インフルエンザ注意報が解除されました

 

第30週(7月24日~30日)のインフルエンザ流行状況の報告では、定点の患者報告数が注意報レベルの10人を下回っており、8月2日付で注意報が解除されました。


ただし、那覇市、南部保健所管内は引き続き注意報レベルを超えているのと、八重山保健所管内の7.67人から19.67人への増加が気になるところです。

実は、昨日もインフルエンザ迅速検査でA型が陽性であった患者さんがいらしていて、実感覚としては「まだまだ」という印象なのです。

 


グラフのように、例年の傾向を見ても、「0にはならない」という意識が必要かも知れません。

体調を管理することや、手洗いや咳エチケットなどは、流行シーズンでなくても、習慣として身に着ける必要があります。

 

タイプ別にみると、一時期B型が多かったのですが、ここにきてA型の勢いも増してきました。


熱中症とインフルエンザ、そしてその影に隠れて感染性腸炎もちらほらみえています。

 

暑い日が続きます。

体調管理をしっかりとしていきましょう。

禅の言葉「主人公」

 

面白いことに「主人公」というのは禅語のひとつなのだそうです。

「主人公」という言葉は「アニメドラマの主人公」というように、中心となる登場人物を指し示して使いますね。

 

禅の世界では、「主人公」というのは、「本来の自分の姿」「真実の自分」のこと。

「瑞巌主人公」からの出典で「瑞巌の師彦和尚、毎日自ら主人公と喚び、復た自ら応諾す」とあるそうです。

 

瑞巌寺の師彦和尚は、毎日自分で自分に「おーい、主人公よ、師彦よ。ちゃんと本来の自分でいるか?」と呼びかけ、「はい!」と答えていたそうです。

 

自分の中に主人公がいる。本来の自分が眠っているという感覚なのでしょうね。

傍から見たら滑稽な印象もありますが、本来の自分というのは、実は毎日呼び出さなければ、きっと流されてしまって失ってしまうものなのでしょう。

 

本来の自分=主人公を目覚めさせていきましょう。

 

 

台風5号(Noru)

 

台風5号(ノル-)の予想進路が、日に日に変化しています。

迷走を冠する台風の特徴ではあるのですが、7月21日に発生してから、すでに10日を超えています。

あとで発生した10号も既に消滅していますから、5号はかなり長い期間勢力を保っていると言えます。

 

確かにあの距離から、いつの間にか週明けには沖縄本島に迫ろうかという感じですから、かなり厄介な台風です。

 

週明けに沖縄・奄美地方に接近する予報ですが、まだ予報円が大きく、今後の進路に十分に注意する必要があります。

 

ちなみに米国JTWCでは、より北側の進路を予想しているようです。

 

いずれにせよ、現在中心気圧が940hPaの非常に強い勢力です。

台風の目が不気味なほどくっきりとしています。用心に越したことはなさそうです。

 

 

迷走台風

 

台風5号(ノル-)が迷走しながら、太平洋上に残っています。

「残っている」という表現を使いましたが、中心の気圧は935hPaで、中心付近の最大風速は50m/sですから、非常に強い台風です。決して小さな台風ではありません。

瞬間の最大風速は、なんと70m/s。

北に進路を変えていっているようなので、油断ができません。

 

 

「迷走台風」と言って思い出すのは、昨年の台風10号(ライオンロック)が記憶に新しいです。

太平洋から沖縄に向かってきて、ヨーヨーのように北上したかと思うと、最後は岩手県に上陸した台風でした。

 

 

この台風5号(ノル-)が、そうならないようにと願うばかりです。

 

最近は、よっぽど海の水温が高いのでしょう。

熱帯低気圧がどんどん発生し、それが台風に発達していっています。

台風情報を集めていく必要があります。

暑さ指数が危険レベル

 

昨日の休日は時間が空いたので、南部をドライブしてきました。

連日、猛暑が続いていて、昨日も日差しが強く、外に出ると目を開けていられないほどでした。

 

海が見える高台にあがると、湿気を含んで少し生温かいものの、海風が涼しく感じました。

 

 

さて、暑さ指数(WBGT)の予測では、ここ数日は「危険」レベルが予想されています。

WBGTの危険(31℃以上)というのは、熱中症がすべての生活活動でおこる危険性があるということです。

特に高齢者では安静状態でも発生する危険性が大きいとされています。

また、運動も特別の場合以外は運動を中止すべきだとされているレベルです。

 

外出は極力避け、室内を涼しくして過ごしてください。

 

 

 

ナナサンマルと免許更新

 

今日は早めに起きて、運転免許証の更新に行ってきました。

 

偶然ですが、運転免許の更新日が730(ナナサンマル)であったのが、自分勝手に縁を感じていました。

待ち時間のビデオといい、更新時の安全運転の講習は、30分間という短い時間でしたが、日頃考えたことがなかっただけに、なかなかためになることが多かったように思います。

 

特にロータリー交差点のお話は、前回の更新の後に道路交通法が改正されたということもあって、勉強になりました。

沖縄県では「糸満ロータリー」がそれにあたるということですね。

下の写真はウィキペディアから。

Raund uekara

ウォーキングではなく散歩

 

