「今あるもの」で何ができるか

 

エネルギッシュで勇猛、快活さの代名詞ともされた、アーネスト・ヘミングウェイの言葉です。

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Now is no time to think of what you do not have. Think of what you can do with that there is.

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以下が日本語訳です。

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今は「ないもの」について考えるときではない。

「今あるもの」で、何ができるかを考えるときである。

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「ないもの」ねだりをしている場合ではない。今、自分に何ができるかを考えるべきだという、ヘミングウェイらしいストレートで力強い言葉です。

集中すべきは、何ができるか。つまり、何をするのかと言っています。

本来は「ないもの」についても、深く考える必要があるでしょう。

必要でありながら、ないままに放置しておくのは、将来的にも良いことだとは思いません。

けれども、「ないもの」に集中してしまうと、それに固執してしまって、行動が起こせなくなってしまいます。

今の現状を打開するのは、動き出そうとする意志の力が必要です。

「今あるもの」で、何ができるかを考えるとき

停滞しているなと感じた時には、思い出したい言葉です。

 

 

 

 

一番のこと

 

 

「ウォールデン 森の生活」を著した、ヘンリー・D・ソローの言葉です。

 

The most I can do for my friend is simply to be his friend.

 

こんな訳がついています。

 

友人のために、私がしてあげられる一番のこと

それは、ただ友人でいてあげること

 

ソローは、ウォールデンの森の家で自給自足の生活をし、「人は1週間に1日働けば生きていけます」「自分に最善を尽くし、あるがままの自分を生きようではありませんか」など過激とも言える究極の「ロハス」を体現した人です。

 

そういう人が語る言葉は、飾りがありませんし、直球できます。

 

 

確かにそうかも知れないです。

 

先日、YouTubeの「貴ちゃんねるず」で、石橋貴明さんと清原和博さんの対談を見て、同じことを思いました。

 

 

何らかの言葉をかけるとか、何かの行動を起こすことも、もちろん大切ですが、それよりも一番のことは、友人でいること。

 

歳を重ねるほど、痛感します。

 

 

 

8月の祝日の休診のお知らせ

 

「もう8月になったんだね。早いね~」

 

思わず声に出して確認したくなるほど、時の流れの速さに圧倒されてしまいます。

 

時のスピードは皆が等しいはずですが、この半年の「いつの間にか」感は、例年以上の気がします。

 

カレンダーを持ち出すまでもなく、下半期の2か月目がスタートしました。今年残り5か月です。

 

子ども達も「夏休み」と言ってもピンと来ないかも知れないですね。

 

 

昨日は、玉城知事が新型コロナウイルス感染症の警戒レベルを「第三段階」に引き上げました。

 

それに伴い、沖縄県独自に緊急事態宣言を発出しました。

 

 

例年の8月とは全く様相が違います。

 

感染対策に力を注ぎながら、皆で声をかけあってお互いを労わりあえたら、と思います。

 

 

さて、8月祝日にあたる外来休診についてお知らせします。

 

8月10日(月)は「山の日」で祝日のため、終日休診です。

 

ご迷惑をおかけしますが、ご了承ください。

 

 

 

「こんがらかったりとかしていない」

 

だいぶ前に読んだ本ですが、たまに読み返してみたくなり、読み返したら、また少し励みになります。

 

 BORN TO RUN 走るために生まれた ―ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”  クリストファー・ マクドゥーガル著、近藤 隆文訳

 

この本が出た当時は、ベアフットランニング、はだし感覚のシューズが流行しました。

なかには、十分なトレーニングをしないまま、薄底のシューズで却って故障して、アメリカでは訴訟にも発展したのだという話も聞きました。

 

今は厚底シューズの隆盛が目立っていますし、厚底シューズで次々に好記録を打ち立てる一流ランナーの姿は、私もミーハーな気持ちが大いに刺激されます。

 

厚底 vs はだしの話は抜きにして、この本の中で語られるランナー達の言葉は共感するところがいくつもあります。

 

例えば、こんな言葉。

 

「長い距離を走ってると」と彼女はつづけた。「人生で大切なのは、最後まで走りきることだけって気がしてくる。そのときだけは、わたしの頭もずっとこんがらがったりとかしていない。なにもかも静まりかえって、あるのは純粋な流れだけになる。わたしと動作とその動きだけ。それがわたしの愛するもの ー ただ野蛮人になって、森を走ることがね」

 

走っているときは頭もこんがらがったりとかしていない。

 

私が好んで走るようになったのは、まさしくこれがあるからだと思います。

 

「走る瞑想」と私が勝手に呼んでいる動きです。

 

ほかにも、人間機関車ザトペックのお話だとか、個性的な人間たちと、彼らの興味深い話がとても面白く読めます。

 

 

 

「ドア」と「鍵」

 

こんな言葉に出会いました。

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If opportunity doesn’t knock, build a door.

