ふと浮かび上がってきたメロディー

 

昨日から、私の頭の中をリフレインするメロディーがあって、何の曲かわからずに悶々としていました。

かなり強烈に大脳皮質に刻み込まれている古い記憶のようです。

タタ、タタ タータタタタ タッタ タッタ タッ タッ!

文字にしても、わかりませんよね(笑)

 

いつかきっと記憶の棚から、ヒントが転げ落ちてくるのだろうと、焦らずにのんびりと待っていたら、今朝、すごいヒントが落ちてきました。

メロディーに歌詞がくっついてきたのです。

チョラホップ チョ~ララララ チョラホップ サン サン

しかも、この歌がさらにリフレインしています。

 

(何の曲だっけ~?)と、ここまできたら何とか解決したいと、Amazonのサイトを眺めていたら、わかりました!

これです。

 

昔、NHKの「少年ドラマシリーズ」で放送されていた「長くつ下のピッピ」で吹き替えのキャロライン洋子さんが歌っていた主題歌でした。

そう思ったら、一気に全部の歌詞が蘇ってきました。

 

 

調べてみると、1975年の放送のようです。今頃、私の意識の表層に浮かび上がってくるとは、すごいことですね。どうしてでしょう?

 

何とか音源を探して聞いてみましたが、私にとっては、キャロライン洋子さんの歌声の方が懐かしい!

けれども、映像を見ると涙が出そうになりました。

ピッピは、永遠のヒロインです。

 

 

 

「線香花火」という名の花

 

「そうだ。ついてきてごらん。」

実家で母が、裏の庭できれいな花が咲いたので、私に見せたいのだと言います。

「毎年、咲いているんだけどね。…ほら、これ。きれいでしょ?」

「面白い花だね。何ていう名前?」

「知らない。」

「あは。そうかあ(笑)。でも、うん。きれいだ。」

 

 

そのあと、夕食を食べながら、6時台のNHK沖縄のニュースを見ていたのですが、番組終盤の視聴者からの写真の紹介コーナーで、偶然にもさっきと同じ花の写真が映っていました。

「あ!これ!」

母と2人で思わず画面を指差していました。

 

写真を提供した人も、この花の名前を知らないのだそうです。

それを受けて、男性キャスターが「私たちが調べたところ、『線香花火』という名前らしいです。」と教えてくれました。

 

「線香花火!」

確かに、このネーミングはばっちりだと思いました。

英語名は「Blood lily」というのだそうです。

 

 

天の牛

 

天の雄牛と言えば、ギルガメシュ王のたたかいに登場してくる怪物が思い出されます。

 

女神イシュタールが、ギルガメシュを夫にしようとしますが、彼は「富や力で我をまどわすのはやめよ。」と断ります。

それに腹を立てたイシュタールは、逆上してウルクの街を天の雄牛に命じて破壊します。

ギルガメシュの友のエンキドゥだけが、雄牛に近づくことができました。彼は半獣人であるため、動物のことを良く知っていたからです。

エンキドゥは雄牛のしっぽをつかまえて、背中によじのぼって、しっかりと角をつかみました。

そして、ギルガメシュと2人、力を合わせて雄牛を退治したのでした。

 

さて、唐突に「天の雄牛と言えば」で書き出しましたが、それには理由があります。

 

昨日、娘からLINEで写真が送られてきました。

 

ある建物に入ろうとしたら、外階段でカミキリムシを発見したそうなのです。

 

そういえば、カミキリムシの漢字って「天牛」と書くのだそうですね。

「カタツムリも蝸牛って書くよね。どうしてかな。」

「中国では角がある小動物は、牛って表現したのかも知れないね。カタツムリには角があるし。」

「カミキリムシは触角が角に見えるしね。」

と言う話をしていたので、「天牛」つながりで、ふとギルガメシュ王の話を思い出したのでした。

 

もちろん、カミキリムシとは全くイメージが違うし、関連もありません。

 

自分を自分する

 

ある人にすすめられたので、取り寄せて、読んでみました。

 禅に聞け 澤木興道老師の言葉

この本は昭和の名僧、澤木興道禅師の言葉を集めた本です。

世間には、◯◯の名言集という本はたくさんありますが、自分にとってこの本は格別でした。

歯に衣着せぬ言葉の数々が、痛快なのです。きっと、ピシッと言ってもらいたいのですね。

 

