食べ方と血糖変動

 

最近は外来でお話していて、よく勉強なさっている患者さんが多いので感心します。

例えば、食べる順序を工夫することで、食後の急激な血糖値の上昇を抑えることができるというのは巷にも浸透しているのを感じます。

同じものを食べる場合でも、白米やパンなどの炭水化物を後回しにして、野菜などのグリセミックインデックスの低いものから先に摂取することが良いというのは、様々なデータからも実証されていることです。

 

下の図は「食べ方と食べる時間が血糖変動に影響を与える  /  今井 佐恵子, 梶山 静夫 化学と生物. 2018;Vol.56 No.7 Page. 483 – 489」の論文から引用させていただきました。

原文のPDFファイルはこちらからどうぞ → 「食べ方と食べる時間が血糖変動に影響を与える」

 

 

この研究が素晴らしいのは、糖尿病の方だけではなく、健常者のデータも同時にとっていることです。

急激な血糖の変化は、血管の老化につながるとされています。

血糖の変化を気にしなければならないのは、糖尿病の方だけではなく、アンチエイジングの観点から健常者の方も注意すべきだと思いましたので、ご紹介させていただきました。

 

自分が自分する

 

 

ある人が、「職場にイヤな人がいて、それがすごいストレス。言い返したいんだけど、相手の言葉が強いから黙っている。それもストレス。」と言いました。

 

私の好きな言葉に

 

「自分が自分を自分で自分する」

 

というのがあります。一見ふざけたような言葉ですが、禅僧の澤木興道老師の言葉です。

 

老師は、また次のような言葉も残しています。

 

「自分になり切る。

わたしがわたしになり切る。

あなたがあなたになり切る。

山が山になり切る。

茶碗が茶碗になり切る。

一切の物がそれ自身になり切る。」

 

人が面白いと言うから、ではなく、人が悲しいと言うから、ではなく、自分が面白いと思ったことや悲しいと思うことに対して、まっすぐに自分をあらわにしていきたいものです。

 

イヤなモノはイヤですし、それを好きになれというのは、無理なお話です。

 

それを求めてはいません。

 

ただ、自分を大切にするのなら、イヤな相手と同じ土俵に立つのは避けるべきだと思います。

 

イヤなことに目や耳や心を向けるのはやめましょう。線引きをしましょう。

 

「そうやって嫌なことからまた逃げ出してるんだ。」と言ったのは、内面世界の幼い碇シンジでした。

 

「いいじゃないか!嫌なことから逃げ出して、何が悪いんだよ!」

 

劇中では両手で耳を塞ぐ碇シンジでしたが、私は何も悪いことはないと思います。(それだとエヴァンゲリオンの物語が成り立たなくなってしまいますが…笑)

 

自分の内面を嫌なことで満たすよりも、自分が好きなもの、自分をハッピーにさせてくれるもので満たした方がいいに決まっています。

 

それが自分を大切にすることです。

 

「自分が幸せになりますように」

 

愛する家族や友人たちに思いを寄せるように、自分自身にも思いを寄せてあげてください。

 

 

 

 

睡眠障害について

 

プライマリ・ケアは全ての臨床医に必要とされる能力だと言われます。

日本プライマリ・ケア連合学会によれば、プライマリ・ケアとは「身近にあって、何でも相談にのってくれる総合的な医療」と説明されています。

私はそれを少しでも身につけるために沖縄県立中部病院で研修医として過ごしましたし、指導医や同僚、後輩たちと切磋琢磨もしてきました。

けれども、何年も内科医として過ごしていくうちに、私が診るべきではないと思った領域があります。

それは「睡眠障害」です。

「眠れない」という訴えには、多くの背景があり、原因があります。

生活のバランスが崩れていることが原因かも知れませんし、もっと深い心の悩みが隠されている可能性もあります。

内科を訪れる患者さんの多くは「睡眠薬を出して欲しい」と受診されます。

「眠れない」=「睡眠薬で解決」という魔法の方程式を信じているのです。

私は私のような内科医が安易に睡眠薬を処方するべきではなく、処方するのならカウンセリングや生活指導、それを十分に時間をかけて行える体制が整っていなければならないと思っています。

