「妄想」に巻き込まれないこと

 

過去の失敗や未来の心配がどうしても頭から離れず、そればかりが気になっていつまでもぐるぐる巡ってしようがない時があります。

「そんなにくよくよ考えるなよ」

そう言われても(特に寝床に入ってからの)“くよくよ”や“ハラハラ”は、かなり厄介です。

ストップをかけようと「ええい、考えてもしようがない!ポジティブ、ポジティブ!」と呪文のように唱えても、いつの間にか心はそのことを考えてしまっています。

フタをしようと塞いでも、するりとかわして心の中をいつの間にか占領してしまっています。

確かに考えてもしようがないのです。

現実とかけ離れてしまっているから実体を持ちませんし、それをとらえようとするのは至難の業です。

それを「妄想」と呼びます。

 

「妄想」のアリジゴクの罠にはまらないために、ある便利な言葉を教えてもらいました。

落ち込み、不安、後悔などのネガティブな言葉が浮かんできたら、「~と考えた。」と付け足す方法です。

 

例えば、こんな風につかいます。

「ああ、なんて馬鹿なことをしてしまったんだろう…」「と考えた。」

「もう最悪だ。私はダメ人間だ」「と考えた。」

「どうしてもやめれない。またやってしまった。」「と考えた。」

 

これは認知療法やACTなどで「脱フュージョン法」と呼ばれているもので「ラベル貼り」をしていくのです。

考えを現実そのものと思い込んでしまうと、自分の思考に飲み込まれてしまうので距離を置く必要があります。

 

「~と考えた。」と付け足すだけで、少し客観的になった気持ちになりませんか?

思考と距離を置いて、もうひとつの視点を持つことができたらしめたものです。

 

野球やプロレスの実況中継のようにできたら、もっといいですね。

「ああ、なんて馬鹿なことをしてしまったんだろう…」「と考えた」「ということに気づいた私は、少し気持ちがすっきりしはじめてきた。」

実体のない思考に巻き込まれるのではなく、生身の自分にひきもどす方法です。

「ああ、なんということでしょう。私はとめどないネガティブな感情の奔流に流されんばかりになっていたのでした。」

悪ノリできるようになったら、大成功ですね。

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「あの人の手紙」

 

 「あの人の手紙」は、かぐや姫の代表的な反戦歌です。

物語りはラブソングの形をとっていますが、戦争の「弱いものに対する残虐性や暴力性」「行き場のない怒りや悲しみ」をストレートに表現していると思います。

 

 

沖縄出身の夏川りみさんと一緒に歌っている動画を発見して、とても心が揺さぶられました。

忌野清志郎さんをはじめとして、昔のロック&フォークソング世代はストレートに反戦歌を歌っていた印象があります。

 

 

世の中のただならぬ雰囲気を、いろいろな方が「かつて通った道」として感じ、発信しています。

 

 

 

 

 

 

ゆいレールの車内メロディ

 

今さらですが、ゆいレールの車内放送のメロディが耳に優しいですね。

沖縄のわらべうたや昔の沖縄サウンドのフレーズがとても心地よく響きます。

 

例えば、市立病院前駅では「クイチャー」のリズムが明るい気分にさせてくれます。

 

その時はクリニックに向かっていましたから、坂道を上った後の儀保駅では、少しおとなしめの曲。

あれ?この曲、とっても懐かしいんだけど何だったっけ?

 

一瞬、曲名が出なくてもどかしい思いをしましたが、すぐに「芭蕉布」だと思い出してすっきりしました。

沖縄サウンドと呼ばれる代表的な曲です。昭和40年発表で、私が小学生の頃、母がママさんコーラスで歌っていたのを覚えています。

大学時代に友人と中国に旅行に行った時も、「君の国の歌を歌ってくれ」とリクエストされた時に、この曲を歌っていました。

 

ゆいレールさんも、わらべうたでないけれども「芭蕉布」を選択したのは、この曲が広く愛されているからなんでしょうね。

 

 

 

「誰もいない森で木が倒れたら音はするのか?」

 

