カニッツァの三角形

 

「実際にあるものと脳の中で再構築されたものにはズレがある」の具体例が「カニッツァの三角形」です。

イタリアの心理学者ガエタノ・カニッツァにより1955年に発表された有名な絵です。

下の図をご覧ください。

Kanizsa triangle

 真ん中に白い逆三角形が浮かび上がっているように見えます。

逆三角形の白い輪郭も見えますし、周辺よりも明るく見えます。

 

けれども、実際には輪郭は存在しませんし、明るさも中心と周辺では同輝度です。

この図は脳の足りない情報を補う「補完する能力」がうまく刺激されているのだといいます。

 

この図は、脳が解釈する世界と実際の世界とは違うかも知れないという例えに用いられてきました。

私が認知している世界は事実と違うものかも知れない。

そう気づくことは、世界をより正しく客観的に見ようとする動機づけになるかも知れませんね。

「今見えていることが全てではない」ということは、多くの先人たちが教えてくれたことです。 

 

 

怒りを向けられた時

 

以前に「怒らないこと」のお話をしました。→ こちら「怒らないこと2」

今度は自分に対して誰かの怒りが向けられた時のお話です。

日常生活で、よく遭遇するお話かも知れませんね。

 

基本は「怒りは相手のもので、それ以外のものではない」と認識することです。

相手の怒りに対して、「そんなことで怒るものではない」とか「怒るあなたが悪い」などと、否定しないことです。

相手の怒りを伝染させて自分も怒りで返したりすると、まったく意味のない消耗戦が繰り広げられることになります。

 

また、相手の怒りが自分のせいだと卑屈になると、必要以上に緊張することがあるかも知れません。

相手が怒っていても、自分の心の主導権は自分のものです。相手は私の心に動揺を与え言動を支配したがるかも知れませんが、心の主導権はあくまでも私のものです。

必要以上に防衛的になっていると、事態を正確に把握することができなくなります。

もし防衛的になっていると感じたら、「怖いですね。」と正直に自分の気持ちを表現してみることも大切です。

必要であれば、詫びることもできます。

 

「相手の怒り」に慣れることは、動揺を抑え、冷静に物事をみる手助けになるかも知れません。

問題を明らかにすること。明らかにした問題を解決すること。その能力を発揮するきっかけをつくること。

やはり、最後は怒りに飲み込まれない勇気を持つことが大切なのでしょうね。

 

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「毒矢のたとえ」

 

釈迦の説いた有名なお話に「毒矢のたとえ」があります。

ウィキペディアからの引用です。

ある人が釈迦に、「この世は永久のものでしょうか、無常のものでしょうか。世界には限りがあるのでしょうか、無限のものでしょうか…」等々、次々に質問を浴びせた。

釈迦はその質問に直接は答えず、「毒矢に当たった者が、矢を抜く前に『矢を放った者は誰か、矢の材質は、私を診察する医師の名は、その階級は…』と聞いていたらどうなるだろうか。」

と言い、真理を知ることよりも先にやるべきことがあると諭した。

 

毒矢がなんであるかを知ろうとする前に、毒矢を抜くことがまず大切だと説いたのです。

悶々とするぐらいなら、まずやるべきことをやる。

 

たまった書類を前に、自分に言い聞かせる月曜日の朝なのでした(笑)。

 

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映画「いけちゃんとぼく」

西原理恵子さん原作の映画「いけちゃんとぼく」をビデオで観ました。

2009年公開の映画です。

原作は絵本で、多くの人に感動を与えた作品です。

あらすじ (これは絵本の方から抜粋しました。)

ある日、ぼくはいけちゃんに出会った。
いけちゃんはうれしいことがあると数がふえて、こまったことがあると小さくなってちぢまる。いつもぼくのことを見てくれてるし、ぼくが友達にいじめられて落ち込んでるとなぐさめてくれる。でも女の子となかよく遊んでるとまっかになって怒り出す。そんないけちゃんのことがぼくは大好きで――。
不思議な生き物・いけちゃんと少年の心の交流。

