沖腎協 「透析患者学習会」 

 
昨日は沖腎協の患者学習会で講師としてお話させてもらいました。

良いといわれる透析、しっかり透析をすることについてのお話です。

 

中部病院時代にお世話になった患者さんとか、懐かしい顔もたくさん見えていて

個人的にも大変嬉しい会になりました。

それぞれに皆さんがお元気でいるということが、何より嬉しいですね。

 

講演の方は伝えたいことがたくさんありすぎて

ちょっと早口にまくしたててしまったかなと反省しています。

 

もう少しテーマを絞ったほうが良かったかなと思ったのと、

時間がないのなら、最初のマジックは必要なかったかも?と思いました(笑)。

(そうです。マジックしてしまったんです。)

もしこれに懲りずにお招きいただけるなら、修正、改善して臨みたいと思います。

 

そうそう。小道具も使いました。

single pool Kt/V の説明と、長時間がなぜ良いのかについての説明を

視覚的にぜひ印象付けてもらいたいと思って準備したものです。

 

独りよがりの説明になったかも知れないと思って

これも 「???」 でした(笑)

小道具を使うことは私の趣味みたいなものですから、お許しください。

 

講演で紹介した「維持血液透析ガイドライン:血液透析処方」

透析医学会のリンクを貼っておきますね。

こちら です。

 

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十牛図

 

 

禅の教えに「十牛図」というものがあります。

特に禅に詳しいわけではないのですが、どの分野であれ、こういう「絵に表したもの」は興味深く関心があります。

 

この図は「真の自分」に目覚めるまでの道筋を10枚の絵で表したもので、分かりやすい反面、奥深く示唆的です。

下の図はWikipediaから引用したものです。

中国宋代の禅僧、廓庵(かくあん)によるものだということです。

本来の自分を牛になぞらえており、童子は修行者本人を表しています。

図の説明は哲学者 梅原毅氏の解説を載せますね。

 

①尋牛(じんぎゅう)

01

心が荒れている。あばれ牛の如くに。かつて私は一匹の牛を家のあたりにつないでいた。

しかし、いつの間にか牛は手綱を断ち切って暴れだし、私に血みどろな傷を負わせて遠い山に去ってしまった。

荒れ狂っている牛のほえる声が私を不安にする。

牛は猛り狂って田畑を荒らし、はては深い谷間に落ち込んで見事な頓死を遂げるかもしれない。

私は疲れた心と、傷ついた身体に鞭打って牛を探しに出かけるのだ。

 

解説:失った牛を探す場面。本来の自己が内にあることをまだ知らずに、探しに出るところである。

 

②見跡(けんせき・けんじゃく)

02

牛はなかなか見つからない。

私は日一日、果てしない野原を歩き回ったけれど、どこにも牛は見当たらなかった。

そしてまた高い断崖絶壁をよじ登ったけれど、私の見たのは、一面に荒れ果てた岩山ばかりであった。

しかし、ある秋の夕、深い夜の闇が天地を覆うとする一瞬前、私は森の入り口で、牛の足跡を見つけたのだ。

 

解説:牛の足跡つまり手がかりを見つけるが、足跡を見てもそれは知識として牛の存在を知ったことにしかならない。

 

③見牛(けんぎゅう)

03

すばやく、そして用心深くその足跡を私はつけて進んだ。

そして私は正しく見た。一匹の荒れ狂っている牛の姿を。

牛は怒りにもえ、私を見て襲いかかってきたけれど、隠すことのできない疲労のようなものが牛の体にただよっていることを、一瞬私は見逃さなかった。

 

解説:牛の声を聞いて後ろ姿を見る。しかし、まだ牛のすべてを見たわけではない。

 

④得牛(とくぎゅう)

04

今だ、私は祈りを込めて縄を投げた。

わが心よ獣の眠りを眠れかし。

縄は見事に命中して、牛の首に巻きついた。

牛は吠え叫び、逃げようとして暴れまわったけれど、私は牛の首に巻きついた縄を金輪際離そうとしなかった。

やがて牛は精魂尽きたかのように、どっと倒れて、死んだように動かなくなってしまったが、私もまた死せる牛のように疲れていた。

 

解説:ついに牛をみつけて手綱をつけるが、嫌がる牛を引き付けようとする状態。

 

⑤牧牛(ぼくぎゅう・ぼくご)

05

手綱をひいて私は家に帰ろうとした。

私はいささか得意になって、牛に言った。

「暴れ牛よ。お前がどんなに暴れても、結局、おれにはかないはしまい。」

牛は私のそういう言葉に反抗するかのように時々、暴れだそうとした。

しかし、その度ごとに、私は手綱をきつく引いて私の優越感を確かめた。

 