残念ながら、私にはそれができません。

ですから、「睡眠薬を出して欲しい」と受診される方は、近くの心療内科へと案内させていただいています。

もちろん、身体的な訴えがある場合はそれを診察させていただいたうえでのことです。

プライマリ・ケアの提供を目標とする医療者としてハンパ者だと思いますが、私のクリニックではそのような方針でやっております。

近隣に心療内科を専門としている多くのクリニックがある浦添・那覇だからこその方針であることも十分承知しています。

ご理解いただければありがたいです。

 

 

 

Day Tripper

 

こんな時だからこそ(?)大音量でギンギンのロッキンロールが聴きたくなります。

 

今回とりあげるビートルズの「Day Tripper」は、個性的なギターリフが魅力です。

ベースとギターのユニゾンが、イントロからエンディングまで低音のリフが貫くのが、脳内でリフレインされて癖になります。

 

有名な曲でメロディーやリズムは染みついているのですが、歌詞を改めて見ると「へえ、そうだったんだ」と再発見してしまいました。

当時は、ティーンエイジャーの少女たちにアピールする曲が主流を占めていたからなのかも知れませんね。

 

「いい曲だなあ」と思っていた洋楽も、内容が違っていたというのは、日本人にはよく経験することです。

(甘いラブソングだと思って披露宴でつかった曲が、失恋の曲だったとか)

個人で楽しむ分には、全然かまわないと思います。

 

 

 

 

「ただ」する

 

禅僧・澤木興道老師の言葉は、一見、乱暴に思えますが、実に素朴でいきいきとしています。

「何は無くとも、人間は生きているだけで本来尊い」

だから、何もかも「ただ」するだけで良いのだと教えてくれます。

とにかく、人はいろいろなことに煩悶し過ぎる傾向にあります。

次の言葉などは、このように生きられたらどんなに良いでしょう。

✳︎

なんにもならないことに価値がある

わたしらなるたけなんにもならんことに一つ骨を折ろうと思って、なんにもならんことばかりをやっている。

なんにもならんほど、これは網がおおきい。

なんぞなったときは、これは小さなものだ。

なんにもならんということは、途方もないことだ。

✳︎

とにかく「ただ」する。ただ働く。ただせねばならぬことをしているだけ。

例えが卑近で申し訳ないのですが、フルマラソンで30キロを過ぎたあたりの一歩一歩の足の運びに似ていると思いました。(ただ足を前に運ぶ)

老師がおっしゃった言葉は、すでに境地に達した人の言葉であって、私は想像するしかないのです。

 

 

 

LIVE配信

 

第117回日本内科学会総会・講演会が4月10日~12日にあるのですが、3月2日付の「お知らせ」で開催方法の変更が通知されていました。

 

今度の開催は「会場からのLIVE配信」を主体とすることに決定したのだそうです。

 

中央に集まって講演会や総会をする意義は十分承知しています。

 

けれども、かつて石垣島に住んでいた時など「離島や遠隔地に住むメンバーのために、一つの会場に集めるんじゃなくて、衛星中継で会場を分散してくれないかなあ。」と思っていたものでした。

 

今も移動に時間がかかる場所などは、十分に講演会に参加できない時もあります。

 

けれども、今回のことで一挙に話が進んだ感じがあります。

 

どこかの誰かが言っていましたが、「ピンチをチャンスに変える知恵がきっとあるはずだ」の良い一例だと思いました。

 

会場分散どころかLIVE配信ですから、ネット環境さえあれば、クリニックのパソコンで参加できます。

 

あるいはWi-Fi環境が整っていれば、スマホやiPadでも可能でしょう。

 

移動の負担が減るだけでなく、会を活発にする方法のアイディアがもっと出てくるかも知れません。

 

今回の危機を、知恵をもって臨んでいきたいものです。

 

 

 

 

卒業式と壁画

 

昨日は娘の高校の卒業式に行ってきました。

 