なんとなくいつもそばにいる、いけちゃん。いけちゃんはヨシオをいつも静かに寄り添い見守っています。

ヨシオはそれを不思議だと思わず、普通のこととして生活しています。

ヨシオの成長とともに、いけちゃんは別れの時が近づいたことを悟ります。

いけちゃんの正体がヨシオに明かされるとき、壮大な人生の成り立ちと愛の深さを知ることになります。

甘酸っぱい思い出をだぶらせながら、切なくて嬉しくなる映画でした。

 

原作も読んでみたくなりました。

 

チョコレートとノーベル賞 文献から

 

毎年、クリスマスになると、BMJ というイギリスの医学専門誌がしゃれた面白い論文を掲載してくれます。

それを彷彿とさせる論文が2012年に NEJM というアメリカの医学専門誌に掲載されました。

巷でも話題になりましたから、目にした方も多いのではないでしょうか?

曰く、「国別ノーベル賞の受賞者の割合は、その国のチョコレート消費量と正相関がある。」

 

Chocolate Consumption, Cognitive Function, and Nobel Laureates

Franz H. Messerli. N Engl J Med 2012; 367:1562-1564

 

今回の研究では、2011年10月10日までの23カ国の10万人あたりのノーベル賞受賞者を比較することで行われました。

解析の結果、有意な相関が認められました。(r=0.791、P<0.0001)

chocolate nobel

このグラフの通り、チョコレートの消費量、ノーベル賞受賞者数がともにトップであったのはスイスです。

 

国民1人あたりの年間チョコレート摂取量が400g増えると、ノーベル賞受賞者が1人増えるという計算になります。

チョコレートの効果が現れるのは、最低でも年間約2kgを摂取しなければならないようです。年間11Kgまでは、用量依存的に多く受賞者が出ています。

ただし、食べれば食べるほど受賞者が増えるかどうかは不明とのこと。

 

しかも、残念ながらこの研究ではノーベル賞受賞者個人のチョコレートの摂取量は調べられていないのですね。

彼らがチョコレート好きかどうかもわからないのです。(もしかして、チョコレート・アレルギーがあるかもしれないかどうかも!)

 

ちなみにチョコレートにはポリフェノールやフラボノイドが含まれていて、認知機能の改善作用や脳神経細胞の保護作用などがあるのではないかと考えられています。

あながち冗談じゃないかも知れませんよ?

 

 

インフルエンザの流行状況

 

「最近、インフルエンザはどうですか?」と聞かれることが多くなりました。

身の回りの感覚として、インフルエンザの猛威が過ぎ去ったことを感じるからでしょう。

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沖縄県感染症情報センターの発表でも、2週続けて定点あたりの患者報告数が10人を切り、警報終息基準値を下回っています。

那覇市でも第10週に患者報告数が8.25人になり、すべての保健所管内で10人を下回りました。

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それをうけて、3月4日に警報は解除されています。

けれども、なおも注意が必要なのは、インフルエンザB型が増加傾向にあるという情報です。

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「手洗い」「咳エチケット」は、気を緩めずに取り組んでいきたいですね。

 

 

 

適度なコーヒーは冠動脈の石灰化をふせぐ  文献から

 

コーヒー好きにはまたも朗報です。

最近では次々と、コーヒーを飲むことは生活習慣病リスクが低下するのだと示されてきています。

今回は冠動脈の石灰化リスクとの関連においても良い影響がありそうだというお話です。

 

Coffee consumption and coronary artery calcium in young and middle-aged asymptomatic adults.

Choi Y et al. Heart. 2015 Mar 2.

 

対象は、25138人の心臓の病気を持っていない男女。平均年齢 41.3歳。

食事内容調査によって、コーヒーを飲む習慣、摂取量と冠状動脈の石灰化(CAC)との関連を調べました。

石灰化はCT(multi-detector CT)によって評価、測定しています。

 

全体として、CACスコアが0を超える冠状動脈の石灰化は、13.4% (n=3364) に見出されました。

「心臓病を持っていない」とされている人々を集めたわけですから、症状が出ていない人でも 13.4% ですでに石灰化があったということですね。

CACスコアが1-100 :11.3% (n=2832)

100以上 :2.1% (n=532)

 

ところで、全体としての1日あたりの平均コーヒー摂取量は、1.8 ± 1.5 杯でした。

 

ここからが解析の結果です。

 

