「達成意識」と「覚醒意識」

 

「達成意識」と「覚醒意識」という対の言葉があります。

「達成意識」とは目標に向かって突き進むもの、「覚醒意識」とは人生の指針を見つけるものとして捉えてください。

この二つの意識は共存していて、バランスを取りながら、私たちを導いています。

しかし、現代社会では、私たちは達成意識に囚われすぎてしまって、覚醒意識を忘れがちです。

目標を立て、それを達成することに固執するあまり、人生の深い部分との関係を疎かにしてしまうのです。

コロンビア大学の心理学教授であるリサ・ミラー博士は、この問題について深く探求しています。

彼女によれば、私たちの精神的な側面を無視することが、うつ病や絶望の増加につながっていると言います。

では、どうすればこの問題を解決できるのでしょうか?

答えは、「覚醒意識」にあります。

覚醒意識は、人生が今、自分に何を示しているのかを感じ取る意識のことです。

覚醒意識を高めるためには、周囲の人々への愛情や利他的な行動が重要だと言われています。

自分以外の人のために食事を作る、道路を掃除するなど、ちょっとした親切な行動が、覚醒意識を刺激するのです。

このような行動を通じて、私たちは自分自身の覚醒意識を取り戻し、精神的な健康を回復することができます。

人々が達成意識に囚われる現代社会において、覚醒意識を高めることは、私たち一人ひとりにとっての救いとなるでしょう。

そして、それは私たちが忘れていた、人生の深い部分とのつながりを取り戻す道となるはずです。

 

「否定しない習慣」

 

 

人々とのコミュニケーションにおいて、否定しないことの重要性はしばしば見過ごされがちです。

私たちは、日常の会話の中で無意識に相手を否定してしまうことがあります。

しかし、このような否定の言葉や態度は、人間関係において大きな障壁となることがありますし、誰しもが経験したことがあるかも知れませんね。

否定しない習慣とは、相手の意見や考えを素直に受け入れ、理解しようとする態度です。

この習慣を身につけることは、人々とのコミュニケーションをスムーズにしますし、信頼関係を築くことができるようになります。

 

以下、否定しない習慣を身につけるための三つのポイントをご紹介します。

1. 褒めるよりも否定しないことが大事: 人々は、どれだけ褒められても、一度でも否定されるとその人との関係を避けることがあります。否定する癖があると、人々は付き合いたくないと感じてしまいます。

 

2. 事実だから否定してもいいという思考は避ける: 事実を伝えるだけだと思っていても、相手が否定されたと感じたらそれは否定です。人々は自分の気持ちがわかってくれて、希望を与えてくれる人を好むものです。

 

3. 自分は正しいという思い込みを捨てる: 自分が正しいと思い込むと、相手が違うことを言った時につい否定してしまいます。自分の意見が正しいという前提を捨て、相手の意見に耳を傾けることが大切です。

 

人間関係は、否定しないことから始まります。

否定しない習慣を身につけることで、人々との関係が深まり、より豊かな人生を送ることができるでしょう。

最後に、否定しないことの重要性を象徴する一節を紹介します。

「人は正しいことを言って絶望を押し付ける人よりも、自分の気持ちがわかってくれて、希望を与えてくれる人を好むものなのだ。」

否定しない習慣は、私たちの人生において学ぶべき重要な教訓であり、人々との関係をより良くするための鍵となるでしょう。

 

ものを見るということ

 

今回は「なぜ私たちにはものが見えるのか?」という問いについて考えてみます。

私たちは目を通して、光を電気信号に変換し、脳で処理しています。

しかし、このプロセスには多くの不思議が隠されています。

たとえば、私たちの目には「赤」、「緑」、「青」の 3 つのセンサーがありますが、「黄色」のセンサーは存在しません。それなのに、なぜ「黄色」が見えるのでしょうか?

