子どもたちから嬉しいおみやげをもらいました。
マジック好きの父のために金ピカのトランプ。
もちろん、本モノではなくてプラスチック製です(笑)
それと、「孫の手」ならぬ「娘の手」らしいです。
伸縮自在のアイディア商品。
夏休みも終わり、今日から学校が始まりますね。
子どもたちも朝からパタパタしていました。
沖縄県浦添市にある内科、腎臓&透析クリニックの院長のおはなしです
禅の言葉だそうです。
きれいな水が流れている河のほとりで、水を売ること。
買い手からすれば、常識的には水を欲しがるなんてありえませんね。
ところが、ありえないと思っても、河の流れに気が付かず、水を欲しがる人は実際にいるようです。
十分に水はあるのに、求めるものは外にあるものだと思い込み、自由でない心で欲しがるというものです。
外に何かを求める世界に生きているということのようです。
売り手からすれば、「河のほとりで水を売る」というのは大いなる無駄なことですね。無用の極みといえます。
初心を忘れて、知ったつもりになっているのかも知れません。
そばに大きな河の流れがあるのに、自分の小さな器ですくい取った「水」を売ろうとしているのです。
独創性を発揮して、誠実であるためには、「無知」であることに気づいていなければなりません。
初心を忘れないこと。
「無知」であることに気づくこと。
これらは思っているよりも重要なことです。
私の友達に、いつも新鮮に驚いて世界を見る男がいます。
大学時代、中国の烏魯木斉にふたりで旅行したとき、彼の反応にひとつひとつ感銘を受けたものです。
新鮮な目でみることは、明るくてすっきりした光景を映しだしてくれることを教えてもらいました。
甥っ子と一緒に食べた夕食時のお話です。
テレビを見ていたら、「妖怪ウォッチ」の映画のCMが流れていました。
(12月公開の映画を今ごろから宣伝するんだ…)と思いましたが、今、巷では大人気のようですね。
テレビを見ると集中が過ぎてなかなか返事を返してくれない甥っ子に聞いてみました。
「やっぱり『ようかい体操第一』とか踊れるの?」
「うん。おうちに見本があるから。」
もしかしたら、夏休みのラジオ体操のついでにこれも踊っているとこもあるかも知れませんね。
「妖怪ウォッチ」を知らない、私世代のオジサンたちに下の動画をご紹介します。
「踊ってみた」にも「ようかい体操第一」はありなんですね。さすがです。
今日は、ある方から教えてもらったことを備忘録として。
強いエネルギーを持った感情、例えば怒りなどのネガティブな感情は「ラケット感情」となって終わることなく繰り返されることを前にお話しました。
「怒り」を違ったかたちで表現した場合などは、なおさら大元の原因を知らないまま本人の「ラケット感情」の連鎖が続いていくことになります。
イライラ、不機嫌、不満、ぶっきらぼう…。
よく経験するように、ネガティブな感情は心から追い払おうとしても簡単にできるものではありません。
怒りの感情をいけないことだと自覚し、振り払おうとすればするほど、さらにぐるぐると嵐のように心の中をめぐっていきます。
抑圧すればするほど、ますます強くなって恨みや復讐心に変わっていきます。
「俺は絶対に許さない。」
「わたしは誰も信じない。」
この言葉は決まり文句のように、心の中で条件反射として繰り返されます。
また、ポジティブな感情を最大限に高めたとしても、ネガティブな感情はそのままありつづけます。
気分転換ぐらいにはなるかも知れませんが、ポジティブな感情が中和抗体となってネガティブ感情を消失させることはないのです。
「何も思わないようにしてください。」
例えば、瞑想の時、それができるでしょうか。
ちょっと普通の人には無理です。
それでは、これはどうでしょう。
「赤い色を思わないようにしてください。」
これも無理ですね。赤い色を思わないようにしようとすると、どうしても赤い色を思わずにはいられないからです。
私たちの思考は「非-赤色」ができないようになっていますし、言い換えれば「非-思考」(思わないようにすること)ができないのです。
同じように、怒りの感情もそれを思わないようにしようとすればするほど、怒りの感情があふれてくることになります。
では、どうすれば良いのでしょう。
怒りの感情が心に浮かんだら、それに抵抗せず、さっと身を引きながら、心の中でありのままに追いかけていくのが良いとされています。
怒りを見つめるもう一つの意識をつくる。
怒りの感情を受け入れ、もしその過程で屈辱感があふれだしてきたらそれも受け入れる。
