今さら!

 

かつて私は、イヤホンで音楽を聴きながらのランニングができませんでした。

リズムよく走るために過去に何度か試したことがあったのですが、集中できないという理由ですぐに外してしまっていました。

勝手に、音楽が邪魔で「走ること」に集中できないと思っていたのですが、骨伝導イヤホンを試して、それが間違いだったことに気づきました。

普通のイヤホンだと環境音が遮断されてしまうので、余計な神経を張り巡らさなければならず、それが原因でランニングに集中できなかったようです。

骨伝導イヤホンは、耳は塞がっていませんから、音楽を聴きながら会話をすることもできます。

静かに自動車が後方から近づいてくるのもわかります。

実は尚巴志ハーフマラソンに骨伝導イヤホンをつけて走ってみたのですが、これがなかなか楽しかったのです。

アップルミュージックなどには「ランニングのためのプレイリスト」のようなものがあります。

トータルで4~6時間ほどの長さになるように、曲のリストが構成されています。

最初はそれを流していたのですが、どうも私の趣味に合わずしっくりいきません。

邦楽でも、明らかな応援歌は(何しろ天邪鬼ですから)続けるとちょっと疲れてしまうのです。

ふとひらめいて安室奈美恵さんの「Finally」と「Final Tour」ライブのアルバムをシャッフルで流してみました。

これがなかなか良い。どの曲も素晴らしいです。気持ちに、ぴったり、しっくりきます。

今さらながら、安室奈美恵さんのファンになってしまいました。(ホントに今さら!です。)

体にスピーカーを貼り付けて安室奈美恵さんの曲をまといながら走る名物ランナーさんをマラソン大会でお見受けしたことがあるのですが、なんだか気持ちがわかるようです。

「遅いですよ!」

安室奈美恵さん大好き命のスタッフに呆れられていますが、NAHAマラソンはこれでいこうと決めました。

 

 

 

 

 

「ほんとうに聞くこと」

 ミヒャエル・エンデ作 大島かおり訳 モモ

 

先日からミヒャエル・エンデの「モモ」を読み返していますが、毎回新たな発見があって、すごく感動しながら読んでいます。

 

私は50代のおやじですが、「モモのようになりたい」と素直に憧れます。

 

長い引用で恐縮ですし、どこかの誰かにも怒られそうですが、大事な箇所なので、お読みください。

 

語り手である作者が物語の序盤にモモの性質を説明するくだりです。

 

ここから

 

*

 

「モモのところに行ってごらん!」

このことばは、だんだん近所の人たちのきまり文句にまでなりました。「ごきげんよう!」とか、「いただきます!」とか、「神のみぞ知る!」とか、それぞれきまったときにかならず言うように、みんなはなにかことがあると、「モモのところに行ってごらん!」と言うのです。

でも、どうしてでしょう?モモがものすごく頭がよくて、なにを相談されても、いい考えをおしえてあげられたからでしょうか?なぐさめてほしい人に、心にしみることばを言ってあげられたからでしょうか?なにについても、賢明でただしい判断をくだせたからでしょうか?

ちがうのです。こういうことについては、モモはほかの子とおなじていどのことしかできません。するとモモには、どこかこう、人の心をほがらかにするようなところがあったのでしょうか?たとえば、とくべつ歌がじょうずだとか、なにかの楽器がうまいとか、それとも―なにしろモモはサーカス場みたいな円形劇場に住んでいるのですから―おどりだの、アクロバットの曲芸だのができたのでしょうか?

いいえ、それもちがいます。

ひょっとすると魔法がつかえたのでしょうか?どんななやみや苦労もふきはらえるような、ふしぎな呪文でも知っていたのでしょうか?手相をうらなうとか、未来を予言するとかができたのでしょうか?

