親と子どもの関係

 

「親が子どもに嘘をつく」

最近はホワイト社会といわれていますから、字面にしてしまうと「嘘をつくなんて」とか、「そんなことありえない」という声が聞こえてきそうですね。

けれども、その子どもが幼児なら、子育て中の親は日常的に(軽い気持ちで)嘘をついている気がします。

例えば、ぐずる子どもをコントロールしたいとき。

怯える子どもを安心させたいとき。

そして、子どもを喜ばせるために。(サンタさんなどはグローバルに大勢の共犯者がいますね。)

日常的にありふれた、小さなことのように、親は子どもに嘘をつきます。

しかし、この行動には深い意味があり、子どもたちの心理や成長に影響を与えていて、一概に良いとは言えないようです。

 

元論文はこちら→

Setoh, P., Low, P. H. X., Heyman, G. D., & Lee, K. (2023). Parenting by Lying. Current Directions in Psychological Science, 0(0). https://doi.org/10.1177/09637214231206095

 

子どもが成長するにつれ、彼らは徐々に親の言葉の真実性を見極める能力を身につけていきます。

親の嘘を見破った時、子どもは失望や信頼の喪失を感じることがあります。

この研究は、親による嘘が子どもの社会的スキルや心理的健康に長期的な影響を及ぼす可能性を指摘しています。

特に、親との関係性や、将来的な他者との信頼関係に影響を与えることが考えられます。

 

また、文化的な観点から見ると、親による嘘の頻度や性質には顕著な違いがあります。

これは、それぞれの文化が子育てに対して持つ価値観や期待に基づいています。

一部の文化では、子どもへの嘘が比較的許容される一方で、他の文化では厳しく見られることもあります。

 

この研究は、私たちに重要な疑問を投げかけています。

親が子どもに嘘をつくことは、どこまでが許されるのか?

また、その結果として子どもにどのような影響があるのか?

改めて、この問題を考えることは、親子関係の本質を理解しようとすることになるのかも知れませんね。

 

 

塩分摂取と慢性腎臓病(CKD)のリスク

私たちの生活において塩は重要な役割を果たしていますが、その摂取量が健康に与える影響についてはよく議論されてきたものです。

今回は、食事に塩を加える習慣と慢性腎臓病(CKD)のリスクについての研究です。

 

元論文はこちら→

Tang R, Kou M, Wang X, et al. Self-Reported Frequency of Adding Salt to Food and Risk of Incident Chronic Kidney Disease. JAMA Netw Open. 2023;6(12):e2349930. Published 2023 Dec 1. doi:10.1001/jamanetworkopen.2023.49930

 

研究では、465,288人の成人を対象に、食事への塩の添加頻度とCKD発症の関係を調査しました。

参加者は、「決して」「めったに」「時々」「通常」「常に」という5つのカテゴリーに分けられ、それぞれのグループでCKD発症率を比較しました。

結果は明確でした。

塩を「時々」「通常」「常に」加えるグループは、「決して」または「めったに」加えないグループに比べてCKDのリスクが有意に高かったのです。

この関係は、年齢、性別、BMI、身体活動レベルなど他の要因を考慮しても変わりませんでした。

さらに、この研究は、塩分摂取量と推定糸球体濾過率(eGFR)の関連性も調べています。

eGFRは腎機能の指標であり、これが低いほど腎臓病のリスクが高まります。

塩分摂取量が多い人では、eGFRが低下する傾向が見られ、これがCKDのリスクを増加させる可能性を示していました。

塩分摂取量が多いと、高血圧や心臓病のリスクが高まることは広く知られていますが、CKDへの直接的な影響についてはここまで明確に示されていませんでした。

この研究により、塩分を控えることが、CKDを予防する一つの方法であることが、改めて明らかになりました。

 

個々の生活習慣が健康に与える影響を理解することは、病気の予防と健康増進のための政策や勧告を策定する上で不可欠となります。

また、食生活の変化が長期的な健康へ与える影響を理解することは、私たち一人ひとりにとっても重要な知識となります。

この研究は、日常生活における塩分摂取の習慣が、改めて健康に大きな影響を与えることを示しました。

 