この疑問に対する答えは、「赤」と「緑」の色を同時に見ると、私たちの脳が「黄色」と感じるという事実に隠されています。

つまり、「黄色」は外部の世界で存在しなくても、私たちの中で「感じられる」色なのです。

また、私たちが見ている「赤色」が隣の人と同じかどうかも興味深い疑問です。

実は、遺伝子によって「赤色」のセンサーが異なり、人によって感じる「赤色」が違うことが分かっています。

このように、私たちの視覚は単純なものではなく、複雑で奥深いものです。

目の前にあるものを「見る」ことは、単に光を感じるだけではなく、それを解釈し、理解するプロセスでもあります。

「みる」という漢字を当てるだけでも、「見る」「視る」「観る」「診る」「看る」などがあり、しかもそれぞれに意味が違ってきますね。

私たちの感覚は外部の世界だけでなく、人々の心や感情にも深く関連しています。

感覚は、私たちが世界を理解し、他人とつながる手段です。

それは単なる生理的な反応ではなく、私たちの存在そのものと言っても過言ではありません。

だからこそ、感覚について深く考えることは、私たち自身についての理解への道となるのです。

 

 

「思っているほど倫理的でないかも」TEDxトーク

 

FBI の退職エージェントであるマイケル・フッド氏による TEDx の講演です。

彼の専門は金融犯罪で、人々がどうして倫理的にふるまわないのか、その理由を解き明かすために労力を注ぎました。

彼の話は、私たちが思っているほど倫理的ではないかもしれないという警告から始まります。

彼は、観客に自分自身を倫理的に 1 から 10 のスケールで評価するように頼みます。

ほとんどの人が 7 以上の数字を選びます。

しかし、彼の調査によれば、多くの普通の人々が金融犯罪に関与していて、また、その彼自身も、実際には 5、あるいは 4 かもしれないと認めます。

次に、彼は観客に 2 つの行動を評価させます。

一つは、Netflix のパスワードを家族以外の人と共有すること、

もう一つは、レストランで食事をして払わずに立ち去ること。

驚くべきことに、多くの人々は前者を軽視し、後者を非難します。

しかし、両方とも盗みであるにもかかわらず、なぜ一方が許容され、他方が非難されるのでしょうか?

フッド氏の話は、私たちが自分自身の倫理的な行動に対してどれだけ誤解しているか、そしてどれだけ自分自身を過大評価しているかを明らかにします。

彼の話は、倫理的な認識を高め、自分自身の行動をより厳しく評価するための一歩となるでしょう。

このエピソードは、倫理とは何か、そして私たちがどうしてそれを時々無視するのかを理解するための素晴らしい教材だと思います。

倫理的な行動は、社会の基盤であり、それを無視することは、最終的には自分自身と他人に対して有害になる可能性があります。

Netflix のパスワードを共有することが、レストランで食事をして払わずに立ち去ることと同じくらい悪いとは思いませんか?

それとも、倫理はもっと曖昧で、状況に応じて変わるものなのでしょうか?

この TEDx トークは、そうした問いに対して、私たち自身で答えを見つけるための道を開いてくれます。

最後に、倫理的な行動は、社会全体が信頼と誠実さを築くための基盤です。

私たち一人ひとりが、自分の行動を真剣に考え、倫理的な選択をすることで、より良い世界を築くことができるのです。

 

 

内蔵時計: 心臓の拍動が創り出す「時間のしわ」

 

当然ですが、心臓は、ヒトの体内で特別な存在です。

最近の研究によれば、心臓は血液を体中に送り出すポンプというだけではなく、私たちの時間認識に影響を与える「時計」のような役割を果たしているということがわかりました。

 

元の論文はこちら→

Saeedeh Sadeghi et al. Wrinkles in subsecond time perception are synchronized to the heart. Psychophysiology. 2023 Aug;60(8)

 

コーネル大学の研究者たちは、心拍の長さが私たちの時間の認識を変えることを発見しました。

これは、心臓が「ティッカー」として知られる理由をさらに強化するものです。

「ティッカー」とは、心臓のリズミカルな拍動を指し、それが一種の「内蔵時計」として機能することを示唆しています。

 