後から後からあふれ出してきたら、それも心の中で追いかけて行く。
十分に受け入れた後に、「怒り」にこんな質問をしてみます。
「私のために何がしたいの?」
「私を何から守ろうとしているの?」
「どんなふうに守ろうとしているの?」
拒絶するのではなく、友だちのように対話を続けてみます。
そういうふうに、「手放すこと」を教えてもらいました。
夏の高校野球も佳境に入ったようです。
そろそろベスト8?がそろってくる時期ですね。
透析室の回診でも、目当ての高校の試合中だと、声をかけづらい雰囲気があります。
応援に集中したい気迫が伝わってくるのです。
人の感情って、放射するんですね。
試合が勝っていると、皆が黙っていても空気が高揚していて明るいのです。
負けていたり、ピンチになっていると、張りつめた空気が居心地を悪くさせます。
相手に点が入ると、それが若い回でもその残念な気持ちや不安感を
「あーあ。今日は負けるさ。」とか、「負けるね。」というように、あえて「負け」という言葉で表現します。
そこで「大丈夫、まだ4回でしょ。」と正論を言ってはダメです。
そういう言葉は、決まって無視されますから(笑)。
ソワソワして、見ていられない気持ちを抑えられないのでしょう。
人それぞれの応援スタイルがあって、面白がっています。
とにかく「カントクさん」が多い!
ゴジラ・ファンにとっては、歴代のゴジラ・スーツにはそれぞれ愛着があります。
特に1964年公開の「モスラ対ゴジラ」は怪獣ブーム元年の火付け役となった人気作です。
前作の「キングコング対ゴジラ」に続く、対決シリーズとして怪獣映画の「型」をつくりあげました。
通称モスゴジは目の上にある「眉毛」のような造形が特徴で、睨みつけるような精悍な表情が印象的です。
これは善のモスラに対する悪のゴジラとして、より凶暴さを演出するのに役立ちました。
体のフォルムもバランスがとれていて格好いいのです。
モスゴジに対して、「キングコング対ゴジラ」のゴジラは「キンゴジ」と呼ばれています。
初ゴジに比べてキンゴジは耳がなくなりパワフルに背びれも大きくなりました。
コミカルな動きもあいまって昭和シリーズの中ではモスゴジと人気を分け合うほどです。
昨日から野口嘉則氏つづきの投稿です。
昨日紹介したDVDブック 「いつだって、うまくいく!」の最後に収録されていた詩を紹介します。
「心のチキンスープ」にも紹介されているそうですから、知る人ぞ知る、かなり有名な詩なのかも知れませんね。
作者不明ともありますから、伝説的な詩なのでしょう。
まずは原文(?)から。
FOOTPRINTS IN THE SAND
One night I dreamed I was walking along the beach with the Lord.
Many scenes from my life flashed across the sky.
In each scene I noticed footprints in the sand.
Sometimes there were two sets of footprints.
Other times there were one set of footprints.
This bothered me because I noticed that during the low periods of my life
When I was suffering from anguish, sorrow, or defeat,
I could see only one set of footprints.
So I said to the Lord, “You promised me, Lord,
That if I followed you, you would walk with me always.
But I noticed that during the most trying periods of my life
There have only been one set of prints in the sand.
Why, When I have needed you most, you have not been there for me?”
The Lord replied,
“The times when you have seen only one set of footprints
Is when I carried you”.