CACスコアをコーヒーを飲まない人を基準にして比較しています。

1日1杯未満の摂取群:0.77 (0.49 to 1.19) つまり、リスクが23%低下

1-3杯の摂取群:0.66 (0.43 to 1.02) 34%低下

3-5杯の摂取群:0.59 (0.38 to 0.93) 41%低下

5杯以上の摂取群:0.81 (0.46 to 1.43) 19%低下

 

 

結論づける(決めつける)のは性急すぎますが、1日あたり3-5杯のコーヒーを飲むことと冠状動脈の石灰化リスク低下との関連が示唆されるということです。

 

コーヒーの何が良いのかということなのですが、コーヒーにはいくつかの抗酸化作用を持つ物質が含まれているのですね。

フェルラ酸 (ferulic acid)、カフェ酸 (caffeic acid)、クロロゲン酸 (chlorogenic acid) などです。

 

良いことづくめのようですが、問題なのはコーヒーに含まれているカフェインですよね。

カフェインの摂り過ぎで不整脈が出たり、血圧が上昇してしまわないかというのが心配です。

そうそう。興奮・緊張状態や不安など精神症状も出てくることもありますから、あくまでも“適度な量”が大切ですね。

 

震災から4年

今日という日は日本人にとって特別な意味を持ちます。

 

震災から4年が経ちます。

しかし、今なお約22万9000人の方が避難生活をされているのだということです。

 

日本がどうあるべきなのかが改めて問われる日です。

私も考えていきたいと思います。

 

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伝説の耳なしセブン

 

唐突ですが、今日は「ウルトラセブン」のお話をします。

マニアの間では語り草のお話です。

 

耳のないウルトラセブンはなぜ生まれたのか?」というものです。

ウルトラマンタロウ第40話「ウルトラ兄弟を超えてゆけ!」と、ウルトラマンレオ第1話「セブンが死ぬ時! 東京は沈没する!」に出てきたウルトラセブンには耳がないのです。

 

まず本来のウルトラセブンを見ていただきましょう。

下の写真がウルトラセブン第3話「湖のひみつ」に出てきたウルトラセブン。エレキングをアイスラッガーで倒す時の写真です。(耳あり)

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耳に注目してください。ちゃんと三角形の突起のような耳がありますね。

 

一方で、下の写真がウルトラマンレオ第1話のシーンです。

セブンは兄弟怪獣ブラックギラスとレッドギラスのコンビネーション技に何とか突破口を開こうと、やけくそのアイスラッガーを繰り出します。(耳なし)

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きれいに耳の部分がないのがおわかりでしょうか。

 

前作がウルトラマンタロウだったため、タロウの角の部分を取り外して流用したスーツじゃないかとか、思わず信じたくなるような憶測も飛び交っていました。

本当のところはわかりませんが、「そういう時代だった」でおさまっているようです。

まさか!とお思いでしょうが、ウルトラマンレオの時には、すでにオリジナルのセブンのスーツはなかったのかも知れませんね。

ゴジラなども新作が出るたびに、新しいゴジラスーツをつくっていましたから、セブンのスーツを新調した時に「ついうっかり」耳をつけ忘れてしまったのかも。

 

耳がなくなっても、ウルトラセブンはみんなの永遠のヒーローなのです!

 

「ガンジー」

 

事務仕事がたまっていたので、少し遅くまで残っていました。

しーんとした中では集中するのに良いのですが、少し長丁場になりそうだったので、サブのモニターでずっとBGMを流していました。

ふと思い立って、映画「ガンジー」のDVDを流してみました。(実はこれが失敗でした。余計に2倍の時間がかかってしまいました。)

 

ガンジーが独立の精神としたサティア・グラハ(真理把持)。

独立の精神とはイギリスを凌駕する、より誇りに満ちた高邁な精神。

虐殺事件が起きようとも、イギリスに対する恨みや憎しみを原動力にするのではなく、「インドはどうあらんとするのか」という理想をエネルギーとして道を示していく。

ガンジーの人生は悲願達成の人生でありながら、常に人としてどう生きるのかという自らへの問いかけの人生です。

 

「ながら仕事」のつもりが、ついつい場面に引き込まれて、深く考えさせられてしまいました。(当然といえば当然ですが(笑))

http://youtu.be/6oWqlb_TlLQ