夏にかかった方も必要ですよ☆インフルエンザワクチン接種。お早めに

インフルエンザワクチンに関する質問の中に、よくあるものとして

「私、夏にインフルエンザかかったので、もう免疫ついてますよね。ワクチンやらなくても大丈夫ですよね。」

というのがあります。

麻疹や風疹、おたふくかぜならそうかも知れませんね。

けれども、インフルエンザはウイルスの型がいくつも存在していて、昨年流行したインフルエンザの型とは種類が違ってしまっています。

昨年インフルエンザにかかった方も、夏にかかった方も、ワクチンは必要なのです。

少しそれに関連した報告です。

 

国立感染症研究所が、インフルエンザ感受性調査の第2報(2012年12月27日現在)を公表しました。

これは、インフルエンザの本格的な流行が始まる前に、インフルエンザに対して人が免疫を持っているのかどうかを把握しようとするものです。
年齢別に調査されて、免疫の低い年齢層にはワクチン接種を強くすすめるインフルエンザ対策の資料となります。

・インフルエンザ抗体保有状況 -2012年速報第2報- (2012年12月27日現在)

調査したインフルエンザの種類の中で、最も免疫が低かったのはB型でした。
特に10歳未満および50歳以上の各年齢層は25%未満で比較的低い水準でした。

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現在使われているインフルエンザワクチンは、A(H1N1)亜型、A(H3N2)亜型、B型(ビクトリア系統あるいは山形系統)の3つのウイルスがワクチン株として用いられているそうです。

感染研は、コメントの中で、全国的にインフルエンザの流行期に入った点を指摘しています。
そして「まだ予防接種を受けていない人、特に本調査において抗体保有率が低かった年齢層においては、ワクチン接種などの早めの予防対策が望まれる」と求めています。

ワクチンは接種してからすぐに効果が得られるものではありません。
効果が現れるのは、2~3週間後になってきますので、早めにワクチン接種をしましょう。
インフルエンザの流行期に接種しても、実は残念ながら遅いのです。

ワクチン接種を希望する方はぜひ早めに相談ください。

ちなみに、これまで報告されている今季のインフルエンザはA香港型(AH3亜型)が多いとのことです。
このウイルスは、小児でインフルエンザ脳症の発生頻度が他の亜型や型に比べて高いことが報告されています。

冬休みもあけて学校が始まりました。
外出後のうがい、手洗いをしましょう。咳エチケットも習慣づけて、予防を徹底しましょう。

まどさん

 

「ぞうさん」の歌は、生まれてくる前からそこにあって、しかも、ずっとずっと知っている歌の代表です。

「ぞーォさん、ぞーォさん、おーはなが、ながいのね」というスローワルツの曲は、自分に子どもができた時にも、自然に口に出て唄って聞かせました。

 

きっと日本という国が出来たときからというのは大げさだけれど、それに近いぐらいに当たり前にそこにあるものだと思っていました。

日本に住んでいる人なら、この気持ちはどの世代にも通じるものだと思います。

 

小さい頃にはエンドレスにそのメロディを口ずさみながら、「そーよ、かあさんもながいのよ」のところを、

「かあさん」だけではひいきにしてしまっているようで申し訳なくて

時々祖母や父のために「ばーちゃん」バージョンや「とうさん」バージョンを替え歌にした記憶があります。

なぜかこういう記憶も通じてくれる人が多いです。同じことをしたと。

 

1953年にこの歌は誕生したというのですから、この歌は今年60歳、還暦を迎えます。

 

この歌には生みの親がいて、詞を書いた人と曲をつくった人がいる。

 

そんな当たり前のことに気づくのは、きっと人が成長して、ひょっとしたら思春期を迎える頃ではないでしょうか。

あるいはそれを過ぎてからかも知れません。

「ぞうさん」を現役に歌っている子ども達には、少なくともそんなことは全く意味を持ちませんから。

 

私は詩人まど・みちおさんのことを医学部の大学生になって好きになり、遠回りして「ぞうさん」の詞を書いた人だと知りました。

 

まど・みちおさんは11月に103歳になられました。

本当に素晴らしいことです。

 