解説:荒れる牛を馴らして連れて帰るところ。手綱を張りつめた様子はない。ここではじめて、牛の顔が描かれる。

 

⑥騎牛帰家(きぎゅうきか)

06

山を越え、野を越え、牛と私は村里の近くにきた。

今まで雲に覆われた月も、そのまろやかな姿を雲の間から見せ始めた。

牛はおとなしくなり、私は牛の背の上で心も軽く、歌を歌ったのである。

楽しきかな人生である。

 

解説:牛に乗り笛を吹きながら家に帰る。牛の表情は明るく足取りも軽い。牛と童子は一体である。

 

⑦忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)

07

家に帰って、私は牛をつなごうとすると、ふっと牛は私の手から消えたのである。

牛は確かに今しがた私の前にあったはずなのに、忽然として牛は失せた。

巨大な牛が見る見るうちに気化し、ひとつの映像のようになって、すっぽりとわたしの心の中にすいこまれるように消え失せたのである。

それは一瞬の幻想のようでもあった。

あたりに無限の静けさが漂い、私は冷たい月光に照らされて、独り己の心を見入ったのである。

 

解説:家に帰って牛のことを忘れ、牛もどこかへ行ってしまう。牛を忘れ去る、つまり悟ったという気持ち自体を忘れた境地である。

 

⑧人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)

08

また、不可思議なことが起こった。

心をじっと見入っているうちに、私自身が消失してしまったのである。

私と私を取り巻く世界もすっかり消え果て、世界は白い霧のようなものに変化してしまった。

私もまた白い霧のようであり、私が世界であり、世界が私でもあった。

透明で、清潔な完全な真空の世界で私の心も真空な満足に酔っていた。

 

解説:牛も人も忘れ去られている。迷いも悟りも超越した時、そこには絶対的な空がある。

 

⑨返本還源(へんぽんげんげん)

09

しかし再び、あの真空の世界に草が生え、花が咲き、鳥は歌い、春が来るのである。

すべてはもとのままのようであり、生は、希望の歌を高らかに歌い始めているではないか。

柳の緑の鮮やかさ、紅の花の美しさ、世界は改めて無限に豊かな色に輝きわたっているではないか。

 

解説:ここには童子も牛も描かれていない。悟る前と同じく水は流れ花は美しく咲き誇る。

 

⑩入鄽垂手(にってんすいしゅ)

10

このように再び、本に還り、万物が豊かな色を示す世界に、私は何事も起らなかったかの如く帰ってゆく。

脚を現し、腹をむきだし、一見愚者の如くに、町にさすらい歩き、物にあえば物に親しみ、人に会えば人と笑い、見知らぬ人の間で、慈悲を世界にふりまいて生きている。

 

解説:童子が対面しているのは、悟りを得た老人である。悟りを得たものは、広くそれを伝えなければならないことをあらわしている。しかし、老人と語る童子の姿は、最初の見跡の図に見える姿と同じである。

 

 

プラセンタ 「ラエンネック」の説明書

 

関心のある方々からの問い合わせが、時々ありますので、クリニックで使用している説明書を載せたいと思います。

説明文の太字の部分

「輸血やラエンネックを含めヒト組織や血液を原料とした製品を1回でも使用した方は、献血ができなくなります。」

以前に投与されたことがある方でも、献血ができなくなるということを初めて聞いてびっくりされる方がいます。

 

十分に理解し同意していただいた方に投与する薬剤ですので、よろしくお願いいたします。

 

ラエンネックの説明書

 

「車輪の下」

 

実家に帰ったついでに、部屋の本棚から持ち出してきました。

小学校の図書館の書架には、写真のようなポプラ社のジュニア文学名作選アイドルブックスシリーズの緑色の背表紙がずらっと並んでいた気がします。

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ヘルマン・ヘッセの小説は、なぜか子どもながらに心惹かれ、ヘッセの「半自伝的小説」にどっぷりと感情移入しながら読んでいました。

「車輪の下」はエンディングも自滅的ですし救われるものも誰ひとりとしていないような、ヘッセのあまりにも有名な作品です。

小学生(6年生?)の私はこの小説が好きでした。

悲劇なのでしょうが、古い自分を葬り去るという形を取らざるを得なかった作者に共感していたのかも知れません。

なぜこの結末なんだ?