新型コロナウイルスの影響もあって、参加する人のほとんどがマスクを着用していたり、入室時に手指のアルコール消毒を徹底するなどの処置がとられていました。

式典の進行が一部簡略化されるなど、卒業式自体にも注意が払われていたと思います。

 

そんななかで、首里高校染色デザイン科が制作した舞台上に飾られた壁画が、一際輝きを放っていました。

幕が開くと、観客から大きな歓声と拍手が巻き起こりました。

中央に首里城が見事にそびえ立っている壁画です。向かって左側に鯉が勇壮に昇り、右側には龍が飛翔しています。

首里城に地理的にも歴史的にも一番近い学校の生徒さんたちの深い想いに触れた気がして、それだけで胸がいっぱいになりました。

首里城は必ず復旧できる。

そう確信した瞬間でもありました。

 

この壁画の前で卒業証書を授与された生徒さんたちは幸せだと思いました。

 

 

 

 

映画「スキャンダル」

 

先日、映画「スキャンダル」を観てきました。

実在のスキャンダルを描いた映画ということでしたが、その事件をなぞるだけでなく、セクハラが日常的に起こりうるのだということ、それが被害者女性の威厳をどれだけ砕いてしまうのかを描いた映画でした。

セクハラはグレーゾーンの中で起きて、被害者女性が「自分にも落ち度があったんじゃないか」と思ってしまう。

そのような複雑なグレーゾーンでの出来事が、リアルに描かれていました。

下手をすると男性目線の好色な表現になってしまうのを排除しながら、日常の中のセクハラやパワハラをリアルに描いていたと思います。

表面をなぞるのではなく、事件の核心や本質に迫ろうとした映画だったと思いました。

3人の女優さん達がポーズを決めた映画ポスターでしたから、みんなで一致協力して権力と戦うのだと思っていたら、映画本編の中で彼女たちはほとんどお互いに言葉を交わしません。

それぞれがそれぞれの形で悩み、葛藤し、立ち上がっていきます。

それもまたリアルでした。

 

 

 

 

 

災害の時に思うこと

 

最近は、新型コロナウイルス感染症に関する話題があふれています。

 

こんな災害などの時に思い出すのは、ビートたけしさんの言葉です。

大きな震災があったその後に、もしかしたら亡くなった方が2万人を超えるかも知れないという時に語った言葉です。

「この震災を『2万人が死んだひとつの事件』と考えると、被害者のことをまったく理解できない。人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには『1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ」

私はこの言葉を、いつも肝に銘じようと思います。

 

 

感染された方々の一刻も早い回復と、皆様の安全をお祈り申し上げます。

 

そして、感染拡大のために自分たちができることを、一つひとつ積み重ねていきたいと思います。

 

 

 

 

詩「知命」

 

茨木のり子さんの詩に「知命」という詩があります。

「知命」とは、天命を知る年のこと、つまり50歳のことです。

論語に「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」という言葉があるので、「ああ、あれか」と思われるでしょう。

茨木のり子さんが、ちょうど50歳の時に書いた詩なのだそうです。

 

以前に読んだことはあったのですが、今50歳代になって読むと、改めてこの詩を実感します。

「小包の紐」はなかなかほどけません。

悪戦苦闘して自分でほどこうとしたつもりでいても、誰かのやさしい手に支えられていたのだとふと気づくものです。

 

こういう詩は座右に置いておいて、何度も自分を振り返る銘にしたいものです。

 

 

 ✳︎

 

  「知命」

 

 他のひとがやってきて

 この小包の紐 どうしたら

 ほどけるかしらと言う

 

 他のひとがやってきては

 こんがらかった糸の束

 なんとかしてよ と言う

 

 鋏で切れいと進言するが

 肯じない

 仕方なく手伝う もそもそと

 

 生きてるよしみに

 こういうのが生きてるってことの

 おおよそか それにしてもあんまりな

 

 まきこまれ

 ふりまわされ

 くたびれはてて

 

 ある日卒然と悟らされる

 もしかしたら たぶんそう

 沢山のやさしい手が添えられていたのだ

 

 一人で処理してきたと思っている

 わたくしの幾つかの結節点にも

 今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで

 

 ✳︎