指をつかう計算 9の段の掛け算

指を使う計算で面白いやり方を教えてもらいました。

小学生の時、これを知っていたら、もっと数で遊べていたかも知れません。

まず、両手を広げます。

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1×9をやってみます。

左から数えて1番目の指(この場合は左手の親指)を折ります。

折った左側には指がありません。(0本)

右側には9本あります。なので答えは9です。

スライド2

2×9では、左から数えて2番目の指(左手の人差し指)を折ります。

その折った指の左に1本。右に8本の指が立っています。

そこで答えは18だとわかります。

スライド3

3×9では、左から3番目の指を折ります。

答えは27。

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4×9では、同じように4番目の指を折って、36。

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5×9では、5番目の指。答えは45。

スライド6

6×9。54。

スライド7

7×9。63。

スライド8

8×9。72。

スライド9

9×9。81。

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そして、ラスト。10×9。90。

スライド11

 

ちょっとしつこく並べてみました(笑)。

さて、どうしてそうなるのかを考えてみるのも、楽しいかも知れませんね。

 

 

 

 

 

 

腹筋があがらない!

やってみたら、腹筋が1回もあがりません!

 

運動不足は自覚していたとはいえ、やはり、それなりに敗北感を味わいました。

特に腹筋などは、腹にどんなに力を入れようとも上体はびくとも動かないものですね。

首まわりに力がはいるばかりで、息もこらえてとまってしまいます。

腹筋のトレーニングではなく、首の筋トレか?と思うぐらいにです。

 

我ながら自分の姿を、「変身」のザムザの虫のように、床で足をバタつかせているのと同じようだと自嘲しました。

日常診療で患者さんに、「生活習慣の指導をしているときに、『先生はどうなの?』という質問は反則だからね(笑)!」と言っていたことが、冗談ではないありさまです。

それでも、以前には「そういえば先生も最近太ってきているよね。」という患者さんがいて、できるだけ太らないようにしようと自覚するきっかけにはなったのです。

 

最近は、「天気が悪い時には室内でできる運動を工夫しようよ。筋トレとか、どう?」と提案していたのですが、それこそ「先生はどう?」と言われたら、返す言葉がありません。

これはまずい!

 

上体起こしはできないけれど、腹筋を鍛えてできるようにならないと!と思って、調べて、さっそくやってみることにしました。

プランクというそうですね。

初心者でもできる簡単なものですが、やってみると見事に腹筋にききます。30秒やったらフルフルしてきます。

 

 

 

ダイソーマジック 「びっくり数字当て」

マーティン・ガードナーの「数学マジック」にも掲載されているマジックです。

ダイソーマジックでは「びっくり数字当て」というタイトルで登場していました。

 
 数学マジック マーティン・ガードナー著

 

「第6章 特製の道具を使う数学マジック」の  「68 数学カード」(132ページ)がそれです。

「それぞれに数の配列表を記載した1組のカード(たいていは6枚、もしくはそれ以上)を利用したものである。」

 

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「客は1枚1枚カードをながめ、心で思った数が記載されたカードを洩れなく選んでマジシャンに渡す。

すると 、それらのカードをいちべつしただけで客が思い浮かべた数が当てられてしまうのである。」

 

そのあとにこのトリックの仕掛けの説明があるのですが、ここではそれは伏せておくことにしますね。

 

下にYouTubeから黒崎正博さんの実演動画を紹介します。

実演での数字当てのスピードはおおげさではなく、慣れた人にはもっと早く当てることができるかも知れません。

 

「数学マジック」には、こんなアイディアも紹介されてありました。

「各カードに別々の色をつけておく。色分けしておくと、客がカードを選り分けている間、部屋の反対側に立ったまま、カードの数表に目をくれることなく相手の数をいい当てることができる。」

 

実は、このダイソーマジック、黒崎さんのアイディアだと思うのですが、それに近い工夫がされています。

必見です。

 

 

 

瓢箪でなまずを捕まえる

瓢鮎図(ひょうねんず)は、日本の国宝に指定されている、画僧・如拙(じょせつ)の作品です。

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室町時代に足利義持の命により、ひょうたんでナマズを押さえるという禅の公案を描いたものです。

この絵の上方には、京都五山の禅僧31人が考案した詩が書き添えられています。

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つまり、将軍義持の「まるまっこいひょうたんで、ぬるぬるのナマズをつかまえてみよ。」というお題について、当時の高僧たちが知恵をしぼって(あるいは楽しんで?)参加した作品なのですね。

今、同じようなお題が出されたら、私たちはどう答えるでしょうか?