日本語訳の詩を次に載せます。
足跡
ある夜、私は夢を見た。
私は、神様とともに砂浜を歩いていた。
振り返ると、砂浜には二人分の足跡が残っていた。
一つは私のもので、一つは神様のものだった。
これは、これまでの私の人生の足跡であった。
足跡を見ていると、私の人生の様々な場面が、走馬灯のように思い出された。
よく見ると、これまでの私の人生の中で、足跡が一人分しかないときが、何度もあることに気づいた。
それは、私が辛く悲しい思いをしていた時期ばかりだった。
ああ、あの時は、信頼していた友だちに裏切られた時だ。
ああ、あの時は、失恋して落胆していた時だ。
ああ、あの時は、事業で失敗した時だ。
私は神様に尋ねた。
「神様、あなたはずっといっしょにいてくれるものと思っていました。
しかし、私がもっとも辛かった時期には、一人分の足跡しか残っていません。
あなたを最も必要としていた時に、どうして私をお見捨てになられたのですか?」
すると、神様は答えておっしゃった。
「いとしい大切な我が子よ。
私は、愛するお前を、決して見捨てたりしない。
お前をひとりぼっちにはしない。
一人分しかない足跡は、お前の足跡ではないよ。
その足跡は、私の足跡なのだよ。
悲しみに打ちひしがれるお前を背負って歩いた 私の足跡なのだよ。」
コーチングのプロとして、あるいは「鏡の法則」や「心眼力」などの書物の著者として野口嘉則氏の名前はご存知の方は多いかと思います。
「鏡の法則」というのは
「人生というのは自分の心を映し出す鏡ですよ」という法則のことです。
そして「心眼力」というのは、たとえば
「自分は一人で生きているんじゃない、いろんな方との出会い、いろんなご縁あるいは、いろんなものに支えられて生きているんだ」
心の目でそういう真実を見つめること。
このDVDブックには講演の様子とは別に特別ムービーが収録されています。
たまたまYouTubeに見つけたので、紹介させてくださいね。
[youtube]http://youtu.be/KwRe-YnN94s[/youtube]
ストレスに人間の体がどんな反応を起こすのかを知ることは、ストレスに対応するうえで意味があることだと思います。
大きく分けて2つのストレス反応があると言われています。
(1) 「闘うべきか、逃げるべきか」の反応
下の図のように、ストレッサ―の刺激は、大脳皮質で感知され、視床下部に伝えられた後、最終的にはコルチゾールとカテコールアミン(アドレナリン、ノルアドレナリン)の分泌を行います。
この2つのホルモンは、本来ストレッサ―の攻撃に対して体を守るために分泌されるものです。
この2つのホルモンは体の機能を調節して急性の反応に対応します。
具体的には、血管が収縮して血圧が上昇し、気が高揚して興奮状態になります。
脈拍数をあげるので動悸を感じるかも知れません。
この反応は、生き物として心臓や脳、筋肉へ酸素やエネルギーの供給を増加させて急激な活動に耐えるようにしているのです。
すぐに闘えるように、すぐに逃げることができるように、です。
(2) 凍結行動
ストレスに対処できない状況が続くと、萎縮し固まって動けなくなります。
見方を変えれば、ストレッサ―に降伏して、従っている状態です。
これを凍結行動といいます。
生体としての活動が低下した状態ですので、感染症に対する抵抗力も弱くなりますし、生命活動全般に影響を及ぼす状態です。
ギリシア神話に題材を求めた映画はたくさんあります。
神々のキャラクターが非常に個性的ですし、運命的なストーリーに誰しもがワクワクするものだからでしょう。
そのギリシア神話を現代のティーン向けアクション映画にしたらどうなるか?という映画です。
「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」
最近、続編も出ていましたが、残念ながらどちらも映画館で観ることはできませんでした。
一言で言えば、海神ポセイドンと人間との子どもであるパーシーの冒険ファンタジーです。
パーシー・ジャクソンの本名はペルセウス・ジャクソン(Perseus Jackson)。
ゼウスの息子、英雄ペルセウスの名前を由来にしています。
ゼウスでもハデスでもなく、ポセイドンの息子を主人公にしてペルセウスの名を由来にしたのが面白いところですね。
神話ではペルセウスはゴルゴンであるメドゥサを倒した英雄です。
そしてそのメドゥサの首を鎌で切り取った時の血から生まれたのが天馬ペガサスとクリュサオル。
彼らはポセイドンがメドゥサを愛人にして懐妊させた子どもなのです。
原作者は自分の世界観を壊されたくないとのことで、映画を観てないそうです。
ギリシア神話好きにはその気持ち、少しわかる気がします。
[youtube]http://youtu.be/kEGVOHOMEr0?list=UUOYNd3owq8Ecvuh612IFEbg[/youtube]