ずっと考え込んでいたのを覚えています。

 

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体験して思ったこと

 

長時間透析を実際にしてみて思ったこと。

少々、格言めいた表現でお恥ずかしいのですが、備忘録代わりに書き置いておきます。

 

「良いことをたくさん寄せ集めても良い結果を生むわけではない。」

Online HDFや高性能のダイアライザー、透析液、長時間透析…。

良いものとされているものはいろいろあります。

けれども、「あれもこれも良いもの」をくっつけた結果、かえって悪いことになっているぞというのはよく聞くお話です。

その人が本当に解決したいと思っている困っていることや治療目標を見失っているからです。

やはり、パーソン・センタード・ケアこそが貫くべき基本姿勢ですし、どんな時でも目的を見失ってはいけませんね。

 

「やってみないとわからないと言われていることは、実は想像すらできていない。」

8時間透析を経験してみて思ったことです。

今まで実際にやられている方達にお話を伺って、いろいろと質問もしてきました。

「経験してみたらわかりますよ。」

どの方からもそういう答えが返ってきました。

今なら思います。なんて浅い質問をしてきたことでしょう。

例えば、美味と言われている食べものをあれこれ想像をめぐらしてみても、実際に食べてみないと味はわからないというのと同じです。

ふとアインシュタインの言葉を思い出しました。

「何かを学ぶためには、自分で体験する以上に良い方法はない」

 

「どんな正しい方法でもそれにとらわれた瞬間から誤りの道を歩んでいる。」

これは自戒をこめて。

とらわれやこだわりで徹底して行えば、逆になります。

 

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実験の小道具

 

講演会に向けての準備をしています。(週末ですから、すでに準備が遅いんですけど。)

 

私のプレゼンの理想は「ためしてガッテン」

一般の方々にわかりやすく説明する、あの手法を真似したい!

ということで、小道具を作成中です。

 

昨日、100円ショップで購入してきた品物を手に、ああでもないこうでもないと試行錯誤です。

実際にやってみると予想外の結果が出たり、「やってみないとわからない」っていうのは本当だと思いました。

 

小道具を使ったプレゼン・テーマは「透析に時間をかける意味について」

身近なもので視覚的に納得してもらおうという試みです。

 

「理屈ではわかるよ。」と言う人も、実際に目にしたら違ってくるのではないかという期待をこめて。

(プレゼン次第って言われればそれまでなんですけど(笑))

 

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「実行バンド」

 

ティナ・シーリグのスタンフォード大学白熱講義(DVD付き)を読んで(鑑賞して)

面白いなと思った試みがありました。

 

 

DO BAND (実行バンド)と呼ばれているものです。

あるチームはゴムバンド(幅の広い輪ゴム)を使って、先延ばししがちであったことを実行してもらおうと考えました。

もちろん行動を起こさなければ何も起こらないというのは当然のことです。

そして、だれもが自分の目標、やらなければいけない何かを持っているものです。

実行バンドの狙いは、皆に障害物を乗り越えて、行動を起こしてほしいというものでした。

 

ルールは単純です。

その1:実行することを決めて実行バンドを手首に着け、達成するまで外さない。

その2:うまくいったらネットに書き込んで、公表する。

その3:実行バンドを次の人に渡す。

 

実行バンドにはひとつずつシリアルナンバーがついているので、その実行バンドでほかの人がどんな行動を起こしたかわかるようになっています。

ひとつひとつの実行バンドが成功の連鎖を生み出していくのです。

 

例えば

新たなサマーキャンプをはじめた。

母親に山ほど電話をかけた。

感謝やお詫びのカードを送った。

ヘルシーな食事を始めた。

勇気を奮い起こして片思いの人をデートに誘った。

より大きい善のために個人的に貢献した人もいた。

 

実行バンドは何かをするスイッチになり、いろいろな人の行動を引き起こしていきます。

何もしないのと、何かをするという選択肢を分ける小さなスイッチ。

人々が連鎖していくって、ワクワクしますね。

 

英語でしたが、youtubeにイノベーション・トーナメントのビデオ・クリップがアップされていました。

この本のDVDに収録されているのと同じビデオ・クリップです。

 

[youtube]http://youtu.be/gz0246tMejk[/youtube]

長時間透析研究会に参加してきました

 

長時間透析研究会に参加してきました。

 

前日には懇親会があり、お世話になっている先生方へご挨拶ができたのと、新しく知り合いになれた先生方もありました。

また志の高い透析患者さんたちとも自己紹介しあい、お話することができました。

個人的にはいろいろとご指導いただいた坂井瑠実先生にオーバーナイト透析のスタートを直接ご報告できたのが良かったです。

 