「ぞうさん」については、作家の阪田寛夫さんが紹介してくれています。

 

小説『まどさん』の中に、「ぞうさん」をめぐるまどさんの話です。

「童謡はどんな受け取り方をされてもいいのだが、その歌がうけとってもらいたがっているようにうけとってほしい。
たぶんこういう風にうけとってもらいたがっている、というのはあります。
詩人の吉野弘さんの解釈が、それに一番近かった。吉野さんは、「お鼻がながいのね」を、悪口として言ってるように解釈されています。
私はもっと積極的で、ゾウがそれを『わるくち』と受けとるのが当然、という考えです。
もし世界にゾウがたったひとりいて、お前は片輪だと言われたらしょげたでしょう。
でも、一番好きなかあさんも長いのよと誇りを持って言えるのは、ゾウがゾウとして生かされていることがすばらしいとおもっているから。」

 

 

ゾウがゾウに生まれたことを喜んでいる歌だというのです。

「存在のかけがえのなさ」を肯定するまどさんのまなざしは、「みんなが、あるがまま、それぞれに尊い」と教えてくれています。

 

佐久田が大好きで大切にしている詩を紹介します。

 

 ぼくが ここに

             まど・みちお

 

   ぼくが ここに いるとき

   ほかの どんなものも

   ぼくに かさなって

   ここに いることは できない

 

   もしも ゾウが ここに いるならば

   そのゾウだけ

 

   マメが いるならば

   その一つぶの マメだけ

   しか ここに いることは できない

 

   ああ このちきゅうの うえでは

   こんなに だいじに

   まもられているのだ

   どんなものが どんなところに

   いるときにも

 

   その「いること」こそが

   なににも まして

   すばらしいこと として

 

 

本当に偶然ですが、沖縄に在住のまどさんのお孫さんと知り合いになり、そのご好意でまどさんのサインをいただくことができました。

すごく感動しましたし、本当に感謝感謝です。

家宝にしています。

 

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一次救命処置(BLS)の講習

昨年の12月のことになりますが、さくだ内科クリニック全スタッフ参加でBLS(Basic Life Support)コースを受講しました。

BLSとは呼吸や心拍が止まった人に対する一次救命処置のことです。

特殊な器具や薬品は使わずに心臓マッサージと人工呼吸を行う心肺蘇生法(CPR)を主に、そしてAEDの使用までを行います。

医療従事者ですから、できて当然です。

けれども救命処置は日ごろから意識づけていること、定期的にトレーニングを行って自分たちのお互いの動きをチェックしていることが重要になってきます。

10月に初顔合わせをしたスタッフ同士、自分たちのスタンダードを再確認するという意味もありました。

幸いに日本救急医学会ICLS認定ディレクターの沖縄県立中部病院救急医の高良剛ロベルト先生と認定インストラクターの幸地友恵さんの協力を得て、有意義なトレーニングになりました。

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座学の講義はほとんどなく、実技実習を中心としています。

おかげで翌日湿布薬を貼付しているスタッフも出ていました(笑)。

 BLStraining

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高良先生がコースディレクターとなってくれて、コースの質を保証する認定証の発行も申請してもらいました。

高良先生と幸地さんには本当に感謝です。

 BLS認定証
↑ 名刺大の認定証にしてもらいました。

 

佐久田の目標は、地域の市民の方々のトレーニングコースを開催したいということです。

AEDは知っているけれど、その使い方が分からないという方もたくさんいると思います。その場に居合わせる方がBLSを行うことで、どれだけの方が助かるでしょう。

状況が許せば、ぜひ実現したいです。

「次世代腎不全医療」

 

もちろん私見ですが、腹膜透析の診療を一生懸命されている先生達というのは、人間愛の深い方々が多いように思います。

 

以前の話になりますが、東京大学病院での腹膜透析の研修参加を快く引き受けてくれた石橋由孝先生(現在は日本赤十字社医療センターの腎臓内科部長をされています。)や、個人的にも親しくさせてもらっている富士市立中央病院の笠井健司先生など

お二人なら名前を出しても許していただけるだろうと思ったので書きましたが、ほかの先生方も、挙げたらキリがないぐらい愛深き方々が並びます。

 