研究者たちは、18歳から21歳までの45人の被験者を心電図(ECG)マシンに接続し、それぞれの心拍とその間のスペースをミリ秒単位で測定する実験を行いました。

そして、心電図をコンピュータに接続し、各心拍で80-180ミリ秒続く音(トーン)を再生しました。

このトーンは、心拍のリズムに合わせて短かったり長かったりする音のことを指します。

心拍が短かった後には、被験者はトーンが実際よりも長く続くと感じました。

逆に、心拍が長かったときには、トーンが短かったと感じたのです。

これは、心拍の微妙な変化が私たちの時間認識に直接関連していることを示しています。

研究者たちはこれを「時間のしわ」と呼び、心拍が私たちの時間の感覚を作成するのを助ける「純粋な影響」が存在すると結論付けました。

 

この発見は、心臓が私たちの時間認識に影響を与える重要な役割を果たしていることを示しています。

また、私たちが時間を感じる方法に新たな視点を与えてくれるものです。

 

 

「無意識の構造」

 

 

夢と無意識。

これらの言葉には、人間の心の奥底に潜む謎と魅力が詰まっています。

河合隼雄さんの著書『無意識の構造』から、この興味深いテーマについて考えてみたいと思いました。

夢は、眠っている間に無意識が活性化され、その動きを意識が把握し、記憶したものとされています。

ユング派の心理療法家たちは、夢分析を非常に重視しており、患者さんに夢を記録して持ってきてもらって、それを素材にカウンセリングをすすめていきます。

夢の中には、無意識の深層にあるものを探るヒントが隠されているのです。

ユングの定義に従うと、自己は心全体の中心に存在し、意識化することが不可能なものとされています。

自己実現というものは、意識の主体としての私だけが満足することではなく、心全体が満たされるということ。

多くの人が誤解しがちですが、他人との関係なしに自己実現は語れないのです。

ユングは世界中の神話や昔話、おとぎ話などを調べ、人が普段見る夢や患者さんの幻覚などとの共通点を見出しました。

全人類共通の無意識である普遍的な原型があるという仮説を立て、夢はこの原型の働きによるところが大きいとしています。

夢と無意識の関係は、深海よりも奥が深く、宇宙よりも広大なのですね。

それこそが、人間の心の奥底にある謎を解き明かす鍵となるかもしれません。

河合さんの解説やユングの心理学が、この複雑で美しい世界を理解する助けとなるでしょう。

興味のある方は、河合隼雄さんの著書を手に取ってみることをおすすめします。

夢の中に隠された自分自身の深層心理を探る旅に出かけるきっかけになるかも知れません。

 

最後に、日本人の意識の構造や無意識のあり方が西洋人と異なることにも触れられています。

また、古いものの中に全く新しいものを発見することも可能であると思われる、と述べています。

この一冊で、私たち日本人という存在の無意識の中に漂う自己を捉えたくなる一冊でした。

 

「コラッツ予想」

 

今日は「コラッツ予想」についてのお話です。

 

これは、どんな正の整数を取っても、特定の操作を繰り返すことで最終的に1になるというものです。

シンプルなのに、なぜか解決されていません。

シンプルなルールのゲームをしているのに、なぜかクリアできない感じです。

そんな難解な問題に、世界中の数学者が頭を悩ませているのだそうです。

具体的にどんなものかというと、Wikipediaから概要を引用しますね。

 

「任意の正の整数 n に対して、以下で定められる操作について考える。

  • n が偶数の場合、n を 2 で割る
  • n が奇数の場合、n に 3 をかけて 1 を足す

このとき、「どんな初期値から始めても、有限回の操作のうちに必ず 1 に到達する」という主張が、コラッツの予想である。」

 

試しに「6」を例にしてみましょう。

6 は偶数なので、6 ÷ 2 で 3

3 は奇数なので、3 × 3 + 1 で10

10 は偶数なので、…

というように、 10 → 5 → 16 → 8 → 4 → 2 → 1 というふうに1に到達します。

 

じゃあ、「1」は?