 

硬くない、自由な発想で応えたいものです。

 

「窮鼠猫を噛む」

「窮鼠猫を噛む」という故事があります。

 

ネズミでも追いつめられれば猫に噛みつくことがある。

絶体絶命の窮地に立たされれば、弱い者が強い者にたてついたり、負かすこともあるということ。

だから、相手がどんなに弱そうに見えても、逃げ道のないところに追いこんではいけないという教えとして紹介されています。

 

出典は「塩鉄論・詔聖」。

漢の時代に賢人を集めて編纂した書物で、その内容は道徳論ではなく、実社会に生きるための知恵が集められたものだとのことです。

原文は「死すれば再びは生きず、窮鼠猫をかむ」

「死にものぐるいになっている鼠は、死んだらもう生きかえることはないのだと、最後の力をふりしぼって戦う」

 

上記のように「追いこんではいけない」と紹介されていることが多いので、この故事はネコ側の視線で語られることが多いのですが、原文は読み手をよりネズミ側としていますね。

もっと真剣におやりなさいと諭しているようにも読めます。

 

窮鼠のように、真剣味をもってことにあたりなさいという励ましのようでもあります。

 

 

衝動的に買ってしまった本

本屋に行くと、背表紙を見て、感性の命じるままに手を伸ばし、ぱらぱらとページをめくって琴線に触れるものを買うというのが、いつものパターンです。

 

それに近い感覚なのでしょう。ある方も本棚の前に立つ時、たくさんの背表紙を眺める時からすでに読書は始まっているのだとおっしゃる方がおりました。

 

それもそうなのですが、自己啓発だとかビジネス本だとか、歴史、流行もの、どこのどの本棚の通路に出没するかは、これもだいたい行動パターンで決まっているようなものですね。

ですから、いつも似たようなカテゴリーというかジャンルから本を選ぶことになってしまう傾向があるのは当然のことです。そこに興味が向いていますから。

 

「でも、それでは面白味がない」というはっきりとした考えがあったのかなかったのか、その日はいつも足を向けない地下1階にふらっと立ち寄ってみました。

そこは「実用書」がずらりと並んでいるところでした。

スポーツのハウツー本だったり、あらゆる趣味の本がならんでいます。

そして、なぜか目に留まり、ふと手にとったのがこの本でした。「50歳」という文字に反応してしまったのかも知れません。

 

 ウォーキングから始める50歳からのフルマラソン 金哲彦著

 

パラパラとページをめくってみます。そして、いきなりまえがきの文章に引き付けられてしまいました。

「もうすぐ五十を迎えるにあたり、これから生きていく日々が健康で充実した人生でありたいと切に願うようになりました。これからの年代を幸せに生きていくヒントを本書で書きたいと思います。

 

孔子は“五十にして天命を知る”と教えてくれました。

 

生まれてきた意味や役割が少し理解できると同時に、命の限界つまり肉体の限界も知るということでしょう。」

 

誠に勝手な妄想ですが、これはつまりまさしく私自身に向けて放たれた言葉のようでした。

 

違う箇所にはこうありました。

「『ちょっと興味があるのですが、マラソンは50代からでもできるのでしょうか?』と質問を受けることがあります。

もちろん『まったく遅くありません』と返答します。むしろ、『いまだからこそランニングを始めるベストタイミングですよ』と背中を押すことのほうが多いかも知れません。」

 

(そうか…。ベストタイミングなんだ…。)

なんか嬉しくなりました。この著者はきっといい人に違いない。

 

そして、こう続きます。

 

「50歳を越えるこれからが、ワクワクする後半生のスタートラインです。『体幹ランニング』で心と体のバランスを整えて、まだまだ可能性に満ち溢れた人生を楽しみましょう!」

 

次の瞬間には、この本を持ってレジに向かっていました(笑)。

 

後で知ったのですが、著者の金哲彦氏は有名なプロ・ランニングコーチの方なのですね。

カリスマ・コーチだと紹介している本もありました。

 

この本を教科書にして、体幹を鍛えてみたくなりました。

 

「アリス・イン・ワンダーランド 時間の旅」

連休もなく、家族サービスをすることもできないので、娘たちのリクエストに応えて、「不思議の国のアリス」をモチーフとした映画、「アリス・イン・ワンダーランド 時間の旅」を観てきました。

 

家族の悲劇の記憶にとらわれて、衰弱死しそうなハッターを助けるために、アリスは時間をさかのぼる装置「クロノスフィア」を使って過去を変えようとします。

なぜなら、アリスにとって、「時間」とは愛おしい父を亡くし、ハッターの家族を奪った泥棒であり、敵だとみなしているから。

過去に戻って奮闘する彼女でしたが、「過去は変えられない」ことを思い知ることになります。

 