 

ドラッカーの本を読んでいたら、「哲学上の有名な問いかけ」として紹介されていました。

「誰もいない森で木が倒れたら音はするのか?」

 

答えは「しない」だそうです。

後に続く説明がこうでした。

空気が振動して音波は発生しますが、音波というものは知覚されてはじめて「音」になるのです。

ですから、「人」がいない森では木が倒れても音はしません。

 

これは、コミュニケーションについてドラッカーの考えを示すために用いた例えでした。

コミュニケーションとは、発し手ではなく、受け手に成功のカギがある。

先ほどの「音」と同じでコミュニケーションも、相手に知覚されなければ意味がないと言っています。

つまり、受け手が関心を持っていること、理解できる言葉で語ることが大切であると説きました。

コミュニケーションとは、意見を押し付けるのではなく、お互いに理解を共有しあうこと。

そのためには、相手にわかる言葉を使うことが何よりも重要なんですね。

 

「どう行動するか」の前に、「行動するべきか、いや行動しなくても良いのではないか」から話し合うことが必要なんだと言います。

 
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「肝心かなめなもの」

 

まど・みちおさんの詩に「根」というタイトルの詩があります。

根

 

この詩を読むと、なかなか「肝心かなめなもの」だけで生き切れない自分と重ねてみて「こう生きていけたら素晴らしいだろうな」と思います。

肝心なものはいつだって、目に触れていない。

それは表面に表れていないだけで、本当は大切なところで下支えとして「あっけらかんと」存在している。

決して「ワンガ、ワンガ」というタイプの人間ではないつもりですが、自分がもっている傲慢さを指摘されている気持ちです。

 

 

 

絵画はむなしい?

 

 

パスカルの有名な言葉があります。

絵画とは、なんと空しいものだろう。原物には感心しないのに、それに似ているといって感心されるとは。 (『パンセ』)

 

「似ているといって感心する」というのはなるほどと思いますが、前半の「絵画とは空しいもの」という文句に私の頭に「はてなマーク」がつきました。

「絵画が空しい」ということが理解できないのです。美しい絵画を見ると、心が揺さぶられるものです。興奮します。感動するものです。

パンセは絵画をおそらく現実のコピーとしてとらえ、オリジナリティや創造性を認めなかったのかも知れません。

画家の側に立つというよりも、絵画を評価する批評家の視線のような気がします。

 

「評価する」という視点は、解釈し意味を与える行為です。

感動が何に起因しているのか分析しようとすることです。感情や気持ちを理屈や数値、データで表記変換するようなものです。

確かに、そういう行為は「空しい」かも知れません。

 

私は現物を超えた絵画は存在すると思います。

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肖像画は、不在と現存とを、喜びと不満とをもたらす。実物は、不在と不満とを取り去る。 (『パンセ』)

 

沖展は今度の日曜日までですね。

 

 

 

 

 

 

チームワークとは?

 

4月1日です。新年度が始まりました。

私たちのクリニックも、今日から新しいスタッフを迎えます。

慣れるまで緊張の連続かも知れませんが、皆でカバーしていきたいと思います。

 

組織で働くと、チームワークとはいったい何だろうかと考えます。具体的にはチームワークとはどんな行動をいうのでしょうか?

どんなことをすれば「チームワークが良い」と言えるのでしょうか?

こんな定義を示してくれた方たちがいました。ディッキンソンとマッキンタイアが定義してくれたものです。

 「チームワークとはチーム内の情報共有や活動の相互調整のためにメンバーが行う対人行動全般である」

言葉が少し分かりにくいですが、おそらく平たく言うとこんな感じだと勝手に解釈しています。

メンバー同志のコミュニケーションがよくとれていること。そして、自分の役割の境界から少しだけはみ出してお互いを助け合う協力の風土があること。 

私は、この「境界をはみ出す」ということが、人が自分を成長させ利他の心を育む大事なポイントだと思っています。

 

