トランプの名刺

 

マジックを趣味にしている人間が、一度は頭によぎって作ってみたくなるもの。

それはバイスクル・カードを素材にした自分の名刺です。

誰もが思いつく一番簡単な方法は、ブランクカードを入手して、それに名前を印字する方法。

けれども、実際にやってみたことがある方はわかると思うのですが、このカードにはインクが乗らないのです。

「あなたが選んだカードかわかるように、このマジックでサインしてください。」

マジシャンが観客にマジックペンでサインしてもらう光景を見たことがある方も多いと思います。

けれども、あの油性インクも時が経つにつれて剥がれていきます。

いつしか私の中で「バイスクル・カードで名刺は作れない」というのが常識になってしまっていました。

それが。

不可能と思えた「トランプ名刺」を自作した方がいたそうです。

 

「へえ!すごい!その名刺、ちゃんといただいたの?」

「それが、要らないなら返してくれと言われて」

「えっ!欲しいのに!」

「実は大変な思いをして作ったんだけど、トランプって普通の名刺サイズと比べて大きいでしょ?」

「ああ…」

「名刺入れに入らないから、せっかくあげても無くしてしまう人が多くて…」

「そうかも知れないね。ブリッジサイズならともかくポーカーサイズが主流だから」

「だから、よっぽどの人じゃなければ、返してもらうんだって。」

「えっ!『よっぽど』なのに!」

 

どうやって作ったのでしょう?

私の中で希少度がグングン上昇していっています。

ぜひ、実物を拝見してみたいです。できれば、作り方を伝授していただきたいものです。

 

 

 

30キロラン

 

2月の沖縄マラソンにエントリーしているにも関わらず、なかなか練習ができないでいたので、やや焦りが出始めていました。

何しろ3週間後に迫ってきています。

風邪も流行っていますし、雨の日のラン二ングは自重していたので、室内で足を動かすことぐらいしかできないでいました。

まとまった練習は日曜日にしかできないなと思っていたら、今日は絶好のランニング日和になってくれました。

(寒いのは苦手ですが、雨に降られるよりよっぽどマシです。)

いつものバイパスコースから伊祖のメガネトンネルを抜けて、コンベンション通りに降りていきました。

そのまま北上して58号線に合流してさらに北上。美浜の交差点でちょうど15キロ。

観覧車を確認して、ちょうど折り返しました。

途中で頭の中でイヤーワームがしつこく鳴り響いているのに気づきました。

(ん?なんの曲だっけ?)

しばらく考えてもわからなかったのですが、ふと答えが降りてきました。

私にとっては、あまりに意外な曲です。米津玄師さんの「Lemon」

こういうことってあるんですね。

なんとなくリズムとメロディがランニングの波長とあっていたんでしょうか。

しまいにはイヤーワームというよりも、ランニングのお供に好んで口ずさんでいました。

最後まで天気も崩れることもなく、気持ちよく走ることができました。それが今日の収穫です。

 

吉野弘「樹」

 

吉野弘さんの詩を時々読む返すことにしています。

何気ない言葉に、内省するヒントがちりばめられている気がするからです。

自分を哲学する、とっかかりとして、脳をゆさぶってもらっています。

「樹」という詩を紹介しますね。

 

 

  樹

 

人もまた、一本の樹ではなかろうか。

樹の自己主張が枝を張り出すように 人のそれも、

見えない枝を四方に張り出す。

 

身近な者同士、許し合えぬことが多いのは

枝と枝とが深く交差するからだ。

それとは知らず、いらだって身をよじり 互いに傷つき折れたりもする。

 

仕方のないことだ 枝を張らない自我なんて、ない。

しかも人は、生きるために歩き回る樹 互いに刃をまじえぬ筈がない。

枝の繁茂しすぎた山野の樹は

風の力を借りて梢を激しく打ち合わせ

密生した枝を払い落とす――と

庭師の語るのを聞いたことがある。

 

人は、どうなのだろう?