 

酒飲み用語としての「アルコール消毒」の真偽

お酒が好きな方々の間では、「アルコール消毒」という表現はよく使われますね。

これは「お酒を飲んで体内の病原体を消毒してしまおう」というユーモラスなたとえですが、このジョークを「根拠なし」と決めつけるのは早計のようです。

(もっとも、言っている本人も真面目に訴えているワケではないと思うのですが 笑)

 

元論文はこちら→

Tatsuomi Matsuoka, Kou Matsuoka, et al. A gastric acid condition enhances the microbial killing effect of ethanol. Microbiology Research International.Volume 9, Issue 2:P40-45

 

この研究は、人間の胃酸の条件下でエタノールが微生物に対してどのように作用するかを調査しました。

特に、土壌性原生動物コルポダ・ククルスの休眠嚢胞と、病原性細菌であるクレブシエラ・ニューモニアなどに注目しています。

胃酸は、pH 1~3の範囲で、非常に強い酸性を示します。

この酸性環境は、多くの微生物にとっては生存困難な条件を作り出します。

しかし、一部の微生物は、酸性条件に耐えうる能力を持っています。

そこで、研究者たちは、エタノールがこれらの酸耐性微生物にどのような影響を与えるかを調べました。

結果として、胃酸の低pH状態において、エタノールの濃度が20%以下であっても、微生物に対して有効な殺菌効果があることがわかりました。

つまり、食事時にアルコールを摂取することが、これらの病原体に対する防御手段となり得るというわけです。

しかし、ここでマジメにコメントしなくてはいけませんね。

もちろん、これを「アルコール消毒」と同一視することは危険です。

まず、アルコール消毒は通常、高濃度のエタノールを使用し、外部からの病原体を直接除去するものです。

一方で、飲酒による効果は、内部の微生物に対して限定的に作用します。

さらに、アルコールの過剰摂取は多くの健康リスクを伴います。

そのため、飲酒は適量に留め、健康的な生活習慣を維持することが重要です。

結局のところ、「アルコール消毒」という表現は、飲み会を開く景気づけだけにとどめておくべきで、その科学的根拠は限定的です。

健康を守るためには、飲酒による利点とリスクを十分理解し、バランス良く摂取することが肝心だということです。

 

ペットを飼うことと認知機能

私が中学から高校にかけて、家には小型犬がいました。

従姉弟が生後すぐに飼い始めたのですが、引っ越しなどが重なって私の家に引き取られたものです。

チェリーと名づけられたその犬に、私は何度も勝手な問わず語りをくりかえしたものです。

今日紹介する研究は、ペットを飼うことが50歳以上の人々の認知機能に与える影響について。

 

元論文はこちら→

Li Y, Wang W, Zhu L, et al. Pet Ownership, Living Alone, and Cognitive Decline Among Adults 50 Years and Older. JAMA Netw Open. 2023;6(12):e2349241. Published 2023 Dec 1. doi:10.1001/jamanetworkopen.2023.49241

 

論文の要点は次のとおりです。

・この研究は、50歳以上の成人のペットの飼育と認知機能の衰えとの関連を調査しました。

・研究対象は、2010年から2019年にかけての英国の縦断的コホート研究(English Longitudinal Study of Ageing)のデータを使用し、7945人の参加者を含みます。

・主な焦点は、語彙記憶と語彙流暢性の評価で、これらは認知機能の代理指標として使用されました。

・結果として、ペットを飼っている人は、そうでない人に比べて語彙記憶と語彙流暢性の衰えが遅いことが分かりました。この効果は、一人暮らしの高齢者に特に顕著でした。

・しかし、共に暮らす人がいるペットの飼い主と一人暮らしの非飼い主の間では、認知機能の衰えの速度に有意な差は見られませんでした。

 