短い言葉の中に、深くもあり、愛情もあり、何度も何度も反芻している自分に気づいてしまいました。

例えば、こんな感じです。

 

人間という奴は、利口な顔して、真暗闇の中で手さぐりしておる。

 

 

グズグズ言うな。よそ見せんと、ただ坐れ。

 

 

サトリを追うのも、マヨイを嫌うのも、同じ相場のものでしかない。

 

 

道心とは、「ひと」のために「おのれ」を忘れること。

無道心とは、「おのれ」のために「ひと」を忘れること。

 

 

私の心に特に響いたのは、まど・みちおさんの詩を彷彿とさせるような、こんな言葉でした。

 

 

野鳥は坐禅している人に、ひとついい声を聞かしてやろうと思って鳴くわけでもなく、花も人に美しく思ってもらおうと思って咲くのではない。坐禅人も、悟りをひらくために坐禅しているのではない。

―みなただ自分が自分を自分しているのである。

 

 

「自分が自分を自分する」という言葉は、まど・みちおさんの「ぼくが ここに」に通じるような気がして、面白いと思いました。

そういえば、「ぼくが ここに」については、以前に投稿しています。→ 「まどさん」

 

 

 

抄録集

 

今月の中旬には日本透析医学会学術集会が開催されます。

さくだ内科クリニックでも2演題の発表を予定しています。

先週末に、その抄録集が届きました。

最近では、抄録集もタブレットのアプリで参照できるようになっていて、学会の方からも「紙の抄録集を希望するか否か」というアンケートが実施されていたのですが、私は迷わず「希望する」にしています。

各施設の演題を縦断的(横断的?)に俯瞰するには、この形でないと私の頭には入ってこないのです。

蛍光ペンでマーキングしたり、付箋紙を貼り付けたりしながら、勉強させてもらっています。

 

けれども、さすがにこの分厚い本を学術集会に持っていくことはできないので(昔は持って行っていたのですが)、iPad miniを携えていくつもりです。

 

 

ゴジラ愛

 

娘からLINEにある写真が送られてきました。

 

写真は、英語のテキストの1ページのようです。

「この問題文最高」というコメントがついていました。

 

注目してほしいのは問4です。

 

この文に歓喜した娘は、早速私に知らせねばと写真を送ってきたのでした。

 

「先生、わかっているね」と返したら、「全国のK塾の生徒が、みんなこの文を読んでいるわけよ。」ときました。

 

さらに、「だから、K塾がゴジラを日本一の映画と認めたと言っても過言ではないね。」と続けてきました。

 

 

もしかしたら、娘は私以上にゴジラ愛に目覚めてしまったのかも知れません(笑)。

 

 

はしゃいで書き散らせ

以前に筆記療法のお話を書きました。

こちら → 「筆記療法」

ちょっと前に書いたと思ったのですが、2013年の記事です。だいぶ前のお話ですね(笑)。

 

今回、紹介するのは、本のテーマや対象とする読者の想定としては違うのですが、「筆記療法」を思い出してしまうような本でした。

 ひとつずつ、ひとつずつ 「書く」ことで人は癒される アン・ラモット著

 

この本は小説家志望者(あるいは、自分の本を出版したい人)向けに、彼女が持っているライティング教室の内容を文字に落とした本です。

講義そのままに話し言葉で書かれていますし、訳がうまいせいだけではないですね。彼女の人となりが十分に伺い知れて、好感が持てる内容です。

 

Amazonには、こんな内容紹介がありました。

「自らの人生を通して得てきた、ほかの小説作法の本では教えてくれない出版の真実や、小説の着想を得る方法、キャラクター、舞台設定の作り方はもちろん、スランプに陥ったときの対処法、書いているときに頭のなかで何が起こるかといった小説家の内面をえぐるもの、そして「書く」ことと「出版」の間にある大きな溝について、あらゆる角度から「書く」方法と、その意味を追求していきます。」

 

実際、本文はこんな感じです。

「まずは子どもみたいに、はしゃいで書き散らせ!