剪定鋏を私自身の内部に入れ、

小暗い自我を 刈りこんだ記憶は、

まだ、ないけれど。

 

 

 

「パンドラの匣」

 

青空文庫で太宰治の小説「パンドラの匣(はこ)」を読むことができます。

こちら → 「パンドラの匣」

「健康道場」という風変りな結核療養所で、迫り来る死におびえながらも、病気と闘い明るくせいいっぱい生きる少年と、彼を囲む善意の人々との交歓を、書簡形式を用いて描いた作品です。

新しい記憶では、2009年に映画化もされているので、観た方も多いかも知れませんね。

「パンドラの匣」とはギリシャ神話に出てくるお話。

小説には、こんな説明があります。

「あけてはならぬ匣をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬、貪慾、猜疑、陰険、飢餓、憎悪など、あらゆる不吉の虫が這い出し、空を覆ってぶんぶん飛び廻り、それ以来、人間は永遠に不幸に悶えなければならなくなったが、しかし、その匣の隅に、けし粒ほどの小さい光る石が残っていて、その石に幽かに「希望」という字が書かれていたという話。」

「人間は不幸のどん底につき落とされ、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。それはもう、パンドラの匣以来、オリンポスの神々によって規定されている事実だ。楽観論やら悲観論やら、肩をそびやかして何やら演説して、ことさらに気勢を示している人たちを岸に残して、僕たちの新時代の船は、一足おさきにするすると進んでいく。何の渋滞もないのだ。それはまるで植物の蔓が延びるみたいに、意識を超越した天然の向日性に似ている。」

この小説の中に、看護婦さんと塾生さん(患者さん)との会話が取り上げられていますが、快活な印象があって、私が特に好きな場面です。

「ひばり。」と今も窓の外から、ここの助手さんのひとりが僕を鋭く呼ぶ。

「なんだい。」と僕は平然と答える。

「やっとるか。」

「やっとるぞ。」

「がんばれよ。」

「よし来た。」

 この問答は何だかわかるか。これはこの道場の、挨拶である。助手さんと塾生が、廊下ですれちがった時など、必ずこの挨拶を交す事にきまっているようだ。いつ頃からはじまった事か、それはわからぬけれども、まさかここの場長がとりきめたものではなかろう。助手さんたちの案出したものに違いない。ひどく快活で、そうしてちょっと男の子みたいな手剛さが、ここの看護婦さんたちに通有の気風らしい。

病を抱えた人間に対する、見事な励ましだと思います。

自らが快活であり、それを発散させることは、相手に勇気を与えます。

昔は、こういう医療者に憧れたものですが、実際には、なかなかできるものではないということも経験してきました。

けれども、そういう生命力に溢れたリズムは、医療者の理想像として、持っていたいです。

 

 

Pandora - John William Waterhouse

落語に救われる

 

生活していると、「人間とはそういうものだ」と理解することが必要な場面がいくつも出てきます。

それは自分に関することだったり、相手に関わることだったり、さまざまです。

ヒトと交流することって、そういう気づきの積み重ねなのでしょう。

私の場合「そういうものなんだ」と人間理解の助けになるのが、落語だったり、マンガだったりします。

どこかで「この、どうしようもないのが、人間なんだよなあ」と笑いに救いを求めたい気持ちがあるのでしょう。

落語に出てくる人間って、情けない。

情けないけれども、必死で生活している。

自己嫌悪や劣等感、自己否定にまみれながらも、それさえもおおっぴらにしてしまう。

「自分には何もない」からスタートしている潔さがあります。

お天道様の下では、全てが小事。

 

時々、落語を聞きながら、自分の立ち位置を確かめています。

 

 

 

 

沖縄県のインフルエンザ流行状況 2019年第3週

 

沖縄県の第3週(1月14日から20日)のインフルエンザ流行状況の報告がありました。

 

沖縄県全体の定点あたりの報告数は54.64人となっており、前週の41.79人に比べても急激に増加していることがわかります。

 

 

保健所別でも、新たに北部保健所管内で警報基準値を上回っており、5つの保健所管内で警報基準値を上回る状況となっています。

 

 

最近、インフルエンザが流行していることを肌で感じます。

外来でもインフルエンザA型感染症を心配してインフルエンザ抗原迅速検査(インフルチェック)を希望する方が多く受診されてきます。

頭に入れておいてほしいのは、この検査の感度は100%ではないということです。

ですから、検査が陰性であったとしてもインフルエンザ感染症と診断することがあります。

 