特に石橋先生が提唱する「次世代腎不全医療」は、慢性疾患を抱える人々の生活を支えようとする人間愛を基点にしています。

その視点は、「人間の生きる意味」まで掘り下げてアプローチするものです。

人の心を深く理解しようとする、その謙虚な姿勢は頭が下がります。

 

石橋先生のレクチャーの前半の部分はそこから始まっています。

「治らない病気」となった人は、それを抱えてどう生きていったら良いのでしょうか。

絶望の中にいる人に、医療スタッフはどう接したら良いのでしょうか。

 

その問いかけの答えの手がかりとして(もちろん完璧な解答などないのでしょうが)

「夜と霧」の著者である精神科医のヴィクトール・E・フランクルの言葉を紹介しています。

 

(敷居が高く思うのでしたら、「NHKテレビテキスト フランクル『夜と霧』 2012年8月 (100分 de 名著)」をおすすめします。)

 

フランクルは、第二次世界大戦の際、ユダヤ人であるということだけでナチスの収容所に収容されました。

自ら過酷な経験をしたフランクルが、極限状態の中で、人間はどのように思い、行動していくのか。絶望の中で何に希望を見出すのかを書き残してくれました。

原題は「強制収容所におけるある心理学者の体験」です。

 

フランクルの言葉は、悩み苦しみの果てに疲れきった人々に向けられています。

 

「あなたがどれほど人生に絶望しても、人生の方があなたに絶望することはない」

 

「精神性の高い、感受性の豊かな人が体の頑丈な人よりも生き抜いた」

 

私が大切にしている言葉もあります。

 

「人間は常に人生から問いかけられている」

 

「人生からの呼びかけに応えていく」生き方への促しというのは、とても尊いものだと思います。

「この出来事は何の呼びかけだろうか」という問いかけは、「すべての物事には意味がある」と同様、絶望から希望を見つける一つの鍵であると思います。

 

石橋先生は、その視点を医療に持ち込み成果をあげています。

私が言うのもなんですが、これから先のご活躍も本当に楽しみな先生で、志が本当にさわやかなのです。

 

写真は2011年8月に行われた「TRCミーティング in Okinawa」のものです。前列向かって右から2人目、佐久田の隣りが石橋先生です。

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坂井瑠実先生のこと

さくだ内科クリニックの特色を説明するために、ぜひ坂井瑠実先生をご紹介させてください。

開業を決めてから、坂井瑠実先生のクリニック見学を申し出たのが2010年8月のことでした。
早いものでもう2年以上も前のことになります。
その時、快く見学を受け入れていただいてから、本当にたくさんのことを勉強させていただいています。
透析医として、ロールモデルとさせていただいている先生です。

開業に際しても、本当にお世話になりました。感謝の言葉をどんなに重ねても足りないぐらいなのですが、それはまた改めて別の稿でお話したいと思います。

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坂井瑠実先生は神戸の透析病院で、あの阪神淡路大震災を経験された方です。

透析不能の状態で、ほぼ300人の透析患者を他施設に依頼するという経験をされました。

平成10年10月、地震が起きても困らない、震災に強い建物と設備をもったクリニックをつくりたいとのことで、御影に坂井瑠実クリニックを開設されました。

透析用水はもちろん井戸水で、震災に強い建物・設備を目指されたそうです。

けれども、ハード面を整える一方で、一番の震災対策は、やはり、患者さんの自立、「自分の身は自分で守る」意識だと思われたそうです。

そして平成17年4月、「自立」をキーワードに芦屋坂井瑠実クリニックを開院されました。

芦屋坂井瑠実クリニックは非常にユニークな透析クリニックです。
ざっと挙げるだけでも、以下のような特色があります。

○ 長時間透析
○ 隔日透析(中2日をつくらない。)
○ 寝ている時間に透析をするオーバーナイト透析
○ 在宅血液透析
○ 穿刺も含め、機械の操作なども、希望すれば自分で出来る事は自分でしてもらう方針。

そして、坂井先生の次の言葉に、佐久田は深く共感しています。

「私たちはよく“透析の合併症”という言葉を使いますが、私は透析の合併症は、透析をしているから起こってくる合併症ではなく、“透析不足による合併症”だと考えています。」