そういうこともあって開業の時から、人に教えてもらって院長として心がけていることがあります。

院長はクリニックの用務員さんの役割も担うものであること。

 

業務の中には境界がはっきりしすぎていると、必ず隙間が出てきます。

そこを埋める人が必要です。そして、一番ヒマなのは院長ですから(笑)

 

だんだんとチームワークが育ってきて、その境界がぼんやりしてきてその隙間が見えなくなってきたように思います。

 

実はこんなことがありました。

季節も春を迎え、クリニックの裏のスペースで雑草が生い茂ってきました。

さすがに自分では刈れないよなあと思っていたら、休日に出てきてきれいに刈ってくれたスタッフがいました。

もう、うれしくて感激です。

 

 

rose

 

 

惑星の名前 ローマ神話から

 

今日は惑星の名前のお話です。

 

太陽系の惑星にはローマ神話の神々の名前をつけるのが通例でした。

例えば、木星はジュピターだと皆が知っていますが、ギリシア神話では全知全能の神として知られるゼウスのことです。

一覧表をつくってみました。

惑星  英語名 ローマ名 ギリシア名
 太陽  アポロ(Apolo)  アポロ  アポロン
 水星  マーキュリー(Mercury)  メルクリウス  ヘルメス
 金星  ヴィーナス(Venus)  ウェヌス  アフロディテ
 火星  マーズ(Mars)  マルス  アレス
 木星  ジュピター(Jupiter)  ユピテル  ゼウス
 土星  サターン(Saturn)  サトゥルヌス  クロノス
 天王星  ウラヌス(Uranus)  ウラヌス  ウラノス
 海王星  ネプチューン(Neptune)  ネプトゥヌス  ポセイドン
 冥王星  プルート(Pluto)  プルトン  ハデス

ローマ神話とギリシア神話では、神々の呼称が似ても似つかぬものに変化してしまっています。日本人に広く親しまれているのはローマ名の英語読み(=英語名)ですね。

ただ、天王星のウラノスだけは、ちょっと違います。

ウラノスはローマ神話ではカエルス。

なぜか惑星の名前はウラヌス(ウラノス)のままなのです。

 

そういえば、太陽のアポロン(アポロ)もそうですね。 

彼らはローマに渡っても、知名度が高かったのでしょうか。 

The_Mutiliation_of_Uranus_by_Saturn 

 

 

 

 

この時期、沖縄から本土へ出張に行くと、やはり桜の花が目にとまります。

沖縄の桜は1月2月の寒い時期に満開となるので、「新年」という気分にはなっても「春」という実感はありませんが、この時期の桜は春の到来を象徴します。

昨日はあいにくの曇りでしたが、目の保養となりました。

もっと上手に写真がとれたらよかったのですが、通りすがりの一枚…だったので、ごめんなさい。

ほとんど満開に近いのでしょうね。良いタイミングで出張しました。

sakura

sakura2

 

 

 

移動時間の楽しみ

出張の移動で楽しみにしているのは、読書のためにまとまった時間が取れることです。

空港の待合ロビー、飛行機の中、駅のホーム、電車の中、あるいはホテルの部屋。

沖縄から東京への出張なら、移動する初日でだいたい1冊を読了することができます。

 

昨日から今日にかけて、東京への出張がありました。

今回、少し違うのは「紙の本」ではなく、電子書籍を持って行ったことです。

写真の通り、ほぼ日手帳とだいたい同じ大きさです。

kindle hobonichi

どんなにページ数が大きい本を持って行こうが(あるいは何冊持って行こうが)、この手軽さのままに移動することができます。

難点は、欲しいと思う本がまだまだ電子書籍化されていないこと。何冊も持っていくことになるので、同時に読み進める本の数が増えてしまったこと。

良い点は、今までよりももっと細切れの時間を読書にあてることができること。

不思議なのは、紙の本がますます好きになってしまったこと。

目的地への道すがら目にとまった本屋に立ち寄り、やっぱり本っていいなあとぱらぱらページをめくりながら思います。

 

読書は人生を助けます。

それ以前に本を読むことは面白い。