当直の深夜、スタッフにブチ・マジックを伝授(!)するために、ネタを仕込んでいました。
今は確か製造中止になっている加藤英夫氏考案のテンヨー「不思議な宝石」
パドル・トリックの別バージョンです。
宝石の変化は自分としてはどうもストーリー展開が難しかったので、別のバージョンにしました。
けれども、このバージョンもかなり問題がありそうです。
嫌いな人には嫌いですし、飲食店で披露するにはちょっと…。
スタッフには「遅くまで何してるんですか!」と呆れられてしまいました(笑)。
沖縄県浦添市にある内科、腎臓&透析クリニックの院長のおはなしです
昨日は退職するスタッフの慰労会と、新しく入職してきたスタッフの歓迎会でした。
文字通り、行く人と来る人の激励会となりました。
退職するスタッフは意欲もあって良い雰囲気を周りに与えてくれていましたので
個人的な理由ではあるものの、皆に惜しまれながらの退職でした。
これからもクリニック全員で応援し続けたいと思います。
こういう時期は、なおさら人の縁の不思議さを思います。
新しく入職するスタッフは、今まで医療とは無関係な分野で活躍してきた方です。
そういう彼女の視点は、私たちが実は最も必要としている「一般の方の目」「一般の常識」なのだろうと思います。
これから彼女が感じる違和感を遠慮なく伝えてほしいとお願いしました。
例によって、皆が大騒ぎしている写真は危険なので自粛いたします(笑)。
今日は少し門外漢というか柄にもないお話をします。
マザー・テレサへの憧れが嵩じてドキュメンタリー映画のDVDをいくつか集めた時期がありました。
その中でマザー・テレサの修道名の「テレサ」が、「幼きイエスの聖テレーズ」から由来しているのだということを初めて知りました。
24歳の若さでその生涯を閉じた聖女テレーズは、世界中から愛されている方だったのですね。
そういうことにも疎いので、いつも初めて知ることに新鮮な驚きを覚えることになります。
「人間は誰も弱く、小さな存在であり、ただ幼子のように神への信頼に徹するのが良いのです。
そうすれば神の憐れみのみこころはどんな罪深い人間にも注がれるでしょう。」
聖テレーズの言う「小さき道を行く」という姿は、意志と行動がシンプルであればあるほど最も力を持つということの体現だったのでしょうね。
それこそマザー・テレサが生涯を通じて行おうとした姿に重なって見えます。
ジャック・ニコルソン演じるマクマーフィの役割について、深く考えさせられる映画です。
1960年代のアメリカ。
今の精神病院とはまるで違ったシステムの、支配的で閉鎖された空間の患者たち。
そこにあるのは従順さと変化のないことを良しとする繰り返しの日常でした。
詐病をつかって刑務所から逃れてきたマクマーフィは、彼らに人間としての自由な健全さをアピールしていきます。
彼独特の強さと影響力が、周りの人々を変化させていくのです。
具体的には、組織(シンボルとして精神病院の婦長)への反抗や暴力という形になって表れます。
最終的には彼は病院側からロボトミーを施され、正常な反応も人間らしい言葉を発することもできなくなってしまいます。
人格を奪われ生ける屍同然となってしまいました。
彼の姿を見た同僚のチーフは彼の気持ちを慮り、彼を尊厳死(自らの手で窒息死)させるのでした。
この映画のラストは強烈なメッセージ性で観るものに問いかけてきます。
彼の遺していったものは一体なんだったのでしょう。
そして、彼が持っていた影響力の大きさについても考えます。
彼の影響力は、あの閉鎖空間の住人達を変えていきました。
破天荒な言動にもかかわらず、どうして周りの人々を豊かにできたのでしょう?