共に暮らす人がいる場合は、ペットとの交流が希薄になるのでしょうか。

一人暮らしの人と変わりがないというのは、少し意外ですね。

  

この発見は、ペットが高齢者の精神的健康に及ぼす可能性のある肯定的な影響を示唆しています。

ペットとの交流が認知機能を刺激し、その衰えを遅らせる可能性があるわけですから。

特に、一人暮らしの高齢者の場合、ペットとの絆が社会的孤立感を軽減し、精神的なサポートを提供することが示唆されています。

これらの結果は、ペットが高齢者の生活の質を向上させる重要な役割を果たす可能性を浮き彫りにしています。

 

高齢者の意思決定をいかに尊重するか

今回は、高齢者の慢性腎不全の治療において、透析を標準治療とする現状に疑問を投じ、より人間中心のアプローチを提案する論文「高齢者のための共有意思決定:デフォルトとしての透析を超える」を紹介します。

 

元論文はこちら→

Saeed F, Schell JO. Shared Decision Making for Older Adults: Time to Move Beyond Dialysis as a Default. Ann Intern Med. 2023;176(1):129-130. doi:10.7326/M22-3431

この論文は、アメリカ医学会誌に掲載されたものです。

ここでは、高齢者の治療選択における共有意思決定(SDM)の重要性を強調し、透析以外の選択肢、特に保守的腎臓管理(CKM)の可能性を探求しています。

「共有意思決定(SDM)」と「保守的腎臓管理(CKM)」についての説明をしますね。

共有意思決定(SDM: Shared Decision Making)とは、医師と患者が共に情報を共有し、患者の価値観や希望に基づいて治療の方針を決定するプロセスのことを言います。

SDMでは、医師が医学的な情報を提供し、患者は自身の価値観や生活状況を考慮しながら治療選択を行います。

これによって、患者は自己の健康に対する責任を持ち、意思決定に参加することができます。

一方、保守的腎臓管理(CKM: Conservative Kidney Management)とは、進行性の腎臓病がある患者に対して、「透析をしない選択」を尊重し、症状のケアや残された時間における生活の質に焦点を当てた治療法のことを言います。

 

現在の医療システムでは、腎不全の高齢者に対して、「透析治療を導入すること」がなかば当然のようになってしまっています。

しかし、透析は生命を延ばす一方で、生活の質に大きな影響を及ぼすことがあります。

CKMは、患者の価値観や目標に合ったケアを重視します。

 

この論文は、高齢者の腎臓病治療における透析以外の選択肢を検討し、患者の価値観に基づいた意思決定を促進するための新しい視点を提供しています。

 

「フレッシュスタート効果」

新しい年がはじまりました。

昨年の末頃から「年が明けたら運動をはじめよう」とか「新年になったらアレを目標にしよう」とか、静かな意気込みを燃やしていた方も多かったかも知れませんね。

順調なスタートが切れたでしょうか。

新年や誕生日などの特別な日が、私たちの心理的なスタート地点となり、過去の失敗からの距離を生み出し、新たな目標に向かって進む力を与えることが、科学的に証明されています。

これを「フレッシュスタート効果」というのだそうです。

 

元論文はこちら→

Dai H, Milkman KL, Riis J. Put Your Imperfections Behind You: Temporal Landmarks Spur Goal Initiation When They Signal New Beginnings. Psychol Sci. 2015;26(12):1927-1936. doi:10.1177/0956797615605818

 

この研究では、そうした「時間的ランドマーク」が、人々の自己評価や目標達成への取り組みにどのように影響を与えるかが検証されました。

時間的ランドマークとは、年初や誕生日のように、過去の自分と現在の自分を区別する重要な日のことです。

これらは、私たちに「新しい始まり」の感覚を与え、新たな目標に挑戦するモチベーションを高めます。

例えば、新年には多くの人がダイエットや運動、勉強などの新しい目標を設定します。

これは、新年が「新しい自分」をスタートさせる機会と捉えられるためです。

同様に、誕生日や仕事の記念日なども、自己改善の機会として機能することがわかっています。

この理論を裏付けるために行われた実験では、参加者たちが時間的ランドマークを意識することで、過去の失敗からの心理的な距離を作り、新しい目標達成に向けての取り組みが増加することが示されました。