それも 1 → 4 → 2 → 1 となります。

 

どの数でもそうなりそうなのですが、この「コラッツ予想」は、完全に証明されていない問題らしいです。

数学の問題って、一見すると難しそうに見えますが、実は中身はシンプルなものが多いですね。

けれども、そのシンプルさが逆に難しさを生んでいることもあります。

 

2019年に、ある天才数学者がこの問題に関して大きな進展となる成果を遂げたのだそうです。

しかし、それも「ほとんどすべての正の整数について、この予想が正しい」というものでした。

「ほとんどすべて」とは? 完全には解けていないということでしょうか。

 

解けなくても、楽しむことができれば、それはそれで十分に価値があるのだと思います。

数学の問題も、人生の問題も、楽しむことができればしめたものです。

 

 

世界の終わりが近づくとき

 

世界の終わりが訪れると、人々はどう振る舞うのでしょうか。

たまに海外の災害がニュースにあがる時、災害による直接被害よりも、市民による暴動の被害のイメージが強烈というのもあって、きっと荒れまくるに違いないと思っている自分がいます。

この問いに対する答えを求めて、米国のニューヨーク州立大学バッファロー校がある研究を行いました。

 

元論文:I Would Not Plant Apple Trees If the World Will Be Wiped: Analyzing Hundreds of Millions of Behavioral Records of Players During an MMORPG Beta Test

https://dl.acm.org/doi/10.1145/3041021.3054174

 

「世界の終焉を迎える時、人はどう行動するか?」

世界の終わりのリハーサルができれば良いのですが、世界が終わることなど、そうそう訪れるものではありません。(そうそうあったら困ります。)

で、研究者たちは思いつきました。

彼らは、オンラインゲームのサービス終了を、世界の終わりのリハーサルとして利用することにしたのです。

ゲームのサービス終了が迫ると、プレイヤーたちは自分のキャラクターや資産を失うことになります。

この「小さな世界終焉」を観察することで、本当の世界終末時に何が起こるかを調べることができると、研究者たちは考えました。

MMORPG(大規模多人数オンラインロールプレイングゲーム)の世界で、プレイヤーたちは突然の終焉を迎えることになります。

それは、ベータテストの終了と共に、すべてのユーザーデータが削除されるという、ゲームの世界における「終末」でした。

この研究では、MMORPG「ArcheAge」のクローズドベータテストを、極端な状況の代理として使用しました。

ベータテストの終了に伴い、プレイヤーのゲーム内行動の結果や罰が意味を失うため、人々がどのように行動するのかを分析しました。

270百万件のプレイヤー行動を分析した結果、パンデミックのような行動変化は見られませんでしたが、一部の異常値が反社会的行動(例:プレイヤー殺し)を示すことが多くなる傾向がありました。

しかし、幸いなことに、その行動は一部にとどまり、道徳の全面的な崩壊は起こらなかったのです。

とは言っても、「明日世界が崩壊しても、私はりんごの木を植えるだろう」という言葉とは裏腹に、プレイヤーたちはキャラクターの成長を放棄し、クエストの完了、レベルアップ、能力の変更などが急激に減少しました。

それらのことに意味を見出すことができなかったのですね。

一方で、世界終末を迎えたプレイヤーたちの行動には、「散財型」が多く見られました。

最後に豪遊を楽しんでいる人々が多くいたのです。まるで、世界が終わる前の最後のパーティーのように。

また、最後の瞬間までゲーム世界に留まる人々は、終焉が近づくにつれて、それぞれの社会的なグループの人々とチャットを行いながら、幸せな感情を共有することがわかりました。

最後の瞬間まで仲間との絆を確かめ合っていたのです。

ちょうど、映画「Don’t Look Up」のラストシーンのように。

この研究は、ゲームの世界が人間の本質や行動を映し出す鏡であることを示しています。

終末が迫ると知ったとき、人々はどう行動するのか。ゲームの中での行動が、現実世界での人々の反応を予測する手がかりになるかもしれません。

ゲームの世界でさえ、終焉に対する人々の反応は興味深いものがあります。

りんごの木を植えるのか、それとも放棄するのか。人間の心理を探る試みは、終わりそうにありません。

さて、あなたなら世界が終わるとしたら、どうしますか?