しかし、彼女はやがて気づきます。

「過去は変えられないが、過去から学ぶことはできる。」

「時間は、奪う前に、多くのものを与えているのだ。」

未来に歩き出すために、過去に過ごした時間を大切にしながら、今を生きる。

 

多くの人を勇気づける映画だったと思います。

 

 

 

 

「変?それとも違うだけ?」 TEDから

2分間ほどの短いスピーチですが、とても印象的なプレゼンです。

演者のデレク・シヴァーズ氏は、インターネット上でミュージシャン達の音楽CDを販売する「CDベイビー社」の創業者です。

経歴以上に、気づきが豊かな方なのですね。

 
プレゼンでは日本とアメリカの町の捉え方の違いについてお話しています。

 

日本では町の区画に番号を割り当てて、通りは区画と区画のあいだの空間とみなされています。

例えば、日本に来たアメリカ人に日本の人に訊ねました。

「すいません この道は何という名前でしょう?」

「はい 向こうが17番地で こっちが16番地です。」
 
「じゃなくて この道の名前を知りたいんですが?」

「道の名前なんてありませんよ。名前は区画についています。これが14番 15番 16番 17番 18番 19番地です。区画にはみんな名前があります。そして、区画の間の名前のない部分が道です。」

日本ではこれが常識ですが、アメリカでは逆に通りに名前をつけ、建物に番号を割り当てるのですね。

 
彼は話の中でこう言っています。

「これだから私は時々地球の反対側を訪れるのが好きなんです。

自分たちが意識せずに仮定していることや、その逆だって正しいものでありうることに気付かせてくれます。」

「何であれ正しいことの逆はまた正しい」という言葉がインドにはあります。

だからTEDやその他の場所で素晴らしいアイデアを耳にしたら思い出してください。

その逆もまた正しいかもしれないと。

 

 

短いプレゼンですので、是非ご覧ください。

 

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フレームを変えることで視点が変わること

私たちは日々の生活のなかで、適切にそのものを見ているようで、実は自分なりのレンズを通して見ていることが多いものです。

先入観や、準備されたフレームによって、ものごとを考え、経験しているものです。

 
 未来を発明するためにいまできること スタンフォード大学集中講義 ティナ・シーリグ著

 

この本の「リフレーミングで視点を変えよ」という章に、とても興味深い実験が紹介されていました。

 

「グラミー賞も受賞した人気バイオリニストのジョシュア・ベルは、普段は何百ドルも払ってくれるファンで埋め尽くされた会場で演奏しています。

そんなベルに、2007年、ワシントン・ポスト紙のコラムニスト、ジーン・ウェインガーテンから、ワシントンの地下鉄構内で演奏して欲しいとの依頼が舞い込みました。

状況設定が変わった時の人々の反応を調べようというのです。ベルはカジュアルな服装に野球帽をかぶり、ストラディバリウスで名曲を演奏しました。

その場には隠しカメラを設置し、通行人の反応を記録しました。

その日、ベルの前を通った1097人のうち、足を止めて演奏に耳を傾けたのは、たった7人でした。コンサートとおなじ曲を演奏したにもかかわらず、です。」

 

その時の様子がYouTubeにありますので、ご紹介します。

 

フレームが変わると、人はその価値についてさえも、見失ってしまうものなのですね。

 

とても面白い実験だと思います。

 

 

熱意が能力を開花する

花札の絵柄にもなっている小野道風とカエルの逸話です。

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図柄を見ると、公家らしき男性が傘をさして、カエルが柳に飛びついている様子が描かれています。

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ウィキペディアでは、この逸話を次のように紹介しています。

 

小野道風は、学問がなく書も歌も下手な公家でした。自分の才能のなさに自己嫌悪に陥り、書道をやめようかと真剣に悩み、諦めていました。

ある雨上がりの日、庭を散歩していると、カエルが柳の葉に飛びつこうとしている光景が目に入ります。

繰り返し繰り返し、飛びついては落ちていくカエルの姿を見て

「蛙はバカだ。いくら飛んでも柳に飛びつけるわけないのに」

とバカにしていた時、偶然にも強い風が吹き、柳がしなり、見事に飛びつくことができました。

これを見た道風はハッと気づきました。

「バカは自分だ。蛙は一生懸命努力をして偶然を自分のものとしたのに、自分はそれほどの努力をしていない」

と目が覚めるような思いをして、血を滲むほどの努力をするきっかけになったということでした。

そして、ついに日本一の書家になったということです。

 

 

「熱意が能力を開花する」

まさしく、そのことを表した逸話ですね。