ご家族がインフルエンザに罹患した状況で、濃厚に接触している方が発熱や全身倦怠感を訴えた場合は、診察のみで(検査なしで)インフルエンザ感染症と診断します。

検査が絶対ではないということを知っておいてほしいのです。

 

 

桜祭り

 

日曜日にはトリムマラソンの帰りに、本部町八重岳の桜祭りに寄ってきました。

 

「日本一早い!」と銘打たれた桜祭りです。

 

まだ頂上付近で五分咲きなので、見ごろにはまだ少し時間がかかる感じでした。

 

それを承知で、最もにぎわう時期にはいろいろと忙しく、足を運ぶ余裕がないだろうと見越して、那覇への帰路の途中でしたから、寄ってみました。

 

緋寒桜独特の濃いピンクが目に飛び込むと、鮮やかにまぶしく感じます。

 

日曜日は曇っていましたので、なお一層ピンクが映えていました。

 

目の保養とはよく言ったものです。

 

しっかり浄化されてきました。

 

 

海洋博公園全国トリムマラソン大会

 

昨日は第40回海洋博公園全国トリムマラソンに参加してきました。

 

いつも思うのですが、この大会のキャッチフレーズが秀逸です。

 

「遅いあなたも主役です。」

 

トリムマラソンなので申請したタイムとの差で順位を競うというのがルールなのですが、順位を狙うというよりも、参加することを楽しみにしている方たちが多く集っています。

 

特に、ファミリーエンジョイ公園コース(3.5Km)などは、未就学児やベビーカーの乳幼児もゼッケンをつけて参加しますので、可愛らしくて微笑ましいのです。

 

途中で疲れてしまったのでしょう。父親に抱っこされて眠っている子どもの姿を見かけたり、そうかと思えばびっくりするぐらいのダッシュで駆け抜けていく中学生がいたりして、面白かったです。

 

コースとしては、ほかにフラワーガーデンコース(約6.0Km)と備瀬福木並木コース(約10.0Km)があります。

 

私は備瀬福木並木コースに参加しました。

 

そこのコースは、海洋博公園の外に出て、備瀬の福木並木通りを走ります。

 

あいにくと途中で大雨に見舞われてしまい、折り返し地点では冷たい雨まじりの海風に体温を奪われそうになりましたが、気持ちよく走ることができました。

 

こういう大会も、良いですね。40回という長い歴史にも、納得しました。      

 

機会があれば、来年もまた参加したいと思います。

 

 

 

雨ニモマケズ

 

このブログで何度も繰り返していますが、「その場その瞬間でジャッジしない」ということが私の目標です。

第一印象で判断しない。

うわべで評価しない。

先入観や偏見で決めつけない。

それができれば、怒らないことにつながりますし、気持ちがやすらかですし、ニュートラルな姿勢で立つことができます。

早とちりではしゃいだりしませんし、必要以上に悲しんで落ち込まずにすみます。

「目標」と言っているように、なかなかその境地に達しないのが現実なのですが、それでも「ジャッジしなかったこと」で救われたことが何度もあります。

最近、ふと思いました。

これって宮澤賢治の「雨ニモマケズ」みたいじゃないかな?

細かいところは全部違いますが、その根底には同じようなものが流れているような気がします。

 

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ

小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ

 

 

定点観測

 

私には以前から「定点観測」に憧れがあります。

代表的な「定点観測」と言えば、夜の天体の動きだったり、あるいは植物が生長していく様子でしょうか。

幼い頃にテレビなどで見た動画は、私の心を大いにくすぐってくれました。

ちょうどアサガオの動画がありましたので、紹介します。

 

 

先日、見つけてびっくりしたのが、スカイツリー建設の様子を定点観測した動画です。

これはアサガオの動画とまるで同じです。

どうやったら、こんな写真(動画)が撮れるのかと感心しました。

 

 

よく見ると、完成図を予想してカメラの画角を設定していますね。

どこまで上に伸びるのかをしっかり把握していないと、ツリーが画面からはみ出してしまうか、あるいは途中でレンズの向きを上方に修正しなくてはならなくなります。

「定点観測」というのは、どんな未来が待ち受けているのかを楽しみにしながら、実はある程度の予想を立てていること。

「定点予測」とも言えます。

 

 

何かひとつを「定点観測」の写真を残してみたくなりました。

そうそう。家族の記念撮影なども、ひとつの「定点観測」と言えますね。