(略)第一稿は、子どもの書く原稿みたいなものよ。誰も読まないし、あとで推敲できるとわかっているから、とにかくすべてを吐きだし、なんでもはしゃいで書き散らしてしまえばいい。言葉やビジョンが通る経路の栓を抜いて開放し、紙の上に注ぎだしてやるというわけ。」

 

この本の中身は筆者の真実にあふれています。とても安心して読めますし、「真実がすべて」と言う彼女の言葉通りの本です。

「はしゃいで書き散らす」という表現が、なんとも私の心のツボにはまったようです。どこか場所を変えて、この言葉を遣おうと思いました。

 

洞穴

 

昔のスターウォーズのビデオを見ると、改めて気づくことや教えられることが多いです。

マニアの皆さんは各場面やセリフのひとつひとつをすべて暗記するほどなのでしょうが、そこまでではない私は見るたびに新しい発見があります。

そして、その度に、こんなにも長く愛され続けられる理由がわかるような気がします。

今回、私が見直したのは「スターウォーズ・エピソード5/帝国の逆襲」

ルークがヨーダと出会い、ジェダイの騎士になるために修行をするエピソードがあります。

 

 

森の中をヨーダを背負いながら疾走するルーク。

ヨーダは諭します。

「ジェダイの力の根源はフォースだが、暗黒面(ダークサイド)もある。怒り、恐怖、敵意、それが暗黒面だ。それらは心の中にたやすく生まれる。暗黒面に落ちればそれに食い尽くされる。ちょうどオビ=ワンの弟子がそうであったようにな。」

「ベイダーだ。暗黒面の王者ですか。」

「いや違う。やつはジェダイの落伍者に過ぎん。」

「善と悪をどう区別すればいいのですか。」

「自然にわかる。それには、冷静で心安らかに無の境地でいることじゃ。ジェダイは知識と防御のためフォースを用いるのじゃ。攻撃のためではない。」

今日の修行はここまでにしようと言うヨーダを地面に降ろし、ルークが5,6歩ほど前に進んだところで、目の前の森の先に、異様な気配を感じます。

「何があるのです?」と問うルークに「お前自身だ。お前の怒りと恐怖がある」とヨーダは答えました。

そして、その先には死があると言いました。強い暗黒面の領域であり、邪悪が満ちていると。そして、ルークに「入ってみるがいい」と促します。

武器を持って中に入ろうとするルークを「武器は必要ないだろう。」と伝えるヨーダ。ルークはそのまま洞穴に入っていきました。

洞穴の中を進むと、そこに黒い大きな影が現れます。ダース・ベイダーです。

ライトセイバーを抜き、ルークはダース・ベイダーの首をはねました。しかし、地面に転がったマスクが吹き飛ぶと、そこにあるのはダース・ベイダーの顔ではなく、ルークの顔だったのです。

そこで画面転換。

 

 

とても印象的なシーンです。

自分自身の怒りと恐怖に対峙する洞穴。私達にもそういう洞穴はあります。向き合いたくない洞穴ですが、どうしても向き合わなければならない時がやってきます。

その時にどう向き合うのか、ですね。

 

 

 

パッションフルーツの観察日記

 

以前の投稿で、実家の庭でパッションフルーツの花が咲いているのを紹介しました。

 

その花が次々に実になっています。

昨日は、夕方に小雨が落ちて、まだ青い実や葉の表面で日の光が反射してみずみずしく光っていました。

 

 

色づくのはまだ先の話なのでしょうが、植物にかぎらず、生き物の成長変化を観察するのは、楽しみですね。

 

 

 

自分で自分を傷つけないで

 

以前にもこの本を紹介しました。

 うまくいっている人の考え方 ジェリー・ミンチントン著

 

一つ一つの項目が短い文章ですので、パラパラと目にとまったところを読むというのもいいかも知れません。

この中で「24 自分で自分を苦しめない」という項目が、目を引きました。

こんな逸話が紹介されていたからです。

 

「少年がハンマーで何度も自分の親指を叩いていた。その様子を目撃した人が不思議に思い、『どうしてそんな痛いことをしているのかね』とたずねた。すると少年はこう答えた。

『叩くのをやめたときに気分がよくなるからさ』」

 

今日で5月も終わりですが、クリニックにはいわゆる五月病に近い状態で悩まれている方が多く受診されてきました。

その方々の特徴は、上の少年のエピソードと同じく「どうしてそんなに自分で自分を苦しめるの?」というぐらいに自分に苦痛を与え続けている印象でした。

自分の感情で自分を痛めつけている方々がどんなに多いことかと思います。

この本には、こうあります。

 

「苦痛を伴うこのような感情を自分でつくっていることを認めないから、外的な原因に責任を押し付けて自分がその犠牲になったと感じるのだ。」

 

自分で自分を傷つけないでください。

自分の感情の主人は自分自身です。