ポアロ

 

ダジャレのセンスはともかくとして、古今東西の探偵の広がり方が、さすがミステリ評論家だと感心しました。

解答ページには、モデルにした探偵名とその作者、プロフィールや代表作などが紹介されています。

つまり、出典がわかるようになっているのは原作者へのリスペクトが感じられてとても良い印象でした。

面白かったです。しばらく、この「◯分間ミステリー」にはまっていそうです。

 

5月の休日休診のお知らせ

 

5月になりました。

第1週は大型連休の最中でもあり、クリニックの外来休診をお知らせするタイミングとしてはどうかという気もするのですが、毎月1日の決まりごととして「お知らせ」の投稿はしているので、そのまま告知することにします。

4月1日にすでに大型連休中の外来診療のお知らせはしていましたから、繰り返しということになります。

下記の期間につきましては。祝日の外来を休診させていただきます。

 

5月 1日(月) 通常通り

5月 2日(火) 通常通り

5月 3日(水) 憲法記念日

5月 4日(木) みどりの日

5月 5日(金) こどもの日

5月 6日(土) 通常通り

5月 7日(日) 休日

 

ご迷惑をおかけしますが、ご了承ください。

 

  

「2分間ミステリ」

 

 

私がゆいレールを使う時は、待ち時間をとる時間帯で利用したことはないので必要ないのですが、例えば今出張で移動するとしたら、絶対に持っていくだろうなと思うような本です。

ネットには、こんな紹介が載っていました。

 

銀行強盗を追う保安官が拾ったヒッチハイカーの正体とは? 屋根裏部屋で起きた、首吊り自殺の真相は? 一攫千金の儲け話の真偽は?

制限時間は2分間、きみも名探偵ハレジアン博士の頭脳に挑戦! 手がかりはすべて問題文のなかに隠されている。動かぬ証拠を押さえて犯人を追いつめろ。事件を先に解決するのはきみか、博士か?

いつでも、どこでも、どこからでも楽しめる、面白くてちょっぴりためになる推理クイズ集。

 

2ページぐらいの文章があって、「どうしてハレジアン博士は犯人がわかったのでしょう?」とか「村人たちはどうやって観光客をだましたのでしょう?」などといった直接的な問いかけがあるようなクイズ本です。

ただし、短い文章ですが、嘘を見抜かくために一字一句を吟味しなければならず、集中と読解力が必要です。

また、いわゆる「Aha!」体験を感じるのは少ないかも知れません。

どちらかというと、推理するというよりも知識量が問われている気もするのです。

ワインにまつわる常識とか、アメリカの、ある州の地名とか、「あとでググってみよう」が日常的なクセになっている私には、そういうものに出くわすと、すぐにあきらめて答えを見てしまいがちです。

まあ、雑学が増えていいのかも知れませんが。

ただし、こういう本はシリーズ化されていたり、類似の推理クイズ集がほかにあったりしますから、もっと面白いものを見つけたくて、いろいろと探してしまうのですよね。

さっさと終わらせて、次の本を試してみようと思っています。