「新しい自分になったつもり」になるのですね。

この発見は、私たちが目標を設定し、達成する過程で、時間的ランドマークを意識的に利用することの重要性を示しています。

新しい年、新しい月、あるいは新しい週が始まる時、私たちは新たな可能性に向けて一歩を踏み出す機会を得ます。

 

 

カロリー表示と健康志向

食べ物は私たちの活動のエネルギーとなり、身体をつくりあげていく重要なものです。

ですから、正確な食品表示は、私たちの食生活を豊かにし、安心をもたらす重要な要素となります。

例えば、レストランのメニューにあるカロリー表示。

単純に「美味しいもの」を選ぶのも良いのですが、自分にとってより健康を考えた食事を選ぶのは大切なポイントになります。

ここで、ファーストフードチェーンにおけるメニューラベリングの効果についての研究をみてみましょう。

カリフォルニアのタコベルで行われたこの研究は、メニューにカロリー表示が導入された後の購入行動に焦点を当てています。

 

元論文はこちら→

Rummo PE, Mijanovich T, Wu E, et al. Menu Labeling and Calories Purchased in Restaurants in a US National Fast Food Chain. JAMA Netw Open. 2023;6(12):e2346851. Published 2023 Dec 1. doi:10.1001/jamanetworkopen.2023.46851

 

研究では、2007年から2014年にかけての取引データが分析されました。

その結果、カリフォルニア州の店舗では、メニューラベリングが導入された後、平均して一回の取引あたり約24.7カロリー少なくなるという傾向が明らかになりました。

これは他の州と比較しても特徴的で、地域による影響の違いを示しています。

このデータは、消費者の選択に与える情報の影響を考える上で重要な指標となります。

メニューラベリングが導入されると、顧客はより健康的な選択をする傾向にあることが示されています。

しかし、この影響は地域によって異なることも重要です。

カリフォルニアのような州では効果が顕著ですが、他の州ではそうではないかもしれません。

この研究は、健康意識の高まりとともに、メニューラベリングがより一般的になる中で、消費者の選択に与える影響を理解する上で貴重な一例と言えます。

健康的な食生活を促進するためには、ただ情報を提供するだけでなく、地域の文化や習慣に合わせたアプローチが重要であることを、この研究は教えてくれます。

 

ファビングの影響

 

カフェの隅で、スマートフォンに見入る若者たちがいます。

彼らは、対面での会話よりも画面上のメッセージに夢中です。

これは、今や日常で普通にみられる光景ですが、これが「ファビング」と呼ばれる行為です。

「ファビング(Phubbing)」とは「phone snubbing = 電話スナッビング」を略した造語です。

Snubbing とは、英語で「鼻であしらうこと、ひじ鉄砲、冷遇、無視、拒否する」という意味。

つまり、他人との対面でのやり取りよりもスマートフォンを優先する現象です。

ファビングを行う人は、他人との付き合いを無視してスマホの画面に集中しています。

その結果、「ファッビー」と呼ばれるファビングの対象となった人は、無視されている、または重要とは思われていないと感じる可能性があります。

一見、些細なことのように思えますが、この行為が私たちの心と生活に深く関わっていることを、ルーマニアの研究者たちが明らかにしました。

 

元論文はこちら→

Maftei A, Măirean C. Put your phone down! Perceived phubbing, life satisfaction, and psychological distress: the mediating role of loneliness. BMC Psychol. 2023;11(1):332. Published 2023 Oct 12. doi:10.1186/s40359-023-01359-0

 