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アメリカの昔の俳優である、ミルトン・バールの言葉です。

こんな訳がついていました。

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もしもチャンスがドアをノックしないのなら、あなたの方からドアをつくってしまいましょう。

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簡単に言えば、こんな意味になるのでしょうね。

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待っていてもチャンスがやって来ないのなら、チャンスにつながるドアを自分で作ってしまおう。自分からチャンスをつかみに行っちゃえ!

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この言葉を見た時、瞬間に星新一さんの「鍵」という作品を思い出しました。

あらすじを(途中まで)紹介します。

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ある男が道ばたで鍵を拾いました。男はその鍵が価値のあるもののように思えました。

ためしに立派な邸宅の玄関の鍵穴に鍵を入れてみましたが、駄目でした。

錠前店で尋ねても、何の鍵かわかりません。博物館で尋ねても、それに合うようなものは、ここにはないと言われます。

古今東西の鍵の写真集にも、その鍵は発見できませんでした。

男は旅に出る度に、いろいろな建物の鍵穴に鍵を差し込んだり、鍵がないため開かないで困っている箱やドアはないかと聞きまわったりしました。

しかし、どの国に行っても、どの地方に行っても、鍵にあう鍵穴は発見できませんでした。

年月は流れ、男は歳をとり、肉体がおとろえていきました。

そして、男はあることに気づき、行動を起こすことにしたのです…。

(ここから先はこの物語のキモになるので、終わりにします。)

 

 

「鍵」のテーマを端的に表したのが、私はミルトン・バールの言葉のような気がしました。

If opportunity doesn’t knock, build a door.

もしかして、星新一さんもこの言葉を知っていたのでしょうか。(と、私も妄想が広がります。)

 

 

 

「年をとる」

 

期せずして、似たような言葉(名言?)に出会いました。

まず、劇作家のジョージ・バーナード・ショーの言葉です。

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年をとったから遊ばなくなるのではない

遊ばなくなるから年をとるのだ

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そして、先日紹介した「Born to Run」の文中にあった言葉。

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人は年をとるから走るのをやめるのではない

走るのをやめるから年をとるのだ

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二つの言葉はどれも「年をとる」をネガティブな意味で捉えています。

この場合、「衰える」「弱まる」という言葉に置き換えても、ほぼ通じるほどです。

「遊ぶ」には、好奇心や冒険心、意欲が溢れるなど、エネルギーの高まりが必要です。

「走る」は、アクティブの代名詞です。

一般的には高齢の方は「走る」イメージはありません。

けれども、マラソン大会に参加したら思い知るのですが、自分よりも年齢が上の方にどんどん追い抜かれます。

これは、ほかのスポーツではありえないことです。

確か、直近のおきなわマラソンの最高齢完走者が85歳でした。NAHAマラソンも82歳ぐらいだったと思います。

「遊ぶ」と「走る」と「年をとる」

これらの関係性を、上の言葉が全てではないにしても、どこか信じたい自分がいます。

 

 

 

 

「当たり前はない」

 

先週から、いつも使っているスポーツウォッチのアプリが使えなくなっていました。

 

GPS&心拍モニター付きのスポーツウォッチは、私のような素人ランナーにはむしろ必要で、モチベーションを保つのに一役も二役も買ってくれています。

 

ランニングの活動データと言うと、走った距離や時間、心拍数、ピッチ、ピッチ幅、1Kmあたりのペース、速度など。

 

GPS付きなので、走ったコースを地図上に描いてくれますし、坂道の高度もわかります。

 

月間のランニング距離の目標を100Kmにしていて、累積距離を一目で確認できます。

 

また、数人のランニング仲間と繋がっていて、コミュニケーションをとりながら、データを共有しているのでお互いに刺激しあっています。

 

それが、急にアプリと同期できなくなってしまいました。

 

なんでも、ランサムウェアのサイバー攻撃が原因だとか。

 

「なんか、スパイ映画みたいだね~」

 

自分たちだけでちょこちょこと楽しんでいるぐらいの感覚だったのが、実はオオゴトだったというのを知って、驚きました。

 