決して道徳的でない彼が、「献身的である」とさえ思えてしまうのは、とても大切なヒントが隠されている気がします。
いつか原作を読んでみたいと思っている作品のうちの一つです。
[youtube]http://youtu.be/2WSyJgydTsA[/youtube]
私たちの世代だとちょうど中学生の頃でしたから、好奇心もあって一大イベントの思い出です。
懐かしい記録映像がありましたので、下に紹介しますね。
「730 (ナナサンマル)」は今考えてもキャンペーンの名称として秀逸だと思いますし、実際「車はひだり人はみぎ」のキャッチフレーズとともに広く知れ渡っていました。
1978年7月30日。
沖縄が復帰6年後に自動車が左側通行に変更になりました。
その日、夜中から父親と大平インターチェンジまで出かけてバイパスの様子を上から見学しに行ったのを覚えています。
緊急車両以外は自動車は通行禁止でしたから、もちろん夜の道を歩いていきました。
ちょうど雨が降ったりやんだりで、天気も悪かった。そんなことを覚えていたりするものですね。
(確か本土復帰の日も雨でしたね。)
くすりの適正使用協議会が「くすりの適正使用」のために、一般の方が持つべき必要な基礎知識を「くすりの知識 10ヶ条」としてまとめていました。
大切なことですし、以下に紹介しますね。
くわしくは → こちら
正しい知識の普及に役立てることができるようにと願います。
熱中症のニュースが報じられない日がないほどになっています。
熱中症の発症者の数と重症者の報道は、もちろん他人事ではなく胸が痛みます。
特に高齢者はクーラーが嫌いな方が多く、「私は暑さには強い」と豪語される方もいますが
その認識は間違いだということを改めて強調させてください。
生き物としての人間が「暑さに強い」という程度に大きな違いがあるわけはありませんよね。
暑さを感じる感覚に個人差はあったとしても、です。
むしろ高齢者や乳幼児、肥満の方、糖尿病などの持病をお持ちの方の方が熱中症を引き起こす率は高くなります。
熱中症には以下の3つの要因がからんでくると言われています。
環境
からだ
行動
「環境」は
気温が高い
日差しが強い
湿度が高い
風が弱い
急に熱くなった
閉め切った部屋の中
「からだ」は
下痢や風邪などで脱水状態になっている
二日酔いや寝不足
疲れがとれていなくて無理をしている
「行動」は
長時間の屋外作業
激しい筋肉運動や長時間の慣れない運動
水分補給できない状況
そういう状況の中では、汗や皮膚温度で体温調整ができずに体温がどんどん上昇していき熱中症を引き起こしてしまいます。
予防策としては
決して無理をしないこと
室内でも油断しないこと
涼しい服装を心がけること
日傘や帽子を着用すること
日陰を利用すること
そして、水分と塩分を補給すること
睡眠をよくとって体調を良くすること
お互いに声かけをして、注意しあいたいですね。
水分と一緒に塩分をとることを忘れずにいてください。
特に水分は飲んでから約20分しないと吸収されないといわれています。
のどが渇いてから飲むのでは遅いのです。
行動前に飲水する習慣づけが必要です。
茨木のり子さんの詩を、時々読んで警策をいただきます。
うじうじとした気持ちに、背筋がしゃんと伸びた「はっきり言ってくれる言葉」の詩だからです。
生きていらしたら、今の世の中でどんな言葉を発していただけたでしょう。
例えば、次の詩。
灯
人の身の上に起ることは
我が身にも起りうること
よその国に吹き荒れる嵐は
この国にも吹き荒れるかもしれないもの
けれど想像力はちっぽけなもので
なかなか遠くまで羽ばたいてはゆけない
みんなと違う考えを持っている
ただそれだけのことで拘束され
誰にも知られず誰にも見えないところで
問答無用に倒されてゆくのはどんな思いだろう
もしも私が そんな目にあったとき
おそろしい暗黒と絶望のなかで
どこか遠くにかすかにまたたく灯が見えたら
それが少しずつ近づいてくるように見えたら
どんなにうれしくみつめるだろう
たとえそれが小さな小さな灯であっても
よしんば
目をつむってしまったあとであっても
アポロンは恋多き男性美の化身として知られています。
美貌にあふれる容姿だけでなく、芸術、医術、狩猟に秀でた太陽神として皆の寵愛を一身に受けていました。
ただし、一人だけ例外の恋がありました。ダプネへの恋です。
ある日、キューピッドが弓矢で遊んでいました。
子どもの力ですから、うまく弓の絃を引くことができません。
そこを通りかかったアポロンが、キューピッドをからかいます。
「子どもがそんな強力な武器をどうしようと言うのだ?その弓は私にこそふさわしい。君はせいぜい恋人たちの恋の行方でも照らすがいいさ。」
キューピッドは答えます。
「アポロンのおじさま。あなたの弓はすべてのものを射抜くことでしょう。けれども、私の弓はあなたを射るのですよ。」
キューピッドが持っている矢のうち、金の矢は恋をかきたてる矢でした。
銀の矢は、それとは逆に恋を拒む矢でした。
キューピッドは金の矢をアポロンに射ました。そして銀の矢を川の神ぺネイオスの娘ダプネに射ます。
アポロンはダプネに恋をし、虜になります。
しかし、アポロンが好きになればなるほど、そんなふうに思われることさえダプネは嫌い、拒み続けました。
アポロンはどこまでも追いかけ、ダプネもどこまでも逃げ続けました。
けれども、ついに逃げ続けることに力尽きたダプネは父に助けを求めます。
「わたしのこの姿をなくして、別のものに変えてくださいますように!」
祈りが終わるが早いか、ダプネの手足は痺れ、柔らかな腹部は固い樹皮に覆われていきました。
髪は葉に、腕は枝に変わり、足はどっしりとした不動の木の根となっていきました。
アポロンはその木を抱きしめましたが、まだダプネの心臓が鼓動する音はそれさえも避けようとしているかのようでした。
アポロンはその木(月桂樹)に語りかけました。
「私の妻にはなれなかったが、せめて私の木になっておくれ。いとしい月桂樹よ。私の髪も、竪琴も、つねにお前で飾られるだろう。」
そうして、人間は勝利の栄冠として、月桂樹の葉で編んだ冠を飾ることにしたのでした。
これが月桂冠です。