りんごの木を植える勇気があるでしょうか。

それとも、何もせずに終わりを迎えるでしょうか。

 

 

「ケーニヒスベルクの橋の問題」

  

「ケーニヒスベルクの橋の問題」

この名前を聞いたことがある方もいるかもしれませんね。

ケーニヒスベルクとは、かつて18世紀の初めにプロイセン王国に実在した、町の名前です。

そして、この問題とは、数学の世界で有名な問題です。

当時、ケーニヒスベルクは、プレーゲル川に架かる7つの橋で知られていました。

町の人々は「7本の橋を1回ずつ渡って元の場所に戻れるか」という話題で盛り上がっていました。要するに、同じ橋を2回渡ってはいけないわけです。

 

Konigsberg bridges

 

町の人々は、おそらく実際に歩いたり走ったりして、楽しい時間を過ごしていたのでしょう。

もしかしたら、「成功者には賞金を出す」と申し出た人も現れたかも知れませんね。

 

この問題を言い換えれば、「一筆書きができるか?」ということになります。

この問題は、高名な数学者レオンハルト・オイラーによって取り組まれました。

オイラーは、この問題をグラフ理論に置き換えて考え、以下のように解きました。

 

1. 7つの橋を辺、橋のつなぐ地域を頂点としてグラフを描く。

2. すべての頂点の次数(頂点につながっている辺の数)が偶数であれば、一筆書きが可能。

3. 次数が奇数である頂点の数が2で、残りの頂点の次数が全て偶数であれば、一筆書きが可能。

 

この結果、ケーニヒスベルクの橋の問題は一筆書きができないことが証明されたのでした。

一筆書きの理論は、三角形や四角形など一筆書き可能な図形と、十字やアスタリスクなど一筆書きできない図形を分類します。

この理論は、ケーニヒスベルクの橋の問題だけでなく、今では多岐にわたる分野で応用されています。

ケーニヒスベルクの橋の問題は、単なる遊びの問題から数学の新しい分野(グラフ理論や位相幾何学的な発想の起源)を切り開いた素晴らしい例と言えます。

 

数学は、時に厳密で、時に美しい。

ケーニヒスベルクの橋の問題を解いてみると、その両方の側面を楽しむことができます。

当時の町の人々は、橋を渡るたびに、新しい発見があったかも知れませんね。

 

「ムペンバ効果」

 

「ムペンバ効果( Mpemba effect)」と呼ばれている現象があります。

これは、ある条件下で、「熱いものの方が冷たいものより早く凍る」という現象のことを言います。

これは、タンザニアの13歳の少年、ムペンバ君が1963年に発見したもので、現在でも物理学の謎の一つとされているものです。

熱い方が早く凍るなんて、私たちの常識とはまったく逆です。

どう考えても、零下に早く達するのは、冷たい方でしょう。

温度差の分だけ、熱い方は絶対に時間がかかるはずだと思います。

2020年、カナダのサイモンフレーザー大学の研究者たちは、このムペンバ効果の謎に迫る新たな発見をしました。

彼らは、水ではなく、粒子の温度変化を調べることで、この現象を再現しようとしました。

その結果、特定の条件下で、高温の粒子は低温の粒子よりも早く冷却されることが確認されたのでした。

この結果から、ムペンバ効果は、温度差が冷却時間の決定要因ではないことが示されたのだそうです。

つまり、冷却という現象は、私たちが思っていたよりもずっと複雑だということでした。

しかし、この現象の正確な理由はまだ明らかになっていません。

ムペンバ効果は、不純物の影響や容器の冷却効率が原因なのではないかともされています。

しかし、今回の研究は、これらの要因を排除した単純なモデルでもムペンバ効果が確認できることを報告しました。

 

さて、このムペンバ効果、ただの氷の作りやすさという話だけにとどまらないようです。

最新の理論では、より冷たいものの方が早く熱せられるという「逆ムペンバ効果」の存在も示唆され始めています。

これらの現象を理解して応用することは、今まで行ってきた「熱を扱うシステム」、例えばエアコンや暖房に組み込むことができれば、私たちの生活が大きく変わるかもしれません。