娘と2人で夜の公園に散歩に出かけました。

ウォーキングではなく、散歩です。

 

瞑想に凝っている私が「歩く瞑想をしてみよう。」と言って娘を誘いました。

面倒臭がって断られるかと思ったら(実際、下の娘と妻には断られました)「うん、いいよ。」とOKしたので、逆に戸惑いました。

 

「歩く瞑想」と言うのは、これもやはりティク・ナット・ハン師の番組に出てきた瞑想法です。

瞑想というと、「坐禅」「坐る瞑想」をイメージしがちですが、以前に紹介したプラユキ・ナラテボー師の「手動瞑想」もそうですし、動きの中で「今、ここに気づく」ことができれば、坐禅を組むよりも実践しやすいかも知れません。

 

一歩一歩によく注意を向けて、急がずにゆっくりと歩いてみます。

足の裏が地面に触れる、離れる、触れる、離れるを感じながら、一歩一歩を大切に歩きます。

 

真似事でやってみたのですが、最初はどうもバランスが悪くて、ぎこちない「歩き」になってしまいました。

人は、いつもは歩行を手段とした「目的地への移動」はしていますが、「歩く」ことを目的とはしていないのかも知れませんね。

呼吸と歩きが一致しなかったり、最初はなんだかヘンな感じでした。

 

ティク・ナット・ハン師の本には「トラがゆっくりと歩くようすを思い描いてみましょう」とあります。

なんとなくイメージが湧いてきました。

 

 

「お茶を飲む」こと

 

「こころの時代アンコール」の番組を見てから、ティク・ナット・ハン師の本を読み返すようになりました。

 

「今、ここ」にあることに気づく。「今、ここ」にあることの喜び、幸せを感じる、と言うことが繰り返し説かれています。

「気づき」については、私たちは訓練しなければなりません。

「お茶を飲む」ということに関しても、師はこんな説明をされています。

 

 意識的にお茶を飲むとき、体と心は完全に一つになっています。しかし、にぎやかに音楽が流れるカフェで、たくさんの仕事で頭がいっぱいの状態で座っているとき、あなたは実際にはコーヒーやお茶を飲んでいません。あなたは自分の仕事や心配事を飲んでいます。あなたはそこにおらず、コーヒーもそこにはないのです。あなたが自分に戻り、本当にそこに存在し、過去や未来や心配事から自由に解き放たれているときにのみ、コーヒーや紅茶はあなたの前に実際にあるものとして姿を現します。そのとき、あなたとお茶の出会いも現実のものとなります。これが本当にお茶を飲む、ということです。

 

確かに、心配事や考え事で頭がいっぱいの時、「心ここにあらず」の状態では、形のうえでは飲んでいるかも知れませんが、味わっているわけではないかも知れませんね。

意識的にお茶やコーヒーを飲むということは、意識的に「今」に存在し、心と体が一つになっている状態です。

それが「気づきの実践」なのだと言うことです。

 

朝のコーヒーを、少しゆっくりと飲むようになりました。

 

 

 

「五体投地」

 

五体投地というのは、両手・両膝・額を地面につける、つまり、自らの身体の全てを地面に投げ出して、伏して礼拝することをいいます。

チベット仏教などでは、最高の礼拝法ということです。

NHKスペシャル「チベット死者の書」(1992年)のビデオを見ると、冒頭にこのシーンが出てきます。

 

 

何回も何回も地面に伏すため、エプロンのようなものを着ています。

額には、地面の土埃が着いているのが見えます。

胸の前で蓮華合掌し、そのまま頭の上へと掲げます。

合掌を続けたまま、両膝をつき、体を倒しながら、両手を前の方へ伸ばしていきます。

また、立ち上がり、この一連の動作を繰り返していって、前進していきます。

 

 

このシーンは、チベット暦の正月での礼拝だそうですが、チベット族の信仰心がまさに具現化された姿です。

その迫力に、圧倒されてしまいます。

 

けれども、どこか不思議に懐かしい感じがします。

 

 

 

「悲しくてやりきれない」

 

娘が「悲しくてやりきれない」をずっと口ずさんでいました。

この歌は、アニメ映画「世界の片隅に」の挿入歌で、コトリンゴさんが歌っていた曲です。

独特のウィスパーボイスが印象的な、映画の色彩にとてもマッチしていた歌でした。

 

 

「この歌って、コトリンゴさんのオリジナルじゃないんだね。」と娘。

「え?そうなの?すごくマッチしていたから、映画のために作った歌だと思っていた。」と私。

「それが違うみたいよ。多部未華子さんも別の映画で歌っていたりする。」

「へえ。で、誰の曲なの?」

「…ザ・フォーク・クルセダーズ…って知ってる?」

「ん?なに?」

ザ・フォーク・クルセダーズなら知っているはずです。

 

「オリジナルの歌、あるよ。聞いてみる?」

「ああ、お願い。」

 

 

数秒聞いてみて、「ああ、この曲なら知ってる!」と大声を出してしまいました。

 

スローにして曲調を変えて、女性のボーカルという違いはありますが、それにしても、こんなに印象が変わるものなのですね。

しかし、さすが加藤和彦さんです。つくづく名曲だと、改めて再認識しました。