この研究は、18歳から77歳までの720人の成人を対象に行われました。

彼らは、ファビングの経験、孤独感、生活満足度、心理的ストレスについてのアンケートに答えました。

結果は予想通りなものでした。

ファビングは孤独感と強く関連し、それが心理的ストレスや生活満足度に影響を与えていました。

スマートフォンの画面に夢中になることで、私たちは自分自身を孤独にし、心の健康に影響を及ぼしているわけです。

では、私たちはこのデジタル時代にどう向き合えばいいのでしょうか。

スマートフォンは便利ですが、その画面に映る世界に夢中になりすぎると、目の前の大切な人とのつながりを失ってしまいます。

ファビングは個人的な行動であると同時に、社会的な現象でもあります。

私たちの行動一つ一つが、心理的健康や人間関係に波及するのは当然のことと言えます。

この研究から私たちが学ぶべきことは、スマートフォンを手放し、目の前の人と真剣に向き合うことの大切さです。

デジタルの世界で得られるつながりは、リアルな人間関係に代わるものではありません。

スマートフォンを一時的に置いて、目の前の人の話に耳を傾けることで、私たちはもっと充実した人生を送ることができます。

それは、デジタルと非デジタルの世界のバランスを取る鍵です。

 

 

2024年 新年のごあいさつ

明けましておめでとうございます。

昨日は年末の特番を見ながら、2023年に起こった出来事などを振り返る機会を得ました。

私にとって、日常生活に最も影響を与えたのが、コロナ関連の出来事だったと思います。

特にその扱いが5類と同等になったことが、私たちの暮らしぶりや働き方に大きく影響をあたえてきました。

気がついたら4年が経過していたのですね。

よく「時がとまっていた」という表現をつかいますが、「とまって」いて何も変わっていないようでも、私たちは明らかに4年分の歳をとっていました。

4年分の時間がいかに貴重であったかを、特に思い知らされる1年だったと思います。

フルに動き出すには、まだ時間が必要かも知れません。

今年はどんな年になるのでしょう。

「人生は、あいまい、中途半端、いい加減、適当、グレーゾーンが大切」

最近目にした本の欄外の言葉が、とても心に刺さっています。

皆さんにとって健やかな1年でありますように。

今年もよろしくお願いいたします。

 

2023年おおみそかの日に

いつも言っていることですが「あっという間におおみそか」を迎えてしまいました。

そして、毎年、今日は同じことを書いている気がします。(気がするではなく、きっとそうです。)

つまり「このブログを書き始めた記念日」だということ。

2012年12月31日からスタートした「院長ブログ」は、毎日投稿して、昨年2022年に10周年を迎えました。

今日で10+1周年となります。

「今日は何日目?」というサイトでざっと計算すると、4018日目になるのだそうです。

「へえ、毎日書いているの!」と一度は感心してくれた読者も、さすがに10年を超えると環境も変わりますし、ブログの存在自体もお忘れになられるようです。

そりゃそうです。

内容が面白いわけでもなく、時事ネタを扱っているわけでもなく、他の医療関係のサイトのようにお役立ち記事も書いていませんから。

私の家族も「続けているらしい」ぐらいの認識しかないので、いつの間にか書いている本人も「誰も読まない」が前提になってしまいました。

しかも、今は動画の時代です。

本気で情報発信するなら「さむら脳神経クリニック」の佐村先生のように、ブログからYouTubeに乗り換えるべきでしょう。

「なんかよく知らんけど、なぜか続いている」だけのブログですが、それでも通算3回ほどサイトが乗っ取りにあったり、サーバーに弾かれたりして、中断の危機に遭遇していました。

ニフティのブログに同時発信するようになったのは、そのためです。

何かを10年続けたら、さすがに何かの形になるだろうと思っていましたが、何者にもならず(なれず?)だからなのか、まだ続けられる気でいます。

考えてみれば、おおみそかの日に「周年」の記念日を迎えるのは、私にとってラッキーだったかも知れません。

新しい年の元日に、また新しい1ページを進めることができますから。

こんなブログですが、続けられているというのは、いろいろな意味でありがたいことです。

今年もありがとうございました。

また来年、よろしくお願いします。