これもあたっていません。

小さなモモにできたこと、それはほかでもありません。あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。

でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこのてんでモモは、それこそほかにはれいのないすばらしい才能をもっていたのです。

 

*

 

ここまで。

 

 

これはまさに河合隼雄先生がおっしゃっていた「ただ聞くこと。それが相手の心を開く鍵になる」ということの実践そのものだと思いました。

 

ただ聞くことで、語る人間は自ら解決の糸口を見つける。

 

河合隼雄先生は、モモがしなかったように、カウンセリングの際にアドバイスなどは一切しなかったと言います。

 

モモの場合、彼女の性質であって無意識だったことは明白ですが、臨床心理の大家と同じであったのには驚愕しましたし、感動しました。

 

意図的でなかった分だけ、むしろすばらしすぎる性質です。

 

これはつまり、ミヒャエル・エンデが「聞くこと」の価値を十二分に知っていて、その性質をモモに授けたということにほかなりませんね。

 

 

 

「モモ」は私たち世代にとって教科書になります。

 

 

 

 

道路掃除夫ベッポのことばとNAHAマラソン

 

今日(正確に言うと先週末に?)NAHAマラソンのナンバーカード通知書が届いていました。

いつもの「太陽と海とジョガーの祭典」のロゴと「令和初」であることがひと目でわかる華やかなデザインです。

この封筒が届くと、一気にNAHAマラソン・モードに入る気がします。

手にとって外側から眺めて見たり、中の書類をとってよく読んだり…。

ドキドキというか、やはりワクワクしてきます。

 

ところで、今、ミヒャエル・エンデの名作「モモ」を読み返しているのですが、道路掃除夫ベッポの言葉で特に心に響いた箇所があったので紹介しますね。

少し長いのですが書き出してみます。(「モモ」(岩波少年文庫 大島かおり訳)より)

✳︎

「なあ、モモ。」とベッポはたとえばこんなふうにはじめます。「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」

しばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまた続けます。

「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息がきれて、動けなくなってしまう。道路はまだ残っているのにな。こういうやり方は、いかんのだ。」

ここでしばらく考えこみます。それからようやく、さきをつづけます。

「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」

またひと休みして、考えこみ、それから、

「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな。たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」

そしてまたまた長い休みをとってから、

「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれてない。」

ベッポはひとりうなずいて、こうむすびます。

「これがだいじなんだ。」

✳︎

ここまで。

 

ベッポの言いたいことはよくわかります。

これはマラソンの話に通じるだけでなく、それこそ「今ここ」の大切さを説いている言葉です。

(「モモ」は、大人になった今読み返してみて、すごく勉強になります。)

マラソンだけでなく、私たちは「いちどにぜんぶのこと」を考えてしまいがちになります。

仕事のこと、人間関係のこと、お金のこと、やらなければならないことは、それこそ山のようにたくさんあります。

けれども、「いちどにぜんぶのこと」が私たちにできるわけがありません。

ベッポが言うように「つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、いつもただつぎのことだけ」を考えることが、だいじです。

これって「マインドフルネス」の極意に通ずるのじゃないかと思うのです。

 

 

 

 

映画「スイス・アーミー・マン」

 

 

飛行機の中で、イヤホンをつけてスマホの画面で観ました。

 

荒唐無稽と表現するだけではもったいないぐらいの「かなりヘンな」映画でした。

 

まずは登場人物の設定がでたらめなのですが、ヒトが生きるとは?というテーマを扱ったエキセントリックな映画と言えなくもないです。

 

けれども、そこをマジメに論じるのは憚れるような作風ですし、おそらく製作者はそれを望んではいないでしょう。

 

しかし、下品です。あまり子どもには見せたくない表現が随所に出てきます。

 

映画冒頭の、死体のおならで推進力を得て、無人島を脱出するワザなどかわいいものです。

 

映画タイトルの「スイス・アーミー・マン」というのは、死体がスイスアーミーナイフのようにマルチな機能を備えていることから由来しているのだそうです。

 

あらすじ。

 

*

無人島で助けを求める孤独な青年ハンク(ポール・ダノ)。いくら待てども助けが来ず、絶望の淵で自ら命を絶とうとしたまさにその時、波打ち際に男の死体(ダニエル・ラドクリフ)が流れ着く。ハンクは、その死体からガスが出ており、浮力を持っていることに気付く。まさかと思ったが、その力は次第に強まり、死体が勢いよく沖へと動きだす。ハンクは意を決し、その死体にまたがるとジェットスキーのように発進!様々な便利機能を持つ死体の名前はメニー。苦境の中、死んだような人生を送ってきたハンクに対し、メニーは自分の記憶を失くし、生きる喜びを知らない。「生きること」に欠けた者同士、力を合わせることを約束する。果たして2人は無事に、大切な人がいる故郷に帰ることができるのか──!?