当日も大会長の前田兼徳先生の意気込みを感じさせる素晴らしい研究会でした。

 

どのプログラム、演題も私には刺激的だったのですが

その中でも、個人的に印象に残ったものを紹介します。

 

ひとつは、午前の最後のプログラム「透析患者からのメッセージ」です。

兵庫県の透析歴約40年の方と、滋賀県の透析患者であり臨床工学技士の方のお話でした。

抄録にもありましたが「失ったものは大きい。しかし、失ってこそあるこの人生は、最高に素晴らしい!!」

実際の喪失感は計り知れないものがあったでしょう。

それを乗り越えてこその今の姿。

患者の立場を超えて、生の声としてのメッセージは胸に響きました。

 

また、今年の第58回日本透析医学会学術集会・総会にも発表されていましたが 

佐賀県の前田病院から前田篤宏先生の「6時間透析の生存率~24年の経験より」という自施設の成績。

抄録はこちら

24年間一貫して230人もの患者さんを6時間透析をされてきた素晴らしい内容でした。

 

抄録の【考察】から

当院は平均脱血量191.5ml/min、平均膜面積1.13m2と低効率であり…。

…慣習的に処方されてきた4時間透析と比し良好であった当院の6時間透析の生存率は、多様化する透析処方のベンチマークの一つに成りうると考えられた。

 

本当にそうだと思います。

ただし、ベンチマーク(水準点)の一つとするには、謙遜しすぎているのではと思うのですが

(どう見ても真似が容易ではない、素晴らしく誇れる内容です。)

長時間透析に対する確かな手ごたえを感じさせていただきました。

 

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じゃんけんで勝つ方法 人のクセを知る

 

ネタ元は「いかにして問題を解くか 実践活用編」

芳沢光雄教授の著作です。

 

 

ゼミナールの学生に手伝ってもらって725人のじゃんけんのデータをとったそうです。

 

のべ11,567回のじゃんけんをおこなって、得られた結果が以下の通り。

グー 4,054回(35.0 %)

パー 3,849回(33.3 %)

チョキ 3,664回(31.7 %)

 

じゃんけんは、グー・チョキ・パーの三すくみ状態だからこそ公平な勝負(?)ができると思われがちですが

ルール上は三すくみでも、実際に出すのはそれぞれ3分の1ではないのですね。

そこには人間の微妙な心理というかクセが出るようなのです。

 

理由にあげているのが

「人間は警戒心を持つと拳を握る傾向がある」

「チョキはグーやパーと比べてつくりにくい手である」

 

 

このデータをもとに、じゃんけんに勝つ方法を伝授するとすれば

● パーが有利!

相手は35%の確率でグーを出し、チョキを出す確率が一番低いとなれば、パーを出す方が有利ということになります。

 

ほかにも

● 2人で行うじゃんけんであいこになったら、次はその手に負ける手を出すと有利!

 

つまり、パーとパーであいこになったら、次はグーを出すと有利なのだそうです。

人間はじゃんけんをする時、直前の手と違う手を出したい気持ちにかられるのだそうで

これもデータで裏付けられているそうです。

パーを出した後は、次にグーかチョキを出す傾向が強い。

ですからグーを出せば、勝つか、最悪でも引き分けなのですね。

 

 

 

まど・みちおさんの詩

 

何か困ったことがあってfreezeする時、前にも書いたかも知れませんが

私は まど・みちおさんの詩を求めて、読みます。

 

すべてをくるんでもらったような感じというか

宇宙全体を包容したような、まなざしに見守られた感じというか

ふっと力が抜けていく感じです。

小さいことだ、悩んでいることなんてと思わされます。

当たり前のことに命を宿すこと。

まどさんの「まど」を通さないと、私にはきっと見えない世界です。

 

たとえば、「つぼ」という詩

 つぼは

 ひじょうに しずかに

 たっているので

 すわっているように

 見える

 

 

次の詩などは特に好きです。

 

 

  ものたちと

 

 いつだってひとは ものたちといる

 あたりまえのかおで

 

 おなじあたりまえのかおで ものたちも

 そうしているのだと しんじて

 

 はだかでひとり ふろでいるときでさえ

 タオル クシ カガミ セッケンといる

 

 どころか そのふろばそのものが もので

 そのふろばをもつ すまいもむろん もの

 

 ものたちから みはなされることだけは

 ありえないのだ このよでひとは

 

 たとえすべてのひとから みはなされた

 ひとがいても そのひとに

 

 こころやさしい ぬのきれが一まい

 よりそっていないとは しんじにくい

 

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