佐久田が描く理想の透析を、坂井瑠実先生はすでに何年も前から実践されているのです。


なぜそのようなことができるのかという私の問いに、坂井先生の答えはシンプルでパワフルでした。


「なぜって、患者さんが元気になるんだから、それは良いことですよね。それ以上のことはないですよ。」

坂井先生は透析をしている方々だけでなく、私たち透析医療に関わる医療者をも勇気づけてくれる先生です。

 

坂井瑠実クリニックの機関紙「Well Well」のリンクを貼っておきます。私が言うのも何ですが、是非ご覧ください。

「Well Well 」

 

伝説と地名

さくだ内科クリニックは浦添市経塚と那覇市首里大名の市境いにあります。
小中学校を浦添で過ごした私にとっては、経塚はとても慣れ親しんだ土地ですし、この地で地域医療を担う機会が得られたことを嬉しく思っています。

経塚という地名については、興味深い言い伝えもあって、調べれば調べるほど面白いです。

「経塚」とは、 辞書には「仏教経典を後世に残し,また極楽往生・現世利益を願って経典・経筒・経石・経瓦などを埋めた塚。」とあります。
全国には経塚という地名はいくつかあって、名称通りのところもある一方で、そうはいかずに由来も不確かなところも多いようなのですが、
ここ沖縄の経塚の場合は、わりと由来がしっかりしてるのではないかと思います。

ちなみに沖縄では、時々年配の方で、地震に遭遇すると「チョーチカ、チョーチカ、ウートートー」とおまじないのようなことをおっしゃる方がいます。
一種の厄除けの呪文です。
この「チョーチカ」はほかならぬ「経塚」のことなのですが、地震と経塚?
どういう背景があるのか併せて説明しますね。

1981年発行の「浦添市史」にはこのような記述があります。
「球陽」からの引用です。
「球陽」というのは、18世紀に琉球王国の正史として編纂された史書です。

16世紀、尚真王の時代のことです。
意味が分からないでしょうから、下に翻訳文を載せますので、お急ぎの方はすっ飛ばして読んでください。

首里より浦添邑に往くの間に、一高嶺有り。
松樹茂盛し、濃陰重々たり。
面して人烟隔つ ること遠く、最も幽僻の地たり。
昔時、此の地甚だ妖怪多く、時々出で来り、詐変異貌して屡々行路の人を悩ます。
日暮れの時、人之を驚惧して敢へて往来せず。
時に日秀上人有り、金剛経を小石に写し、之れを此の嶺に埋め、即ち碑石を建てて以って妖魔を圧す。
其の碑石に金剛嶺の三字あり。
此れより来のかた、妖 怪復は起らず、而して行旅の人も亦往還の安きを欣ぶ。

 

翻訳文は以下の通りです。

首里から浦添村に行く間に、一つの小高い森がある。そこには松の木が生い繁り、濃い木陰をつくっている。人里から遠く離れ、奥深い寂しい所である。昔、 この地は妖怪が巣くって、時々出てきては人をたぶらかし、通行人を悩ませた。日暮れになると、人々は恐がって通る者もいない。そこへある時、日秀上人が来 て「金剛経」を小石に写し、この嶺に埋め、石碑をその上に建てて妖怪をしずめた。

その石碑には「金剛嶺」の三文字が刻んである。

それ以来、妖怪は再び出て 人を悩ますこともなくなり、それからは安心して通行することができるようになった。

 

これが「経塚」の名前の由来です。実際に経塚の碑が今も残っていて、金剛嶺の三文字を見ることができます。

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さらに、「浦添市史」には追加があります。

この話はいつの間にか地震鎮めと地方に喧伝され、「経塚」の名を出せば地震はおさまるという、新たな民俗を生んだ。 つまり、この地は地震の時も揺れないと信じられ、地震の時には「チョージカ・チョージカ」(経塚・経塚)と唱えるとよいとされた。

 

伝説というものは、想像力が刺激されますし、ロマンを感じます。
この話を元に、琉神マブヤーの続編ができそうではないですか?
妖怪が人々をたぶらかすというのはまさしく、マジムンたちの暗躍をイメージさせますね。