正直、「なにしてくれとるんじゃ~!」という感じです。

 

昨日ぐらいから、まだ完全復旧とは言えませんが、やっと同期できるようになっていました。

 

コロナ禍の教訓じゃありませんが、「この世に当たり前はない」というのを、また実感しました。

 

 

 

当院の診療について(予約制とします)

 

新型コロナウイルス感染症について、沖縄県では警戒レベル指標を策定し、毎週月曜日に更新しています。

 

7月27日現在の警戒レベルは『第二段階』

 

警戒レベルの判断基準については、以下の表をご参照ください。(沖縄県のサイトから引用)

 

 

 

医療施設としては、クラスターの発生を警戒しなくてはなりません。

 

 

さて、以前からのクリニックの懸案事項としては、体調を崩された方がいきなり受診をし、待合室で定期受診の患者さん達と接触してしまうということでした。

 

玄関の入り口や院内のあちこちに、発熱や呼吸器症状のある方は入室せずに電話で相談してほしいという貼り紙をしているのですが、あまり効果がないようです。

 

貼り紙は目に入らないのか、自分は該当しないという判断なのか、話を伺って、こちらが慌てることも多い状況です。

 

そこで、当院ではすべての患者さんの診察を予約制とすることにしました。

 

どんな方がどの時間帯に受診をし、院内に滞在することになるかを把握するためです。

 

予約以外での入室や受診は原則として受付できません。

 

また、新型コロナウイルス感染症の流行中は、症状をお聞きしたうえで、発熱がなくても当院の判断で隔離室での診察になります。

 

時間帯も指定となりますので、ご了承ください。

 

 

 

勇者にとっての死は一度

 

名言を入り口にして、この前からシェイクスピアを読み返すようになりました。

 

今、読んでいるのは、4大悲劇と呼ばれる「ハムレット」「オセロー」「マクベス」「リア王」へと続く、後期作品である『ジュリアス・シーザー』です。

 
 ジュリアス・シーザー シェイクスピア著 福田 恒存訳
 

 

登場人物たちのセリフが、とにかく、ひとつひとつニクい!

どこかで目にしたことがあるような言葉が、これでもかという具合に出てきますから、古典を読む楽しみというのは、こういうところにもありますね。

 

例えば、第二幕第二場。凶兆があるから出かけてはいけないととめる妻のキャルパーニアに対して

 

シーザー:

臆病者は現実の死を迎えるまでに何度でも死ぬものだ。勇者にとって、死の経験は一度しかない。

世の不思議はいろいろ聞いてきたおれだが、何が解らぬといって、人が死を恐れる気もちくらい解らぬものはない。

死は、いわば必然の終結、来るときにはかならず来る、それを知らぬわけでもあるまいに。

 

これは、以前に紹介したセネカの言葉に通じていますね。

 

およそ惨めなものは、将来のことを不安に思って、不幸にならない前に不幸になっている心です。

 

まだ起こってもいない心配事、煩悶とするのは、惨めだからやめなさい、というような意味です。

 

しかし、死に対してそこまで達観性を持つというのは、常人ではなかなか難しいものです。

勇者に対する畏敬の念はありますが、自分はとても真似ができるものではありません。

 

シーザーが生きた時代と彼の生い立ちや地位が、彼にそう思わせているのでしょう。

 

 

 

スナフキンの言葉「ほんとの自由」

 

「ムーミン谷の仲間たち」は、スナフキンのセリフがカッコよくキマッています。

たとえば「春のしらべ」の章。

 

スナフキンは森の中を歩いていました。お日さまが沈み、歌のしらべが降りてくるのをひとりだけになって楽しみに待ち構えていたのです。

しかし、そこに1匹のはい虫が現れました。スナフキンの動きをじっと注目し、その所作にいちいち感心し、有名人あつかいしたあげく、興奮して話しかけてきました。

スナフキンの歌は、それでもうだめになりました。その夜は、ひとりだけでなくなったので、すっかり変わってしまったのです。

そこで、スナフキンがはい虫に言う言葉。

 

おまえさん、あんまりおまえさんがだれかを崇拝したら、ほんとの自由はえられないんだぜ。ぼく、よく知ってるがね。

 

スナフキンが感じる煩わしさは、彼が孤独を愛しているだけではないと思います。

過度の崇拝は、妄信となります。自分で思考することを、放棄してしまいます。

自分で考えて行動し、失敗もする。失敗するからこそ成長もするのです。

それがスナフキンのいう「ほんとの自由」なのでしょう。