 

*

 

ダニエル・ラドクリフ君が死体を演じるという難役を見事にこなしています。

 

彼の場合、どうしてもハリーポッターのイメージが邪魔をしてしまうのですが、それを忘れてしまうほどの熱演(怪演?)でした。

 

面白い映画には違いないです。でも「ヘンな映画」です。

 

子どもにはすすめられません(笑)。

 

 

 

 

 

 

「この日の写真」

 

もしもの時を考えて、Cloudタイプのフォト・ストレージを利用しています。

 

「もしもの時」というのは、保存しているパソコンやハードディスクが壊れてしまったりすることを想定しているのですが、だいたいのCloudストレージは容量オーバーということがない分だけ、かなり便利です。

 

私はグーグル・フォトやアマゾン・フォトを使用していますが、一番古い写真が2003年ごろのもので、検索機能が充実しているので簡単に呼び出すことができますし、つくづく良い世の中になったものだと思います。

 

 

面白いのは、「この日」という表示です。

 

例えば、今日は11月16日で、保存している写真の中から○○年11月16日に撮影したものを拾ってくれるのです。

 

2014年には雪の写真が写っています。

 

これは2014年11月16日に、札幌市で開催された第10回長時間透析研究会に参加した時の写真です。

 

「あ、雪だ」

 

そう思って家族に送ろうと思って写した写真でした。

 

2016年11月16日には紫の花が写っています。

 

朝、出勤する時に、この花の色が鮮やかに目に入ったので、カメラを向けたものでした。

 

そして、2018年11月16日にはNAHAマラソンのナンバーカード通知書が入った封筒の写真。

 

おそらくブログに載せようと思って写真を撮ったのでしょう。

 

 

こんなふうに、さっと振り返るにはとても面白いのです。

 

ずっと思い出に浸るばかりでは、よくないとは思うのですが。

 

 

 

 

台湾のおみやげ

 

台湾から帰ってきた患者さんが「先生、おみやげです!」と包みの箱を持ってきてくれました。

「お~!ありがとう!そんな気を遣ってもらわなくてもいいのに…」

そう答えましたが、その彼はニヤニヤ笑っています。

「先生、おかしくないですか?」

「え?」

「これ、那覇空港で売っていたんですよ!(笑)」

彼が手に持っている品物を見ると、黄色い「東京ばなな」でした。まさかの東京名物。

「なんで那覇にこれがあるか考えると、いろいろと想像してしまうわけですよ!」

「それもそうだけど、台湾に行ってたんだよね?」

「そうっす!」

「そのおみやげが『東京ばなな』?」

「いやあ、那覇空港を歩いていたら、これが目に止まって、先生が喜んでくれるかなと思って!」

確かに!

そんな変なところが見事に見抜かれてしまっています。

「嬉しい。ありがとう!」

「今度、また面白いものを見つけたら、持ってきます!」

だんだんとハードルが上がってくるけど、大丈夫?と訊いたら、「追い込まれるといい仕事する方なんで!」と胸を張っていました。

楽しいこと何かないかな~と探しているなんて、羨ましいですね。

 

 

 

首里城再建チャリティーTシャツについてのお知らせとお願い

 

首里城再建チャリティーTシャツのお問い合わせ、誠にありがとうございます。

 

サッカーJ2のFC琉球さんが試合会場で販売を行っただけでなく、選手の皆さんがそろって着用してこの活動をアピールしてくださったり、また昨日のNHK沖縄「おきなわHOT eye」では、中心となって活動しているアートディレクターの城間英樹さんの様子の放送があったりと、大変ありがたいことです。

 

私たちクリニックでもご協力させていただくご縁があり、クリニックの受付で販売しておりますが、納品が間に合っていない状況です。

 