 

 

 

2013年2月3日追記です。

琉球大学医学科出身で名護療育園勤務の仲本千佳子先生から情報をいただきました。

「確か民話で首里のお侍さんが公務で出かけたんだけど、経塚で休憩(居眠り)していたところ

その間に大きな地震があり、首里では大騒ぎ。

それに気がつかず首里に戻った所、「経塚にいたから地震から守られた」という話になってしまい

(実際には居眠りしていて気がつかなかったからなのですが)

それ以来 「ちょーじかちょーじか」の呪文が・・・という話だったと思います。

ユーモラスでいい話です。」

ということでした。

面白いですね。

発想の転換

「発想の転換」で問題の解決が得られたとき、とても気分が高揚します。

その「着眼点」や「アイデアの出所」に感心しますし、強く憧れたりします。

「すごい!頭がやわらかいなあ。」と賛辞を送りたくなります。

どんな人でも、興奮の度合いは違っても、同じ傾向はありますよね。

身近なところでは、一休さんのとんち話が昔から好まれているのはそうですし、映画「アポロ13」で数々の異常事態を乗り越えて、後に「輝かしい失敗」と呼ばれるようになったお話などは、思わず唸ってしまうほどです。

でも、人が生活していくって、本当はそういうことの連続なのでしょうね。

目的を定めたら、あきらめないで粘って粘って、だけどできるだけ遊びを入れながら考えてみる。

抽象的なたとえで恐縮ですが、「遊びを入れる」ということが佐久田なりに大切で、それがないと、なんだか執着だけが浮き彫りになって、おぞましい形相になって怖いです。

動かせないと思うものに出会ったら、自分が動いてみせる柔らかさとかは、時々かっこよくて颯爽と見えますから。(だけど、なかなかそれが難しい。)

実は、クリニックの建設の時でも、工程会議で透析室のパーティションをめぐって同じようなことがあったのですが、それはまた次の機会に。

 

そういう長い前置きをしたうえで、突拍子もないようですが、「発想の転換」をトレーニングするつもりで、私は「数学パズル」というものが大好きです。

「とっておきの数学パズル」(ピーター・ウィンクラー著)という本があるのですが、出張の時などは飛行機の中で、1題だけにずっととりかかっていたりします。

その中から、巷でも有名なパズルのひとつを引用して紹介してみます。

少し考えてみませんか?

屋根裏部屋に行くための階段の下に、電灯のスイッチのパネルがある。
そこには3つのスイッチがあって、いまは3つとも「切」になっている。
その3つのスイッチのうちの1つは屋根裏部屋の電球のスイッチであるが、それがどれだかはわかっていない。

(問題を明確にするために、他の2つのスイッチはどこか知らないところにある電灯のスイッチであり、また、屋根裏部屋の電球がともっているかどうかは行ってみなければ決してわからないものとする。)


そこで、最初にパネルのスイッチに「入」「切」の操作を何かしてから屋根裏部屋にたったの1回だけ行き、そのときにどれが屋根裏部屋のスイッチだったかを確実に決定したい。
どうすればよいか。

絵を描いてみたり、記号を書いてみたり。3つのスイッチをそれぞれxyzで三次関数で表してみたり。

いろいろこねくりまわしても、どうしても1つ手がかりが足りないことがわかってくるんですよね。

その1つを見つけるのが「発想の転換」だったりするわけですが。

解答は以下の通りです。

 

屋根裏部屋の電球につながっているスイッチがどれであるかを確実に判定するのはとても不可能に見える。
というのも、屋根裏部屋に1回行くだけでは、電球がともっているかいないかの2つに1つという情報しか得られないのだとすれば、3つの選択肢を確実に1つに絞ることはできないからである。
でも実は、自分の手の感覚を使えば、もっと多くの情報が得られるのだ。
スイッチ1とスイッチ2を「入」にして数分の間待ってから、スイッチ2を「切」にして屋根裏部屋にのぼっていく。
もし電球がともっていないけれども暖かいとすれば、スイッチ2がつながっていたことがわかる。
もちろん、ともっていればスイッチ1、
ともっておらず冷たいとすればスイッチ3につながっている。

 

「なあんだ。」と思うか「やられた。思いつかんかった。」と思うか。

人によって分かれるのが面白いところですね。

「透析者」

透析をしている方々をどう呼ぶのかということに意識を向けるようになったのは、堀澤毅雄著「透析者と家族が元気になる本 全国の「達人」に学ぶ長生きの秘訣」という本を手にしてからです。

著者の堀澤さん自身も透析者で、本のタイトル通り透析歴30年以上83人と20年以上38人の「透析の達人」の方々にアンケートを行い、いただいた回答の中から「元気で長生きする秘訣」をまとめた本です。

この本は私たち透析医療従事者の必読書だと思っています。

「透析患者でなく透析者」という章の文を引用します。

「もう、お気づきと思いますが、この本の中では透析患者という言葉は、必要なとき以外には使っていません。
ある人の手記に、「自分は透析患者と思わないで、たまたま透析をしている透析者と思うようにしている。病人と思うことが、自分にとってプラスには働かない」という趣旨の文がありました。
自分は透析患者というよりも、たまたま透析をやっている人、普通に生きている人なのだ、という主張です。
 

(中略)

さあ、日々の生活と病気を嘆いていらっしゃる方、透析患者でなく透析者なのだと思ってみましょう。
そして、新しい意識で一歩を踏み出してみましょう。
これから述べる、透析者のいくつかの暮らし方、生き方の中に、きっとあなたは、これからの生活のヒントを見つけてくださるに違いありません。
自分の世界が、変わって見えてくる方もいらっしゃるはずです。」

 

 

開業前に、スタッフに相談されたことがありました。

「うちのクリニックでは患者さんの名前を呼ぶときに、「〇〇様」のように「様」をつけるかどうか。」

名前をどう呼ぶかということに関してはいろいろ議論があるところでしょうが、その方々が患者であるかどうか以前に、私は目上の方々、尊敬している方々を含めて、その人物を「〇〇様」と呼んだことがありません。

人を〇〇様と呼ぶ文化に育ったことがないからです。

私たちはその方々と同伴していく医療をしたいという気持ちがあります。

非日常の呼称はむしろ私たちの心のどこかに知らず知らずに「非日常の構え」をもたらす気がして怖いのです。

 

透析をしている方々を「透析患者」としてきたのは私たち医療者の文化なのかも知れません。

知らず知らずにその呼称が、自立を妨げているのだとしたら、恐ろしいことです。

対等な立場で信頼関係を結ぶ。

 

すべての透析者の方々とそのような関係を結べたら、これほど幸せなことはないですよね。

長時間透析と旅行透析

旅行透析の方を受け入れることは、私達が楽しみにしていたことのひとつでした。

その訳は、その方の地域、あるいは、その方が普段通っているクリニックの透析に対する考え方を直にお聞きしたり、実際に透析治療をして実感することができるからです。

その差異に新鮮な驚きがあったり、感心したり、やはり勉強になります。

 

今回は、特にそうでした。

その方は12月29日から来沖され、当クリニックで31日の大晦日に6時間のオンラインHDFをされました。

実は事前にお電話をした際に、通常の透析処方では6時間になっているのに、申し込みが5時間ということになっていたので、疑問に思って確認させていただいたのです。

(旅行の日程が詰まっているから短く希望したのか、そうでなければ遠慮されているのか)

結局はその方が遠慮なさっていて、中間をとって妥協案を探っていたのだということがわかりました。

 

日本の透析施設で多くなされているのが4時間の透析です。

4時間を週3回で行う方法が多くなされています。

 

けれども、長く透析に携わる人間は4時間では足りないということを感覚的にも知っています。

生命をつなぎとめる最小限の時間が4時間です。

 

先日のアメリカのKidney Internationalという専門誌にも以下の記事が載っていました。

短時間透析は、体の大きさに関わらず死亡リスクが増大する

 

Shorter length dialysis sessions are associated with increased mortality, independent of body weight
Kidney International 83, 104 (January 2013). doi:10.1038/ki.2012.346

 