「内地にいる家族にすぐに送りたい」などのお声もお聞きしますので、お気持ちはよくわかりますし、大変心苦しいのですが、そのような状況であることをご理解ください。

 

ご注文はいただいていますので、入荷次第お渡しすることとなります。

 

しばらくお待ちになることをご了承ください。

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

満月のスマホ写真

 

昨日は綺麗な満月でした。

クリニックで仕事を終えて、帰宅時に空を見上げると、明るい月が輝いていました。

すっかり涼しくなって空気が秋のモードに入って、空もクリアになっているせいか、外灯よりも明るく地面を照らしています。

東の空から昇ったばかりなのでしょう。まだ低い空にいます。

 

 

ところで、スマホで満月を撮ると、明るすぎてだいたいが残念な結果です。

満月の夜ごとにトライしてみるのですが、そのたびに惨敗していました。

ただし、今回は空高く照らしているわけではないので、チャンスかも知れないと思って、何回かシャッターを切ってみました。

 

今回は自分なりに満足の出来栄えでした。(もちろんスマホカメラのレベルで、です。)

私なりの評価のポイントは、ちゃんとクレーターの模様が見えているかどうか。

この写真は、うさぎに見えなくもないと(無理やり?)思いました。

 

嬉しくなって、さっそくグループLINEで共有しました。

 

 

映画「ONCE ダブリンの街角で」

 

出張の時の飛行機の中で「リラックスして観れるものを」と思って選択した映画でした。

2006年製作のアイルランドの映画で、私が選ぶにしては珍しい「大人のラブストーリー」です。

典型的な「男女の出会い」をテーマにした映画でしたが、本編中のほとんどが彼らが歌う楽曲に満たされていて、ストーリーとしては大変シンプルでした。

以下は他のサイトに掲載されていた「あらすじ」です。

ダブリンの街角で毎日のようにギターをかき鳴らす男は、ある日、チェコ移民の女と出会う。ひょんなことから彼女にピアノの才能があることを知った男は、自分が書いた曲を彼女と一緒に演奏してみることに。すると、そのセッションは想像以上の素晴らしいものとなり……。

ハンディカメラ1台で登場人物を追いかける映像は、アイルランドの日常の空気感をそのまま投影するようで、好感が持てました。

何しろドロドロしていませんし「間違い」も起きません。

登場人物のすべてが優しく、正直で、まじめに生きているのが、良いです。

「良い映画を観た」そんな感想がぴったりの映画でした。

 

 

 

「ビョウイン・ウトゥルゥ」

 

特に中高年の男性の方に多い気がします。

いわゆる「ビョウイン・ウトゥルゥ」の方です。

直訳すれば「病院を怖がる怖がり屋さん」ということになりますが、今日、筋金入りの「ビョウイン・ウトゥルゥ」の方が受診してきました。

もちろん、付き添いの人に連れられての受診です。(1人では怖くて受診できません。)

こういう方は、「医療者に何をされるかわからないから怖い」という訳ではなく、純粋に「病気が怖い」のです。

今まで何も知らずに過ごしてきた(幸せな?)時間が、医者に病気を宣告されることで生活がガラッと一変してしまうに違いない。そんな得体の知れない「病気」が怖いのです。

ですから、医者の言う言葉を聞きたくないという態度を隠しません。

「どこか痛いところ、ありませんか?」

「大丈夫」

「紹介状には膝を痛がっているって書いてますよ」

「大丈夫」

付き添いの人が患者さんの後ろから、患者さんの視界に入らないように、首を激しく横に振っています。必死のアイコンタクトで

(違いますよ、先生、大丈夫じゃないですよ。痛いって言ってますよ。)

と伝えてきました。

こういう方は何を聞いても「大丈夫」としか答えないのはわかっているので、より丁寧な診察が必要になってきます。

怖がっている対象の正体がはっきりするまでは、医者の言葉は場合によっては刃物になることを肝に銘じておかなければなりません。

場を和ませようとした軽口が、思いがけず傷つけてしまうことがあります。

せめて次回の外来の予約が、今回よりはストレスにならないようにできれば、大成功です。