日本透析医学会の「透析処方関連指標と生命予後」の調査でも基礎的因子による補正解析のみでは5時間未満の透析時間では透析時間が短いほど死亡リスクが増大するという結果が出ています。
ただし、Kt/V(透析量)と栄養因子で補正解析すると、4.5時間以上の長い透析時間のグループも、統計学的にリスクは低下しなくなります。

つまり、透析する方もたくさん食べて栄養状態を良くしなければならないということだと思います。
栄養状態が良い方がお元気なのは当然といえば当然のことですから。

 

5時間、できたら6時間の長時間透析をおすすめしたいというのが私達さくだ内科クリニックの考えです。

そして、透析に関して何らかの愁訴がある方には週4回の透析をすすめています。

体調を維持して元気に長生きしていただくためには、たっぷりと透析をしてたっぷりと食べて欲しいというのが願いです。

そうしていただくために、どうやったら6時間を快適に過ごしてもらえるかが、今後の課題といえます。

4時間弱の長編映画、たとえば有名な「十戒」という映画でさえも途中で45分間の休憩時間があったぐらいですから。

 

話をもとに戻しましょう。

 

旅行透析で来ていただいた方は、長時間透析をずっとされている方でした。

原因不明の症状があり、それを克服するために今の透析の仕方にたどり着いたとのことでした。

オンラインHDF(後希釈)6時間×3回/週。それに加えて隔週で週4回をされているそうです。

 

本当にお元気そうで、顔色も良く、透析をされている方特有の肌色ではなく、きれいでした。

またゴルフも再開されたそうです。

1月1日には帰宅の予定とのことでしたので、今頃はすでに日常に戻られていることかと思います。

沖縄の旅を楽しんでいただけたでしょうか。

また来沖されることを楽しみにお待ちしています。

 

ガイドラインとマニュアル

「ゴミ箱の置き場所さえ簡単に決めることができない。」

「開院の準備はどう?」と訊ねられた時の、やや自嘲気味に返した答えがこれでした。

佐久田が普段、優柔不断の傾向があるという生来の性格を説明したいのではありません。

 

医療の世界ではエビデンスに基づいた(つまりは科学的根拠がある)数多くのガイドラインやマニュアルが存在し、それを知らずして何事も無手勝流に進めてはいけないということです。

個人の経験や慣習に依存する風土をつくってしまうと、「それ、本当?それで安全?」と確認することがなく、それこそ間違いとまでは言いませんが、誤解に気づかないことがあります。お互いにチェックする雰囲気は、どこの世界でもやはり大切です。

 

ガイドラインやマニュアルはもちろん完全ではありませんが、今現在の必要最低限の前提として、必要な知識になってきます。

ガイドラインやマニュアルを読み解くににも、「なぜそうなっているのか」というひとつひとつの動きや全体の背景に疑問を持つ姿勢が求められてきます。

 

たとえば、気管切開術が施され気管カニューレが挿入されている方を当クリニックでお引き受けする機会がありました。

開院したばかりのクリニックですから、お引き受けするには新しくその準備が必要です。

まず吸引器が必要。吸引カテーテル。手袋。

ん?手袋は未滅菌?清潔なもの?

「前の病院ではどうやってたんだっけ?」

「前いた病院では…。」

そういうお話になってしまうのは自然な流れです。

けれども、それを流してしまうのではなく、確認していく作業を繰り返していけば、むしろ新しいクリニックだからこそ再確認の機会に恵まれているといえます。

 

手技そのものに関しては厚生労働省のホームページに「介護職員等によるたんの吸引等の実施のための研修関係資料」というものがあります。

介護職員向けの資料ですが、参考になります。

 

そして、米国CDC院内肺炎防止ガイドラインなどが良い指針となります。

   吸痰における手袋は滅菌のもの、清潔なものを問わない。

 

国内でも日本呼吸療法医学会が気管吸引のガイドラインを示してくれています。

手袋は未滅菌の使い捨てのものでよい。

 

また、洗浄水についてはこういう記載があります。

吸引カテーテルの洗浄用として水道水の使用についてはエビデンスがない。
CDCのガイドラインでは滅菌水の使用を推奨している。

 

また、いろいろと調べてみたいことが増えてきました。